147.あの時のサーシャ(閑話1)
よろしくお願いします。
(怖い、怖い、怖い、お姉ちゃん、お父さん、お母さん。 お兄ちゃん。。。。。。。。)
ラールとマーハが言い合いを始める少し前、どういうわけかサーシャは宿の異変を感じ取り、部屋で怯えていた。マーハがこの宿で働くようになってからサーシャは部屋にずっと篭りっぱなしで外に出ていない。部屋にいるときはどうにか平静を保つことができた。
しかし今はそんな余裕がないほどサーシャは恐怖を感じていた。理由は分からない。ただ嫌な感じがして、それがとてつもなく怖かったのだ。
それから間も無くして大きな破壊音が宿内を駆け巡る。
何かが壊れる音、宿泊客の怒声、呻き声のような奇声、建物の崩れる音がサーシャの元まで届く。怯えていたサーシャは大きな音に体を震わせる。今まで以上に怯え、動けなくなる。ベッドの上で、毛布で全身を覆い得体の知れない恐怖から身を守ろうと丸くなる。
そんな怯えが最高潮の状態で、部屋の扉が蹴破られる音がサーシャの耳に入ってきた。サーシャは体を大きくビクつかせ、狼狽したが、あまりに驚いて動くことが出来なくなっていた。毛布を掴む手は固く、そして視線はずっと下を向いている。
「おい、サーシャいるか?!」
怯えて何も視界に入れないようにしていたサーシャだったが、聞いたことのある声に恐る恐る、ゆっくりと目線だけ上を向ける。吹き飛ばされた扉の方にはカンズとその仲間たちがいた。レイが白山羊亭に来るまでずっとサーシャを守って、面倒を見てくれた気のいいおじさんたち。そんな気のいい人たちだがいつもと雰囲気が異なり完全武装をしてどこか逼迫している様子をしている。サーシャは信頼できる人が来てくれて、1人じゃなくなったことに安堵したが、いつもとは様子の違うカンズたちに対してどう声を出せばいいのか分からなくなる。
「突然低ランク冒険者たちが暴れ始めた。俺らだけで対処するには少し数が多すぎる。ひとまず逃げるぞ!」
サーシャがベッドの上で縮こまっているのを見たカンズはサーシャに声をかける。しかしサーシャから反応はない。訝しく思ったカンズは目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「おじさん、怖い、、、動けない、、、、、」
想像以上のサーシャの震えようにカンズは目を見張る。しばらく体調を崩しており、部屋で安静にしているとラールから聞いていた。いつもなら食堂で仕事をしているラールがいない今、サーシャは部屋に1人。そのため急いで駆けつけた。数日間見かけていないということはかなり容体が悪く、動けないかもしれない。そう思ってきたのだが、サーシャの様子は病によって苦しんでいるというわけではなかった。むしろこの現状、冒険者の騒動暴動を怯えているように感じた。しかしサーシャは部屋に篭りっぱなしで外の様子はわかるはずない。だからカンズは1人でいた時に大きな物音がして怖くなっているのだと結論つける。
「よし、逃げるからこっちこい。」
そう言ってカンズは怯えて動けない様子のサーシャを抱き抱える。
そしてパーティ内で一番大柄なトーパにサーシャを預ける。
一緒にいてくれる人が姉でもレイでもなかったが、1人よりはよかった。安堵した。
しかしカンズたちが姉を助けるために食堂に向かっているという話を聞いた時、今すぐにでもトーパの腕の中から逃げ出したいと思った。しかし体は思うように動かない。何かにきつく縛られたように全く身動きが取れなかった。カンズたちと食堂に向かう。食堂に近づけば近づくほど体の怖気は強くなっていく。
「あら、こんなクズなんかをしっかり覚えているのね。さすが宿屋の主人なのかしらね。あなたたちもよかったわね。覚えてもらっていて。でも喜ぶのはまだ早いわよ。これからたくさんこの女を好きに・・・・」
「おい、なんの騒ぎだ?」
食堂に到着すると中から話声が聞こえてくる。話している内容はとても穏やかなものとは言い難かった。聞こえてきた声に自分の恐怖の対象がいると理解したサーシャは毛布をかぶり、身を隠す。
そんなサーシャをよそに話はどんどんと進む。サーシャは姉の無事な姿を見ようと何度も自分を覆う、自分で覆った毛布を剥がそうとした。しかしダメだった。毛布を払おうとすると体が固まる。いくら姉に会いたくてもサーシャの心が、体が、その空間にいる存在を視界に入れることを拒む。結局サーシャはカンズと逃げ出す最後の時まで姉のことを見ることは出来なかった。
食堂を後にして白山羊亭を出ると、外は夜であるにも関わらず明るかった。周囲の家々が燃やされ、その炎が闇夜を照らしていた。宿を出た瞬間、カンズたちは声を失った。しかしすぐに遠くに離れなければいけないとベテラン冒険者たちは行動を開始する。
どこなら安全か、火が回っていないのか確認して動き出す。しばらく安全な場所を求めて彷徨うが、白山羊亭周囲一帯はほとんど燃やされてしまっているようで、一息つく余裕すらない。
「おい、サーシャ!大丈夫か?」
トーパの腕の中で全く動かないサーシャを心配してカンズが声をかける。白山羊亭から離れたことで、ようやくサーシャの体は自分の意志で動かせるようになる。サーシャは毛布から顔を出し、コクコクと頷く。体を自由に動かせると言っても、まだ恐怖が完全に抜けきってはいないため震えによって首を振っていたのをカンズは見抜く。そんな様子のサーシャにカンズはため息をつくが、なんて言葉をかけたらいいのか分からず黙ってしまう。強く頭をかきむしりながら、あの兄ちゃんがいればなとぼやく。
「見つけたぞ!」
逃げ場を探して歩いていると突然、カンズたちの行手を遮るものたちが現れる。サーシャもその声のした方向に視線を向ける。どこかで見たことのあるような4人と全く見覚えのない1人がいた。
結局、誰だかはわからなかった。
けれど、それはサーシャにとって今も、これから先も考えるべき重要事項ではなかった。サーシャの目には今、カンズが血を流して倒れている姿しか写っていない。彼ら5人に見つかってからは、大したやりとりもしないまま戦闘に発展した。カンズたちはDランク冒険者。強い訳ではないが、決して弱い訳でもない。Dランク冒険者は1人で一般の人なら確実に5人以上はまとめて相手取ることができる。しかし相手もカンズたちと同じ程度の実力はあるようですぐに形勢は不利になる。サーシャを抱えていたトーパですら、流石に戦闘に加わらないとまずい状況になる。いまだに震えが止まらないサーシャを優しくではあるが問答無用に下ろす。サーシャは腰を抜かしているため立っていることができない。あひる座りでその場にへたり込む。そんな彼女を襲いかかってきたうちの1人がカンズたち4人の間を抜けて迫ってくる。
「サーシャ!!」
残りの4人を相手とっていたカンズたちは気がつくのに一瞬遅れる。武器で弾き返す余裕のなくなったカンズはサーシャを庇うために相手の振り下ろした武器とサーシャの間に割って入る。
サーシャは困惑した。恐怖から体はいうことを聞かない。顔見知り程度の人から向けられる敵意に足がすくむ。しかしそれ以上に今、自分に映るカンズは怖かった。自分を庇って生じた、腹部の裂傷。これまで面倒を見てくれた親戚のおじさんのようなカンズ。目の前で血を流し苦しむ姿。しかし頭の中ではずっと優しく相手してくれたカンズが浮かぶ。二つの姿が同一人物であるはずなのに、同じにならない。サーシャの頭の中は混乱していた。
「、、逃げろ!」
再びサーシャを攻撃しようとした相手の一撃をカンズが防ぐ。目の焦点が定まらず、震えるサーシャにカンズは最後の気力を絞って声を上げる。カンズの気力に押されたのか、サーシャはその場から立ち上がり、走り出していた。
サーシャは背後に目を向けなかった。向ける勇気がなかった。音すら拾うことを体は拒み、周囲の焼け焦げる木材の音のみを拾った。何度も転びそうになりながらも、サーシャは人形を抱きしめて走った。
訳が分からなかった。どうしてあれだけ怖い人をお姉ちゃんは家に入れたのか。
あの怖い人の命令を聞いて、お姉ちゃんと自分を襲ってくるのはどうしてなのか。
1人であてもなく歩いていた。ビクビクと震えていたが、自分が何に畏れているのか分からなかった。あの怖い人なのか、それともカンズおじちゃんたちと一緒にいる時に襲ってきた人たちなのか。もしくはもっと他の何か。
周囲にある炎は私の姿を一時的にくらませてくれる。でも、決して逃してはくれない。
炎は優しくて、そして危ない。身近になくては生きていけないのに、触れると私が怪我をしてしまう。
炎を見ていると畏れが和らいだ。
ぼんやりと炎を眺めていた。
しかし、ふとした拍子で逃げなければならないことを思い出す。
炎から目を離すと、一気に心細くなる。
「どこにいるの、レイお兄ちゃん・・・!!」
不安から涙が流れ、声が漏れる。今一番会いたい人の名前を口にする。当然、先ほどから何度もレイお兄ちゃんの名前を呼んでいる。レイお兄ちゃんがこの街にいないことはわかっている。それでも会いたいという思いを口にする。
「サーシャ!!!!」
どこかから自分の名前が呼ばれた。炎によって燃え落ちる木材の音しか受け入れていない耳に、すんなり届く声。心が落ち着くのと同時に、期待と不安で波立つのを感じた。声の元を探すと、そこには私が求めて止まない人がいた。
「お兄゛ちゃ゛ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
感情が溢れ出す。レイお兄ちゃんの元に駆け出す。抱きしめていた大事な人形が邪魔で腕を目一杯触れない。大切な人形を片手で持ち、レイお兄ちゃんに少しでも早く触れようと頑張る。レイお兄ちゃんもそんな私のことを、優しく受け入れてくれた。
「1人にしてごめんね。怖かったよね。でももう大丈夫だから。」
レイお兄ちゃんに抱きしめてもらった。それだけで嬉しかった。もう大丈夫だと根拠のない安心、だが確信。頭を撫でてもらえて嬉しかった。突然襲われて、周囲の家屋は火事で崩壊。私を守ってくれた人たちは生きているのか分からない。そんなひどい状態だけど、今の私は幸せの気持ちが何よりも強かった。もしかしたらここ数時間の重い状況が私の感覚を少し歪めてしまっていたのかもしれない。
レイお兄ちゃんに抱きしめられた状態で、聞き覚えのある別の声が再び耳に入ってくる。視認することは出来ないがカンズおじちゃんたちを襲った人たちだ。カンズおじちゃんたちではなく、この人たちが現れたということは。さっきと同じで怖いと思うはずだった。けど何も感じなかった。あるのは絶対的な安心。レイお兄ちゃんの腕の中にいるだけで何も気にすることはなかった。
その直感通り、何が起きたのかは分からないけれど、問題はなかった。
「サーシャ、大丈夫?何があったのか教えてくれない?」
話をするために私は僅かにレイお兄ちゃんから離される。たった数センチ離れただけで一気に私は不安に駆られる。自分でもよく分からず、レイお兄ちゃんにひっつき涙を流す。
意図したものではなかった。
自然と涙が溢れ出た。
しかしその後のレイお兄ちゃんから「大丈夫、絶対に守るから。」と言われたことで先ほど感じた謎の恐怖は去り、多幸感に包まれる。自分の心の所在が分からず、ふわふわした状態のままだったが、状況をレイお兄ちゃんに説明をする。話をするとレイはすぐに姉の心配をした。私もお姉ちゃんが無事でいてほしい。でも、なぜだかレイお兄ちゃんの焦った声はどうしてなのか分からないけど少しモヤモヤした気持ちになった。
お兄ちゃんに抱えられて私の家に戻ってきた。そしてお兄ちゃんから降ろされる。お兄ちゃんしか見ていなかった私はいつの間にかいたその鎧の人に気が付かなかった。お兄ちゃんはそんな鎧の人とここで待っていてといった。私はお姉ちゃんが心配なこと、それにお兄ちゃんと離れたくない一心で一緒に行きたいと伝えた。でも、それは私にとってとても危険なことで、ダメだと言われてしまった。お兄ちゃんが心配してくれるのはもちろん嬉しい。それに私を守るために仲間?を呼んでくれたことも。でもそれとこれとは話が別。お兄ちゃんに面倒くさがられたくなくて、ここで待っていることに納得したけれどやっぱり寂しい。
「おじちゃん、名前は?」
話しかけても何も答えてくれない。それでも1人で心細いから私は鎧の人の一部に触れる。
「カタい。。。。」
鎧だから硬いのは当たり前のことだけど、心までもかたい。そう思った私は変に思う。私は怖いおばちゃんを怖いと思ったのは、あの人がゴンゾと同じ色をしていたから。レイお兄ちゃんやお姉ちゃんはとても優しい、私の大好きな色。他にも色々な人から色々な色を感じる。でもこの人は色がなかった。色のない人なんて、これまで見たことがない。だから私は無性に怖くなって、少しこの鎧の人から離れた。
しばらくしてお兄ちゃんが1人で、何かを持って中から出てきた。それからしてすぐに私の家は崩れた。お父さんとお母さん、お姉ちゃんとの思い出がものすごい勢いで流れて、そして去っていく。
それと同時に私はお兄ちゃんに駆け寄る。お兄ちゃんはさっきと様子と色が違っていた。
駆け寄った私と目線を合わせるように、膝立ちになるお兄ちゃん。一瞬目を逸らした後に、お兄ちゃんは私の目を見て、お姉ちゃんを助けられなかった、ごめんと申し訳なさそうに謝る。
お姉ちゃんが死んだ。このことを私は受け入れることができないと思った。でも白山羊亭が崩れて、家族との思い出が流れ去っていったことで心の奥底で覚悟はしていたのだと思う。悲しいし、泣きたい。ただそれ以上に、私たち家族のことに対してレイお兄ちゃんが本気で後悔して、心を傷めていることに私は泣きそうになる。
優しいお兄ちゃんに苦しんでほしくなかった。この間ほど黒くなっていないけれど、いつもとお兄ちゃんの色は違う。いつもの優しいお兄ちゃんに戻って欲しかった。
「お姉ちゃん、どうやってレイお兄ちゃんを元気にしたの?」
あの時、姉に質問したことを思い出す。ギルドの依頼に出かけて帰ってきたらものすごく黒い色をして落ち込んでいたレイお兄ちゃん。私にはどうすることもできなかったのに、お姉ちゃんはすぐに元通りにした。
「レイさんを?あ、この間帰ってきたとき?」
「うん、お兄ちゃんすごいすごい落ち込んでたから。私もお兄ちゃんのために何かしたかったの。でもできなかった。。。」
「んー、誰にも喋ったらダメよ?レイさんにも」
少し考えてからお姉ちゃんは人差し指を唇に当てて、秘密だよと言いながらも教えてくれた。
「きっとレイさんは人の温もりに飢えているんだと思う。だからレイさんがどうしようもなく辛い思いをしている時は、レイさんのことを大切だと思っている人がすぐ側にいるってことを言葉と体で伝えるの。ぎゅって抱きしめて、素直な思いを伝える。私がレイさんに出来たことなんてそれだけよ。」
そう言ってお姉ちゃんは嬉しそうで寂しそうな表情を浮かべた。
そのことを思い出した私は、私がお姉ちゃんの代わりになろうと、お兄ちゃんにそんな悲しい顔をしてほしくなくて、ぎゅっと抱きついた。
でもダメだった。お兄ちゃんに引き離された。一瞬だったけれど完全に拒まれた。一番感じたくない色が見えた。お兄ちゃんにもっと悲しい表情をさせてしまった。お姉ちゃんに教えてもらった通りにしたのに、拒絶されてしまった。どうしてなのか私には分からなかった。
だからただ、こう思った。
お姉ちゃんの嘘つき。。。
ありがとうございました。




