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春の花

 無機質な毎日の繰り返し。

 固定された朝食のメニューを消化器官へ運ぶための食事。以前から食事に対して興味は無かったが、ここ数年間はその性質は顕著だった。

 愛用しているわけではないが変える理由がない透明のファイルには、折り紙の猫がいた。鉛筆で顔が書かれていたため、だいぶ色あせてしまっている。そっと目を細め、通勤バッグにファイルを入れて出勤する。






「高科さん、手紙届いてますよ」


「いらない。読むのが面倒くさい。処理してくれ」


「えー、もったいないなぁ。こーんなたくさんの手紙、普通はもらえませんからね?」


「あいにく、仕事が忙しいんだ。読んでいる余裕はない」


 そう言って高科はようやく後輩の姿を視界に入れた。

 次の瞬間、視線は一点に集中した。


(花柄……)


 封筒を後輩の手から奪い取った。


(ああ、やっぱり。……書いてある。

 幼い頃に私の字を見本として練習したために癖を受け継いだ、その文字が。)




 To        Dear my teacher

 From      Spring Flower




【あるWebニュースからの抜粋】


 設問から一世紀を経て、先日、ある学会誌に解答が載せられた。

 その美しい証明に、数学者たちは驚愕せざるを得なかった。

 同等、もしくは以上に、学問界を騒然とさせたことには、もう一つ理由がある。

 日本出身の若干16歳の少女である。

 数学は科学の女王と聞いたことがあるのではないだろうか。科学の根幹、その発展を支えたのは、まぎれもなく正確な数字の扱い方とそれに基づく考察である。

 また、数字について研究し知識を深めていく科学者を、数学者という。

 彼らは幼いころから素晴らしい論理を奏でる。しかし、それは年を重ねるごとに衰えていく運命にある。

 数学者の才能は夭折なのだ。

 暗闇の中を己の信じた方向へただ進む精神力は尋常ではない。

 体験するのはごく一部だが、その先で光を掴めるのはさらにわずかな人間のみである。

 それを短い才能の期限を設けられている彼らが成し遂げるのは、まさに至難という現実は、そう語らずとも伝わることだろう。


(略)






 息が切れた。喉の奥がひどく乾いている。

 それでも、懸命に足を前に進めた。

 普段は通勤以外の運動は一切していない。

 それでも、足を止めたくなかった。







 必死に走りながら思考は過去へ遡る。別れの日にした、約束だった。

 少女は涙を拭い高科を見上げた。


「今日の問題は何ですか?」


「……ああ、そうか。今日は金曜日だね」


「ありますか?」


「ああ、あるよ」


 高科はメモ帳を取り出し、問題を記しながら話す。


「フェアだが、非常に難しい問題だ。答えは私にもわからない」


「先生にもわからないんですか?」


「専門外ということもあるけれどね。これを」


 四つ折りにした紙を少女に握らせる。


「わかったら、また君の答えを聞かせてくれ」


 少女は、オムライスを食べたときと同じ満面の笑顔で頷いた。






 春風に薄紅がゆっくりと散っていく。

 何年ぶりになるかわからないほど久しく訪れていなかった公園へと足を踏み入れた。軽く息を整え、平然を装う。

 あの頃よりもだいぶ髪も背も伸びている。だが、確かに彼女だと後姿でもわかった。


「おまたせ」


 その言葉に、黒が揺れる。

 ふわりと花が綻ぶように笑顔が咲く。

 自然と眦が下がり、足が向かう。


 畏怖では無く、興味と敬意。

 いつの時代にも、だれにでも、その成長を見守りたいと思える存在がどこかには、いるのだ。











(終)




『ある科学者の大切な金曜日について』

 完結です。


 2020年10月16日 金曜日

 葵 紀ノ未


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