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わからせ完了


「……たしかに、私もイロハに『一緒に住めない』とは言ってほしかったんだけど、さすがに〝こんなヤツ〟は言い過ぎじゃない? 傷つくんですけど」


「クリスチアーヌ先生の前で、そのお孫さんに言うのもアレだけど……俺は覚悟をしてここに来てるんだ。イヴさんみたいに、保険の為とか、大した目標もないままダラダラとここに来た訳じゃないんだ。仮に、なんらかの拍子でこの事がバレて、クリスチアーヌ先生でもかばいきれない事になってここから退学、なんて事になったら、それこそ終わるんだよ、人生が」



 タケオの態度が面白くなかったのか、イヴは眉を顰め、しかめっ面になると、ソファの背もたれに体重を預けて反論した。



「でもさ、イロハだって、聞くところによると、それこそ目標見つけたのは最近なんでしょ? それも、コンビニの雑誌って……そんなんで私に説教とかできるわけ?」


「たしかに。俺だって去年、ミヤビ先生のデザインに出会うまで、やりたい事とか、そういうのを持たずに過ごしてきたから、イヴさんにそんなことを説教する資格なんてないのかもしれない。……けど、勉強はきちんとしてきた。学生として最低限の事はやってきたんだ」


「それって裏を返せば、何も考えずにただ言われた通りに勉強してたってだけだよね? そんなんべつに偉くなくない? いちいちそんなので私に説教しないでくれる?」


「ただ勉強してたって言ってるけど、思考停止で勉強なんて出来るわけないでしょうが!」


「それでも五十歩百歩でしょ? ボーっと、ただ勉強してた人間と、人に言われるのが嫌で自分から勉強しなかった人間。それだけの違いでしょ。ただの操り人形と一緒にしないでくれる? しかも、今だっておばあちゃんの命令に従ってるだけだし。自分の意思はないの?」


「自分の意思でここの学校に通ってるんでしょうが! 実際、ミヤビ先生に聞いてた以上にここを受かるのは難しかった。けど、こうして一般で入学する事が出来たんだよ」


「……なに? もしかして、人形なのに怒ってんの?」


「キ、レ、て、ん、だ、よォ!!」



 ついに怒髪天を衝いたタケオは、まるで金剛力士像のような出で立ちになり、立ち上がってイヴを睨みつけた。



「は、いみわかんね」



 対するイヴは深いため息をつき、手をひらひらとさせながら、あえて胸中の苛立ちを隠しながら、呆れ返っているようタケオに見せた。両者の言い合いはヒートアップしていき、それを傍から見ていたクリスチアーヌはそれを止めることなく、ただニヤニヤと笑いを堪えながら、楽しそうに眺めていた。



「──とにかく、クリスチアーヌ先生! 悪いですけど、俺はイヴさんとは一緒に住めません!」


「はいはいはいはい! んなの、こっちから願い下げだっての! おばあちゃん、私、明日帰るから!」


「うふふ、だめでーす」



 クリスチアーヌは両者を嘲笑うかのように、胸の前で静かに腕を交差すると、自身の意思表示をした。



「なんでですか!?」

「なんでよ!」


「まず、イロハさん。この学校は原則として寮では二人一組以上で共同生活をしなければいけません。仮にイヴが明日帰ったとして、代わりに誰かを引っ張ってくるか、もしくは三人部屋に移るか、と選択を迫られたらどうしますか?」


「そ、それは……」


「三年間、男の子であることを隠しながら、何も知らない女の子たちと暮らしていけますか? その点イヴなら、あなたの正体も知っていますし、安心だと思いますけど?」


「き、厳しい、ですけど……なんとか……」


「……そうなったら、わたくしはあなたをかばってあげられませんよ?」


「な、なんでですか!?」


「こうやって入学するまで面倒を見てあげたのです。その上、こちらからの条件を一方的に飲めないと拒否し、反故するとなれば、わたくしもあなたをかばう気なんて無くなります。わたくしだってひとりの人間ですよ?」


「で、でも……」


「つまり、あなたがここで生活していきたいのなら、イヴと暮らすほかありません」


「そ、そんな……ご無体な……」



 クリスチアーヌがそう言うと、さっきまでの勢いはどこへやら、タケオは肩を落とし、そのまま沈むようにソファに腰かけた。それを見たイヴは、逆に得意げになり、タケオに言い放った。



「ふふん、残念でした。イロハには私が必要かもしれないけど、私にはべつにイロハは必要じゃないの。せいぜい名も知らない女の子たちとの共同生活、頑張ってね。……と、いうことで、私は明日帰るから。それでいいわよね、おばあちゃん?」


「だめでーす」


「……ふ、ふん。まあいいや。べつにおばあちゃんの許しがなくても困らないし、私、明日になったら本当に──」


「あなたがここで帰るのなら、強制的にフランスへ帰化させます」


「……へ?」


「わたくしの孫が祖国へ帰るとなれば、そりゃもう色んな学校がこぞって受け入れてくれるでしょうね。まどろっこしい手続きも、ぜーんぶ、向こうが喜んでしてくれるでしょうし、知り合いは日本(こっち)よりも断然あっちのほうが多い。なんなら、今、この場でイヴを強制的に送還する事だって出来ますのよ?」



 クリスチアーヌが言葉を吐くたびに、意味深な視線をイヴに寄越すたびに、イヴの顔色がどどめ色のように変色していく。



「お、脅してるの……? 私を……おばあちゃんの大事な孫を? 私がフランス語しゃべれないの知ってるよね!? 大半のフランスの食べ物にアレルギー持ってるの、知ってるよね!? 死んじゃうよ、私? いいの?」


「それもまた、運命……ということでしょうね。どのみち、あなたがこれ以上実家でポテトチップスうすしお味を食べながらダラダラと過ごすのは、あなたの両親が許しても、あなたの祖母が許しません」


「じゃ、じゃあコンソメ味で我慢するから……」


「いや、そういう事じゃないでしょう」



 隣にいたタケオが、魂の抜けたような顔でイヴにツッコんだ。



「……イヴ、わかってるでしょう? あなたの両親の会社の株を、わたくしが過半数以上所持していることを。その気になれば、あなただけでなく、あなたの両親も強制的に帰化させることが出来るのですが……?」


「いや、それはシャレになってないんだけど? さすがにそこまではやらない……よね?」


「ふふふ、どう思いますか? イヴ?」


「……お、鬼! 悪魔! 独裁者! 反ポテトチップス勢力代表!」


「おほほ。なんとでも。所詮、あなたたちはせいぜいが被扶養者。保護者……つまり、大人の言う事には、大人しく従っておくのが賢い選択ですよ。……ちなみに、わたくしはのりしお味が好きなので、反ポテトチップス勢力ではありません」



 ここで、タケオとイヴ、両者の顔から完全に反抗心という名の光が失われた。

 未だにニヤケているクリスチアーヌは、それに構わず続ける。



「さて、二人とも理解してくれたようですね。願わくば、これからあなたたちが手に手を取り合い、相互扶助を心掛け、健全で健康的な学校生活を過ごしていけるよう、心から願っております……という事で、今日の所はもう帰りなさい。もう結構遅くなっています」



 タケオのイヴのふたりは、肩を落としながらトボトボと、おぼつかない足取りで部屋を出て行こうとした。が、そこでクリスチアーヌに呼び止められた。



「イロハさん」


「は、はい……なんでしょうか……」


「ちょっと残りなさい。イヴは……先に帰っていいわ」


「はい……おばあちゃん……」



 イヴが部屋から出て行き、タケオは再びソファに、遠慮がちに腰かけた。



「あの……なんでしょうか?」


「あの子……イヴの事についてです」


「イヴさん……ですか?」


「はい。さきほどの、たしかにあなたの言い分もわかります。あなたの目には、日々を無為に過ごしているイヴが苛立たしく映っている事でしょうね」


「そ、そんなことは……」


「いえ、いいのです。わたくしにも、イロハさんの気持ちはわからなくもない……のかもしれません」


「どっちですか」


「……まだ、ツッコむ気力は残っているようですね」


「それもわずかですが……」


「つまり、わたくしが言いたいのは、あなたの目に見えるものが全てではない、ということです。昔の偉い人も……あー……名前はど忘れしましたが、目に見えないものこそ大事なんだ、と言っていた気がします」


「気がするんですね」


「はい。ですから、どうかあなたのその目で、きちんと正面からイヴを見てあげてください。さきほどは突き放してしまいましたが、あの子も、あの子なりに悩んでいる事物があります。これはデザイナーのクリスチアーヌとして、ではなく、イヴ・ロランの祖母としてあなたへの頼みです。どうか、イヴの力になってあげてください」



 いつになく静かで厳かなクリスチアーヌの雰囲気に、タケオは少々面食らうと、すこしだけ考えて、クリスチアーヌに言った。



「わかりました。俺も、さっきは自分がバカにされたんだと思って、思わずカッとなって言ってしまいました。すみません。……まだイヴさんの事はよくわからないですが、俺なんかで助けになれるのであれば」


「ありがとうございます」


「それと、イヴさんは、何について悩んでいるんですか?」


「それは……わたくしの口からは言えません」


「そんなに根が深いものなのでしょうか?」


「それは……」



 クリスチアーヌが遠い目をしながら、タケオから視線を外し、部屋の天井の、その隅を見た。



「それとも、面白いから、あえて俺には言わないだけなのでしょうか?」


「……まあ、さすがです。よくわかりましたね、イロハさん」



 ズゥンと、タケオが(こうべ)を垂れ、胸を膝にくっつける。



「……なんというか、段々クリスチアーヌ先生の事がわかってきた気がします」


「そうですか。それは頼もしい限りですね」


「……褒められているのでしょうか?」


「さあ? ……とはいえ、イヴについての話はこれで終わりです。男女同室だからといって、くれぐれも、変な事はしないよう、お願いしますね」


「しませんよ」


「まあ、情けない」


「いやいや、してほしいのか、してほしくないのか、どっちなんですか。……まあ、どのみち俺は何もする気はありませんけどね!?」


「わたくしとしては、どちらでも構いませんが、もし手を出すのなら事前に断ってくれたほうがいいですね。電話か口頭で」


「なんで行為に及ぶ前に報告しないとダメなんですか」


「この歳になると、サプライズって体に悪いんですよ。本当に心臓が止まりかねないので、つまりそういう事ですね」


「もうツッコミきれませんよ」


「まあ、それくらいでしょうか。あとは適当に勉強して、適当に学生生活を満喫しておいてください」


「ずいぶん適当ですね」


「何事も、適当が一番なんですよ」


「……深みのある言葉ですね」


「年月の積み重ねは人の感性を鈍くさせますからね。では、もうそろそろお開きにしましょう」


「は、はあ……」



 タケオはクリスチアーヌにそう促されると、そのまま部屋を出て、研究棟を出て、巡回している警備員に見つからないよう、桜並木の中庭を抜け、そそくさと一年生の寮へと戻った。

 一年生寮、タケオとイヴの部屋の前。

 時刻は十一時を回っていた事もあり、周囲の部屋は既に消灯していて、寮内はしんと静まり返っていた。昼過ぎ、イヴが破壊した扉はすでに修理されており、タケオは神妙な面持ちでその扉を開けると、そのまま部屋の中へと入った。



「──よ。イロハ」



 予想外なほどのフランクな挨拶だったのか、扉を開けたタケオが一瞬固まる。

イヴは上下黄色いトラックスーツに身を包み、二段ベッドの下で持ち込んだ漫画雑誌を手に、完全にリラックスしていた。



「いやいや、軽いな」


「ん、まあね。いつまでも駄々こねられないっしょ。フランスに強制送還されるのも嫌だしね。当分はここで暮らさせてもらうよ」


「……そんなに嫌なの?」


「うーん、嫌かな。旅行で行く分にはいいんだけど、住むとなるとまず言葉通じないしね。意思疎通がとれないのはマジでキツイ。それで帰化して、いじめられたってよく聞くし」


「イヴさんは大丈夫そうだけど……」


「おっと、そうだ。イヴさん(・・)なんて、堅苦しい呼び方はやめてよ、同い年なんだし。私の事は普通にイヴって呼んで」


「い、イヴ……?」


「そうそう。それで、なんだけど、イロハちゃん(・・・)?」



 イヴはパタン、と読みかけの雑誌を閉じると、ベッドから降り、ずいずいとタケオに距離を詰めていった。タケオもそんなイヴから逃げようと後ずさりするが、やがて背後の扉に背が触れた。



「……な、なんすか」


「イロハちゃんって、男だって事バラされると困るんだよね」



 お互いの目の高さは変わらず。あと少しで互いの体触れるところまで、イヴがタケオに急接近した。タケオはここでようやくイヴを異性だと認識したのか、目をあっちこっち泳がせながら、頬を紅潮させながら続けた。



「そ、そっすね……めっちゃ困ります……」


「ならさ、バラされたくないんだったらさ、私のお願いとか、聞いてくれないかなーって」


「そ、それは……どういう……?」


「下僕……とまでは言わないけど、私が『喉乾いたなー』とか『お腹すいたなー』って言ったら、それなりに動いてほしいかな……なんて。頼める?」


「そ、そんなアホな……」


「うーん、なんてゆーか、気にしてないフリはしてるけど、さっきのイロハちゃんの言動、私としても、ちょっと傷ついちゃったんだよね。だから、そのお詫びとして、ね?」


「で、でも、俺が退学したら、今度はイヴがフランスへ──」


「それは、私がここから退学したら、でしょう? 私としては、べつにイロハちゃんがここから去ろうが、ちょっと部屋が広くなるだけなんだよね」


「ぐ、ぐぬぬぬぬぬ……!」


「ねえ、どうする? 私のお願い、聞いてるくれる? それとも──」


「き、聞き……ま……」


「ん? 聞きま……なに?」


「す……!」



 こめかみに青筋を立てながら、目をギュッと瞑りながら、タケオはその言葉を口から捻出してみせた。その言葉を聞いた途端、イヴの表情がパァっと明るくなる。イヴはそんなタケオの手を取ると、ブンブンと強引に振ってみせた。



「ありがとー! じゃ、これからよろしくね、イロハちゃん!」


「よ、よろしく……お願いします……!」

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