133.赫い白山羊亭
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
時は少し遡り、レイがウキトスに到着する前。白山羊亭にて。
「一体どういうことですか?マーハさん!」
食事の後片付けを終えて、あとはもう眠るだけの時間にラールの怒りのこもった声が響き渡る。その対象はここ半月ほど共に働いてきた女性、マーハだった。
「あら、ラールさんそんなに怒ってどうしたのかしら?」
あの日に会話して以来マーハはラールに対して平常語とまではいかないまでも少し砕けた口調で話すようになった。サーシャがものすごく警戒しているため楽観視出来ないが、表面上は何も問題なく仕事をしてくれるマーハに対する印象は良かった。そのためラールはマーハの口調がやや砕けたものになったことが打ち解けられた気がして嬉しかった。しかし、今の口調は全く違う。口振りは対して変わらないにも関わらず、マーハの言葉にはラールのことを嘲笑している様子が窺える。
「どうしてマーハさんの後ろに武器を持った人たちが大勢いるんですか?それもみんな武器を抜いているじゃないですか!ここは迷宮じゃないんですよ!」
マーハの後ろには武装をして、武器を構える男どもがたくさんいた。武器を構え、ニタリと下種な笑みを浮かべている様子からは新しい宿泊客などとは到底考えられない。武器を構えている人たちの中にはこれまで何度かここに朝食を食べにきてくれた冒険者やギルドに行った際に少し見かけたことのあるギルド職員までもがいた。顔見知りがいるのにも関わらず全く穏やかではない空気に、ラールは不安を振り払うため気丈な態度をとるしかなかった。しかしそんな態度もマーハの耳を疑うような発言によって掻き乱される。
「ここが迷宮ではない?当たり前じゃない。私たちが武器を持っているのはここを破壊するため、そしてあなたを殺すためよ」
嫣然とした表情の中にある殺意感じて、ラールは寒気を感じる。ただの宿娘でも感じられるほどの強烈な怖気に言葉が出なくなる。
「あら、ごめんなさいね。怖かった?ふふ。すぐ楽に、、、あ、それはダメだったわ。」
ラールからは恐怖のあまり言葉が出ないとわかっていながら、話し続けるマーハ。しばらく何か語りかけたが全く返答がないことに、わざとらしく軽くため息をつくと背後にいる30名ほどの冒険者たちに指示を出した。
「それじゃぁ始めましょうか。」
そう言ってマーハは連れてきた男たち30名にそれぞれ支持を出した。白山羊亭を破壊するもの。ここでの惨事をカモフラージュするために外で暴れるもの。マーハとともにその場に残るもの。男どもはマーハから指示を受けると突然奇声を発しながら各々の役割をこなすために動き出した。
男たちが動き出すのを見送ったのち、その場に残った者たちと一緒にマーハはラールに近づいていく。今もなお、先ほどの恐怖から抜け出せていないラールは言葉をかけられるまでただ呆然と近づいてくるマーハに対応出来ずにいた。
「ラールさん、どうして私がこんなことをするのかって思っているでしょう?まぁそれなりに浅いわけがあるのだけど、今はどうでもいいかしらね。そんなことより、私の後ろにいる男たちを覚えているかしら?」
威圧感のない嘲笑するような口調に戻ったためなのかラールはようやく言葉を発することができるようになっていた。
「後ろ、、、」
マーハの後ろにいたのはこれまで何度か白山羊亭に足を運んでくれた若い冒険者たちだった。覚えていることをラールが伝えるとマーハは意外そうな表情を浮かべる。
「あら、こんなクズなんかをしっかり覚えているのね。さすが宿屋の主人なのかしらね。
あなたたちもよかったわね。覚えてもらっていて。でも喜ぶのはまだ早いわよ。これからたくさんこの女を好きに・・・・」
「おい、なんの騒ぎだ?」
マーハが話している途中で、食堂の入り口から会話に割って入ってくる男がいた。
「カンズさん!!」
マーハを挟んでちょうど直線上にいたラールは真っ先にカンズの存在を視認した。そこにはカンズだけではなく、カンズのパーティメンバーもいた。
「おい、新入り年増、これは一体どういうことだ?」
カンズは食堂の中進みながら、1人の男を放り投げる。その男は先ほどマーハたちに命令されて宿を破壊しに行った男だった。完全に意識を刈り取られて気絶している。
「突然大きな物音が聞こえて部屋の外と見てみりゃあちこち破壊されている。ここがどこだか分かってんのか?」
普段のぶっきらぼうながらも優しいカンズしか見たことのなかったラールは、本気で怒っているカンズの姿を見て息を呑む。しかしその怒気には長年、父が生きていた頃から利用してくれているからこそ持っている宿への愛着を感じられる。自分だけが大切に思っている場所じゃなかったと改めて思うことができてラールの恐怖心は取り払われた。
「カンズさん!理由はわからないですけど突然襲われたんです!サーシャがきっとまだ部屋にいるはずで、、、お願いしてもいいですか!?」
「心配すんな、もうサーシャならここにいる。」
そう言ってカンズは後ろにいる仲間に視線を送る。そこには恰幅のいいカンズの仲間の腕の中で怯えているサーシャがいた。ラールは安堵すると共にサーシャの怯えように不安を強くする。サーシャは初め、マーハのことを見てゴンゾと似ていると言って怯えていた。一緒に仕事をする中でその感覚は間違っていたのではないかと思い始めていた中での今日。サーシャの感覚は確かだった。しかし、サーシャの感覚を基準に考えるのであれば、ゴンゾの時、サーシャはゴンゾに怯えて震えてはいたが同じ空間にいることはできた。しかしマーハの場合は同じ空間にいることすら怖いと思っているように見える。この差を怖さの度合いと考えれば、ここにいる未亡人はゴンゾよりも強いということなのだろうか。ラールの中に言い知れない恐怖が広がる。
「カンズさん!私は大丈夫だからサーシャと逃げてくれませんか!」
恐怖心をどうにかして振り払い、まずは妹の安全を優先するラール。ラールの叫びにカンズたちは驚き、マーハは寒いものを見るような視線を向ける。
「でもそうしたらお前はどうするんだ?!」
食堂には入り口が一つしかない。ラールは入り口から一番奥の厨房付近。その手前にはマーハたち。入口にカンズたちがいるため、サーシャを逃すためにはラールを見捨てて逃げるのが一番効率はいい。しかしカンズはもちろん、誰もラールを放って逃げようなって思っていなかった。そもそもラールを助けるためにこの場にいるのだから当たり前の話であるが、サーシャを抱えたまま戦いをするのはいくら相手のランクが下の冒険者と言えど侮れない。それにマーハという謎の女もいる。そもそもどうしてこの下級冒険者たちがマーハに従っているのかすら誰もよくわかっていない。なおさらカンズたちはラールを放って置けないと考えていた。
「私は大丈夫です!それよりも早くサーシャをお願いします!」
しかし助けられる側であるラールは自分よりも妹を逃がして欲しいと主張する。カンズたちは、カンズを含めて4人。そのうち恰幅のいい男はサーシャを抱えているためとてもではないが全力で戦えるとは言えない。その一方でマーハたちは下級とはいえ冒険者が6人いる。それに加えて明らかに何かの力を持っているマーハ。どう考えても1人で2人を相手にしなければならない。それも離れたラールとサーシャを守りながらだ。いくら冒険者ランクに差があったとしても難しいことには変わりない。
そのためカンズたちも何が最善の行動なのか分からなくなっていた。しばらくどうしていいかわからない時間が流れたが、ラールの自己犠牲の様子をマーハはつまらなそうに一蹴して、冒険者たちに指示を出し始める。冒険者たちは明らかに様子がおかしいが脳は正常に動いているのかマーハの命令には素直に従う。先にサーシャを逃してと頼まれたカンズだったが流石に目の前でラールが襲われる姿は見ていられず食堂に踏み込もうとした。
しかしカンズたちの背後から数名の冒険者たちがやってくる。
「カンズさん、ラールちゃんは俺らが助けます!」
そう言って走って行ったのは最近Dランクに昇格した若手冒険者パーティ「ドガー」の面々だった。パーティリーダーであり片手剣使いのセード。二刀流のグーヴァイ。射手のメイリ。盾職のガン。斥候のハイト。人数は5人。彼らも日頃から白山羊亭をホームとして活動している冒険者パーティだった。20代後半でDランクに昇格したため割と注目を集めていたが、レイの登場によって注目される機会は減った。それでもドガーの面々は特に気にした様子もなく、日々の迷宮探索に精を出していた。堅実に仕事をこなす彼らの姿を知っているカンズは、彼らなら任せても問題ないと考えてサーシャを逃すことを優先して、その場を後にすることにした。
ありがとうございました。




