101.間一髪
よろしくお願いします。
ミャスパー男爵専属の私兵はニーベルン・ベニートの私兵と比べて、練度は圧倒的に低い。
基本的に甘い蜜を吸うだけの木端貴族であるミャスパー男爵が私兵に払う金をケチった。それに加え、私兵たちのやる気も高くないため日頃の訓練も適当に行なっている。
木端貴族の私兵。そう言われるのに納得の練度だった。
練度も意識も低い彼らだが、ベニートの街ではある程度の地位を確保している。
街を守るための仕事をしたり、外に狩りに行っているわけでもない。
ミャスパーが呼ばなければ昼から酒を飲んでいる。
そんな彼らだが、ベニート伯爵が自分達の雇い主であるミャスパー男爵に強く意見できない事を知っている。だから適度に街中で騒ぐ事をミャスパー男爵から要求され、喜んでその命令に従っている。毎日適当に飲んで、騒いで、金をもらう。
街の竜人からいい顔はされないが、彼らもこちらに関わってくるようなことはない。
最高の職場だと彼ら私兵は考えていた。
今日も朝から彼らは酒を飲みながら、最近ミャスパーの金払がいいこと、竜人の娼婦に入れ込んだ話などくだらない酒のつまみ話をしながら騒いでいた。
そんなほろ酔いのいい気分の時にミャスパーから招集がかけられる。
私兵は舌打ちを打ちながらも給金分の仕事は行わなければならないと思い腰を上げる。
そして金を持っているくせに酒場の代金をツケにして、そのままミャスパーの邸宅に向かう。
ミャスパーの邸宅は領主館の先、北側に居を構えている。
領主館より大きいと言うことはないが、土地なしの男爵の家にしてはだいぶ立派な作りをしている。
それにミャスパーの家には領主館にはない地下空間が存在している。
地下空間は違法奴隷を奴隷商人などに渡すための一時的な保管場所としてA、B、C、Dと4つに区分けされている。Aは人型サイズの牢屋。Bは人型以外の生物の牢屋。Cは大型生物の牢屋。Dは売りに出す前の奴隷に対して色々する部屋。
基本的にDはA〜Cと離れた場所に造られており、私兵は話でしか存在を聞いたことがない。
空気の入れ替えができず、獣臭いあの空間かと嫌な顔をしつつも、鍵のかかった扉をあけ、階段を降りていく。
中に入ると不思議なことに体内に入ってくる空気は澱んでおらず、僅かにだが新鮮な空気が存在した。多少埃っぽいがそれは地下という事を考慮すればそこまでおかしなことではない。酒の酔いが冷めてしまうかと思ったが、これならまだほろ酔い気分でいられる。
そんな益体のないことを考えた瞬間、酔いは一気に醒める。
空気の清濁など気にする余裕がなかった。
「旦那、呼ばれたんできまし・・・・・・・・・は?」
自分達の知っている陰惨な雰囲気の地下牢と違うことに言葉を失う。
地下空間は大きな戦いの後が残っており、大型生物を入れておく牢屋は全て壊されている。
鉄格子すら扉の形を保っておらず、凄まじい戦闘が行われたことを示している。
ミャスパーのチンケな私兵たちはそんな戦いの跡を見て言葉を失っている。
自分達の雇い主はまさかこの惨状を引き起こした原因を捕まえてこいというのではないか?そんな恐ろしい考えが頭に浮かぶ。
「遅いぞ。」
自分達の雇い主、ミャスパー男爵の声によって意識は現実へと引き戻される。
ミャスパー男爵は全身鱗の一般的な緑竜人で、特徴といえば唯一、立派なカイゼル髭を生やしていることだ。そんなカイゼル髭を撫でながらミャスパー男爵は機嫌悪そうな声で唖然としている私兵たちに声をかける。
唖然としていた私兵たちはそんな主人にどんな無理難題を押し付けられるのかと恐れていた。
しかし私兵のまとめ役がその惨状を見て、あることに気が付く。
人間が2人それに大型生物が大量に倒れている。
普通ならすぐ目につきそうな場所に倒れていたが、今まで気付けないほどに地下牢の惨状は凄まじかった。
倒れているものの中には血を大量に流しているものもおり、とてもではないが生きているようには思えない。
そしてそんな血の匂いがするなか、一人の赤竜人が動かなくなった1匹の大型生物に腰掛け、酒瓶を煽っている。赤竜人は見た目が元から赤いため、血が出ていることを見分けにくい、しかし相当量の血を流し、怪我を負っていることが視認できた。私兵のまとめ役はその人物を知っているために驚きは一入だった。
「おい、私の話を聞いているのか。」
私兵の視線は酒瓶を持った竜人からミャスパー男爵に戻る。
「すみません、旦那。聞いてませんでした。」
貴族に対する口の利き方がなっていないと罰されてもおかしくない口調で私兵のまとめ役はミャスパーの問いに返答する。
ミャスパーは聞いていなかったことに怒りはするが、その態度には特に何かを言うことはない。初めは口の利き方がなっていないと怒鳴ったが、それも無駄だとわかった今、私兵たちにあれこれと口を出さないようにしている。
「今度はしっかり聞けよ。
この状況を見てわかるように、牢屋から脱走者が出た。
お前たちにはそいつを捕まえてきてもらいたい。」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。旦那。
これだけ牢屋を破壊した生き物なんて俺らには荷が重すぎますって。
絶対無理ですって。」
私兵のまとめ役の言葉に他の私兵も首をぶんぶん縦に振り、無理だと訴える。
しかしミャスパーはため息をつき、話を続ける。
「そんな怪物をお前らに頼むわけがないだろう。
無駄死にさせるだけだ。
その牢屋を破壊し尽くした獣2匹なら、シゼレコ殿が片付けてくれた。」
そう言ってミャスパーは倒れている1匹の獣に座り酒を煽る竜人に目を向ける。
「それで私が、お前たちに捕まえてきてもらいたいのはただの人種の小娘だ。」
その言葉に私兵たちは安堵の息を漏らす。
しかしまとめ役は疑り深くその意図を探る。
「旦那。それならあそこにいるシゼレコ殿に捕まえて貰えばいいじゃないすか?
どうして俺らなんすか?」
「見ればわかるだろう。シゼレコ殿は夜通しの戦闘で、非常に深手を負われている。
それに人種の小娘を一人捕まえるのだ。お前たちの唯一の長所、頭数を利用しないわけがないだろう。それに捜索にはBランク冒険者のミュー・ミドガル殿も参加してくださっている。」
「それは心強いんすけど、その娘があの破壊をしたわけじゃないんすよね?」
「くどい!早く行け!
対象は人種の娘。歳は知らん。小さいガキだ。人種の娘なぞベニート領内にはほとんどおらん。手当たり次第でもいいから連れてこい。ただ聖国の教会には絶対に逃げ込まれるな。
厄介なことになるからな。わかった?わかったらさっさと行動しろ!」
ミャスパーの怒鳴り声に私兵たちは一斉に動き出す。
私兵たちは二手に分かれて捜索を開始した。
一方は聖教の教会があるミャスパーの屋敷より北側。
もう片方は南側、領主館や冒険者ギルドのある方。
人種の娘一人見つけて捕まえるだけの指令。
娘についての詳しい情報ははい。
普通なら二人一組みなど細かく分かれて、街内をしらみつぶしに探すのが最も効率的なはずだ。ミャスパー男爵も人手を利用して探せと言ったのだから当然私兵はそう行動すると思っていた。
しかしあの惨状を見た後、練度の低い私兵たちは数をバラけさせて自分の身が危険に晒されるのを嫌った。元Aランク冒険者であるシゼレコにあれだけの傷を負わせて逃げているのだ。普通の人種の娘だとは考えられない。
そう思った私兵たちは聖教会には逃げ込まれるなという最低限の命令を守った上で、二手にしか分かれなかった。
これを聞いたミャスパー男爵は私兵の不甲斐なさに激怒しただろう。
そしてその臆病な行動をとったため捜索には非常に時間がかかった。
私兵が少女を見つけたのはもう日も落ちかけていた頃だった。
人種の少女は見た感じ普通の幼い少女だった。
衣服に汚れは目立つが、血などは付着していない。
見た目が幼くても強い奴など五万といる。
普段の私兵ならミャスパーの命令に従いその少女を確保しただろう。
しかし先ほどの惨状を見た後では近づくのに勇気がいる。
そのため私兵は手頃な石を拾い上げ、投げつける。
強者ならばその石を躱して投げ返してくるかもしれない。
しかし少女は石が当たるまで全く気が付かず、ただ頭に鈍い音を響かせ、倒れる。
その弱者たる姿を見た私兵は先ほどまで恐怖していたことを恥ずかしく思い、無駄な恐怖を与えた少女に激怒した。その感じた恐怖と共に、酔いも戻って来たために私兵たちは口元を醜悪な様子で吊り上げる。
集団で少女に近づいた竜人の私兵たちは剣を鞘に納めたまま取り出し、必死にミャスパーの館から離れようと歩を進める少女を叩きつける。
少女は悲鳴すら出すことができず、そのまま地面に倒れ伏す。
その様子を見た竜人たちは先ほどまでの恐れを恥からさらに少女を痛めつける。
ただし連れてこいと言われているため死なないように気をつけながら、自分の鬱憤を晴らすために少女をただ痛ぶり続ける。
街の竜人たちはその私兵の統一された武装を見たためか、顔を顰めるだけで特に何かを言うわけではない。
「お前のせいで酔いが醒めちまったじゃねぇかよ!」
「うぜーな!大人しく捕まってろ」
「仕事増やすんじゃねぇよ」
「さっさとしんどけ」
私兵の竜人たちは街の目があるなか大声で怒鳴り散らかしながら血まみれの少女を殴りつける。このままミャスパーの元に連れ帰っても数分ともたない。
それを理解していながら、私兵たちは殴ることを止めない。
ミャスパーの元に連れ帰るまで生きていれば自分達は命令通り動いたことになり、その後の少女の生死に関してとやかく言われることはないと思っているための行動だった。
「ははっっ俺にも殴らせ・・・・・・・・・・」
先ほどの惨状の恐怖から回復したのが遅かった私兵も仲間が何事もなく、ただ人種の少女を痛めつけている姿を見て自分もそのリンチに加わろうと少女に向けて意気揚々と武器を振りかざす。
そしてそいつの頭が四散する。
周りの私兵竜人たちは少女の血が自分たちに飛び散ったのだと思い顔を顰めたが、頭部を失くし、武器を振り翳した体勢で動かない仲間を見た瞬間に私兵の体は金縛りにあったかのように固まる。そしてその硬直は周囲に伝播していく。
突然動きを止めた私兵竜人たちを訝しんだ街の人たちもその頭部のない竜人を見て小さく悲鳴を漏らす。
武装した竜人たちからリンチに遭い、今にも死にそうな少女は狐人によって優しく抱き抱えられていた。
ありがとうございました。




