能ある鷹は、もう爪を隠すのをやめました
私立エトワール・ブリエ学院高等学校、渡り廊下。
タケオは逃げるイヴの腕をがっちりと掴み、逃げられないようにしていた。
「──急に何言ってんだ、イヴ? 頭でも打ったか?」
「べつに。そもそも、最初から辞めるつもりだったし、この学校」
「いやいや、それにしても急すぎんだろ。それにイヴが辞めたら、クリスチアーヌ先生に、フランスに強制送還されるんだろ? アレルギーとかどうするんだよ?」
「いいよ。毎日チョコレート食べるから」
「いや、偏るって。それに喋れないんだろ、フランス語」
「話せるし」
「うそつけ」
「ほんとだし」
「じゃあ何か話してみろよ」
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ……」
「ぼ?」
「ぼんじょわぁ?」
「惜しい」
「というか、べつに私の心配なんてべつにしなくていいから、イロハはイロハで、ファッションショーを成功させることだけ考えな?」
「いや、どのみちイヴが消えたら、俺だってクリスチアーヌ先生に見放されるんだっての!」
「……それについては、私が辞める前にちゃんとおばあちゃんに言っとくから、心配しなくていいよ」
イヴのいつも違う態度に違和感を覚えたのか、タケオがさらに詰め寄った。
「……なあ、もしかして清原さんになんか言われたのか?」
「い、いんや? 全然ぅ? そんなの関係ないんでげすが?」
「いや、ウソ下手か。……どうせ、おまえと組むと俺の成長を阻害するとかなんとか言われたんだろ?」
「な、なんで知ってんの?! 聞いてたの!?」
「やっぱりか」
「……あっ! もしかしてカマかけたな!」
「そんなの気にすんなって。清原さんだって、イヴが陰で色々頑張ってる知らないから言ってるんだよ。……それに昨日だって、遅くまで俺たちのコレクション用の服の仕様書、書いてたんだろ?」
「は、はあ!? 見てたの!? 寝てたよね、イロハ」
「やっぱりか」
「いや、もういいわ! そのパターン!」
「まあ、さっきの巻きグソのふざけた絵も、まだ俺に見せられる段階じゃないから、適当に書いただけなんだろ?」
「むぐぐ……!」
「とにかくだ。イヴが辞める必要なんてない。いい機会なんだし、今回のブリションで鼻を明かしてやろうぜ」
「イロハ……ううん、ダメ。腐っても、あのクリスチアーヌ・ロランの教え子たちが参加してて、さらに色んな有名人が見に来るコレクションだよ?」
「いや、クリスチアーヌ先生泣くぞ?」
「まだ構想も固まっていない私の作品なんてだしたら、それこそ清原さんの言う通り、イロハまで恥をかいちゃう」
「いいよべつに、恥くらい。この国の言葉じゃ恥はかき捨てっていうし」
「ダメだよ。普通ならそうかもしれないけど、このコレクションにはさっき言った通り、有名な人もたくさん来る。そんな人たちが、私たちの変な作品を見てイヤな気分になったら、たぶんもうこの先ずっと縁がなくなる。だから──」
「だから、結局俺一人で参加しても意味ないんだって! 俺なんにも出来ないんだぞ!? そんなヤツが作る服が、イヴの作る服を超えられるわけないだろ!」
「じゃあ、おばあちゃんに言って参加を取りやめて──」
「わかんねえやつだな! 俺が参加しろって言ってんだから参加しろ! 清原さんがなんだ! 清原さんに辞めろって言われて辞めて、俺が参加しろって言ったら、なんで辞めるんだよ!」
「そ、それは……イロハの事を考えて……」
「俺の事を考えるんだったらまず参加しろ! ……いいか。おまえがこのコレクションに参加しないで学校辞めるんだったら、俺もこの学校辞めるからな」
「はあ!? なんでそうなんの!? それは違うじゃん! あんたはミヤビの弟子になりたいから学校に入ったんでしょ?」
「知らん。今決めた」
「いや、今決めたって……」
「さあ、どうすんだ? このまま俺と一緒に辞めて、巻きグソ野郎って罵られたまま、尻尾巻いて逃げるのか。それとも、おまえをバカにしてる連中全員見返してやるのか」
「……やる」
「はい~? 聞こえませんが?」
「やってやんよ!」
「やっぱり、イヴならそう言ってくれると──」
「うっさい! 誰が巻きグソ野郎だ! それ半分、あんたの悪口だろ! 清原さんはそこまで言ってなかったぞ!」
「いや、まあ、それはイヴを立ち直させる方便で……」
イヴは掴まれたままだった腕を強引に振り払うと、今度は逆にタケオの胸倉を掴み、「ついて来い!」と言って、強引に引きずっていった。
こうして、タケオに奮起(?)させられたイヴは、もはや服を作る魔人となり、昼夜問わず、寝る間も削ってひたすら服を作る事に専念した。デザインから仕様書の作成、裁断、縫製、加工、仕立てに至るまでをほぼひとりで完遂し、タケオは生地など必要な材料の調達や、モデルの手配、当日に流す音楽などを担当した。
◇
そして、そんなドタバタを経て、〝エトワール・ブリエ・コレクション〟略して〝ブリション〟の開催日当日を迎えた。
会場は、学院の体育館をファッションショー用に作り変えられているような形で、体育館の舞台から、白く長いランウェイが設置されており、無数のライトに照らし出されていた。そして、その周りにはずらっと、等間隔で放射状に椅子が並べられており、国内外問わず有名なデザイナーや、ファッションブランドの責任者が腰かけていた。
それは明らかに、いち学校でやるような規模のファッションショーではなく、商業として、一般のコレクションとして成立するほどのものであった。
ちなみに、今回のエトワール・ブリエ・コレクションに参加する生徒は、全員で三十組となっており、その中でも一年生はイヴの組と、清原の組のみだった。
「──まさか、本当に参加されるとは、思ってもいませんでした」
照明が落とされている一般の観覧者席。
そこで、イヴとタケオの二人が並んで座っているところに、清原千絵と大杉美香、星敦子の三人が、ぐいぐいと席を詰めて座ってきた。
「あの時の汚物を、またここでも晒すつもりですか?」
「大丈夫。今回はあの時よりも、多少はマシだと思うから」
清原の挑発に、イヴは淡々と、平常心で答えた。それが面白くなかったのか、清原は「ふん」と鼻を鳴らして続けた。
「……それにしても、春風さんも春風さんです。なぜそこの問題児にいつまでも付き従っているのですか」
「付き従っているつもりはないんですけどね……。まあ、あえて理由を言うのなら、暇だからでしょうか」
「ひ、暇だからって……! なんてこと。春風さんも問題児だったなんて……」
「いやいや、問題児って……」
「いいわ。今回のあなたたちのコレクションの内容如何によっては、今度こそ、私が直々に、クリスチアーヌ先生に提言させて頂きますので」
「へえ? じゃあ、もし私とイロハの出来があなたたちのよりも、評判が良かったら? ちょうど、ブリションには投票システムがあるみたいだし」
「ふふふ、そのような事はあり得ません。ですが、もし、万が一、私たちの得票数を上回ったら、そのときはせいぜい、あなたたちをライバルと認めてあげます」
「いらねえよ」
「いらないんだけど」
タケオとイヴの心のこもった感想が口から漏れる。
それを聞いた清原は立ち上がり、二人に抗議しようとしたが──そこで、清原の言葉を遮るようにして、いままで静かだった会場内に音楽が流れ始めた。勢いを完全に削がれてしまった清原は渋々と言った感じで、椅子に座り直した。
それからしばらくして、エトワール・ブリエ・コレクションのプロモーターであるクリスチアーヌが、マイクを手に持ち、ランウェイに現れた。
『──ごきげんよう皆様。本日はこのエトワール・ブリエ・コレクションへお越し頂き、誠にありがとうございます。本年度も例年通り、わたくしの独断と偏見で選んだ精鋭たちが、互いに切磋琢磨し合い、高め合う事で、こうして無事、ショーを開催させていただく運びとなりました。主賓の方々、並びにご来場の一般の方々、生徒諸君におかれましては、どうか、心行くまで、最後まで、このエトワール・ブリエが誇る精鋭たちの織成すショーを楽しんでいただければ、と思っております』
クリスチアーヌはそう言うと、正面、左手、右手と、三方向の観客に恭しくお辞儀をして、そのまま舞台袖へと消えていった。
そしてその瞬間、いままでの明るい雰囲気だった会場の音楽が一転、厳かな古典音楽に切り替わった。
『まず最初の作品は、なんと三ヶ月前に入学してきたばかりの──』
「──さあ、どうやらトップバッターは私たちのようですね」
司会者の言葉を遮るようにして、清原が横に座っていたイヴの顔を見ながら言うと、舞台袖から長身の女性モデルが現れた。赤を基調としたドレスに黒く、透き通るようなレースをドレスの後部にあしらったものだった。広く、大きいスカートは全部で四層になっており、そのつなぎ目には迫力のある波模様が、段々とあしらわれていた。そしてひと際ギャラリーの目を引いたのが、胸元にあしらわれた、薄い生地で織られた黒く、大きな薔薇だった。
一年生が作成したとは思えないほどのそのドレスに、会場からもどよめきが起こる。
このギャラリーの反応に気をよくしたのか、清原は顎を必要以上にしゃくらせ、腕を組み、脚を組むと、イヴの横顔を穴が開くほど見つめた。
イヴは明らかにその態度にイラついていたが、特に何も反応はしなかった。
「イヴさんイヴさん、私の作品の解説を聞きたいですか?」
「べつに」
「この作品に込められているのは、私なりの憧れと情熱なんです」
「いや、聞いてないんだけど?」
「まずはそれらを抽象的に、可視化できるようにキャンバスへと落とし込み、そこからさらに──構想期間は──着想を得た作品は──」
それから清原の解説は、彼女のドレスとモデルが裏へ下がった後も続き、彼女の番から数えて六番目の、イヴとタケオの出番が出るまで続いた。
『──続きましては……、おおっと、こちらもなんと一年生の作品です。そして、その作者はなんとクリスチアーヌ・ロラン先生のお孫さん、イヴ・ロランさんと、先生の遠い親戚、春風彩華さんの作品です!』
「あら、どうやらイヴさんたちの出番のようね。……ふふ、私の作品を見て戦意を喪失したのはわかっています。さきほどの言葉を取り消す……のなら……今の……うち……」
清原はそこまで言うと、口をはっと閉じて息を呑んだが、そのリアクションをとったのは彼女だけでなく、その会場にいたほぼ全員が──とりわけ、最前列にいるような人間に多くみられた。
そのドレスは水平線・垂直線と三原色によってのみ彩色された、極限まで単純化されたドレスで、それは〝芸術〟に携わった事のある者なら誰しもが見たことのある、有名な、新造形主義理論をもとに描かれた絵画であった。
しかし、それだけならまだしも、その絵画は〝ドレス〟という名のキャンバスに巧く落とし込まれており、配色も配置もイヴのオリジナルで、その絵画を主役としているではなく、あくまで洋服の引き立て役として作られているという事は、芸術に携わる者、洋服に深い理解を持っている者たちからすれば、一目瞭然であった。そしてそれは、イヴの隣にいる、清原も同様だった。
「そ、そんな……こんなことって、なんで普段あんなのしかデザインできないイヴさんが、こんな……ああ、そうか。これはパクリ……いえ、違う。あくまでこれはオマージュ……本質はもっと別のところに……」
清原は驚きのあまり、茫然とした表情でランウェイを歩いているそのドレスを見つめていた。
それはもはや、火を見るよりも明らかで、清原の作品とイヴの作品の完成度は、得票数を見るまでもなかった。
「そ、そうです。イヴさんがこんなのをデザインできるはずが……あ、そ、そうか! イヴさん、あなた、クリスチアーヌ先生に手伝ってもらったのですね!?」
「……は?」
「ま、まあ? たしかにコレクション自体を汚されるよりも、クリスチアーヌ先生に助けを求めたほうが、このコレクションの質を損ねないとは思いますけど、イヴさんにはプライドというのがないのかしら? 自分で作ったもので、正々堂々と戦おうとする気概はないのかしら?」
「いやいや、何言ってんの、清水寺さん。あのドレス、私が作ったんだけど……」
「清原です。……って、あなたが作った!? そんなわけないじゃない! だってあなた、いつも授業中何処かへ行ってるし、たまにデザインしたと思うと、下品なのしか描いてこないし、いつも春風さんのこと、使いぱしりにしてるし……そんなあなたがあんなの……プロの作品だって言われても驚かないものを、作れるわけないじゃない!」
突然大声で取り乱す清原。周囲にいた人間も、皆、一様に清原に注目し始めた。
「あー……もう、それでいいから、とりあえず、静かにしよ? ね?」
イヴはとりあえず、その混乱を納めようと穏便に済ませようとするが、清原はイヴとは対照的に、さらにヒートアップしていく。
「ほらみなさい。やっぱりあなたが作った服じゃないんじゃない! 恥を知りなさい、恥を! まるで自分のように、自分の力でもないのに、それを誇示して! どのみち、あなたがここに居ることは、この学院に在籍することは、相応しくありません! 絶対にあなたを辞めさせますからね! 絶対に私は、あなたを──」
「いい加減にしろ!!」
清原の声をよりも、さらに大きな声が会場に響き渡る。
タケオだった。
タケオは椅子から立ち上がると、そのまま清原へと距離を詰めていった。
「清原さん、ほんとうにあのドレスをクリスチアーヌ先生が作ったと思うんですか?」
「あ、あたりまえでしょ。どのみち、イヴさんなんかがあんなドレスを作れるはずが……」
「清原さんがあのドレスをすごいと思ったって事は、デザインについて、芸術について、それなりに勉強してるって事だ。クリスチアーヌ先生の作品についても勉強してるって事だろ!?」
「あ、当り前です! クリスチアーヌ先生は、私の憧れの人です! それに、あのドレスに使用されている作品も、もちろん存じ上げています! でも──」
「だったら! ……クリスチアーヌ先生がああいう作風の作品を作る筈がないって、わかるだろ?」
「そ、それは……!」
「あれは紛れもなく、ここにいるイヴ・ロランが作り上げた作品だ。イヴが考えに考え抜いて、ようやく出した作品なんだよ。……たしかにイヴは普段から、やる気なさそうにしてるし、実際適当にやってる。けど、それは色々と理由があっての裏返しなんだ。俺からは詳しくは言えないけど、イヴはイヴなりに毎日頑張ってたんだ。だから……だから、それだけは否定しないでやってくれ……!」
タケオのひたむきな言葉を受け、清原も冷静さを取り戻していく。
「……ご、ごめんなさい、イヴさん。私、カッとなって、ひどい事を……。憧れのクリスチアーヌ先生のお孫さんだから、その立場に甘んじているあなたを見ていて、それでどうしても許せなくて……。どうやったのか、どうやって着想を得たのかは知りませんが、紛れもなく私の完敗です。今までの無礼をお詫びします」
清原はそう言うと、イヴに頭を下げて謝った。
「えっと、あ、謝らないで清美さん」
「清原です」
「……私、昔に色々トラウマがあって、まだみんなの前でデザイン描いたり色々しようとすると、腕が震えたりすることがあって、だから、普段はあんな態度で……だから、私もごめんなさい」
イヴもそう言うと、清原同様、きちんと頭を下げて謝った。
すると、今度は会場内にクリスチアーヌの声が響いた。
『え~……皆様、どうやら、わたくしの孫とそのご学友とで、なにかひと悶着あったようですが、気になさらないでください。どうやら勝手に解決したようですので。それでは引き続き、エトワール・ブリエ・コレクションをお楽しみくださいませ』
クリスチアーヌがそうやってひと笑い取ると、何事もなかったようにショーは再会した。こうして、今回のエトワール・ブリエ・コレクション、略してブリションは見事成功を納めた。そしてこれ以降、イヴの手が不自然に震えることはなくなったという。
────
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




