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失われていく自分の世界  作者: 糸守 朱知。
オセアニア評議国編
91/199

91.一端

よろしくお願いします。

「はぁ・・・。」


深夜の食堂に小さなため息が響き渡る。

白山羊亭では人手不足を解消するために新しい従業員、マーハを雇った。

あれから数日が経過し、炊事洗濯家事どの仕事も高水準でこなしてくれる彼女を不採用にする理由がなく、ラールは採用にしてしまった。

実際、仕事は完璧にこなしてくれる。

覚えも早いし、仕事も丁寧。

若いラールと違い、大人としての魅力を感じることも多い。

マーハに対して言い寄る客も多い。

そんな客に対しても適度な距離感を持って接し、問題も起こさない。

借りている部屋に男を連れ込む姿も、ラールは見たことはない。

時折夜に出かけているが朝の仕事には寝坊したことはないため文句はない。

それにラール自身も頼りにしつつある。

自分より年上の頼れる存在。

レイは精神面で頼りになってくれるが、マーハは仕事面で頼れる。

仕事量も減り、こうして1人ため息をつく余裕すらある。

それなのにどうしてため息を吐くのか。


それはあの日以降、サーシャが部屋に篭りっぱなしだからだ。

サーシャは初日にマーハを見て以来、彼女のことが怖くて部屋から出られないのだという。

サーシャの人の見方はサーシャ個人の独特な感覚によるもので、姉であるラールには理解できない。

ただ、その精度が高いことは身をもって理解している。

だからラールもマーハからゴンゾのような気配を感じると聞いた時は何かされるのではないかと警戒していた。サーシャを心配してくれるカンズにもわけを話してマーハを観察してもらった。冒険者ギルドに相談することも考えたが、何かが感覚的におかしいからというだけではギルドは動かないとカンズに言われたため諦めた。

しかしこれまでのマーハの言動からはどうしてサーシャが部屋から出られなくなるほど恐怖するのか分からない。

どう説得してもサーシャは納得せず、部屋から出てきてくれない。


「はぁ・・・どうしよう」


ラールは再度ため息をつく。


「どうしました?」


「あ、マーハさん。」

ラールがため息を吐いているところを見たのかサーシャの問題の原因となっている、いや勝手にされているマーハが声をかけてくれる。

ラールはあなたが原因でうちの妹が部屋から出てきてくれませんなどとはっきり悩みの種を伝える訳にもいかないためどう話せばいいのかと頭を回転させる。


「いえ何でもありません。ところでもう仕事には慣れましたか?」


そんなラールは悩んだ結果、自分の悩みをスルーしてマーハの現状を訪ねる。


「ええ、最近慣れてきたと思います。それにここの宿の皆さんも優しくしてくれますし。」


ラールは自分よりも一回り年上のマーハに敬語を使われることが慣れなくて試験期間の二日が経過した頃から平常語にして欲しいと願っているのだが、雇用者に対して敬語を使わないことは難しいと拒否されてしまった。

そのためマーハが仕事に慣れると同時にラールもマーハの敬語に慣れなければならない。

早くマーハの話し方にも慣れないといけないなと思っていると、マーハはラールの斜め横に腰かける。


「それでため息なんてどうしたんですか?私でよかったら話、聞きますよ?」


マーハは完全に話す気であるためどうしようかとラールは頭を巡らせる。


「サーシャのことなんです。」


「サーシャちゃんの?」


「はい。体調はだいぶ良くなったんですけど、気持ち的に落ち込んでいるみたいで。」


「そうだったんですか?」


「はい。」


「何か私に出来ることはありますか?

仲良くなりたいんですけど私も初日以来サーシャちゃんとは全然話せていないので。」


「難しいと思います。私もはっきりと理由が分からないので。」

内心で絶対無理ですと断言しつつ、表面上丁重に断りを入れる。

もしお願いしますなんて言って、マーハを部屋に入れたらサーシャは泣き叫んでしまう気がする。


「それは、、大丈夫なんですか?」


「多分大丈夫だと思います。

レイさんが帰ってきてくれたらサーシャも元気になると思いますし。」


「レイさん、ですか?」


「はい。マーハさんがここに来る前にいた冒険者の方です。」


「あの、もしかしてそれって狐人の方のことですか?」


ラールはマーハがレイのことを知っていることに驚いた。

なんでも、マーハが冒険者ギルドに仕事を探しに行ったときにレイの話を聞き興味を持ち、この宿の客からも色々話を聞いたようだ。


「でもどうしてレイさんが帰ってくるとサーシャちゃんは元気になるのですか?」


ゴンゾという存在に怯えていたサーシャを守り、ゴンゾと同じ気配のあなたから守ってくれる存在だからですなんてことも当然言えない。レイがサーシャのことを大事に思い、サーシャもそんなレイのことを好いているからだと伝える。


「まぁ・・。おませさんなんですね。」

目を丸くし、ながら口を手で覆う。

時折マーハからは艶っぽい所作が現れることがあるなと思いながら、その言葉をラールは否定する。


「多分そういう意味ではないと思いますけど、、、。

うちは両親をすでに亡くしているので、甘えさせてくれる存在のレイさんが父、もしくは優しい兄のように見ているんじゃないですかね。」


「なるほど、それなら確かにそのレイさんという人が帰ってきてくれたらサーシャちゃんは元気になるかもしれませんね。でもレイさんは冒険者なんですよね?それならここに定住しない限りいずれ出て行ってしまうのではないですか?」


「そう、ですね。でも私もそれは寂しいので、絶賛口説き中なんです。」


「あら、ラールさんもだなんてきっと素敵な方なんでしょうね」


「はい、それはもう。」


それからラールはレイについて色々なことを話した。

初めて出会った時は冷やかしに来たのかと嫌な思いをしたこと。

問題を抱えていても親身になって助けてくれたこと。

レイの見返りを何も求めない清廉さ。

妹や自分を大切な人とはっきり言われた時の嬉しさ。

3人でご飯を食べに行った時の幸福感。

話しているうちにラールはどんどん熱に浮かされた感覚を覚えたが、それ以上にレイのことを知ってもらいたいという思いからどんどん口が回り出す。

レイとの出会いからこれまでのことを語ったラールだったが、レイの外見について語ることは少なかった。レイが狐人ではなく人種であることは当然知っていたが、そんなことはレイという人を知ってもらうためには些事でしかなかった。外面なんかよりレイの内面を知って欲しく、ラールはただひたすらに話していた。


「素敵な方ね。教えてくれてありがとう。」


そう言ってマーハはラールの言葉を遮る。

その途端熱に浮かされた気持ちは落ち着き、どうしてサーシャについての相談から自分はレイについてこんなに熱心に話していたのだろうと疑問に思う。

そしてラールは自分の発言を省みて顔を真っ赤にさせる。


「ふふ、照れなくても大丈夫よ。

きっと彼もあなたにそこまで思われて嬉しいと思っているはずよ。

だからね、」


マーハはその後何か言葉を続けることなく、おやすみなさいと言って自室に戻ってしまった。ラールは赤くした顔のまま、マーハを見ていたが、彼女は笑っていた。

何故かその笑顔にサーシャが怯える理由の一端を垣間見た気がした。


ありがとうございました。

9月からはまた週一くらいに更新頻度元に戻ると思います。

2章の終わりが見え始め、3章の展開を考えているのですがなかなか思い浮かびません。


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