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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

婚約者を取られたので、全力で奪い返します!

作者: くまねこ
掲載日:2019/05/01

婚約者を奪い返す悪役令嬢ものを書く! と構成を考えている内に、なんだか変態的な感じに……こ、こんなはずでは……と思いつつめちゃくちゃ楽しんで書きました。

なんかサイコ入ってる登場人物が多いですが、気に入っていただけましたら幸いです。

照明(シャンデリア)の黄金の光が、舞踏会の花達を華やかに照らし出している。

小鳥達は甲高い声でさえずり、蝶達がくるくると美しさを競い合って舞う。


カツン、と靴音が響いた瞬間、波紋が広がるように、すべての音がスッと引いた。

時すらも止まったような空間を、リヒャルトは悠然と真っ直ぐに進んでいく。


そしてひとりの少女の前で跪くと、そっと手を差し伸べた。


「わたしと踊っていただけますか? お嬢さん(フロイライン)


対する少女は(ルビー)の瞳を細めて微笑み、リヒャルトの手に白魚の手を重ねた。


その光景に、リヒャルトの脳裏に知らぬはずの景色がフラッシュバックする。


──死人のような蒼い月、月光が切り取る少女、狂おしいほどに甘美な(アメシスト)の瞳──


そして目の前の赤の少女へと戻った瞬間、目の奥で火花が散った。


──違う。


違う、違う、違う……!

コレは、わたしの宝物ではない……!


心が悲鳴を上げ、軋んだ。

しかしそれはまさに火花のごとく一瞬で消え失せ、後に残ったのは、くすぶるような凝りだけだった。

胸に当てた手を一度だけギュッと握り込み、リヒャルトは立ち上がった。



鉄の籠の中で、マティルデは月を見上げていた。

透き通るほど美しい蒼。マティルデの大好きな色。


もう、何日も人形のように動かず、こうしている。


死装束のような真っ白な衣装(ドレス)は、端がほつれ、薄汚れてしまっていた。


マティルデは今まで、欲しいものは望むままに手に入れてきた。


お気に入りの人形は、糸が切れても、わたが出ても、目が取れても、何度でも直して傍に置いた。


マティルデは欲しがりだった。そして手に入れたものはずっとずっと大事にすると決めてもいた。

たとえ忘れられても、嫌われても、追いかけて、捕まえて、壊れても、動かなくなっても、ずっと大事にすると、そう決めていた。


「嗚呼、リヒャルトさま……」


(アクアマリン)の瞳の美しい人。

月の色の宝石を縁取る灰紫(ラベンダー)の睫毛も、同色の毛先の跳ねた少し癖のある髪も、薄く儚げな淡い色の唇も、一目見た瞬間から、そのすべてを手に入れたいと思った。


「待っていてくださいませ。

いいえ、たとえあなたが待っていなくても、私は必ず迎えに行きますわ」


そのとき、長く伸びた月の影がゆらりと揺れ、マティルデはパッと表情を明るくして振り向いた。


「嗚呼、やっとなのね! 待ちくたびれたわ!」

「ごめんなのです、あるじさま……

ちょっと手こずっちゃったのです……」


小さな影が立ち上がり、薄闇の中に(ゴールド)が二つ瞬いた。

黒の毛並みが月光を銀色に弾く。二足歩行の黒猫が長い尻尾をくゆらせて歩み寄ってきた。


「いいえ、いいの、いいのよ、ビビ!

おいで! ぎゅっとさせて!」


屈んで両手を広げたマティルデの胸にビビが飛び込んでくる。

緩んだ顔で毛並みを堪能するマティルデに対して、ビビは堰を切ったように泣き出してしまった。


「あ、あるじさま、あるじさまっ……!

会いたかったのです、とっても怖かったのです!」

「いやだわ、泣かないでちょうだい。

大変なことをお願いしてごめんなさいね。

でも、ビビならきっとできると私は信じていたのよ」



ビビは、かつてマティルデが拾った猫だった。

動物の内、ごく稀に生まれる知能の高い動物は獣人と呼ばれている。

人にも獣にもなれない哀れな生き物、と。

ビビは幼い頃こそ飼い主に可愛がられたが、言葉を解し、二足歩行で歩くようになると、気味悪がられて捨てられ、野の獣になってしまった。

身軽さを生かしなんとか芸などをして日々を食い繋いだ。中には喜んでくれる人もいた。しかしやはり気持ち悪がられることの方が圧倒的に多かった。ある時、猫のくせに話すな、視界に入るなと暴力を振るわれ、力の弱いビビは抵抗もできないままボロボロになった。

そんな死にかけのところをすくい上げたのが、マティルデだったのだ。


『まあ、素敵! この子の瞳を見て!

まるで陽の光を溶かして固めた神々の宝石のよう。

黒い毛並みも磨けばきっと美しく艶めくはずよ』

『お嬢さま、いけませんわ。

外の動物など拾っては、お父上にお叱りを受けてしまいますよ』

『あら、上等よ!

その程度でこの美しい子が手に入るのなら損はないわ。

この子を馬車に乗せてちょうだい。大丈夫よ、貴女達は私に命令されたとちゃんと言っておくから。ね、いいでしょう?』


そうしてビビはマティルデの猫になった。

また捨てられたら次こそは死んでしまうと、ただの猫のふりをしていたビビだが、マティルデは拍子抜けするほどあっさりと、獣人であるビビを受け入れてしまった。


『まあっ、なんてことなの……! さすがは私のペットだわ!

可愛くて賢いなんて最強じゃない! 大好きよ、ビビ!』


いつも褒めてくれて、大事にしてくれる主人を、ビビはのめり込むように好きになっていった。

主人のためなら命を賭けてもいい。だから今回の"お願い"も、死ぬ気でやり遂げてみせたのだ。



「ぐすっ……ぼく、頑張ったのです。

さあ、あるじさま。こんなジメジメして汚いところ、あるじさまには似合わないのです。向こうでみんなが待ってるのです!」

「ありがとう。主人としてとても誇らしいわ」


籠の鳥は自ら檻を壊し、月を目指して羽ばたいていく。


「愛しいリヒャルトさま。今行きますわ!」


月光を反射する紫の瞳が、宝石のように煌めいた。



赤がリヒャルトを捉えて離さない。

それは魔法のように、呪いのように。

リヒャルトの中にゆっくりと毒を流し込んで心を侵すのだ。


「モニカ、君は花からまろびでた妖精のようだ。

かように可憐で美しい女性を、わたしは君以外に知らない」

「ありがとうございます……リヒャルトさま。

リヒャルトさまも、凛々しくってとても素敵です」


モニカがほんのりと頰を染めてはにかむ。

赤い瞳も、同色の髪も、その声も、どれをとっても見とれるほどにモニカは愛らしい。


──嗚呼……私、驚いてしまいました。

てっきり、月の女神の化身が現れたのかと思って……!

お恥ずかしいことに、貴方に贈るお言葉をたくさん練習してきましたのに、すっかり忘れてしまいましたの。

代わりに、今の私の気持ちを聞いていただきたく存じますわ!


そして歌うように、雨のように降りそそぐ讃美(プレイズ)

数多の言葉を贈られてきたわたしでさえ唖然としてしまうほどの熱量と狂喜。

思えばあの頃からわたしは、彼女に霧の怪物のような得体の知れなさを感じながらも、その向こうの景色に惹かれていたのだろう。

いつしか、誘い込まれるように手を伸ばし──


つんのめりそうになった身体を咄嗟に足を踏ん張って立て直す。

モニカが驚いたように目を見開いていた。


「大丈夫ですか?」

「……すまない。君のあまりの愛らしさに、うっかりよろめいてしまったようだ」

「まあ……」

「愛しい妖精(ニュンフェ)、わたしを惑わすことができる悪い子は、君だけだよ」


じくりと胸の奥が痛み出す。

えぐり続けた傷を広げるような痛み。

リヒャルトはかすみがかった思考の中、ぼんやりと首を傾げた。



わずかな燭台の灯りを頼りに、螺旋階段を下っていく。

マティルデは、待っている間、ちっとも動かなかったことを全力で後悔していた。


「あるじさま、大丈夫ですか?」

「ええ……大丈夫よ……」


真下には深い闇が広がっている。

フラついて足を踏み外してはいけないと、ビビはマティルデを休ませようと思った。


「舞踏会が終わるまでに行かなければ……

たとえリヒャルトさまを取り戻せても、心が完全に奪われてしまっては意味がないの。あの人の心を奪うのも、壊すのも、私でなければならないのよ」


執念を振り絞って重い足を動かして進む。

いつしか、下から上がってくる足音があることに気付いた。


看守を取り逃がしていたのかと警戒するビビだったが、やがて人影が現れるとすぐに警戒を解いた。


「こんなことだろうと思って、迎えに来てやったぜ、姫さん!

あーあ、綺麗な髪がボロボロじゃねぇか」

「エル!」


階段を駆け下り、首に抱き付いてきたマティルデの髪に頰を寄せて、エルは笑った。

ビビがホッとしたように息を吐く。


「エルさん、ありがとうなのです」

「ああ、なんとか倒れずに切り離せた。くっそ眠いけどな!

姫さんの一世一代に呑気に寝てなんていられねぇし、下に運ぶ仕事くらいはしてやるよ」

「ありがとう、エル!」


ニッと笑ったエルは足元に影を纏いながら、ビビを伴って走り出した。



エルは呪われている。

生まれた時から悪いものを呼び寄せてしまう体質で、家族も友達も、エルのせいで死んでしまった。

いつしかエルは他者を拒絶するようになった。エルはもう、傷付きたくなかった。

死の影を引き連れながら転々とあちこちを彷徨っていたエルは、ある時ある国で、マティルデと出会った。


陽の光を受けて輝く白金の髪(プラチナブロンド)は、エルが今まで見てきたものの中で一番美しかった。

陰と陽。エルとは対極の世界の人間。遠く、手の届かない深淵から覗き見ているようで、エルはいけないと思いながらも、目が離せなかった。


かくして、マティルデの瞳はエルを捉えた。


見開かれた(アメシスト)が、エルには今にも零れ落ちてしまいそうに見えた。


『お父様、私、あの子が欲しいわ!』


ほうけていたエルは、まさか自分が指差されるとは思っていなかったので、逃げるタイミングを逸してしまった。

大きな屋敷に連れて行かれ、親はいるのか、身元は、などと根掘り葉掘り聞き出された挙句、身綺麗にさせられたエルは、目を回したままマティルデと再び対面した。


『ごきげんよう、エルヴィン!

私がマティルデよ』


無邪気に手を伸ばしてきた少女を見たエルは、ざわりと悪寒を感じて身を引いた。

マティルデは手を差し出した格好のままキョトンとしている。


『お、俺に近付くな……お前も呪われるぞ!』

『呪われる?』

『俺は、俺のせいで、親も友達もみんな死んだ! 俺が殺した! だからお前もっ……!』


高そうな調度品の並ぶ屋敷に、身綺麗な服、手入れの行き届いた肌に髪。マティルデは見るからに自分と関わっていい人間ではないことをエルは察していた。

マティルデは、手負いの獣に近付くように、一歩一歩とエルに歩み寄ってきた。


思わず背中を向けて逃げ出したエルは部屋を飛び出すが、しばらく逃げたところで、目の前に飛び出してきた黒猫に驚いて尻餅を付いてしまった。

慌てて立ち上がった直後、後ろから飛び付かれて、再び床を転がった。


『お嬢様!』


悲鳴のような声と共に足音が近付いてくる。

マティルデに組み敷かれる格好になったエルは、その美しい髪が乱れて、はらりと頰に掛かるのを茫然と感じていた。


『はあっ、もう、逃げるなんてひどいわ!

でも全力で走ったのなんて久しぶり。ふふふっ』

『お前……』

『逃がさないわよ』


ゾク、と背筋が震えた。

紫の瞳がうっとりと細められる。


『私ね、鴉を飼っていたの。

とっても綺麗な黒い鴉。あなたその子に似てるわ』

『……その鴉は』

『死んじゃったわ。だから剥製にしてお部屋に飾ってるの』


マティルデが寂しそうに笑う。

エルはどこにどう反応していいのか分からず、口を閉じた。賢明な判断である。


『ねぇ、私といると幸せになれるわよ。

だからあなたも私のものになりましょう?』

『でも俺は……』

『呪われてる?

そんなもの、呪いに負けて死ぬのがいけないのよ。

あなたにまとわりつく禍々しい黒い影が、私には見えているわ。

まるで死神ね。一目見て、欲しいと思ったの!』


頭がおかしいのか? とエルは思った。

死神を見て自分から駆け寄っていく人間がいるとは誰も思わないだろう。


『そうね、特別に教えてあげるけど、私ってなんの力も持たないのよ。

いいことも悪いことも、自分で引き寄せるしかないの。

目を凝らしていたら、いつの間にか見えるようになったわ。真っ黒な闇を纏いながらも、綺麗な目をしている人は、本当に美しい。

ねぇ、気付いてる? あなたの目にはまるで満点の星空のように、生の輝きが満ちているわ。きっと、いくつもの死を見てきたあなただからこそ』


エルは思わず目を丸くした。

きっと自分は、死んだような目をしているのだろうと思っていたからだ。


『一人で生きるのは寂しいでしょう?

私があなたと一緒にいてあげる』


生きていることが呪いならば、エルはなんのために生まれてきたのだろうか。

ずっと探していた答えが、すぐそこにある気がした。



螺旋階段を降り切り地上に出ると、エルはマティルデに何かを手渡し、力尽きたように地面に膝を付いた。


「後は俺の影に託す。死神の力、上手く使ってくれよ」

「ええ、ありがとう、エル。すべて終わったら迎えに来るわ」

「安心して眠るのです!」


壁に背中を預けたエルは、遠くなっていく背中を見つめながら、笑みを浮かべた。


「姫さん、愛してるぜ。

お前がいなければ、俺はこの力に振り回されたまま、本物の死神になっていただろうな。

ククッ、あのバカ皇子、あっさりと罠にかかりやがって。俺らの姫さんを独り占めするからこうなるんだ。ざまぁみやがれ」


満足そうに目を閉じると、闇に沈むように深い眠りに落ちていった。



モニカは、昔から運が良かった。

貧乏な家に生まれ、細々と花を売って暮らしていたが、ある日、偶然街に降りていた貴族に、使用人として働かないかと声を掛けられた。

モニカは驚いたが、提示された給金は魅力的だったので、悩んだ末に受けることにした。

家族とは離れてしまったけれど、給金を渡すために定期的に会うことは出来たし、何よりも使用人のお仕事はやりがいがあった。育ててくれた家族を支えているという自負もあり、モニカは貴族家での仕事に満足していた。

ある日、家が火事になって両親が死んだ。モニカは哀しんだが、その頃当主に養子にならないかと声を掛けられていたこともあり、気持ちの踏ん切りがつくきっかけが得られたことに、どこかでホッとしていた。


モニカが当主に声を掛けられたのは、モニカが当主の亡くなった子どもに似ていたことがきっかけだった。

モニカは落胤という立場で籍を用意され、貴族の学校に通うことになった。


義両親は優しく、モニカを本当の娘のように可愛がってくれた。

学校では平民と蔑まれることもあったが、いじめられそうになると、必ず仲のいい友人がモニカを守り、助けてくれた。


モニカは周囲に愛されながら、優しく明るい子に育っていた。

そんな生活の中で、モニカは初めて恋をした。


すらりと高くしなやかな体格に、通った鼻筋、上質な絹のような灰紫(ラベンダー)の髪、美しい流線を描く目元に、(アクアマリン)の瞳。

この国の皇子、リヒャルトに。


だが、リヒャルトには既に婚約者がいると知り、モニカの初恋は芽を出した矢先に散ってしまった。

新たな恋を探そうと気持ちを切り替えるも、目はどうしてもあの美しい人を追ってしまう。

そんなモニカの様子に気付いた周囲は、叶わぬ恋に心を痛め、せめてたった一度でも話をさせてあげたいと、リヒャルトとモニカをやや強引に引き合せた。


『君がモニカ嬢か。

皆から話だけはよく聞いていたからな。会えて嬉しいよ』


目の前に立ったリヒャルトは、遠目で見るよりもずっとずっと魅力的で、モニカはあまりの緊張に目眩を起こしてフラついてしまった。

咄嗟にモニカを抱き留めたのは、リヒャルト……ではなく、その隣に立っていた婚約者だった。


『大変だわ、お顔が真っ赤よ。熱があるのではない?』


婚約者であるマティルデは、モニカの背中を支えながら額に手を当ててきた。

モニカはぎょっとして、間近にあるマティルデの顔を初めてしっかりと見た。


どちらかと言うと愛らしい、可愛いと言われるモニカとは違い、マティルデは美しい、綺麗と言う言葉が似合う容姿の少女だった。

透き通った白金(プラチナ)の髪に、同色の長いまつ毛に囲まれた大きな(アメシスト)の瞳。目はややつり目だが、ぽってりした唇と相まって危うい色気を醸し出している。

モニカは思わずその(かんばせ)に見とれてしまった。


『モニカさん?』

『あっ、す、すみません……!

あの、ええと、もう大丈夫ですので!』

『本当? 無理をしては駄目よ』


にっこりと微笑み掛けられて、ボッと顔が赤くなるのを感じた。

このままでは余計に心配されてしまうと焦ったモニカは、俯きながら身体を離した。


『あの、ご挨拶が遅れて申し訳ございません!

モニカと申します! よろしくお願いします!』

『ああ。これからも友人達と仲良くしてやってくれ』


リヒャルトの隣に戻ったマティルデは、微笑みを浮かべてモニカに頷いてみせてから、リヒャルトの腕に寄り添った。

リヒャルトはそんなマティルデを見下ろすと、怜悧な面差しを優しげに緩ませた。


それにずきりと胸が痛むのを感じながら、モニカはその場を辞した。


モニカは昔から運が良かった。

でも、いくら望んでも、恋い焦がれても、思い通りにならないこともあるのだと知った。


しかし、モニカの強い想いは、やがて周囲の心をもその渦に巻き込み、捻じ曲げていく。

渦の中心に立つ本人は、まるでそんなことに気付かないまま。


夢見る少女は羽根に金粉を纏う蝶のように舞いながら、笑みを浮かべた。



マティルデとビビが監獄を囲んでいる森へと入ると、傍の茂みからドサリと重い音がした。

その後すぐに二本の剣を両手に持った女性が、剣を払いながら現れる。赤黒い血が地面に散った。


「フラン!」


マティルデが駆け寄って抱き着くと、フランは女性にしては広い背中を申し訳なさそうに丸めた。


「お嬢様、辛いときにお傍にいてあげられなくてすみませんでした……!

お嬢様の道はあたしが拓きます! 安心して付いて来てください!」


頼もしい言葉とともに歩き出すフラン。


「フランさん、そっちじゃないのです!」


あれぇ? などととぼけながら戻ってくるフラン。


「方向音痴なんだから、下手に歩かないでほしいのです!」


そう言ってビビはフランの足を縛っていた縄を解いた。その先は木の根元に繋がっていた。

どうやら歩き回らないように枷を付けていたらしい。猛獣の扱いね、とマティルデは微笑みながら思った。



フランは騎士の家系に生まれ、男兄弟に囲まれて育った。

女であるフランは兄弟より遅れながらも、鍛錬を積み、剣を磨き、騎士を夢見て血を吐くほどに努力を重ねた。

父はフランを認めてはくれなかったが、フランの努力を知っていた兄弟達は、"女のくせに騎士を目指すなどと騎士道を冒涜しているフランを痛め付ける"という建前で剣を合わせ、交代でフランの相手をしてくれていた。

フランは兄弟達の動きを見て学び、自己流の剣を極めていった。

それでもやはり、女のフランを受け入れてくれる場所はなかった。

こうなれば直談判しかないと各家に押し掛け、突き返されることを繰り返し、やがて当たったのがマティルデの家だった。


門前払いを喰らい続けていたフランにとっては、家に上げてもらえるだけでも有難いことだった。

当主と直接面会し、やり手の護衛との試合を見て決めると言われた。フランはもはや土下座する勢いで頭を下げた。


結果として、フランは渡り合うどころか、護衛を倒してしまった。

力の弱さを補おうと、男にはない身体のしなやかさ、素早さを活かすために剣を二本持ち、誰も見たことのない剣技を用いたことが幸いしたのだった。

そしてその様子を見ていたマティルデがフランを欲しがったために、フランはマティルデの護衛として雇われることが正式に決まったのである。

フランにとって騎士とは、主人を守る剣であり、盾でもある。

たとえ剣を振るう機会が少なくとも、マティルデを守れるというだけで幸せだと考えていた。

しかしマティルデは想像以上のお転婆だった。

お忍びで外に出たいから付いてきて欲しいと言われ、断れば飼猫を連れて脱走する。置いて行かれるよりはマシだと付いていけば、良家の令嬢とは思えないほどあっちへふらふらこっちへふらふらしてフランを振り回した。

マティルデには最低限の護身術を教えていると当主が言っていたが、きっと脱走癖を諦めてのことなのだろうなぁとフランは察したのだった。


そんなある日、フランは不注意でマティルデを見失い、焦って探しているうちに迷子になった。

途方に暮れながら知った道がないかうろうろしているうちに、すっかり日が沈んでいた。


『これ、クビだよねぇ……』


護衛対象を見失った挙句、迷子になって家にも帰れないとは。

あのマティルデになにかあるとは思えないが、どうか無事に家に戻っていてほしいと思った。


『フランさん!』


自分を呼ぶ声にハッと顔を上げると、屋根の上から黒猫が飛び降りてきた。マティルデの飼猫だった。


『あるじさまが心配してるのです!

案内するから付いてくるのです!』


フランはビビが獣人であることは知らされていたが、直接話すのは初めてだった。

驚きつつも付いていくと、遠くからマティルデが駆け寄ってきた。


『ああ、よかった!

心配したのよ、フラン!』

『お嬢様……!

お屋敷に戻っておられなかったのですか!?』


今頃はいないことがバレて騒ぎになっているだろう。

青褪めるフランに、マティルデはけろりと笑ってみせた。


『大丈夫よ、どうせバレているわ。

とはいえそろそろ戻らないと、事件と思われて探しにきちゃうかもしれないわね』

『申し訳ございません!

あたしのせいで……!』


手打ちにされても仕方ないとフランは覚悟したが、マティルデは内緒話をするみたいにフランに顔を寄せて、囁いた。


『お父様には、私が無理を言ってフランを連れ回したって言ってあげるわ。

その代わり、お願いしたいことがあるの』

『いけません、お嬢様!

そのような筋の通らないこと、あたしは承服できません!』


反射的に言い返して、フランは苦い物を飲んだ気分になったが、謝るわけにもいかずに唇を噛んだ。

マティルデは困ったように首を傾げた。


『フランは真面目ねぇ。

どちらにせよ、勝手にお屋敷を抜け出したんだから、私もあなたも怒られるのだけれど。

あなたがそう言うなら本当のことを言って、その上でフランを外さないようにお願いするわ。

それが上手く行ったら私のお願いを聞いてくれる?』


フランは黙って頭を下げた。

家に戻ったマティルデとフランはしこたま怒られたが、マティルデのお願いによりフランはマティルデの護衛を継続することになった。


マティルデのフランへのお願い。

それはマティルデに剣を教えることだった。


護身用の体術を習わせてもらえても、マティルデは剣を持つことは許されなかった。

フランもそれでいいのではないかと思い、そう伝えてみると、マティルデは真剣な表情で口を開いた。


『フランは、なんのために剣を持ったの?』


フランは少し考えてから答えた。


『あたしは、騎士に……弱い人を守れる人間に、なりたかったんです』

『私も同じよ。大事なものを守りたいの』


マティルデは圧倒的に守られる立場だろうとフランは思ったが、その瞳の強さに、マティルデが本気であることをフランは悟った。


その日から少しずつ、周囲の目を盗んでマティルデに剣を教え始めた。途中から執事のエルも加わり、フラン自身も更に剣を磨いた。

女は政略の道具に過ぎない。嫁いで家に貢献する気がないのなら、お前は娘ではないと父に言われ、フラン自身もその言葉を飲み込んだ。

なにもかも捨てて剣に打ち込んだ末、夢を叶えてくれた少女。

そのマティルデは多くのものに守られながら、守りたいものがあると言う。


『お嬢様が守りたいものというのは、婚約者の方なのですか?』


ある時休憩中に訊ねてみると、マティルデはキョトンと首を傾げた。


『言っていなかったかしら?

大事なものよ。リヒャルトさまも、お父さまも、お母さまも、ビビも、エルも、もちろん、フランもね』


フランは驚き、(ペリドット)の瞳を丸めた。


『あたしはお嬢様の護衛ですが……』

『知っているわよ。

守ってくれている人を守ってはいけないの?』

『あたし的には、おとなしく守られてほしいと思います』

『もう、ケチね。

いいわよ、勝手に守るから』


拗ねたように頰を膨らませるマティルデ。

フランはなんだか可笑しくなって、笑ってしまった。


誰かに守られるなど考えたこともなかった。

それなのに。男ならまだしも、まだ成人前の女の子が、フランを守るのだと言う。


でも、なんだか。

そう、なんだか、悪い気はしないのだった。



ビビの先導で時折現れる獣を倒しながら森を走る。

監獄を囲むこの森は、死の森と呼ばれ、脱獄した者を決して逃がさないように有刺植物が張り巡らされている上、凶暴な獣が放たれていたのだが、剣を持つ相手には弱かった。

そもそも脱獄のほう助など想定されていないので、仕方ないとしか言いようがない。


しかし、それほど現実は甘くはない。

先遣していたビビが言うには、森の周囲に兵士が配置されているということだった。


「監獄の兵士はエルさんとフランさんと一緒におおかた無力化したのですが、取り逃してたかもしれないのです……」


うなだれるビビの頭をマティルデがよしよしと撫でた。


「想定内よ、ビビ。気にすることはないわ。

むしろ誇っていいわよ。たった三人で、あの堅牢な監獄を制圧したのだもの。

早速だけどエルの影の出番ね」


マティルデがエルから受け取っていた黒い石を手の中で転がす。

ビビがその手に肉球を乗せた。


「あるじさま、ぼくがやるのです。

だから、フランさんと一緒に先に学園へ……」


言いかけて、ビビはフランを見上げた。

そしてマティルデを見る。


「あるじさま、学園への道、ご存知なのです?」

「おい、なんであたしに聞かないんだ?」


首を横に振るマティルデを見て、ビビはマティルデの手をスッとフランの方に持ち上げた。


「フランさん、よろしくなのです」

「いいかしら、フラン?」

「なんか腑に落ちないけど、まあ、ここはあたしが適任だと思って納得します」


フランは黒い石を手に取ると、カン、と軽く剣にぶつけた。

剣がもやのような闇色を纏うのを、マティルデは見た。


エルは先人の知恵を借りることで、寄せ付けてしまう影を切り離す術を身に付けた。

影を石に閉じ込めたのだ。そしてその力は、物や人に移せることも実証済みだった。

それには影の色が見えるマティルデも全面的に協力している。

マティルデには黒く見えた石も、フランやビビにはただの灰色にしか見えないのだ。


影の力は不幸を寄せ付ける。

それが物に宿るとどうか、というと。


「フラン、殺してもいい。彼らの死はあなたの主人である私が負うわ。

でも、あなたが死ぬことだけは絶対に許さない」


フランの剣が瘴気を帯びる。

膝を付いたフランは、マティルデに騎士の礼をした。


マティルデはフランから護身用のナイフを二本受け取り、森の中で二手に分かれた。

フランが兵士を寄せ付けている間に、マティルデはビビと共に包囲を抜けた。

追ってくるものはいない。これこそが、死を、殺意を絡め取る影の力だ。死に近い者ほど影に惹かれ、狂わされてしまう。

マティルデは背後で上がる怒号や悲鳴に振り向くことなく、闇の中をひた走った。



舞踏会も終わりが近い。

リヒャルトはモニカをバルコニーに誘った。


「はあ……とっても緊張しました……」

「おや、とてもそのようには見えなかったがな」

「少しでもリヒャルトさまに相応しく見えるようにと思って、すっごく気を張ってたんです……」

「くく、そうだったのか。

でもお前はいつも、凛と、して……、っ……?」

「リヒャルトさま?」

「いや……普段のモニカのふにゃふにゃとした雰囲気にも癒されるが、先程のようなツンとした姿を見せられたら、また惚れ直してしまうな」

「えー? ふにゃふにゃってひどくないですか?」

「ははは」


今夜の月はあの日のように、蒼い。


──君を初めて抱き締めて口付けをした、あの日のように。


は、と息が零れた。


「リヒャルトさま、疲れちゃいましたか?」


背中に触れる手に、ぞくりと悪寒が走る。


──どうして彼女以外の女がわたしに触っている?


頭が割れそうに痛い。

込み上げてきた吐き気を飲み込んだ。


あと少しで、0時の鐘が鳴る。


それまでに魔法を解かなければ、青年は永遠に、ガラスの靴の持ち主を間違えたまま。

物語の主人公(シンデレラ)はお姫様にはなれないのだ。



闇に身を躍らせ、背後から襲いかかる。

学園の見張りを順調に倒しながら、門前を駆け抜け、ようやく入り口まで辿り着いた。

警備は厚かった。やはり監獄に襲撃があったことが伝わっているのだろう。


「ルディ」


僅かに気が緩んだ瞬間、唐突に耳元で囁かれ、叫びそうになった口を塞がれた。

びっくりはしたものの、マティルデは声で誰だか気付いたので、冷静に拘束から抜け出した。


「ギィ……心臓が止まるかと思ったわ」

「ひひっ、ごめんね、ルディ……

久しぶりにルディを見たらなんか興奮しちゃって……

嗚呼、きみ、ボロボロじゃないか……まさか、け、穢されてなんていない、よね……?」

「大丈夫よ、ただ閉じ込められていただけ。

ギィも無事でよかったわ」


マティルデは微かにホッとした顔をしたものの、すぐに表情を引き締め直した。


「もう時間がないわ。ギィ、お願いね」


マティルデがビビを抱き上げると、頷いたギィは、その背中から金属で出来た二本の骨組みを生やした。

ギチギチと機械的な音を立てて骨組みから細い金属が伸び、組み立てられていく。


透き通った蝙蝠のような皮膜が月明かりを透かし、金属製の銀の翼が、キリキリと軋んだ。


「三人の重量だと……一分が限界……」


マティルデは頷き、会場の場所を指差した。


バルコニー(バルコーン)まで飛ぶわ」


ギィはマティルデを抱えると、翼を何度かはためかせて動きを慣らしてから、ふわりと浮かび上がった。


「ひひっ、しっかり捕まっててね……」


歪な竜が蒼月を背に、夜空に舞った。



ギィは孤児だった。

空を自由に飛ぶ鳥に憧れる、どこにでもいる男の子だった。

ある日、孤児院が資金難で閉鎖に追い込まれると、ギィ達孤児はある研究施設に引き取られた。

そこで行われていたのは、人体と機械の融合実験。

連れてこられた孤児達は、誰一人として人として扱われず、その身を粘土のように弄られ続けた。

一人、また一人と、共に育った孤児達が減っていく。そうすると、いつの間にか新しい孤児が増えている。

実験の内容や使われた孤児達の姿や末路を知ることはなかったが、研究員達が自分を見る目が、人を見るものではないことには気が付いていた。

ギィはいつ自分が呼ばれるのかと、震えながら日々を過ごした。


やがてギィは他の孤児達と同じように実験台に磔にされ、地獄のような実験が繰り返し繰り返し施された。

転がっている孤児達の残骸を見て、何度羨ましいと思ったかわからない。死んで楽になれたならどんなによかっただろうか。


ギィの改造は成功した。


実験に次ぐ実験。体内に収納された金属の翼は、成長期の身体を苦しめ続けた。

細かく調整を続けながら、翼が己の一部だということを身体に覚えさせていった。


金属が馴染むに連れ、ギィの心も金属のように錆び付いていった。

皮肉にも研究員達は手を掛けた子どもの成長を喜ぶように、ギィに話し掛け、可愛がった。

ギィはその中で自分が戦争に駆り出される予定だということを知った。まだ上空での駆動時間が短いために使い物にはならないが、いずれは鳥のように自由に空を飛び回り、手も足も出ない敵を駆逐するのだと。


ギィが鳥なのだとしたら、きっと世界一醜い鳥だろうとギィは思った。

空を飛ぶ鳥が自由だなどと憧れていたあの頃のギィは、きっと、幸せだったのだろう。


飛べない鳥は地べたを無様に這いずるしかないというのに。


淡々と実験と調整を受けていた日々は、あの孤児院のときのように、唐突に終わりを迎えた。

研究所が騎士団によって制圧されたのだ。

それまで国政で行われていた闇の研究は、代替わりした皇帝によって即中止を言い渡されたらしい。

なんでも、非人道的なだけではなく、費用に伴った成果を上げられていないだとかうんぬん。今更か、という感じではあったが、ギィは特になんの感慨も湧いてはこなかった。

そこでやはり扱いに困ったのが、生き残ってしまった実験体である。

ギィはほぼ全身機械化されてはいたものの、研究員達の妙なこだわりにより原型は留めていたため、隠せばそれなりに人間らしく見えた。

そうしてひとまずということで城に引き取られ、どうしたいかと聞かれたが、ギィはその答えを持たなかった。


誰しもギィには少なからず同情はあったが、機械人間というだけで気味が悪いのに、無表情な上に一言も話さないため、そもそも人間なのか? 本当に機械なのではないか? という疑惑が生まれ始めてさえいた。

その時多くの心にあったのは、機械ならば壊しても人道には反しない、ということだった。

ギィもそれを感じつつ、それがいいとも、嫌だとも思わなかった。


議論が続く中、ギィは充てがわれた部屋から空を眺めていた。

青い空を鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。ギィはもうあの頃のように、羨ましいとは思えなかった。

それでもなんとなく、飛んでみようと思った。


窓から庭園に降りて上半身を晒し、蛾が蛹から孵化するように翼を広げる。

いかんせん体内に入っているものなので、外に出すと少しスッキリするな、などとギィは思った。

なにやらあちこちで悲鳴が聞こえた気がするが、特に気にすることもなく、キチキチと翼を慣らす。


そうしてふわりと浮き上がった先に、少女がいた。

唖然と窓からこちらを見ている。隣にいた少年もしばらく固まっていたが、再起動すると少女を守るように背中に隠した。

ギィは更に上空へと飛び、数分間の空の散歩を終えると、何事も無かったかのように部屋に戻った。


あの日以来、ギィの部屋に度々少女が訪れるようになった。

キラキラした目で、翼を見せて、飛んで、などと注文を付けてくる。

聞く理由もないのでギィが無視していても、少女は居座ってギィに話し掛けた。

なにが楽しいのか、にこにこしながら話をして、また来るわね、と言って風のように去っていく。

そして宣言通りまたやってくる。その繰り返し。


そんな折、ギィの処分が決まった。


処分と言っても廃棄とか破壊とかそういうものではない。

どうやら皇家は、なぜかギィに懐いているあの少女にギィを押し付けることにしたらしかった。

ギィが大量殺戮兵器(ジェノサイダー)だったら、きっと破壊の一択だったのだろうが、たまにちょっぴり空を飛ぶだけのおとなしい生き物だったことが決め手になったようだ。

厄介払いも出来て丁度良かったのだろう、とギィは思った。


ギィはなぜだか庭師の弟子を任命された。

よく庭園にいたからかもしれない。花を愛でる趣味はないのだが。

とはいえギィのすることと言えば、年老いた庭師に代わって物を運んだり、水をやったりするだけの簡単な仕事だった。

さすがにここへ来て、ただぼんやりと過ごすつもりはギィにもなかった。

きっと廃棄処分になると思っていたし、城では特に仕事を与えられることもなかったから、なにもしていなかっただけなのである。


少女は相変わらずだった。

最近では、手入れをしないまま錆び付いた足でいたために、つまづいてコケたギィを見て、せっせと世話を焼いてくるようになった。

腕に油を注し、布で磨いている少女をぼんやりと見つめる。

苦労のなさそうな白い手は、油と錆で汚れているが、なんとも楽しそうに鼻歌なんかを歌っている。

その歌がよく孤児院で歌っていたものだと気付いたギィは、懐かしい気持ちになった。


少女の歌は心地よかった。

ギィは初めて口を開いた。


『……っ』


しかし、声は錆び付いてしまったように出てこなかった。

微かな音に気付いた少女が目を丸くした。


『ギィ?』


勝手に付けた名前を呼び、ジッと見つめてくる。

ギィはもう一度口を開く気にはなれなかったが、少女はどこか嬉しそうに破顔した。


その日以降、ギィは自室で声を出す練習をした。

次第に出るようになった声で、ぽつり、ぽつりと、心の錆を吐き出すように、少女と言葉を交わした。


ギィは時折少女を抱いて月夜を飛んだ。


『私、初めてあなたの翼を見たとき、なんて綺麗なのかしらと思ったわ。

チカチカと陽の光を反射して、はばたきに合わせて蠕動(ぜんどう)する金属の部品が、あまりにも芸術的で。

竜の翼って、きっとこんな風なのねって』

『……』

『ギィ、あなたは本当に美しいわ』


気付いたときにはもう、少女を愛していた。

それは純粋な愛情などとは遥かに掛け離れた、狂気や妄執とも言えるものだった。


『ルディ、ルディ、ルディ……

僕に触って……名前を呼んで……抱き締めて……』

『まあ、ギィったら甘えん坊ね』

『ひひっ……僕のルディ……愛してる……』

『私もあなたを愛しているわ、ギィ』


マティルデの愛は、ギィのものに限りなく近い。

性も種も超越した、すべてを肯定し慈しむ、無償の愛。

歪んだ彼らは、精神のずっとずっと深いところで繋がっている。



バルコニーに降り立ったマティルデは、みすぼらしい衣装でも凛と見えるように、出来る限り悠然と歩いて会場に入った。


気付いた生徒達が騒ぎ始める。

兵士の数はやはり多かった。


マティルデはその中にリヒャルトを見つけると、まっすぐにそちらに向かった。


歩き出した瞬間、0時の鐘が鳴り響いた。


マティルデにしか見えない光が、モニカを中心に周囲に広がっている。あまりの明るさに目が眩んだ。

リヒャルトの目はずっとマティルデを捉えていた。


──大丈夫よ、まだ間に合うわ。

光がなんだというの? そんなものに頼らなければ欲しいものも手に入れられないような女に、この私が!

誰よりもリヒャルトさまを愛している私が、負けるはずがない……!


「リヒャルトさま……

リヒャルトさま!」


捕らえようと近付く兵士を、ビビとギィが撹乱してくれている。

マティルデはもう、なりふり構わずに、リヒャルトに向かって走り出した。


「わたしは……あ、あああっ……!」


リヒャルトが頭を抱えて崩れ落ちた。

その背中にモニカが手を伸ばす。

マティルデは頭に血がのぼるのを感じた。


「私のっ……私のものに触るなぁッ!!」


フランから受け取っていたナイフを、モニカに向かって飛ばす。


「ひっ……!?」


モニカが身を硬くしたその瞬間、一斉に光が動いた。

それが奔流のようにリヒャルトの中へ流れ込んだかと思うと、ハッと顔を上げたリヒャルトが咄嗟にモニカを突き飛ばした。


「リヒャルトさま!!!」


マティルデは自身の失敗を悟った。

モニカの光の力。エルの影とは対となるその力は、本来は周囲に幸運をもたらすものだ。

しかし、強い影の力が運命をねじ曲げ、死をもたらすように、強い光の力も同様に運命をねじ曲げてしまう。持ち主がもっとも幸福と願うもの、その想いに応える形となって。


まっすぐに飛んだナイフがリヒャルトの肩に突き刺さる。

マティルデは思わず膝を付いてしまった。ガクガク震える膝を必死に前に進め、這うようにリヒャルトに近付く。


「リヒャルトさま、リヒャルトさまっ……!」


思い通りにならない身体に苛立ったマティルデは、もう片方の手に持っていたナイフを太腿に突き立てた。

痛みを逃がすために叫びながら立ち上がり、力を振り絞って駆け出す。

腕を負傷しながら、ゆっくりと立ち上がったリヒャルトは、モニカではなく、マティルデに向かって手を伸ばした。


戸惑いながらも減速せずリヒャルトに近付いていく。


見間違いではなかったはずだ。

マティルデはモニカがリヒャルトに惚れていることに気付いていた。そしてモニカの光の力は、すべてリヒャルトに吸い込まれていった。

だからこそリヒャルトはモニカをナイフから庇うために突き飛ばしたのだ。運命をねじ曲げる力によって、モニカを愛してしまったリヒャルトが、モニカを守らなければと思ったから。


──それでも関係ない。

私の宝物は誰にも奪わせない!


ほとんど体当たりでリヒャルトの胸にしがみつく。

リヒャルトは痛みに呻きながらもしっかりとマティルデを抱き留め、強く腕に閉じ込めた。


「リヒャルトさま……!」


震える声でマティルデが名前を呼ぶ。


「マティルデ……」


それは、いつもマティルデを呼ぶ優しさのにじんだ声だった。

マティルデは涙が溢れるのを感じた。



マティルデは幼い頃、婚約者候補としてリヒャルトに引き合わされた。

一目見て衝撃を受けた。こんなに美しい人がこの世に存在したなんて、と。


『あなたの瞳はどうしてこんなに美しいのでしょう。

どこまでも澄んだ水にも、朝の透き通った空にも似ていますわ。

清々しくて見ているだけで心が洗われるよう……

それにその香り立つような灰紫(ラベンダー)の髪!

指を入れたらサラサラと解けて消えてしまいそうに儚いのに、妖精がいたずらしたみたいに跳ねた毛先がとっても可愛らしくて、あなたをグッと魅力的にしていますわ。

完璧な流線を描いた輪郭も、大人になったらスッと高くなりそうな鼻筋も、淡い色の控えめな唇も……嗚呼もう、嫌だわ、信じられない!

どうしたらこんなに美しい造形の人間が生まれるの!?

すべてが私の理想を超え過ぎているわ……っ!』


今でも語り尽くせないのに、あの頃のマティルデがどうしてリヒャルトの美しさを言葉で言い表せただろう。

とにかく思い浮かぶ言葉をすべてぶつけたのだ。


『娘よ、お前はどうしていつもそうなんだ!

何があっても教えた言葉のとおりにしろとあれほど言ったのに!

改めて場を設ける機会があれば、いやそんなものないだろうが、今回の不敬の謝罪とともに今度こそは教えた言葉の通りにするようにしてくれ、いやしなさい! 頼んだからな! いいか! 絶対だぞ!!』


固まってしまったリヒャルトを置いて帰宅したマティルデは、頭を抱えた父に、叱りながら懇願されるというある意味器用なお説教をされた。


果たして一言もリヒャルトが言葉を発することなく解散となってしまった顔合わせは、日を改めてセッティングされることとなった。

若干未知の生命体にでも接するように身構えていたリヒャルトだが、普通にしていればまともなマティルデである。

無邪気で愛らしいただの少女のようでいて、時折毒の塗られた艶かしい棘を覗かせる、危うい魅力を持った少女。

リヒャルトは狂気を感じながらも、すべてが整えられた完璧な世界の中で刺激を求めるように、次第にマティルデに惹かれていった。


リヒャルトはマティルデを婚約者に選んだ。

一見微笑ましく想い合っている少年と少女を止めるものなどなく、ふたりは互いにのめり込んでいった。


ふたりは決められた日、ひっそりと夜に会う約束をした。

皇家のみが知っている抜け道のひとつは、謁見の間に続いている。通路内で一本に合流する抜け道に自室にほど近い階段下から滑り込み、謁見の間に出ると、大きな窓の傍にマティルデが背を向けて立っていた。


窓枠が月光を切り取り、まるで一枚の絵画のようで、リヒャルトはしばし見とれていた。

鼓動が高まり、身体が熱を帯びてくる。

ゆっくりと歩き出すと、気付いたマティルデが振り向いた。

リヒャルトを見つけたマティルデは、紫眼を嬉しそうに細めてそっとはにかむ。

いつの間にか大人びた表情に、身軽なドレスが線をなぞるなめらかな肢体に、神聖さを感じた。

リヒャルトはマティルデの前に膝を付き、その手に唇を落とした。


『会えて嬉しいよ、愛しいわたしの婚約者(マティルデ)

『今晩は、リヒャルトさま。

こんなに月の綺麗な夜は、あなたの瞳を思い出して切なくなります。だから、今日お会いできたことがどんなに嬉しいか』


リヒャルトは眩しそうに目を細めて立ち上がると、おもむろにマティルデを抱き締めた。

マティルデが驚いたように息を飲む。

幼い頃にマティルデから抱き着くことはあれど、リヒャルトから抱き締めてくれたのは初めてだったのだ。


『君が愛おしくて胸が苦しい。

わたしの宝物……好きだよ、マティルデ』

『リヒャルトさま……私も好き。大好きですわ』


離れた影が、再びゆっくりと重なり合った。

朱に染まった頰に光るものが一筋流れた。リヒャルトがそっと手を伸ばしてそれを拭うと、マティルデがその手に頰を擦り寄せた。


『泣かないでくれ……たまらなくなる』

『だって、嬉しいんですもの。リヒャルトさまがいけないんですのよ?』

『ふふっ、そうか。それはすまなかったな。

ならば泣かせた責任を取って、君の涙を止めてみせよう』


そう言ってマティルデの頰や鼻先に何度もキスの雨を浴びせると、最後に唇を吸った。

舌先が微かに唇を掠めて離れた瞬間、マティルデの背筋がゾクゾクと甘く痺れた。

マティルデの目元を撫でながら見下ろすリヒャルトの瞳が、スッと細められる。


『涙は止まったが……マティルデ、その顔は少しばかりずるいのではないか?

そんな可愛い顔をされたら、もっと深く君に触れたくなってしまう』

『うう……っ』

『いつも勝気な君がこんなにおとなしいのも、なにやら掻き立てられるものがあるな。

マティルデ、君に女の顔をさせることが出来るのはわたしだけだと、自惚れてもいいだろうか?』


からかうような口調に反論する余裕もないまま、マティルデはリヒャルトの胸に顔を埋めた。

くつくつ笑う声が直に響いてくる。なんとなくムッとして、抱き締めた腕にギリギリと力を込めた。


『いてててて……い、意外と力があるな……

すまん、悪かった、からかってすまない。とはいえまったく冗談というわけでもないのだぞ?

君が女になるのがわたしの前だけであって欲しいというのは、心からの気持ちだからな』


機嫌を取るように髪を撫でられ、マティルデは仕方なく腕を緩めた。

身体を離し、上目遣いにリヒャルト睨み付ける。


『分かっていらっしゃらないようですから教えて差し上げますけど、そもそも私が男性として意識しているのは、婚約者であるリヒャルトさまだけですわ。もちろん、あなたのすべてを手に入れたいという思いは出会ったときから変わりませんが……いまはあなたになら、私の身も心も捧げていいと思っています。

……その代わり、私が大事にしているものを捨てろとおっしゃるのなら、あなたを捨てることも厭わない覚悟ですけれど』


マティルデが大事と思うものは、もはやマティルデの一部となっている。

それを捨てるということはマティルデ自身を貶め傷付ける行為に等しい。まぁ、そのことを理解出来ない相手に、マティルデの婚約者が務まるはずもないのだが。

敢えて最後に付け足したのは、マティルデなりの照れ隠しだった。


『ありがとう、マティルデ。

わたしは必ず君を、君の大事なものも含めて、幸せにすると約束する。君のすべてを守ってみせる。だから安心してわたしを愛してくれ』


マティルデは、自分が捻くれていることを自覚している。


マティルデは今まで、欲しいものは望むままに手に入れてきた。


お気に入りの人形は、糸が切れても、わたが出ても、目が取れても、何度でも直して傍に置いた。


マティルデは欲しがりだった。そして手に入れたものはずっとずっと大事にすると決めてもいた。

たとえ忘れられても、嫌われても、追いかけて、捕まえて、壊れても、動かなくなっても、ずっと大事にすると、そう決めていた。


相手の意思など関係なかった。

自分の歪んだ心が愛してもらえないことは知っていたから。


リヒャルトはちょっと頭がおかしいとマティルデは思う。

女騎士のフランはともかく、猫獣人のビビに、死神のエル、そして機械人間のギィ。

周囲が遠巻きにする中、リヒャルトはあっさりと彼らを受け入れた。


『彼らがマティルデの宝物だというのなら、君に気に入られたわたしもその仲間だろう?』


そう言って。

それはマティルデが今まで生きてきた中で最も衝撃的な言葉だった。

マティルデは彼らを自分と同じように致命的な欠損を抱え、完璧になれない姿を美しいと思っている。

それでも仲間というよりは、運命共同体であり、己の鏡であると感じていた。

仲間というのは他人同士でなければなれないものだ。

それはマティルデ達のように共鳴(シンパシー)を感じて心で繋がるよりも、余程難しいことだとマティルデは思う。

なにより、マティルデには仲間と呼べる相手がいなかった。


リヒャルトを純粋にすごいと思うと同時に、マティルデは初めて相手の心に興味を抱いた。

そしてマティルデは、リヒャルトに恋をした。


順調に愛を育むふたりだったが、異変が起きたのは学園に入学してしばらく経った頃。

マティルデはすぐにモニカを見つけた。

モニカはあまりにも眩しい光を纏っていた。

明らかに危険人物であるモニカを遠目に監視しているうち、彼女の目がリヒャルトを追っていることに気付いたマティルデはゾッとした。

なるべくリヒャルトと共に行動し、鉢合わないように誘導したにも関わらず、モニカの周囲が余計な気を回したせいでリヒャルトとモニカを会わせることになってしまった。


それがモニカの恋情を加速させたのは言うまでもなかった。

モニカからリヒャルトに流れ込む光の波はリヒャルトの心を歪め、ゆっくりと、マティルデから離れていった。

世界はモニカの都合のいい世界へと、過去の歯車さえも組み替えて、ゴトゴトと音を立てて回り始めていた。


邪魔者である婚約者のマティルデが排除されるのは時間の問題だった。

マティルデは必ず誰かと行動を共にするようにしたが、誰もいないときに限ってモニカが通りがかってはなにもないところで派手に転んだり、階段を踏み外したりして、周囲は婚約者を取られたことを妬んだマティルデがやったのだろうと噂し始めた。それは健気なモニカが否定するほどにモニカの人気を押し上げ、反比例するようにマティルデの立場は悪くなった。

ある時は仲がいいわけでもなかった取り巻きがマティルデのためなどと嘯き、勝手にモニカをいじめようとた挙句、モニカを慕う生徒に捕まるなどということもあった。そしてその黒幕には当然のようにマティルデが挙げられた。


すべての物事がパズルのピースを嵌めていくように、ひとつの終結に向かって進んでいた。

この頃にはもう、マティルデを見るリヒャルトの目は、冬の氷のように冷たく凍りついていた。

あまりの怒りに、マティルデはモニカを殺そうと思った。

なにも変えられないならと開き直り、ビビ達に協力してもらいモニカの暗殺を企てたが、それさえも仕組まれた脚本(シナリオ)の一部のように、鮮やかなほど見事に失敗に終わった。

そして上手く身を隠したビビ以外の全員が捕らえられ、マティルデもついに監獄に収監された。

監視をすり抜けてマティルデに会いに来たビビに、みんなを助けて欲しいとお願いした。

タイムリミットは、卒業を祝って開かれる舞踏会。

マティルデは卒業後すぐに城の離宮に住居を移し、リヒャルトの立太子に合わせて式を挙げ、本格的に皇妃教育を受け始めることが決まっていた。

おそらく、卒業してしまえば、マティルデとの婚約は破棄され、リヒャルトはモニカと婚姻を結ぶのだろう。

モニカがねじ曲げ続け歪めたものが、正しい形となって完成してしまうのだ。


だからこそ、舞踏会の終わりを告げる0時までに、なんとしてもリヒャルトの心を取り戻さなければならなかった。


ビビにはみんなに計画を伝える役割も与えた。

ビビは半泣きだったし、可哀想とも思ったが、頼れるのはビビしかいなかった。もちろんマティルデは微塵もビビの失敗を考えていなかったが。


そして決行の日まで、マティルデは少しでも警戒を緩めるため無害に見えるように、ひたすらジッとして過ごしたのだった。


そして殴り続けた歯車は少しずつ歪みを広げ、噛み合わせを外していく。

だが、それが思いもよらぬ方向に回っていたことに、誰が気付けただろうか?

ゴトリ、と、無機質な音が響いた。



「すまない……すまない、マティルデ……わたしはお前をっ……!」

「リヒャルトさま……」


「……離れてください、この浮気男っ!」


細い肩がふたりの身体を引き剥がした。

瞠目するリヒャルトをキッと睨み付けたモニカは、庇うようにマティルデの肩を掴み、そっと両手をすくった。


「マティルデさま、駄目じゃないですか……!

おとなしくしていてくれれば、私がもっと上手くやりましたのに!」

「……は?」


意味のわからない言葉にマティルデは困惑する。

モニカは哀しげに眉を下げて、マティルデの手を握り締めた。


「可哀想なマティルデさま……婚約者に浮気されて、みんなに悪者にされて。私はずっとマティルデさまじゃない言ってるのに、みんな、勝手なことばっかり……!

私、リヒャルトさまのこと一目見て素敵だなって思ったけど、こんなに綺麗で優しいマティルデさまが婚約者なら仕方ないよねって気持ちにふたをしました……

それなのに、急にリヒャルトさまが私に声を掛けてくるようになったんです。私、びっくりしたけど、お話しできるだけでも嬉しくて。

でも、なんだかマティルデさまに悪いなって思ってて……

思ってたけど、私引き取られる前は平民だったし、リヒャルトさまを追い返すのも出来ないしって言い訳して、リヒャルトさまと過ごす時間を楽しんでました。

でも、ある時、リヒャルトさまが私を抱き締めたんです……優しくギュッて抱き締めて、耳元で好きだって……私、その瞬間にリヒャルトさまへの気持ちがスッと冷めちゃいました」


モニカの赤い瞳が陰り、視線が床に落ちる。

マティルデはただ茫然と、溜め込んでいた膿を吐き出すように語るモニカの言葉を聞いていた。

モニカがふいに強い瞳でマティルデを見上げた。


「だから私、決めたんです。

こんな最低な男は、マティルデさまには相応しくないって。

私がこの男からマティルデさまを救ってあげようって!

マティルデさまにはつらい思いさせちゃうけど、こんな浮気男より絶対にいい人がいるはずだって、きっとわかってくれるって信じて、頑張りました。

でも、マティルデさまが私を殺そうとしてまで、この男のことを想ってるなんて思わなくて……まさかマティルデさまが監獄に入れられちゃうなんてって、とってもびっくりしたんです。

それでも計画は予定通り、婚約破棄の成功を目指しました。

もし私を殺そうとした証拠が出ても、私が否定してこの人にお願いすれば、きっとマティルデさまは罪には問われないですよね?

そうしたらマティルデさまも監獄から出られて、新しい恋を見つけられるじゃないですか。

この人は浮気するような最低な人だけど、それ以外はいい人だから、結婚してあげてもいいかなって思ってましたしね。

ねぇマティルデさま、この人は脱獄してまで会いに来るような人じゃないですよ? 浮気されて、あんなにつらい目に遭わせたのに、まだ信じてるんですか……?

この人、私に接吻(クス)までしちゃったんですよ?」


無自覚というのは、罪だ。

マティルデはこの時強くそう思った。


ただ生きているだけで影を引き寄せてしまうエルと同じで、モニカも引き寄せたくて光を集めているわけではない。

それでも。それでも、マティルデは、モニカを許せなかった。


思い切り腕を振り上げ、モニカの頰を張る。

広いホールにパンッと高い音が反響した。


勢い余って床に倒れたモニカに馬乗りになり、髪を掴んで頭を上げさせた。


「私の心は私のものよ。

あなたにも誰にも決めさせない。次に私の愛する人を奪おうとしたら、私はあなたを、たとえ地獄に落ちても追いかけて、追い詰めて、ぶっ殺すわ。わかった?」

「あ、あ……」

「わ か っ た ?」

「はいぃっ……!」


モニカの髪を離して立ち上がろうとすると、遅れてやってきた足の痛みによろめいた。

いつの間に近くにいたのか、ギィがそっと肩を支えてくれる。同時に足に抱き付いてきたビビはわんわん泣いていた。

肩にナイフが刺さったままのリヒャルトは、すでに兵士達によって担架を用意され、運ばれるところだった。


「リヒャルトさま……」

「ルディ、大丈夫……あの程度の傷ならすぐに治る……」


マティルデは頷いて、ギィの金属質な胸に身を預けた。



透き通った空に色とりどりの花びらが舞う。

予定より数年も遅れて挙げられた結婚式に、民衆は弾けんばかりの盛り上がりを見せていた。


控え室で支度を終えたマティルデは、泣いている三人を困ったように鏡越しに見つめた。


「ねぇ、ちょっと、いい加減泣き止みなさいな」

「うわあああん! あるじさま、とっても綺麗なのです! 世界一なのですぅ!!」

「ばっかお前、うちの姫さんだぞ! 宇宙一に決まってるだろ!

ああー! 俺も姫さんと結婚したい! いっそ姫さんの腹に宿って産まれ直したい!!」

「それはさすがにキモいぞ、エル……

お嬢様、いえ、皇太子妃殿下。あたしはこれからもあなたにお仕えできることが本当に、本当に……ううっ……」

「ねぇ、ルディ、もう着替えてもいい……? この服すっごい窮屈……」


マティルデはため息をついた。

その時、控え室の扉が開いた。


「なにやら賑やかだな」

「リヒャルトさま!」


リヒャルトはマティルデを見ると、愛おしげに表情を緩めて微笑った。


「嗚呼、とっても綺麗だ、マティルデ。

たとえ月の光を集めて編んだ衣を身に纏おうとも、君の輝きの前では霞んでしまうのだろうな」

「ふふっ、衣装(クライト)などなんでもいいのです。

今日この素晴らしい日に、あなたの瞳の色を纏えたことがなによりも幸せですわ、リヒャルトさま」

「わたしもだよ、マティルデ。

君の髪の色の礼装(スモーキング)に、瞳の色の手巾(ハンカーチーフ)

まるで君に抱き締められているようで、もうずっと胸が張り裂けそうに熱いんだ」


手を取って見つめ合うふたりに、不躾な咳払いが割り込んだ。


「あー、皇子さんよ、なにかうちの姫さんに用があったんじゃねぇですか?」

「おおっ、そうだった」


わざとらしく手を叩くと、リヒャルトはソファでだらけているエル達に目を向けた。


「これから親族らが挨拶に来るので、君達は居辛ければ控え室に戻っているといい。時間になったら迎えを遣る。

もちろんその辺を散策していても構わないぞ」

「あー、了解です。

おら、ギィも行くぞ」

「えー……」


フラン以外の三人が出て行き、挨拶を済ませた後、リヒャルトはマティルデの両手を握り髪にそっとキスを落とした。


「マティルデ、あの日、君が目を覚まさせてくれなければ、わたしはあの月夜に交わした約束を破ることになっていただろう。

かけがえのない君を傷付けてしまったという痛みは、永遠にわたしの胸に刻まれたまま消えることはない……

その傷をもって、もう二度と、君を傷付けることはしないと誓おう。わたしがこれを破ることがあれば、君の手でこの胸を裂き、わたしの心臓をえぐり出してくれ」

「リヒャルトさま……」

「夫婦の誓いの前に、これだけは伝えておきたかったのだ。

何があろうともわたしの心は君だけのものだということ。それだけは覚えておいてほしい」


もしもマティルデがモニカの光を見ることの出来ない人間だったなら、リヒャルトの心変わりを嘆いていただろうか。

リヒャルトはマティルデが己の目を覚まさせたというが、実際にはリヒャルトの心が抗い続けたからこそ成った覚醒だった。

光が収束したあの瞬間、モニカの運命を変える力は、マティルデにとっても予想外の方向に働いた。


"愛するモニカを凶刃から救う"のではなく、"マティルデに人殺しをさせるわけにはいかない"という方向に。


もしあの時マティルデがモニカを殺してしまっていたら、こうしてリヒャルトと婚姻を結ぶことは出来なかっただろう。

それでもあれだけの騒ぎを起こしたせいで、諸々の事後処理を済ませて式を挙げるまでに、数年も掛かってしまったが。

結果的には婚約破棄を阻止し、リヒャルトの心を取り戻せたのだから、本人達は些細な問題だと思っている。


あれからモニカは自身の能力を自覚し、力を制御する術を学んでいるらしい。


良いことも悪いことも、引き寄せてしまう力なんて持つべきではないのだ。

人の心は思い通りにならないからこそ、手に入れる価値があるのだから。


マティルデはリヒャルトの胸にそっと手を添えた。


「リヒャルトさま、私の心はもう、あなたと共に在ります。

あなたの心臓をえぐるのは、私の心臓をえぐるのと同じことですわ。

私にそんなことさせないでくださいませ」

「マティルデ……」

「私は、あなたを取り戻すために脱獄するような女ですのよ?

何度傷付いても、あなたの心が離れても、どこまでも追いかけて、きっと捕まえてみせますわ。

愛しいリヒャルトさま。覚悟なさってね」


にっこりと笑うマティルデに、リヒャルトは呻いて天を仰いだ。


「嗚呼、もう、君が可愛すぎてわたしは身が保たない!

愛しいマティルデ。今夜は覚悟しておくことだ」


やられた! とマティルデは思った。

こういったことに免疫のないマティルデは、真っ赤に染まった頰を隠すように俯いて、上目遣いにリヒャルトを睨んだ。


「……の、望むところですわ!」


透き通った空に色とりどりの花が舞う。

祝福の鐘が、いつまでも鳴り響いていた。

ありがとうございました。

外伝を更新していますので、もしご興味がありましたらそちらもお立ち寄りくださいませ。

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