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失われていく自分の世界  作者: 糸守 朱知。
都市国家連合国編
18/199

18.白山羊亭の主人

よろしくお願いします。


白山羊亭に帰ろうと支度を始めると、レイの膝上でサーシャは眠りに落ちており微動だにしない。

そのためサーシャを抱え、帰路に着く。

方向音痴な自分だが、ウキトスには表通りというわかりやすい場所があるため何も問題はなく、白山羊亭に到着した。

片腕にサーシャを抱えながら、空いた手で木製のスイングドアを開けようとする。

しかし手をかける前に扉は内側から勢いよく開けられ、出てきた横柄な男とぶつかりそうになってしまう。


「ちっ、あっぶねぇじゃねぇかよ、おい。

邪魔だ、どけ、クソガキ。」


相手はだいぶ酔っていたようで、顔を赤くさせて悪態を突きながら出ていった。

驚きで呆然としていると他にも中から男たちが続々と出てくる。

変に騒がれてサーシャが起きてしまってはかなわないと思い横にずれる。

男たちは先ほどの横柄な男の連れだったようで、この男たちもほんのり顔を赤くしながら、何か楽しそうに話している。

無事絡まれることなく、男たちが出るのを待った後に宿に扉を開く。

宿はあり得ないほどの静寂に包まれていて、あの男たちが騒いだせいで後片付けに追われているのだろう。

眠っているサーシャをラールに渡そうと食堂に向かう。

食堂はあり得ないほど盛大に汚されていた。

食器類は割られ、盛り付けられていた食事は床や壁にぶち撒けられている。

いくら酔っているからといってこれはひどくないかとレイが内心思っていると、ラールがこちらに気がついたようでやってくる。


「レイさん。おかえりなさい。

今日も妹をお願いしてしまって申し訳ありませんでした。」


ラールが出迎えてくれた。

しかしその様子はひどく怯え、そして疲労が体全体から滲み出ている。


「いえ、大丈夫ですよ。俺も1人で食事するのは寂しいので。

ただサーシャが眠ってしまったので、このまま連れてきたんですけど、どうしたらいいですか?」


尋ねるとラールは逡巡したのち、申し訳なさそうに部屋まで運んで欲しいとお願いしてきた。自分はここを掃除しなければならないからと。

レイは了承すると共に、踏み込んだ質問だとは思いながらもラールに現状について聞いてみる。


「ラールさん怪我とかはしていませんか?」


レイの問いに僅かに驚きながらもラールはまだ大丈夫だと答える。

聞いて欲しくなさそうなラールの視線を無視してレイは質問を続ける。


「ラールさん、ああいった客はよく来るんですか?」


「・・・・。」


しばらくの沈黙ののち、ラールはゆっくりと首肯する。


「あまりひどいようなら、衛兵に突き出した方がいいと思いますよ?」


「・・・・はい。次同じようなことをされたらそうします。」


「1人で大丈夫ですか?」


「・・・・」


ラールは何も答えない。

この惨状と口ぶりから彼女の心労が感じられる。

あれだけの多くの男たちに好き勝手騒がれたら単なる宿娘のラールには止めようがない。

店を汚すことを止めるという以上に対象が自分に向いたらと思うと怖くてどうしようもない。ただ見ていることしかできない。


そんな様子が今の彼女からヒシヒシと伝わってくる。

ここに宿泊する客はどうしてこの人を助けてあげないのだろうとレイは疑問と僅かな怒りを覚える。

ラールの心労を取り除くことはできないけれど、せめて肉体的疲労は軽減したいと思い、無属性魔法『キャスト』を使用する。

その魔法名通り壁や床にぶちまけられた飲食物を消し去る。


「それじゃ俺は、サーシャをベッドまで運んできますね。

また戻るので、それから片付けましょうか。」


魔法を使ったことにラールは瞠目し、言葉を失っていた。

一階の姉妹の2人部屋にサーシャを寝かせたのち、食堂に戻るとラールは無言で、表情を消して黙々と作業をしていた。

いつもテキパキと働く元気な店主という印象は消え、生気がごっそり抜けたように見える。

どう声をかけたらいいのかわからず、目の前の片付けに自分も加わる。

テーブルを揃え、椅子を起こし、テーブルクロスを掛け直す。

割れた食器は流石に『キャスト』の魔法で範囲指定しきれなかったため、塵取りを使って手動で片付ける。一通り綺麗に元通りになったところでラールから話しかけられた。


「ありがとうございました。レイさん。」


ラールは笑顔を浮かべて礼を告げているが、その笑顔が必死に取り繕ったものだということは出会って数日のレイにもわかった。それほどに彼女の笑顔は恐怖に疲労、そして諦念といった感情を拭いきれていなかった。


「いえ、気にしないでください。」


「気にしますよ。

お客様に妹の面倒まで見てもらっている上に、こんな雑事をさせてしまったなんて。

すみません、今何か飲み物でも持ってきますね。」


生気の抜けた様子は相変わらずで、そこに更に自重げな笑みが浮かぶ。

その笑みに痛ましさを感じていると、ラールは台所に行ってしまう。

整え、以前の状態に戻したテーブル席に腰掛けているとラールが温かいお茶のような飲み物を持ってきてくれる。

今はローブを羽織っても暑いと感じず、夜はやや冷え込むためありがたい。

片付けを終えたことで互いに一息つき、お茶らしきものを飲む。

レイは何を話すべきか迷っていた。

ラールの抱えている問題に出会ったばかりの自分が踏み込んでもいいのか。

それともその問題から目を背け、昨日今日のサーシャの話でもして誤魔化すか。


「私の両親、最近亡くなったんです。」


レイが悩んでいる間にラールはポツポツと話始めた。

ラールから話してくれるのなら聞きたいと思い、レイは静かにラールの話に耳を傾ける。


「2人はこの宿を経営していました。少し前までは私、ただの手伝いだったんです。

そんな私の父と母は異種族でした。

人種の父と獣種の母。

種族の違う2人でしたが互いを尊重し合って、互いに愛し合っていました。

それはもう余人が入り込む隙がないほどに。

娘の私ですら父と母の2人きりのいい雰囲気に割り込めなかったんです。

だからなんですかね。

父は、母が亡くなってから一度も笑わなくなりました。

それどころか、私とサーシャでさえ碌に口を聞けない状態になっていきました。

父は母が亡くなってから自然と衰弱していって、母を追いかけるようにして死んでいったんです。私は父も母もこの宿も大好きでした。

でも父は違ったのかもしれません。

父は母がいなくなったことで、私もサーシャもこの宿もどうでもよくなったんだと思います。母のいる場所が父にとっては全てで、私なんていらなかったんだと思います。

母との愛情を深めるための道具としてしか見られてなかったのかななんて考えてしまうんです。

でも、それでも、私はこの宿が好きだから、両親が亡くなって、以前とは違うものになってしまったとしても、どうにかしてまた元の白山羊亭にしたかった。

それなのに・・・・それだけなのに・・・どうして・・・・」


ラールの声には徐々に嗚咽が混じり、最終的には両手で顔を覆い泣き崩れてしまった。

そんな様子のラールを見てレイは既視感を覚えた。

ただ自分の居場所を、好きな空間を守りたいという小さな願いすら否定される人の姿を。

ダイイングフィールドという自分が唯一認められた世界を奪われる悲しみや怒り。

彼女は今、あの時のレイと同じ気持ちなのかもしれない。

そう思った。

だからこそレイはラールの助けになりたいと切に感じた。


レイはダイイングフィールドのNPC配下の元に戻る方法、イクタノーラの復讐心、イーリへの恩返しとやらなければいけないことがたくさんあった。

それでもレイは決心する。

席から立ち上がり、両手をテーブルにつけ、ラールに自分は味方になるということを断言する。


「ラールさん!俺はなんでも手伝いま・・・す・・・・よ・・・・ってあれ?」


覚悟を決め、言葉を発した時、ラールは眠りに落ちていた。

ガクッと肘カックンされたように、テーブルについていた腕の力が抜ける。


レイとサーシャがここに戻ってくる前、何があったのか詳細を知る訳ではないのではっきりとは言えないが、よほど堪えたらしい。それに加えて両親が亡くなり一気に増えた責任。日頃言えなかったこと、溜め込んでいたことを一気に解放したことで感情がぐちゃぐちゃになってしまったのだろう。

レイは席を立ち上がり、向かい側に座って眠りに落ちてしまったラールの元まで向かう。

寝室まで運ぼうとラールの体を起こす。

彼女の目からこぼれる涙を拭い、起きないように慎重に抱える。

思った以上に軽いその体躯、それが逆に彼女にのしかかっている重圧との差を如実に感じてしまい、非常に暗い思いに駆られる。

ラールをサーシャと同じベッドに寝かしつけ、部屋を出る。

あの男たちが再び戻ってきてラールに危害を加えるということは、先ほどの酔い具合を見ると考えにくい。しかし問題が起きてからではダメだと思いレイは扉前に椅子を持ってきてそこに腰掛け、自分がラールのために何ができるかを考えながら夜通し見張り番をこなした。


ありがとうございました。

次回更新は明日の予定です。

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