出会いに必要なもの
不思議な子と出会った。
外見は、普通の女の子だが、言動に違和感がある。現実味を感じないのだ。理由を彼女と刑事との会話から考察したところ、いくつか注目すべき点が明確化された。
その中でも特筆すべきは、彼女のような幼い子どもが「いい子」を演じ続けていることだ。彼女はそれを能動的に、現実とは分けて演じている。いつか彼女の演技は解離性障害やその他の問題を引き起こす可能性がある。
問題を未然に防ぐのも科学者として一つの役目。思考の根底にそれを据え置き、いままで過ごした。
(幼いが、非常に賢い子だ。あの年齢の子どもには難しいが、理性的に関わることができるかもしれない。ひとまず、あの少女が演技を止められる環境を整えてみよう。)
「その花が、好きなのかい?」
高科の声に、公園内の花壇の前にしゃがんでいた少女はふと顔をあげた。
春風に、柔らかな黒髪がなびく。高科を視界に捉えると同時に、少女の表情がふわりと緩んだ。
「こんにちはっ! わたし、このお花好きなんです。ピンク色で、かわいくて、良い匂いもするの」
「その花はPelargonium graveolensというんだよ。ローズゼラニウムともいう。フウロソウ科の植物で、原産は南アフリカ。この強い芳香は鼻からではなく茎や葉からのものなんだ」
高科は意図的に付け焼刃にしては整えられたうんちくのようなものを語ってみせた。
幼い子供は話の内容がわからないと途中から飽きてしまうものだと思ったが、少女は違った。
「わぁっ、おにーさんは物知りなんですね! すごーい!」
知っている、演技だ。
心の中で唱えた。
初めて彼女に興味を持ったのは、ある日の午後。職場近くの公園だった。
彼女よりも少し年上の少年とともにしばらくの間、何かを話していた。何を話していたかまではわからない。興味はあったが、聞く気にはなれなかった。
ただ、年不相応な様子がひどく印象的だった。
今も、目の前で年相応に輝く瞳も健気な姿さえ、彼女の計算だ。
「私は、高科伊織というんだ。よろしく」
高科は無表情のまま少女に右手を差し出した。が、その直前に少女は丁寧に頭を下げた。
「唯野彩重ですっ、よろしくお願いします」
少女の澄んだ笑顔を眺め、決意した。
(これは、科学者としての意地の曲がった興味かもしれない。大人げないことかもしれない。同僚や友人に話せば、笑われるかもしれない。
いや、驚かれるか?
それでも、私は……必ず、この少女の本心を暴いてみせる。)
始まりは、あまりにも粗末な好奇心だった。それだけだった。
「次の問題だ。あるところに池がある。その池には、定期的にスイレンが溢れる」
「スイレンってなんですか?」
「そういう花の名だ。たしか多くは夏ごろに咲き、池や沼に生息する水生多年草。画像は……これだ」
信号機に足止めを食らっている間にすばやく検索してみると多くの画像が出てきた。携帯を少女に差し出してやると、目を輝かせた。
「続き、いいかい?」
「あっ、はい。スイレンがどうしたんですか?」
携帯を高科に返すと、期待の眼差しを向けた。信号が青になったため、歩行しながら問題の続きを話し始めた。
「その池のスイレンの花は、一日で二倍に増える」
「かける二?」
「その通り。では、池を満杯にするのに四八日間必要だとする。このとき、池の四分の一を満たすために必要な日数はどれくらいだろう?」
「四分の一って、半分の半分ですよね?」
不本意だったが、仕方なくうなずいた。ここでこの質問をしてきたということは、問題の意図が分かっていて答えはすでに出ているのだろう。
「でしたら、答えは四六日間です!」
「正解だ」
「次の問題は何ですか?」
「いや、ないよ。残念。到着だ」
少女に前方を確認するように促した。大型の養護施設前で愛莉が出迎えに来ている。
「おかえり」
「ただいま」
「お部屋に行ってて。リノミノも陸も待ってるから」
「うん。
ばいばい、先生! お仕事、がんばってくださーい」
満面の笑顔で手を振り、建物へ入っていく彼女に片手をあげて応えながら見送った。
すると、さみしそうな眼差しをしている愛莉がおもむろに口を開く。
「彩重のあんな笑顔、写真でしか見たことありませんでした」
その言葉にかろうじて「そうですか」と高科がつぶやくと、愛莉は視界に彼を捉えた。
「いかがでしたか、昨日は」
「というと?」
「ですから、その……あの子、迷惑おかけしましたか?」
「いや、そのようなことはなかった」
「どんな感じでしたか? 楽しそうでしたか?」
「そうであることを願う。悪いが、人の感情の機微には疎い」
「ご自身はいかがでしたか? その、不快でしたか? あ、いえ、不快といいますか……あの子と長い時間一緒にいるの、嫌でしたか?」
「あなたの心遣いには感謝しています。しかし、自分よりふさわしい方々が彼女を待っていますよね。彼女の成長を見守るのを望んでいますよね」
「彩重が望んでいません」
「そうでしょうか。あなた方家族を思い、決断できずにいただけではありませんでしょうか。しかし、今はその一つの枷が消えた。私はそう認識しています」
淡々とした主張に言葉を詰まらせると、愛莉はうつむいた。
「……一つ、よろしいですか?」
高科は「どうぞ」と先を促した。
「私、あの男、施設長が死んで……悲しみよりも先に笑みが零れてしまったんです。人の死に、安心してしまったんです。もう、家族を守れない私ではなくなれた、と。私……」
言葉を途切れさせた愛莉に、高科は言葉を紡いだ。
「自己嫌悪に陥る必要はない。客観的に思い返してみると良い。あなたは本当に家族を守れていなかったのかどうか」
愛莉は顔を上げて科学者を見つめた。が、すぐに目を逸らされた。
「それでは、私は仕事だ。これで失礼する」
「待ってください。今度からはここに来てください、公園では無くて。そうすれば、私たちも心配しません」
「いや、その必要はない。もうあの子と会うことはないだろうから」
何も言えなくなってしまった愛莉に背を向け、職場へと向かっていった。




