解きたい謎
倉庫に保管された大量の事件の資料。
「あったか?」
久保田の問いかけに答えず、ただ捜索を続ける。
返答を求めたわけではない刑事も、ひたすら探し続ける。
膨大な資料。
「東奥大学教授の事件か?」
「違う」
大学教授が被害者の、未解決事件。
久保田はそれだけ伝えられた状態で高科の捜索を手伝っている。先日、帰宅を手伝った借りを返せ、と言われては突っぱねるわけにはいかなかった。
後輩に何かあったら連絡してくれるように頼んではいるが、慣れない作業に疲れてきてしまっている。
その中からようやく高科は目当てのファイルを発見した。
「あった」
つぶやくような声に気が付いた久保田は棚の上の方から資料を取り出すのを手伝う。
二年前に発生した大学教授夫妻殺害事件。
「これか?」
「うん、これ」
二人は資料の内容を検める。
殺害されたのは一組の男女。
唯野雅重、唯野彩凪。一人娘は事件後に保護されている。
「唯野?」
「さすが。刑事しているだけあるね」
久保田の視線に、高科は珍しく茶化すように答えた。
高科が研究対象と言うあの少女と、この未解決事件の被害者。何も聞かされていないとはいえ、久保田には無関係とは思えなかった。
「夫妻に近しい者ではないDNAが現場から見つかっているけど、これは、つまり該当者がいないから不明と記してあるのか?」
「ちょっと待て」
「何?」
「その……待って、これって」
「未解決事件だよ」
「いや、そういうことじゃなくて」
「質問はわからないところが分かってからにしてくれ。時間の無駄だ」
友人が黙り込んでから、改めて、高科は資料を読み込む。
事件の発生は、二年前の十一月二十二日。発覚したのは、夫妻の一人娘が両親の知人に電話したことがきっかけだ。ただ事ではないと思ったその知人が夫妻の邸宅を訪れ、リビングで絶命している唯野雅重を発見、警察に通報した。一人娘は、邸宅にある書斎に隠れているところを保護される。
このとき、唯野彩凪の姿はどこにもなかった。当初、唯野彩凪が第一容疑者として捜査が進められていた理由はここにある。
事件発覚からおよそ四か月後である三月二五日、近くの山林で埋められ、白骨化した彼女が発見されるまではその線が最も強い可能性として推されていた。
その後、真夜中の凶行故に目撃者がおらずそのまま捜査が停滞してしまったらしい。
「高科」
「何?」
「この事件の再捜査をするのか?」
「うん。そうだね」
「あの子と、関係あるから?」
「学術的参考の予備実験だよ。関係あるといえば、ある」
資料を閉じ、元の場所に戻すと倉庫を出る。
「できる限り協力する」
「本当?」
高科は眠そうな目を久保田に向ける。
「……実験結果が気になる、ってことにしてくれ」
「そっか。では、さっそく」
話していた同僚と別れたところを、久保田が近くまで歩み寄る。
「国松さん」
「久保田か。調子はどうだ?」
「えっと、はい。今日は良いですね。国松さんは?」
「どうした、何かあったか?」
「その……友人が少し話をしたいそうなんですけど、お時間よろしいですか?」
「ああ。構わないが」
久保田は直属の先輩を連れて、空いている会議室へ向かった。
中へ入ると、高科が少しくつろいでいた。急いで居住まいを正すと
「どうも、高科です。国松さんであっていますか?」
「これは驚いた。科学者さんが、どうしたんです?」
国松は会議室内の壁に背を預ける。久保田は後ろ手でそっと扉を閉じた。
「お聞きしたいことがあったので、彼に協力を求めました。私は基本的に場所を考えないので」
「噂は伺っているよ。それで、場所を選ばなくてはならない話というのは?」
「二年前、夫妻が殺害された事件を覚えていますか? 未だ解決されていません」
「十一月の大学教授殺人事件か。ああ、わかる。妻が数か月後に発見された」
「夫妻には、子どもがいました。その一人娘の調書を担当したのは」
「俺だ」
「その少女が、証言を変えてます。初めて聴取してから三週間後」
「まだ四つの幼い子どもだった。両親が殺され、記憶が混乱して内容が変わってしまうことはある」
「違う可能性は考えませんでしたか?」
国松は刑事特有の眼光を高科に向けたが、臆することなく続けられる。
「本当に、少女は記憶が混乱してしまっただけなのでしょうか?」
「なんだ。研究者さんは俺が何か吹き込んだと、そう言いたいのか?」
「いいえ。事実を調べようとしなかった理由が気になっただけです。刑事たるもの、そうあるべきだと思ってました」
高科は立ち上がると
「話は以上です。場所を選ぶ必要があったか、私にはわかりかねますが、久保田くんの気遣いです。それでは」
そう言い残し、会議室を後にした。
しばらくすると
「お前が一課に来る直前の事件だ」
国松は、急に話し始めた。
「捜査本部が立てられ、唯野彩凪の捜索に力がそそがれた」
「四か月後、白骨遺体で発見された」
地中に埋めらえた遺体は、数か月もあれば白骨化が進む。
久保田が知っていることを推し量り終え、国松は静かに尋ねる。
「捜査ミスだと思うか?」
「……リビングから彼女の血液も大量に検出されていましたし、第三者のDNAも見つかっていましたから」
「ここからは俺の独り言だ。いいな?」
独り言に返事をしてしまっては、それは独り言ではなくなってしまう。
久保田は反応を隠した。
「捜査開始から一週間したころだった」
「はい?」
「現場から押収したパソコンの解析が完了したんだ。中から、唯野彩凪が脅迫を受けているデータがあった」
久保田が声を上げる前、遮るように国松は続ける。
「数日後」
国松はしばらく躊躇してから、ゆっくり深呼吸した後に告げた。
「被害者のパソコンからすべてのデータが消えた」
彼の言葉に、久保田は何も言えなくなった。
「――ぇ。もしもーし、先生?」
少女の呼びかけで、我に返った。
「すまない。どうした?」
「お顔、怖かったですけど……」
「そうか?」
「はい」
「気にしないでくれ」
すると、輪っかを作った両手で双眼鏡を作り、高科の顔をのぞきこんだ。
「むむっ、お疲れモードですね?」
高科は「少しね」と微笑とともに答えた。
「あまり得意ではないことがあってね」
「えー、先生にも苦手なことがあるの?」
「誰にだって得手不得手がある」
「えてふぇて?」
「得手と不得手。好きと嫌いだったり、得意と苦手といったりしたほうがわかりやすいか?」
「えてふえて、えてふえて……。なるほどです!」
少女の花のような笑顔に、高科はほんの少し目を細めた。
職場のデスクで椅子に身体を預けたまま、今日の夕刻のことから思考を戻した。
(あの少女が証言を変えたのは、そんな単純な理由では無い。
だから、今は仮面で素顔を隠している。)
ゆっくりと目を閉じた。
不意にノック音が聞こえる。
「高科」
「何?」
久保田はデスクの上に紙束を乗せた。
「……学術的参考の予備実験のための資料だ」
「出典は?」
「国松警部補」
高科は久保田を見上げた。
「私でも、人の感情の機微はなんとなくだがわかる。彼は乗り気ではなかった」
「その理由は、自分が担当した事件を掘り返されるのを嫌ってのことじゃないってことだ」
「そうか?」
「だから、情報をくれた」
「そっか」
紙束を手に取る。
「君の字だ」
「独り言をかき取ったんだよ」
「は?」
久保田は高科の疑問を無視して話を進める。
「証拠品としてパソコンのデータが押収されてから消された可能性がある」
「資料にはもともとデータが一切無かったと記されていた」
「いや、データはあった。被害者が脅迫を受けていたはずのデータを見た人がいる」
「証拠は無い」
「消されたから、もう証拠は無い」
久保田の訂正に不機嫌を隠さない高科は、オフィスを出た。
「どこに行くんだ」
「もう一度、証拠品を調べる。君の言うパソコンも、資料として残されていた。再鑑定で何か出るかもしれない」
「もう事件から二年以上経過しているのに?」
「経過しているからこそだ。科学の発展を甘く見るな。昨日できなかったことは、今日できるようになっているものだ。特に、昨今のICT発展は凄まじい。調べれば、新しいことがわかるはずだ。消されたデータというものも、復活させることができるかもしれない」
二人は、急ぎ足で倉庫へ向かった。




