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目覚め 2


 大岩の隙間に、白い布が見える。

 近くで確かめると、それは、白く丈夫そうな布地の服だった。

 上下に分かれた白い服、黒い帯、白いフンドシが、岩の割れ目の中できれいに折り畳まれていた。

 まるで、誰かが用意してくれていたみたいだ。


「不思議なこともある」


 さっきから不思議な事だらけであった。


 この状況、全く意味が分からない。

 だが、一つだけハッキリしていることがあった。


 それは……俺が文明人である事だ。


 ただの水を浴びただけで、洗浄(こざっぱり)された己を喜ぶ俺がいる。

 洗浄(こざっぱり)とは、風呂文明精神テルマエンスピリトゥス神髄(しんずい)

 風呂(テルマエ)(たっと)ぶ心は、まさに文明人の証し。


 ならば……

 文明人が素っ裸(スッポンポン)のままでウロウロする訳にはいくまい。


 ありがたく服をいただく。

 俺は、服を手に取り、拡げてみた。

 袖は少し短いが、俺の巨体にぴったりと合う大きさだった。


「まるで俺のために用意された服か……ん? この服」


 服を拡げて気がついた。

 白く丈夫そうな布地の胸には、読めない文字の刺繍がある。


 ぶっとい指で、刺繍をなぞる。


 ”カラーテ!!?”


 不意に謎の言葉が、頭に浮かんだ。

 言葉と同時に、同じ衣を着た戦士と戦場を駆け抜け、異形を狩るイメージが走る。

 謎のイメージそのまま言葉を口にした。


「……カラーテ」


 ドクゥンッッ!!


 心臓が跳ねた。

 この言葉を唱えると、(ソウル)の奥底に熱く(たぎ)る炎が灯った。

 謎の言葉だ。

 だがそれは、確信めいた言葉であった。


 ”カラーテ“ = ”強さ ”


 そこに、カラーテという言の葉と、強さという言の葉が同時に混在した。

 記憶を失う前の俺にとって、カラーテが全てであった。

 強さが全てであった。

 俺はカラーテ馬鹿であったのだ。

 ……と、何か(・・)が囁くのだ。


 頭では分からない。


 これは……(ソウル)に刻まれた記憶か?

 いや、そうではない。

 これは、(ソウル)からの声じゃなかった。

 その声が沸き上がる場所は……その場所は……


 筋肉ぅッッ!??


 直感が解答を示した。

 全身の筋細胞が、その声を叫び続けていたのだ。


 ”戦えェッッ!!”

 ”その名に恥じぬカラーテで……を撃ち倒すのだ”

 ……と。

 何者かと戦えと筋肉が渇望する。


 この確信めいた(うず)きは、脳の記憶の問題ではなかった。

 筋肉からの記憶であったのだ。



 記憶とは何か?

 解説しよう、記憶とは、経験と刺激によって、脳神経シナプスを通じてニューロン分子同士の結合で刻まれた記録の事である。

 だが、ニューロン分子が働く場所は、脳だけではない。

 最新の神経科学研究では、指先に存在する末端ニューロンの役割が報告されている。

 つまり、筋肉もまた、独立した情報処理装置を有しているのだ。

 極限突破に鍛え抜かれた筋肉であれば、筋組織内ニューロンもまた極限突破。

 筋組織内シナプスの爆発的接続によって記憶が形成されていると言っても良いのではなかろうか?

 ……いや、よいッッ。

 鍛え抜かれた筋肉には、記憶が存在すると言い切っても、なんら過言ではないのである。



 それにしても……


 服を引っ張って見つめる。

 なぜ、自分がこんな言葉を知っているのかについては、謎であった。

 頭で考えても、意味が分からない言葉である。

 考えようとすると、不安が俺を押しつぶそうと襲ってきた。


 漠たる不安……

 文明人の俺が、屋根も風呂(テルマエ)も無い大自然の中で一人きり。

 不安も湧こうと言うものだ。


 だが……筋肉ッッ!!!


 圧倒的な筋肉が、ここに存在するではないか。

 何を心配する必要があろう。

 筋肉が、俺を裏切ろうはずなど無いのだ。


 白い服を握った両腕を見る。

 堂々たる(かいな)だ。

 圧倒的腕力(かいなちから)を内包する極太(ドデカイ)(かいな)である。


 ……己が何者なのか? 記憶は無い。

 だが、こんな肉体がどうすれば手に入るのかだけは分かる。

 そんな事は、決まっている。

 筋骨の芯までイジメ抜いた者だけが手に入れるのを許された肉体だ。


 強さには、生まれ持った天賦の才能(ギフテッド)と言うものがある。

 恵体(めぐたい)に生まれついたヤツは、努力など無くとも強い。


 されど……


 されど、強さには、その先があるのだ。

 血のションベンと滝のように流す汗を武に捧げた者だけに見せる先があるのだと、筋肉が(ささや)く。


 極太(ドデカイ)(かいな)の先には、指先まで詰まった筋肉によって、グローブのようになった手が見える。


「ふむ……」


 右手の指を、小指から順に握る。

 最後に親指で絞める。


 ギュリッ!


 皮膚が軋む音が鳴った。

 ごろんと、極太(ドデカイ)ゲンコツが現れた。

 極太(ドデカイ)(ゲンコツ)の間接部には、黒金(くろがね)色に光る(ケン)ダコが圧倒的自己主張をしている。


 ……筋肉は、記憶していた。

 気の遠くなる程、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し…繰り返し、繰り返し…………………………………………繰り返し刻み込んだ(ワザマエ)を。

 (ゲンコツ)一つ造るのにも、技が存在するのだと。


 (ワザマエ)とは、力のその先にある(ことわり)であり、そこに到るまで幾万もの先達(せんだつ)研鑽(けんさん)によって辿り着く、合理の(いただき)なのである。


 技を使わば、この肉体がどう動くのか?

 それは、筋肉が覚えていたのだァッッ!!!


 (ゲンコツ)を再度見つめ直す。

 堅く絞まった(ゲンコツ)である。


 気がつくと、恍惚(こうこつ)のまま(ゲンコツ)見惚(みと)れる俺がいた。

 ただ手を握るだけでは、この圧倒的な(ゲンコツ)は現れない。

 それほどの(ゲンコツ)であった。


 ニヤリ!


問題ねえ(ドンマイ)ッッ」


 極太(ドデカイ)(ゲンコツ)を見ていたら、自然と声が出た。

 筋肉は、全て(戦い方)を覚えてくれてる。

 それだけで充分であった。


 大いなる安心。

 ……だが。


 ギュルルルルル~~~~ッ!!!


 大きな音。

 腹の虫の音であった。

 どうやら、このデカイ体は燃費が少々よろしくないようだ。


「腹が減っちまったようだが、こりゃまいったな」


 知らない場所に、何者か分からない俺が1人で立っている。

 しかも空腹(ハラペコ)の状態でだ。


「筋肉を見つめるだけでは、腹は膨れねえか」


 幸い、まだシャリバテする程の空腹(ハラペコ)ではなかった。

 ……が、いずれ空腹(ハラペコ)が限界を超え、動けなくなるのは必然。

 この場所では、誰かの助けを期待できないのは明らか。

 文明人の俺が、いつまでもここに留まる訳にはいくまい。

 人里(文明)を目指すのだ。


 そうと決まれば、すぐに準備だ。

 フンドシを締め、白い服を上から着る。

 最後に、黒い帯を馬鹿太い指で締めると、腰が()わる。


「ほう……」


 思わず声が漏れた。

 白い服を留めるだけの帯のはずだが、黒い帯を締めると不思議な安定感があった。


「行くか……」


 幸い、俺の腹底には、何かの残滓が残っている。

 鍛え抜いた筋肉と、この確信に満ちた残滓が、未知への冒険を後押しする。


 上を見上げる。

 最初に立っていた大穴の外輪部へと登る。

 頂上に登ると、周りより小高くなっていて、見晴らしは良い。

 倒れた木々の先には、なだらかな丘陵の森が拡がっている。

 その少し先、森を一直線に走る切れ目があった。


「道か」


 恐らく道だ。

 俺は、道のある場所まで歩いてみることにした。


 ~~~


 森に入ると、樹齢数百年は経つ大木が立ち並び、10歩も進むと薄暗くなった。

 心持ち、樹木が異様な形に(ひず)んで見える。

 重苦しい。

 さっき大穴の上から見た森の風景とは別物。

 空気そのものが(よど)んでいた。


 まるで別物だ。

 そこから先、世界が一変した。

 瘴気(しょうき)と呼ぶべき剣呑(けんのん)な気配が湧き出し、ここから一歩でも進むと命の保証はないと告げてくる。


 ”狭間(ダンジョン)


 また謎の言葉が浮かんだ。

 俺は狭間(ダンジョン)の正体を知っていた。

 一歩でも踏み込めば命の保証など無い、危険極まりない土地であると。


 だが、そんな事はどうでもいい。

 多少の変化など、俺は気にしない。

 むしろ"中へ、最も危険なその中心へ"と、筋肉が要求するのだ。


 緊張の欠片も無く、俺の肉体は、裸足のまま瘴気の中へ歩を進めた。

 頭では覚えてないが、どうやら俺の筋肉はこの場所に慣れているようだ。

 その証拠に……


 ブワッ!


 俺の肉圧に触れた濃密な瘴気が、消し飛ぶように打ち(はら)われた。

 俺の筋肉を前にすれば、瘴気の影響など何ら問題はなかったのだ。


「へッ」


 ちょっと(わら)ってしまった。

 瘴気の影の向こうには、明らかな危険の気配が(ひそ)む。

 だが、進む。

 瘴気の濃い場所へ、狭間(ダンジョン)の奥深くへ。

 そのまま突き進む。

 俺の肉がそうしろと命じるのだ。


 森に入り、100歩も行かなかった頃だ。


 …チリッ…チリチリッ…チッ…


 さっきから、首の後をチリチリとしたものが撫でていた。


 ……視線。

 それも、ネットリとした獣の視線だ。

 無数の視線が圧となって、瘴気の向こう側からその気配を主張してくる。


 囲まれちまったのか?


 どうやら俺は、剣呑(けんのん)な獣の群に囲まれていたようであった。


ここまで読んで頂けて嬉しいです。

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