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小さな彼女と大きな望み

 土地柄からか、公園にいるのは少女一人だけだった。

 ランドセルを前に抱えながらブランコに揺られて小さく歌を口ずさんでいる。


「ちょうちょう ちょうちょう

 菜の葉にとまれ」


「上手だね」


 話しかけると、彼女はゆっくりと顔を上げる。丸い瞳をさらに大きくすると、


「先生」


「春の歌だから、季節外れに思えるけどね」


「そうなんですか?」


「ちょうちょう ちょうちょう

 菜の葉にとまれ

 菜の葉に飽いたら 桜にとまれ

 桜の花の 花から花へ

 とまれよ あそべ

 あそべよ とまれ」


 歌い終わると、少女に視線を向ける。


「ほら、歌詞に桜が出てくるではないか。桜は春の花として有名だろう?」


 無言で何とも言えない視線を返している。


「何だ?」


「あの、先生って……もしかしてオンチさん?」


「いや、違う。断じて誤解だ」


 高科は被せ気味に否定した。


「ゴカイ?」


「誤った理解、正しくない情報ということだ」


「本当?」


 疑う視線から逃げてしれっと答える。


「ああ、そうだ。もちろん、誤解だよ」


 斜め下から視線を感じているが、無視する。それから、わざとらしくならないように「ああ、そうだ」と話題を変える。


「誤解と言えば、私は君のことを誤解しているかもしれない」


「はい? わたしを、ですか?」


「誤解は放っておいても良いことは一つもない。なるべく早く誤解を解消しておくべきなんだ」


 少女の問いに答えながら、隣のブランコに腰を下ろす。


「たしかに、正しくない情報で嫌いになられていたら、悲しいですからね」


「そのとおり。私は君への誤解を解消したいんだよ。そのために、いくつか君へ質問をしたいのだが、正直に答えてもらえるかい?」


 高科は意図的に「正直に」という言葉を強調した。それに気づいてか否か、少女は年相応の笑顔を返す。


「はいっ、もちろんです!」


 彼女の言葉を合図に、視界に捉え、尋ねた。


「君は、施設の方々をどう思っているのかな?」


「新しいみんなのこと?」


「いや、ゆかりの家のみんなのことを言っている」


「大好きですよ。みーんな、好き!」


「本当に?」


 高科は瞳を覗き込むようにして尋ねた。すると、少女はブランコから立ち上がり正面に立ってまっすぐ告げる。


「わたしは、大好きですよ? みんなのこと。だから、ずっと笑顔でいてほしいんです。悲しいよりも楽しい方が好きです」


「だから、自分が幸せになれる選択を捨てるという事かい?」


「何のことです?」


「愛莉さんが心配していたよ。君を養子として求めている良い夫妻がいるというのに君は」


「ねえ、先生。幸せってどうやって決めると思います?」


 笑顔だが、声色が固くなり、怒りに染まり始めている。


「わたしね、自分で決めたいんです。お姉ちゃんがどう思っていても、先生が何と言ったとしても。絶対に」


「……そっか」


「みんなが笑顔でいること。わたしはね、それで十分なんです。たくさん望んでいたら、ダメなの」


「そう考えるのは、どうしてだろう?」


「うーん、わからないです」


 これ以上は話すつもりがないことを察し、話題を変えた。


「最近、私は忙しくてね」


「どうして?」


「君の両親の事件を再鑑定しているんだ」


 何でもないことのように告げながら、横目で観察をする。出会ってから初めて、少女の仮面が揺らぐ。

 もう少し、揺さぶることにした。


「君の母親には、お世話になったよ」


 彩重はスカートにしわを作る。俯いているため、真っ黒な髪の毛で表情は見えない。


「両親について、君の話を聞かせてくれるかい?」






「過去に戻れるなら、貴方とは出会わない。


 もう全てが遅いけれど、それでも、貴方の幸せを祈らせて欲しい」

 沈黙が流れる。

 耐えきれず立ち上がった母。

 不意にその手を掴む父。


「僕の彩られた世界は、もう君がいなければ存在し得ない」


 そう告げて再度、母を椅子に座らせる。


「私は署名できない」


 それから、差し出された書類を破ってゴミ箱へ押し込んだ。


「今の話がショックだったのは間違いない。けど、今まで共に生きてくれたのは君なんだよ。これから先もそばにいたいのは、君以外、考えられないんだよ」






「大好きだった」


 不意につぶやいた。


「お母さんもお父さんも忙しくて、あまりお出かけはできなかったけれど、優しくて、面白くて……」


 震える声が、途切れる。少し続きを待ってみたが、言葉を繋げるそぶりが見られない。


「なぜ、証言をかえたんだ?」


 そう尋ねると、ふわりと顔を上げて完璧な仮面の笑顔で答える。


「わたしが悪い子だからですよ、先生」


「それは一体」


 高科の言葉を遮るように帰りの目安にしているチャイムが鳴り始めた。


「もう帰らないと。ばいばい、先生」






 大人げもなく少女に揺さぶりをかけた高科だが、むしろ、自身への精神的ダメージの方が大きかった。さすがに大人として勤務中は仕事を全うしたものの、なぜこんなにも憂鬱で変な気持ちなのか、その日中、考えても答えを見つけることは叶わなかった。

 そんな翌日も、相変わらずな朝を過ごし、出勤する。

 しかし、職場の最寄りの駅を出たところ、


「わあっ!」


 かわいらしい声に驚く。

 そこには、黒髪の少女が嬉しそうに愛らしい笑顔を浮かべながら見上げていた。


「おどろきましたか?」


「……うん、そうだね。急にどうしたんだ?」


「へへっ、びっくりさせてみたかったの」


 少女の回答速度に驚かされてばかりいる高科だったが、本人の前で認めるのは悔しかったし、なぜ驚かせてみたかったのか理解できなかった。


「そうか。うん、そうだったんだ。ところで、どうしてここに?」


「今週の問題、まだ出してもらっていなかったからですよ」


「ああ、たしかに。どうしようか。何も考えていない」


「えー!」


 想定以上に出された大きな声。思わず、耳を覆った。

 しかし、向けられる期待の眼差しに抵抗するすべを知らない。


「そうだね、問題を出そうか」


「本当っ?」


 ぱっと表情を輝かせた少女を前に、引き返せないことを悟り、いつもの要領で問題を考えた。

 それからだいたいの体裁を整えると、告げる。


「誕生日を当てる問題だ」


「お誕生日!」


「三人の人間がいる。D、W、Jだ」


「D、W、J」


 無邪気に少女は復唱した。

 少々卑怯な気もしたが、彼女に即答させないためには細かい工夫も必要である。成功した試しはないが。


「よし。いくぞ」


「はい?」


「1月2日、1月5日、1月16日、1月18日、1月24日1月27日、1月31日、2月2日、2月4日、2月10日、2月17日、2月21日、4月6日、4月8日、4月15日、4月17日、4月18日、4月24日、4月25日、6月3、6月12日、6月15日、6月17日、6月21日、6月30日、7月5日、7月7日、7月20日、7月24日、7月25日、7月27日、9月6日、9月12日、9月14日、9月17日、9月21日、9月30日、11月3日、11月8日、11月15日、11月18日、11月24日、11月25日、12月4日、12月7日、12月14日、12月22日、12月31日」


 ほぼ一息に、言い切った。


「……はい?」


「Dは自分の誕生日のヒントとしてWに月だけを、Jに日付だけを伝えた。それから、前述の誕生日候補を挙げてみせたんだ」


「Dさん、先生みたい!」


(言及しないからな。)

 そう心に決めてから問題文を続けた。


「Wは言った。自分もJもDの誕生日はわからない。

 それに伴い、Jも発言する。自分は、わからなかったが、今はもうわかる。

 すると、Wは意見を翻した。ならば、自分も、もうわかる」


「えっと、それは、WさんもJさんも、問題が出された直後はわからなかったということですか?」


「そう、そういうことだ。

 さて。答えとなる日付は、いつだろう?」


「答えって先生のお誕生日と一緒?」


「いや、違う」


「そっかあ。九月一四日ではないんですね」


「……」


 即興と言えど、即答されない自信は十分にあった。

 しかし、解答の正誤を問わないところを見ると、少女は自身が即座に導いた答えには自信があるらしい。

 意地悪な出題をしてもなお、即答されてしまっては、もはや黙り込むことしかできない。


「おしいなぁ」


「何が?」


 言いようのない感情を抱えつつ、少女のつぶやきにかろうじてそう言葉を発することができた。


「この問題の答え、九月一四日でした」


「そうだね」


「わたしの誕生日、四月なの。四月一九日」




 ――もうこの子につける名前は決めてるの。きっと春が似合う、愛らしい子になってくれるはずよ。




 ふと、あの人の言葉が脳裏をよぎった。

(彼女がそういったとき、何を思っただろう。科学者らしからぬ思考だと笑っただろうか。いや、反応を示すほど興味を示さなかったんだ。)

 だから、彼女の言葉しか覚えていない。


「はっ……」


 自嘲が零れた。


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