正解の関わり方
今日も、テレビで放送されているのはあの話題ばかりだった。
「子供が安心して暮らせるはずの場所なのに、児童相談所は何をしていたんだか」
「本当ですよ。子供を守るための――」
チャンネルを変えても
「ゆかりの家では、だいたい七、八人の子供たちが」
とうとうテレビの電源を切って出かける身支度を始めた。
有給休暇を消化するために設けられた休暇は長い。例年であれば自宅にて特筆すべきこともない他愛のないことをしながらゆっくりと過ごす高科だが、今日は出かけたい場所があった。
電車を乗り継ぎ、近くの大学病院に到着した。白く高い建物は彼に職場を連想させた。
院内へ足を踏み入れたまでは良いものの、珍しく何の計画もなく出かけたために、次にどう行動すればよいのか見当がつかなかった。確か、少女の見舞いをしようと思い立ち、外出した。しかし相手はあくまでも他人であり、公園で会話する程度の関係性でしかない、と、果たして自分がそんなことをしても良いのかすら怪しいことに思考が至る。数十分かけて訪れたが、踵を返した。
「あ……」
その視線の先で、丁寧に一礼する少年がいた。迷った末に会釈を返すと、彼は口角を上げて側まで駆け寄ってきた。
「初めまして、ですかね。滋賀昇杜といいます。高科さんの話はいろいろとあいつらから聞いています。その節はどうもありがとうございました」
軽く見かけただけで以後は名前のみ認識していた少年からのあいさつに首を傾げた。
「何に対しての礼かな?」
「あー、えっと、そうですね。義妹を助けてくださったこと、俺の疑いを晴らしてくださったこと。二つです」
昇杜は苦笑しながら自信なさそうに指を立てた。一方、高科は彼の指す義妹が誰のことを指すのか、聞かずともわかった。息をゆっくり吐き出してから壁に背中を預ける。
「ならば、私は礼を言われる筋合いはない。あの子については結局、遅かった。君が疑いをかけられていたことはたった今知ったことだ」
「そうですか。でも、まあ、とりあえず助かりました」
会話が途切れる。
高科は質問したいことを思い出そうとしていたが、何一つ思い出せない。それを察したのか、
「愛莉に聞いたんですけどね。彩重、軽く足をくじいただけみたいです。検査だけなので今日、退院です」
「……そうか。それはよかった」
「もうすぐ検査も終わりますから、せっかくですし」
「いや、すまない。そのつもりで来たわけではないんだ。あの子が元気でいるなら、それで構わない。私は帰る」
「そう、ですか。でしたら、これ、受け取っていただけますか?」
リュックサックから何かを取り出そうとする少年を片手で制する。
「これでも公務員だし、学生からそのようなものを受け取るわけにはいかない」
「貴方が想像しているものではありませんからご安心ください。それに、これは、義妹の大切な友人へのささやかな贈り物です」
そう苦笑しながら茶封筒を差し出す。まっすぐ目を見据える。引く気はないらしい。
高科は小さくため息をついた。
「一つ、いいかい?」
「何でしょう?」
「私の友人が、現場近くで君を見かけたとき非常に君の眼球を気にしていた。彼は刑事だから、おそらく、君が事件にかかわっていると思ったのだろう。彼が眼球に興味を抱いた理由は測りかねるが、私は一つ疑問に思った。なぜ、君はあの日、事件現場の団地まで来たんだ? 施設からは遠いし、君のアルバイト先は反対方向だと聞いた。答えてくれるか?」
「眼球を、ってところがよくわかりませんが、まあ、なんでしょう。そうですね……帰りたくない場所だったから、と答えさせていただきます」
「それは一体」
「あ、俺、この後バイトあるんで、もうあいつ迎えに行ってきます。午前中には検査は終わるって聞いてるんで」
昇杜は高科に茶封筒を受け取らせてから軽く一礼すると駆け足でその場を去った。
振り返らない背中が見えなくなるまでそちらを眺めていたが、ふと茶封筒に視線を移した。市販の、どこにでもあるただの封筒だ。厚みはほとんど無く、しかし、中身は入っている。封はされていない。外身を十分に観察してから、中を拝見することにした。
スケッチブックのページから一部を雑に切り取ったようなケント紙だ。カラーボールペンで絵が描かれている。
スーツを着ている太ったサルが札束を舞わせ踊り狂っているそばで、眼鏡をかけたチンパンジーがどこか別の方向を見つめる。伸ばされている小さな手には、ほとんどの札束が届かない。
画材は違うものの、まったく同じ構図の絵を最近見たばかりだった。署名はないが、断言できる。
(彼女じゃない。“彼”だ……)
思わず少年が去ったはずの方向に視線が移った。
有給期間が明けてから間もなく、職務の合間に少年課の資料に目を通していた。目当ての資料はすぐに見つかった。およそ三年前、先日の養護施設長が殺害された団地の一部屋に住む一三歳の少年について記されている。この一件で少年は親元を離され養護施設へ住処を移ったことが書かれていた。
「最近は公園に行かないんだな」
背後から突然話しかけられ、脳内で作り上げていく推論が途切れた。
「暇じゃないからね。どうかしたのか?」
「同期にお前がここにいると聞いた。所長さんや大原さんが心配してるけど、大丈夫か?」
「何について心配しているか見当がつかないね」
「色々あったことについてだろ」
「慕っていた教授の知らない面を知ったことか? それとも、職場の同僚が逮捕されたことか?」
「あれから息抜きしてねぇだろ。つい最近までは定期的に外出してたじゃねぇかよ」
久保田が言いたいことを理解し、端的に答えた。
「あの子とは、もう会わない」
「は?」
「それが最善だろう」
「お前、何考え、て……」
「考えればわかるだろう。私が研究対象に選ばなければ、あの子は怖い思いをすることはなかった。これ以上、関わらないことが正解だろう」
「研究対象って、まだそんなこと言ってんのか?」
「事実さ」
ファイルを棚に戻し、部屋を去ろうとする。
「お前、本気だったよ」
「ああ、そうだね。趣味に近いながら、真面目に考察していた」
「違う、そうじゃない」
「何を言いたいんだ?」
「本気であの子を大切に思っている。家族とか、それこそ、本当の娘みたいに」
切実にわからせようとする久保田の言葉に、思わず笑みが零れた。顔をしかめた彼に「悪い」と謝罪してから返答した。
「わかっているよ。あれだろう? 君は、私の代わりに恐れてくれているんだろう?」
「…………違う。そんなんじゃない」
「うん、そうだね。ごめん。……近いうち、お線香をあげに行かせてほしい」
「ああ、友香も喜ぶよ」
「それじゃあ、私は仕事が残っているから」
高科は暇を告げ、職場に戻った。
話したいことはあるが、これが最適な関わり方だと信じていた。




