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失われていく自分の世界  作者: 糸守 朱知。
オセアニア評議国編
86/198

86.少しの変化

よろしくお願いします。

「ただいま~」


18時頃にサーシャが帰ってきた。

サーシャはまだ幼く、出来ることに限りがあるため自分の仕事を終わらせるとフラフラとどこかに行ってしまう。

いくらゴンゾたちがいなくなったからと言ってもまだ幼い妹が1人でどこかにいくというのは姉からすれば非常に不安が大きいため止めて欲しい。

しかしその自由で気ままな感じが本来の妹であるとも思うため、非常に止めにくい。


「お帰りー。サーシャちょっとこっち来て。」


スイング扉の下を潜って帰ってきたサーシャを見つけ声をかける。

ラールはこれから雇うことになりそうなマーハを紹介する。


「どうしたの~お姉ちゃ,,,,,」


食堂に駆け寄りながら声を出していたようで、尻上がりに声が近くなってくる。

しかしそんなサーシャの言葉が途中で止まる。ラールはどうしたのかと思って食堂から顔を出す。

サーシャは食堂の入り口でいつも持っているお気に入りの人形を両手で抱きしめ、青い顔をしていた。

先ほどまで普通に話していたサーシャの変わりようにラールは訳がわからないものの急いで駆け寄る。

膝を曲げ、サーシャと目線を合わせ、怯える妹にどうしたのかと声をかける。

しかしサーシャは震えたままで言葉を発しない。

熱でもあるのかと額に触れるが特に高熱を感じられるわけでもない。


「お姉ちゃん!!!」


ラールがサーシャの額に触れた瞬間、サーシャは目の前に姉がいることを初めて知覚したかのように突然姉に抱きつく。

いきなり抱きつかれたことに驚いたもののサーシャの体は震えていた。

ラールはそのままサーシャを抱っこして部屋に連れて行こうとする。

部屋に戻る前に食堂の台所にいるマーハに妹の様子がおかしいため部屋に連れていく旨を伝えようと近づく。

心なしか妹の抱きつく力が増した気がしたが、ラールはそのまま台所にいるマーハに声をかける。


「マーハさん、今少しいいですか?」


一緒にカレーの支度をしていたマーハはポタトなどの野菜を切っていたようだったが、ラールに呼びかけられたことで手をとめ、ラールに向き直る。


「妹のサーシャです。

なんだか調子が悪いようで、部屋まで連れていくので少しここから離れますね。」


ラールに抱きついて顔を埋めているサーシャはマーハと一向に目を合わせようとしない。

本当に体調が悪いのか、それとも突然人見知りを発生させたのかよくわからないラールはどうしたものかと言葉に詰まる。


「あら、大丈夫ですか?一応挨拶だけしますね。

初めましてサーシャちゃん。マーハっていうの。よろしくね。」



「ごめんなさい、マーハさん。

本当に調子が悪いみたいで、、、。」

マーハに話しかけられたタイミングで僅かに体をびくりとさせたこと以外全く反応を示さないサーシャの代わりにラールは言葉を伝える。


「大丈夫ですよ。

それよりラールさん、野菜は切り終わったので次はどうすればいいですか。」


ラールはマーハにカレーの作る手順をある程度教え、固まっているサーシャを部屋に連れていくため、しばらく台所を任せる。

抱っこしながらサーシャを運ぶ。

部屋に到着したらようやく震えは収まり、サーシャは口を開く。


「お姉ちゃん、あの人誰?」


「マーハさん。ウチで働いてくれることになったの。」


「ずっといるの?」


「そうなるのかな?しばらくはいると思うけど。どうして?」


「レイお兄ちゃんはいつ帰ってくる?」


唐突に変わる話にラールは疑問を浮かべながらもレイのことを想像する。


「んー、いつ帰ってきてくれるかな?早いと嬉しいんだけど。

でもどうして急に?」


「あのおばさん怖いの。」


「マーハさんのこと?」


「うん。なんかこの間のおっきい人に似ててでもそれ以上に怖いの。」


「おっきい人?」


「レイお兄ちゃんがやっつけてくれた人。」


「ゴンゾ?

そのゴンゾとマーナさんがどうしたの?」


「わからないけどなんか似てる気がする」


ラールはこのサーシャの説明に困惑する。

サーシャの感覚は自分とは全く違っているために、ラールは割とサーシャの直感みたいなものを信じていた。

そのおかげで自分は今、レイという愛しい人に出会うことができた。

だけど、流石にゴンゾとマーハが似ているというのは理解してあげたくともよく意味が分からない。

性別は当然のこと、性格もゴンゾは気性が荒いのに対し、マーハは何事にも冷静そうだ。

まだ出会ったばかりで彼女のことを詳しく知らないために、実は死ぬほど短気と言う可能性もあるが、どうにも想像することができない。

それにサーシャの勘を信じてマーハを不採用にしたところで他にギルドに出した募集には誰からも応募は来ていない。

今の白山羊亭に完璧に家事ができるマーハという人材を手放す余裕はない。

それにサーシャの言ったことが本当だったとして、不採用にした場合に何をしてくるかわからない。

そのため取れる手段は少ない。


「でもマーハさんが来てくれたおかげで仕事は楽になると思うの。

そしたらサーシャも時間が出来るよ?」


「私もっと頑張って働くからお姉ちゃんとお兄ちゃんと3人がいい...」


マーハの有用性を説明することで納得してくれないかと思ったがダメだった。

不安を強くさせるのはあまり良くないが、ラールは今しがた考えたことをサーシャに伝える。


「私も3人がいいな。でもね、今レイさんはいないでしょ。

だから私たちで頑張らないといけないの。

それにもしマーハさんが怖い人だったら、ここから追い出そうとしたら危ないかもしれないでしょ?」


「どーして?早く外に出てもらったら安全だよ?」


「サーシャがいきなりこの宿から出ていってくださいって言われたら、なんで?って思うでしょ?」


「・・・うん。」


「マーハさんも同じだと思うの。

仕事で何もミスはしていないのに急に出ていってくださいって言ったらどうしてって思うの。それでマーハさんがゴンゾみたいなやつだったら暴れるかもしれないでしょ?だから様子を見て、冒険者ギルドに相談しようと思うの。」


「・・・分かった。でも私、あのおばさんに会いたくない。怖い。」


ラールはすっかり元気を無くしてしまったサーシャの頭を撫でる。

ラールは妹の様子を見て、完全にマーハをやめさせる方向で話を持っていくつもりだった。

しかしサーシャを信じていると言ってもそれだけではマーハを追い出すことは難しい。

もう少し早くサーシャがマーハと対面していれば危険性を感じ、あれこれ理由をつけて断ることはできただろう。

しかしギルドの募集条件を完璧に満たし、性格は温和で物腰柔らかそう。断る理由が見つからない。

仮に何かしら理由をつけて断った場合、マーハからしてみればあまりにも手前勝手な理由だと感じるだろう。ラールだって理不尽だと思う。

その結果マーハが何を仕出かすか分からないと言うことも不安が大きい。

サーシャがゴンゾと似ていると感じたのは、雰囲気であり、気性ではない。

何かしら真っ当な理由さえあればマーハはすんなりと立ち去ってくれる可能性もある。

しかし無理やり追い出した場合はどうなるか検討がつかない。

ゴンゾのように暴れるかもしれない。

もっと厄介なことは宿の悪評を流されることだ。

もとよりゴンゾが来ていたせいで借金があることなどは周知の事実だが、それ以上に悪い噂が広がるのは流石に両親に申し訳が立たない。

そのためラールはマーハをどうすればマーハを追い出せるのかを考える。



「すみません、妹はなんだか調子が悪いみたいで、今日は部屋で休ませます。」


サーシャを落ち着けた後、ラールはマーハに調理を任せたままにしていたことを思い出し、急いで台所に向かう。マーハは完璧に調理を終わらせていたようで、カレーの匂いが伝わってくる。


「いえ、私は問題ないですけど、サーシャちゃんは大丈夫そうですか?」


サーシャの言葉を聞いて若干警戒をしていたラールだったが、先ほどと同じ優しげな様子で妹を気遣ってくれる。


「はい、大丈夫です。

これからの仕事に関してなんですけど、うちは18時から21時まで食堂を開けているので、常連さんが多く集まった時にマーハさんの紹介をさせてください。

それ以降は食器などを洗って、今日の仕事は終了です。

朝は毎回食事を提供しているので、5時には起きて支度をしてください。

一応朝食の時間はは6時半から8時まです。

それからはまた明日になったら説明するのでその都度よろしくお願いします。」


「いえいえ、私の方こそ色々教えてもらう身なのでこちらこそお願いします。」




食堂に入った時から、腹の中に入れてくれと直接訴えかけてくるような刺激的な匂いがする。

簡単、うまい、安い三拍子揃ったカレーはそこそこの頻度で提供される。

ラール自身はメニューが同じになって申し訳ないと思っているようだが、カンズたち常連はこの単品で店を開けるのではないかと思うくらいに美味しい料理のため何も文句はない。

カンズは表情を緩ませながら、配膳されるカレーを手に取る。

手渡しされたカレーを受け取り、席に戻ろうとする。

そしてカンズが違和感を感じて台所を振り返る。

料理の出来ないサーシャは当然そこにはいないが、ラールがいるわけでもない。

全く知らない30代ほどの女性がカレーを配膳していた。

基本的に最近朝夜はここで食べるため白山羊亭の状況については知っている。

だから突然知らない人がいるなんてことは普通あり得ない。

頭を回転させ、カンズは数日前にラールに話したことを思い出し、目の前に立っている見知らぬ女性に合点がいく。

二度見した際に目が合ったことが若干の後ろめたさをカンズに与える。

カンズは軽く会釈をして席に戻る。

席には自分1人しかいない。

昼は冒険者仲間と共に取っているため、朝夜は大体ここで食べるようにしている。

仲間の代わりにいつもなら先にサーシャが来ているはずだ。

カンズはあたりを見て、サーシャを探すが、見当たらない。

ちょうど七時を過ぎたあたりで、厨房からラールと見知らぬ女性が食堂に入ってくる。


「みなさん、少しいいですか?

これからここ、白山羊亭で働いてもらう予定のマーハさんです。

みなさんよろしくお願いします。」


「マーハです。よろしくお願いします。」


突然の紹介だったが、マーハは歓迎されていた。

食事中の皆から歓迎的な拍手が送られる。

その後、マーハは厨房に戻り、ラールはカンズの座わるテーブルに向かう。

「カンズさん、この間はありがとうございました。

おかげでどうにかやっていけそうです。」


「それは良かったんだけどよ、サーシャはどうしたんだ?」


ラールの顔が一瞬歪む。

「今日体調を崩したみたいで、部屋で寝ています。

多分熱とかもなかったので大丈夫だとは思うんですけど。」


カンズは朝は元気だったのになと思いながら、サーシャを心配に思った。

元気よく口周りを汚したりしながらご飯を食べる子供がいないカンズの食事はあっさりと終わった。1人で食べる夜ご飯は楽だったが、それ以上に寂しいものだと思いながらカンズはいつもより早く床についた。


PV3万ありがとうございます。


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