197.ネフェルシア迷宮攻略(閑話3)
よろしくお願いします。
「せっかくのいい機会だ、少し話させてもらおうか。」
ネフェルシア迷宮30層のボス、地獄騎士グラベインとその飼い犬ガルグロスを分離させ、戦闘フィールドを分けることに成功したイーリ。元の任務である聖女の護衛のため元に戻る。そして二人だからこそ思い切って聖女に話しかけた。
「あら、てっきりガルグロスを閉じ込めた枠の中にいたと思ったのですが、どう出てこられたんですか、イーリ様?」
戦場にいながらも余裕を感じさせ、聞くものに安堵をもたらす穏やかな声音。まるで今行われている激戦を感じさせない声に、イーリは確かに聖女と呼ばれるに相応しいと空気感があると感じた。
「随分と汚れを知らない声をしているんだな。あの雷は私が生み出したものだ。私に効果があるわけがない。」
「ふふ、そうなんですね。確かにご自分で出されて、ビリビリされていたらおかしいですものね。」
自国の仲間が命懸けで戦っているのにも関わらず、楽しげにコロコロと笑いを漏らす聖女。ヴェールで顔が隠れていても普段の所作は抜けないのかヴェエール部分の口元をさらに手で覆い隠している。
「自国の民が命懸けで戦っているぞ。楽観的なのか?それとも他人の死で心は悼まない聖女なのか?」
イーリにしては棘のある言葉が聖女に向けられる。
「先ほどの一撃。誰もがガルグロスは死んだと思われました。騎士団員だけでなく、ガルグロスですら死を感じたはずです。この場にいた私ですらそう思ったのです。けれど、その事実は訪れませんでした。私は、イーリ様が手加減されたと思っております。」
「よく喋るな。これまでは我慢していたのか。」
「ええ、あまり声を聞かせるのは良くないと言われておりまして。イーリ様はガルグロスを簡単に倒すことができる。けれど、それを行わなかった。騎士団の研鑽に協力をしてくださっているのですよね。ありがとうございます。」
戦場にいながらその様子を全く感じさせない聖女の声は兵士の緊張を簡単に解いてしまうだろう。声を聞かせないという指示は的確だと感じた。だからイーリの脳裏にはとある教皇補佐が浮かび上がる。
「エールか。」
「はいっ!ご明答です」
イーリが指示者を的確に当てたことが喜ばしかったのか聖女は手をぱんと叩き喜びを表す。おそらくヴェールの下も笑顔になっているのだろうとイーリは考えながら、この会話の意図を探る。
「エール様は素晴らしい方です。あの方こそ教皇になり、聖教の教えを体現されていって欲しいのですが、、、それは難しいのです。」
「あいつの話はいい。どうして急に声を発した?」
「イーリ様は私の声でどうにかなる方ではございませんので。それに騎士団員の研鑽に付き合ってくださる姿に私は感動いたしました。本来であれば私の護衛と迷宮攻略の手伝いが仕事のはず。軍側の目的などイーリ様からすれば仕事と関係ないこと。私の護衛と迷宮攻略の観点からも、倒せるのであれば即座にイーリ様が倒されれば良いのです。そうした行動を30層まで行われていない様子から、騎士団を育てたいという意図を汲み行動をしてくださる素敵な方だと感じたのです。ですからお礼を伝えたいと思い、お返事させていただいたのです。」
ティモシー、キュライトとデースト聖国の、特にエールがよぎる話し方をしない人が続いていただけに聖女は攻撃力が高かった。イーリはエールが苦手だ。それは彼の胡散臭い話し方がどうにも信用ができないからだ。そしてこの聖女もイーリの感覚ではそれに当てはまる。それなのに、聖女の発言には裏が感じられない。そんな違和感を気持ち悪いと思いながら、イーリはこの依頼最大の謎を質問する。
「私の行動に感謝しているというのであれば、私の質問に答えてくれ。」
「もちろん構いません。なんでしょう。」
「なぜ聖女がこの迷宮攻略に同行している?あの黒い布の内側で何をした?」
「それは、」
「聖女様、それは話してはいけませんよ。」
20層のボスは呪炎の修道女マーリザを倒した後、聖女が黒い布内部で行っていたことをイーリが尋ねると、その内容をあっさりと話そうとする聖女。しかし、その声を背後の声が静止する。イーリですら声が聞こえるまで存在に気が付かない。聖女と会話をしながらもガルグロスとグラベインに向けていた集中が全て声の方向に向かう。
「あら、もういらっしゃっていたのですか、インサーン様」
突然声を掛けられたにも関わらず全く動じない聖女。そして聖女があげた名前にイーリは心当たりがった。
「汚泥の救難、、、」
「お久しぶりですね。イーリ様。」
挨拶を交わすイーリとインサーンと呼ばれる男。
「インサーン様とイーリ様はお知り合いなんですね。それなら31層以降の迷宮探索が楽しみになりますね。お2人のお話を聞かせてくださいね。あ、それとイーリ様申し訳ありません。私がどうしてここにいるか、何をしているかは話してはダメなことのようです。」
イーリとインサーンが醸す空気は親しいものではないことは一言、二言の様子を見れば誰でもわかる。それなのに、聖女は2人が知り合いであることを殊の外嬉しそうに喜ぶ。
それとは対照的にイーリはあからさまに嫌そうな表情を仮面の内側で浮かべる。彼らとは何度か衝突し、その度に分かり合うことが難しい別の精神性をした人種たちだとイーリは認識していた。そのため、迷宮探索が普通に騎士団で行われると知って、彼らとも関わることがないと内心で安堵していたくらいだ。
聖女はこの戦闘が終わり次第、騎士団員30名と5、6名が交代と言っていた。実力的に考えて汚泥の救難が現れることは必定だった。これまで衝突してきた者たちと仕事とはいえ協力しなければいけない現状。完全に信頼もできない以上、イーリの警戒範囲は広がる。仕事が増えたことに辟易する。
そうしてイーリがあれこれと思考を巡らせている間に戦いは佳境迎えており、イーリの『雷壁』は解除され、深傷を負ったガルグロスがグラベインと合流するために捨て身の突進を騎士団にかましていた。ティモシーに押され気味だったグラベインは、一度彼の連続攻撃の隙をつき、火炎剣を地面に突き刺して自分の周囲に炎柱を展開する。これによりティモシーとベルティは直接攻撃を与えることが難しくなった。キュライトの持つ遠距離攻撃では威力が足りずに火炎の壁に阻まれてしまう。
その様子を見たクレムが動く。
『ニードル』
『ガードボール』
アクティブスキルを二つ使用すると、クレムの盾の表面に鋼鉄の棘が出現し、クレムの体は半透明の物体に覆われる。準備が整ったのかクレムはそのまま火炎の壁の内側にいるグラベイン目掛けて盾をぶつける勢いで突進する。『絡みつく視線』の効果でグラベインは外側の気配を正確に察知することはできない。そのため、右の火炎の壁が突破されて自分に棘の盾が衝突するまで相手の存在を認知できなかった。結果、グラベインは火炎の壁から外に吹き飛ばされ、鎧は大きな音を立てながら地面を傷つける。
「今!!!」
珍しく声を張り上げたクレムのかけ声によってティモシーとベルティは動き出す。追撃がくると察したグラベインは急ぎ体勢を立てして追撃に備えようとする。しかし、火炎剣は火炎の壁を作り出すために地面に突き刺した状態で手元にはない。
ティモシーの連続攻撃を今度は捌けず、体を捻りながら避けまくる。しかしそんな曲芸じみた動きを鎧を着た騎士ができるはずもなく、次第に攻撃は鎧に直撃していく。ベルティの視界外からの攻撃に気がつくこともなく、ただひたすらにティモシーの攻撃をどう対処するかで精一杯のグラベイン。
「ぐああ!!!」
状況は団長たちに有利に進んでいた。しかし、グラベインに全力を向けて攻撃しているティモシーは『雷壁』から解放されたガルグロスが突進してくることに気が付かず、背後からの攻撃を受けてしまう。数mは吹き飛ばされ、額からは血が流れる。
「きゃっ!」
ティモシーの攻撃が止んだことで、ベルティの攻撃も認知される。そうなればグラベインは相手の攻撃に合わせてカウンターの回し蹴りを決め込む。レベルと体格差のある攻撃を受けたベルティはティモシー以上に吹き飛ばされる。
ガルグロスの足止めに失敗した騎士団員たち。その結果自分の隊の団長が攻撃を受ける羽目になってしまう。その責任を感じた騎士の1人が走り出し、地面に突き刺さる火炎剣を引き抜く。ダメージを受けた団長たちでは騎乗して剣を装備したグラベインには勝てないと判断したのか、自分よりも大きい大剣を力一杯に地面から引き抜き、両手で柄を握る。グラベインの動向を見つめ、この剣は決して渡さないと強い眼差しを向ける。
しかし、その騎士は数秒後に悲鳴を上げて剣を手放してしまう。
「ぎゃあああああああ」
火炎剣を握っていた両手はひどく爛れ、腕周りの血管は黒く変色していた。その様子を見たキュライトは自分の部下たちに指示を出す。
「呪いだ!!パッタとドリーは戦線離脱!こいつの解呪を行え!遠距離攻撃を持たない騎士は呪いを受けたこいつを安全圏に運べ!他はグラベインに近付かずに攻撃!動け!!!」
キュライトが指示を出し、騎士たちは慌ただしく動き出す。
イーリは戦況を見て罪悪感を感じた。自分がインサーンに気を取られて『雷壁』の効果時間が切れたのを見逃していた。その結果が現状につながる。このまま放置すれば死者が出かねないと判断してイーリは動き出そうとする。
「とてもいい訓練になりますね。イーリ様ありがとうございます。」
しかし、聖女の声にイーリの動きは止まる。
「ここまでダメージを受ければ死人が出かねない。助けに入るぞ。」
「なぜでしょうか。ここでイーリ様が解決されてしまっては意味がありません。騎士団の研鑽に付き合ってくださるというのであれば、この状況で甘やかすのはあまり良くないと思います。」
「死ぬ可能性があると言っているんだ。」
「いいえ、死にませんよ」
まるでイーリがおかしなことを言っているかのように、口元に手を当てる聖女。
「問答をしている時間がもったいない。私はもう行く、死にかけることが研鑽と言うのなら私がいない時に勝手にやってくれ」
「動いてしまわれては、めっ!ですよ。イーリ様。」
どこまでも戦場と思わせない言葉使い、態度、声音。味方の命が危険な時でもその様子は変わることはない。その様子がイーリの神経を逆撫でする。
「何度も言わせるな!」
『他重』
『スローボール』
『エクストラヒール』
「あれ?痛みが、、ない、?」
「助かったキュライト殿!」
イーリが激昂しかけたその時、クレムとキュライトがアクティブ技能を発動する。『他重』によりベルティのダメージを肩代わりし、『スローボール』を飛ばして耐久力の心配があるベルティにバリアを付与するクレム。盛大に吹き飛ばされ地面に転がされたティモシーに『エクストラヒール』をかけるキュライト。
彼が能力を発動するために、遠隔の攻撃手段によってグラベインの邪魔をする騎士団員たち。クレムが盾を用いながらグラベインの猛攻を防いではいたが、負傷した団長2人を戦線に戻さなければ攻撃手段の乏しいクレムとキュライトで倒し切ることは難しい。そのため、キュライトは騎士団員に攻撃を飛ばす指示を出し、その隙を縫って2人は能力を使用した。
遠隔の攻撃が着弾し、煙が晴れる頃にはティモシーとベルティは動けるようになっていた。
その様子を見たイーリは聖女を見る。
「あら、動けるようになったのですね。とても良い連携?ですね。」
イーリに視線を向けられた聖女は立ち直したことが意外だったのか驚き、しかし味方が優勢になったことを喜ぶ。
現状と直前の発言から聖女は彼らが無事である保証が何かあってイーリを止めたのだと考えた。しかし、当の聖女は現状に驚いている。クレムのリカバリーに喜びながらも、イーリは聖女という存在に困惑を強める。
「クレム殿!再びガルグロスとグラベインを引き剥がすことは難しい!先にガルグロスを倒すため、もうしばらくグラベインの相手を頼めますか!」
「りょーーかーい」
ガルグロスに騎乗した状態から繰り出される超上段からの剣線をクレムは防ぎながら、背後から聞こえるティモシーの要望に返答する。相手の振るう剣の軌道上に盾を割り込ませる技能はこの場の誰よりも達者で見ていて攻撃が当たる姿が想像できない。
団長たちはその隙に各々が使える一撃が強力な技の準備に取り掛かる。
キュライトは詠唱を始め、ティモシーは剣に力を集め、ベルティは気配を悟らせないように完全に遮断する。
それからしばらくクレムの盾とグラベインの剣が衝突する音が30階層に響く。
「クレム殿!準備できました、いつでも離れてください!」
「はーい」
1合、2合、と剣を防ぎ、グラベインが勢いよく上段から振り下ろしたタイミングの3合目でクレムも思い切り剣を弾き返す。今まで剣を防いでいたクレムだったが、今度はタイミングを合わせてパリィする。結果、グラベインの剣は振り下ろした以上の力で跳ね返されて上に浮く。体勢を崩しそうになり、騎乗しているガルグロスの手綱を左手で力一杯に引っ張る。ガルグロスは突然手綱を強く引かれたことに驚き、前足を宙に浮かしウィリー状態になる。
完全な隙を団長たちは見逃さず、クレムが後退するタイミングで綺麗にスイッチして、ガルグロスに対してそれぞれの強力な一撃が叩き込まれる。
キュライトの聖属性の矢がガルグロスの全身を打ち刺す。ベルティが一撃を決めると2箇所、3箇所と衝撃が遅れてガルグロスの体を撃ち抜く。最後にティモシーの上段からの振り落としがガルグロスの首にめり込む。
ウィリー状態のガルグロスは途轍もない痛みに体勢を崩して上に乗るグラベインごと倒れる。ベルティはその倒れたグラベインに追撃を入れる。ティモシーもそれに続こうかとしたが入れた一太刀がガルグロスの太い首を切断するには至らず、剣が挟まってしまう。のたうちまわるガルグロスに近づき攻撃を受けるわけにもいかず、ガルグロスが大人しくなる隙を見計らう。
しかし、思った以上に大人しくなるタイミングは早く来た。というよりもガルグロスがのたうち回ったことで刺さった剣が地面につっかえて、押されるて首が貫通した。その結果、頭と胴体が分断され、ガルグロスはぴくりとも動かなくなった。
ベルティの視界外からの攻撃にどうにか対応していたグラベインだったが、ティモシーが剣を回収して攻撃に加わったことで対応が追いつかなくなってくる。
「きゃっ!」
それでもグラベインのレベルは団長たちより上。2対1でもどうにかくらいついてくる。ベルティが攻撃を与えたタイミングで完全に姿をとらえたのか大剣の腹部分で盛大にベルティを吹き飛ばす。
しかし、ベルティもただ攻撃されたわけではなかった。最初の攻撃から執拗に狙っていた右肩の鎧はダメージの蓄積によりを完全に破壊し、グラベインの右肩ごと切り落としていた。
流石に剣を振るっていた腕を落とされてしまってはグラベインも2人に対応することは難しい。左腕では剣を振るう姿もぎこちなく、対応レベルは相当に下がったように感じた。それでもティモシーは油断することなく、着実に、じわじわとグラベインを追い詰めていく。
最終的なトドメの一撃は誰が放ったものなのかわからないほど、自然とグラベインは命の灯火を静かに消した。そんなグラベインの静かな死とは対照的に各騎士団員たちは自分達の隊長の勝利を声を上げて喜んだ。
それからキュライトを含めイナーム兵団はまず最初に負傷者の救護を行なう。ティモシーもベルティも負傷しているため、キュライトが『ハイヒール』をかけてから各騎士団に指示を出す。
その指示の中には当然、イーリが先ほど問うた黒い布でボスを覆う作業も含まれていた。さらに今回は地獄騎士グラベインと赤熱のガルグロス2体が別々の場所で事切れているため、布で覆われる作業は2度行われた。
戦いに勝利したあと、気がつけばインサーンは消えており聖女は布の中に入り何かをしていた。
そうして戦いがひと段落つくと各騎士団ごとに整列し、先頭に隊長と聖女が並ぶ。イーリとクレムは部外者であるためその列から少し離れた位置にいた。
「クレム、お疲れ様。フォロー助かった。」
「疲れたーでも何かしたっけー?」
「もう忘れているのか。忘れたなら別に気にする必要はない。ただ、ありがとうって言いたいだけだ。」
ギルド証もよくなくすクレムは人との会話のやり取りや戦闘中の自分の行動すらすぐに忘れてしまう。それでもAランク冒険者パーティに所属できるのだからある意味で凄まじいとも言える。そんなやり取りをしている一方で騎士団たちは帰路の話を伝えられる。
「我々の任務は30層の攻略。そして帰還だ。ベルティと聖女様、それとハーモニーのお二人とは別行動になる。道中で学んだことを活かしながら帰還するように。」
集団のまとめとしてティモシーが今後の予定を伝える。
なぜ別行動するのかなど疑問は湧くだろうが、騎士団員に中にその理由を追求するものはいない。上からの命令だからという理由で全て納得してしまうように指導されている。そのため、30層からの撤収も非常にスムーズだった。イーリたちはお礼を告げられながら、去っていく騎士団員たちを見送る。
イーリは汚泥の救難と行動を共にすることに忌避感を感じながらも、気を引き締めなければと気合を入れ直した。
ありがとうございました。




