5放課後
昼休みが終わり、午後の授業が始まった。弁当は完食することができた私は、満腹感から、眠気と戦いながら授業を受けていた。とはいえ、午前中と同じように変な夢を見るのは避けようと、なんとか必死に寝ないような工夫をしていた。頬をつねったり、シャープペンを軽く指に突き立ててみたりした。そのため、どうにかうたた寝程度で夢を見ることはなかった。
「では、これにて帰りのHRは終わります」
眠気と戦った午後の授業が終わり、ようやく放課後がやってきた。さて、ここからが私の腕の見せ所。いかに穏便に放課後の予定を伝え、家に直帰できるかがかかっている。失敗はできない。
「あ、あの、皆さん、私は」
「ねえ、結城くんとは何を話していたの?」
「結城くんに声をかけられるなら、もっと早くに私のオススメの商品をすすめるんだった」
「もちろん、放課後は私と一緒に家でイメチェンするのよね?」
深呼吸をして、教室中に聞こえるように声を張り上げるが、私の声は途中で遮られてしまう。
「ええと」
結局、こうなってしまうのか。私の貴重な放課後は、彼女たちの手によって無残につぶされてしまう運命らしい。彼女たちは私が自分たちの誘いを断るとは思っていない。そして、私にも私の予定があるとは考えていないようだ。
「ごめんね、みんな。平さんは僕と一緒に帰る約束をしているんだ。昼休みに先約を取らせてもらった。そうだよね?平さん」
ここでまた、昼間の男子生徒が私に声をかけてきた。空き教室での一件で私のことをあきらめたのかと思ったが、そうではないらしい。とはいえ、男と女子生徒たちを見比べて、どちらを選ぶのが良いのか考える。このまま埒の明かない不毛な会話をして、しぶしぶ彼女たちからオススメの美容商品を試させられるか、ここで男子生徒の手を取り、明日から変な噂を流されるか。究極の選択である。だったら、私は第三の道を選ぶとしよう。
「いいえ、私はこれから塾がありますので、誰とも一緒に帰ることはできません」
嘘だが、これはなかなかに信ぴょう性がある嘘だ。ここは曲がりなりにも進学校で、塾に通う生徒も多い。これなら、教室からもっともらしく逃げられるだろう。
「では、皆さん、ごきげんよう」
返事を聞くことなく、皆が呆然としている間に、急いで教室のドアに向かってダッシュして、そのまま廊下を全速力で駆け抜ける。廊下を走ってはいけないなど、この際ガン無視である。
玄関までたどりつくころには、体力のない私はへとへとになってしまった。下駄箱に寄りかかり、しばしの休憩を取る。2年生の教室は3階にあるため、そこから1階の玄関まで廊下と階段を走っていれば、息も切れてへとへとになるというものだ。
「はあ、はあ、とりあえず、これで後は家に帰るだけ……」
全速力で走ってきたこともあり、誰も私を追ってくることはなかった。だからこそ、私は油断していた。敵はクラスメイトだけではなかった。
「ねえ、あなたが隣のクラスに入ってきた転校生?」
びくっと身体が震えるが、それを隠しながら、恐る恐る声のした方を振り返る。そこにいたのは、クラスメイトではない女子生徒だった。
「だからどうだというの?あなたも、私の容姿に不満があって、私を改造したい口?それならお断りだから。私、そんなことをしてもらわなくても、前の学校で結構モテたから」
女子生徒もクラスメイトの例外にもれず、美少女という形容が正しい容姿をしていた。午前中に語った美少女のテンプレを見事に踏襲している。
髪の毛は黒髪さらさらストレートで肩下まで伸ばしている。瞳はぱっちり二重で日焼けを知らなさそうな白い、ニキビ一つないツルツルの肌。足はすらっとしており、大根足とはほど遠くて、モデル体型とはこのことかという細さである。
「ええと、そんなこと言うつもりは……。でも、その格好だと、この学校だと特に目立つ。だから」
「結構。私は私のやりたいように生きていくから。それじゃあ、私、これから予定があるから」
この女性生徒もクラスメイトと同じことを言ってくる。まるでこの学校にいる人間たちは、クローンでできているかのような不気味さだ。とりあえず、今は家に直帰することが先決だ。クローン云々については家に帰ってからゆっくり考えることにしよう。
私は、女子生徒の言葉を途中で遮り、上靴からスニーカーに履き替えて、玄関を出て、全速力で家までの道のりをかけるのだった。
しかし、私の家までの道のりは険しかった。なぜ、こんなにも転校先の生徒に遭遇するのだろうか。
「あの、あなたは2年生に転校してきた人ですよね?」
「一目見て、気になっていたんだ。まるで、私の昔をみているよう」
「どうか、私に任せて、イメチェンしてみませんか?」
どうしたことか。いったい、私の容姿の何がいけないのだろうか。そこまで私の容姿は世間的に見て、やばい類に入るのだろうか。
「結構です」
そうは言っても、彼女たちの言葉に従うつもりは毛頭ない。とにかく、今は家に帰ってゆっくり休みたいのだ。次々に遅いかかる制服姿の女子生徒の口撃を交わしながら、何とか電車に乗って、最寄り駅までたどり着く。
「平さんだ。久しぶりだね」
最寄り駅を使う生徒は少ないと思っていた。そもそも、転校先の学校は全校生徒の80%が自転車か徒歩で通学する生徒だと聞いている。そんな中で私は電車通学をしている。だから、電車にさえ乗ってしまえば安心だと勘違いしていた。いや、そのはずだった。だって、私は親の都合で引っ越しをしたために、学校を転校したのだ。それなのに。
「あ、ああ、久しぶりだね。どうして、こんなところに。ええと」
突然、電車から降りたところで、聞いたことのある声がかけられる。しかし、声の主を確認するが、まるで覚えがない。目の前には、新たな制服姿の美少女クローンが立っていた。私の通う転校先の制服とは別だったので、そこはひとまず安心である。
「私の姿に驚いた?驚くのも無理ないよ。だって、私の中学の頃の姿はひどかったからね」
くすっと笑われてしまったが、そんなことを言われても、中学の頃の原型をとどめないほどの何をしたのだろうか。茶髪のショートボブをサラサラとなびかせ、瞳はカラコンを入れているのか。二重の中の瞳は妙にキラキラと人工的な輝きを放っていた。肌はもちろん、以下略。
「私だよ。あなたの幼馴染だった」
「ううん。わからん」
中学の同級生だということは会話から察せられるが、幼馴染と言われてもピンとこない。そもそも、私に幼馴染がいたとは驚きだ。引っ越しばかりしていたので、幼馴染などいなかった記憶があるのだが。
「ひどいなあ。でもまあ、和子って、人の名前を覚えるのが苦手だったから仕方ないか。それにしても、相変わらず、和子は変わらないね。今時、そんなに変化がないのは、和子くらいだよ」
私の名前を呼び捨てするくらいの仲らしい。思い出せないほどの整形をしているのかもしれない。いや、整形ではなく、彼女たち同様、美容にお金をかけている可能性もある。この件もまた、家に帰ってから考えることリストに加えておこう。
「では、私はこの後、予定があるからこの辺で」
「じゃあ、連絡先を交換しようよ。その制服、あそこの有名な進学校でしょ。私はその隣の県立高に通っているから、会うことも多いだろうし」
「結構です」
このセリフを言うのは、本日何回目になるのかわからない。とはいえ、便利な言葉だ。一言ですべてを拒否することができる。
私は謎の幼馴染の返事を聞かずに、再度全速力で駅のホームの階段を駆け下りる。そして、これまた全速力で自転車をもりこいで家に到着するのだった。




