三時間の客
「マリアちゃん、90分ダブルで入った」
「はーい」
事務所の電話が鳴った瞬間、持ち込んだゲームをセーブして、仕事用メイクを直していた。
時間は午後11時少し前。
北の港町にある出張型風俗店の支店事務所。本店は政令指定都市にある。
今、事務所には私しか居ない。
他の娘はフリーと指名の客に入っていた。
私も含めた2人は本店から半月の出張で来ているが、今日は地元(と言っても50キロくらい離れた隣町)の娘もいる。
「どんな要望?」
これから派遣される客の事前情報を聞く。
「若くてスレンダーな娘がいいんだって」
おー!ノー!なんてこったい!
「ワタクシ、若くもなく、スレンダーでもありませぬが?」
電話番のふくよかな女性、神尾さんにちらっとイヤミを言ってみた。
「うん、大丈夫。私より若いし、細いし、まだまだイケる」
…なんだ、その自虐ネタは。
「いやいやいや、そういう問題?」
神尾さんは回転椅子をくるんと回して、右手の人差し指を頰に当て、シナをつくる。
「だってぇ、ウチの店ってぇ、若い子は結構ガタイいいし〜?スレンダーな娘はマリアちゃんと同い年だし〜?」
うーわ、さりげに店の娘をディスってますけど?
私のことも居ない時になんか言われてそう。怖いわー。
まぁ、今から行って、チェンジになっても、誰か戻ってくるし、店としては三時間の客を逃したくないってことか。
「チェンジありきで、とりあえず行きますわ」
支度を終えて、立ち上がる。
さぁて、出陣だ!
ラブホの部屋のドアを開けた客を見て、丁寧に頭を下げる。ゆっくり頭を上げて、目を見て挨拶をする。
「今晩は。アモーレから来ました、マリアです」
要望が合っていない客には、丁寧な対応を心掛けている。
客は目をそらして、困った顔になった。
「…えーと…なんか、ちょっと…」
「ご要望とは違いましたか?大変申し訳ありません。チェンジでよろしいですか?」
営業スマイルは崩さない。そして、ガッチガチの丁寧語にはしない。それが私のポリシー。
店用の携帯を出すと、客は「…いや、やっぱお願いするよ」と困った顔で笑った。
よし、三時間だぜ、ヤッホーい。
私は何故か、チェンジ率が低い。
要望が全然違っても、客の大半は妥協してくれる。理由はよく分からないが、多分ポリシーのお陰だと思う。
だから、店は私が居たらとりあえず行かせてみるらしい。
でも、チェンジされないワケじゃないし、チェンジくらったら、軽く傷付くんだけどね。
部屋に入り、前金を受け取ってから店に連絡した。
客が冷蔵庫からビールを出してきて「飲む?」と聞いてきた。
有り難く受け取って、客の持つビールと乾杯。
客は松岡と名乗り、「飲み屋のお姉ちゃん達には『松っちゃん』と呼ばれてる」と軽く自己紹介してくる。
きっと、そう呼んでくれって意味だろうと理解した。
「俺の話を聞いてくれるかい?」
え?
なんか面倒くさい系の人っぽい?
うわぁ、やだなぁ。
取り敢えず、営業用の満面の笑みで頷いてみた。
ビールまで頂いたしね。
「松っちゃんは何か悩み事でもあるんですか?」
松っちゃんは、ポツリポツリと話し始めた。
数年前、子供が生まれた直後に離婚された。
子供と会ったのは、生まれた時の一度きり。
前妻は里帰り出産で、子供と一緒に実家に帰り、暫くして一方的に離婚を宣言された。
「え〜?なんかヒドイですねー」
ほうほう、なるほど。
よくある不幸系の自慢話ね。
ビールを飲みながら、適度に相槌をうつ。
松っちゃんは、『我が意を得たり』みたいな顔をして、話を続ける。
「養育費も慰謝料も要らないから、二度と会わないで欲しい」と言われた。
最初は意味が分からなかった。
浮気も暴力もない。仕事も責任ある立場になって給料も上がったのに、なんで?と、何度も電話で話すが、最後は前妻が泣いて話し合いにならない。
埒があかないから、三度くらい飛行機を使って前妻の実家も訪ねた。
「彼女は『自分がわがままだから』としか言わなかったんだ」
話し合いは平行線のまま、会いに行っても子供には会わせてくれなかった。
日が経つにつれ、精神を病み、何もかもどうでもよくなった。
結局、言われるがまま、離婚を受け入れた。
「…理由も分からないのに、離婚したんですか?」
離婚したい理由も分からないのに、子供が生まれたばかりで離婚とか、変な人だなぁ。
私なら、相手の浮気を予想するけどね。お人好しなのかな?
松っちゃんは、私の問いには答えず、話を続けた。
離婚騒動のショックは仕事にも影響を与えたらしく、離婚から半年も経たずにクビになった。
再起するまで半年かかったが、なんとか前職の伝手を頼って、共同経営者を見つけて事業を立ち上げた。
いつか子供が会いに来てくれるかもしれない。
憎みあって別れたワケじゃないから、前妻も戻ってくるかもしれない。
「彼女たちがいつ来ても大丈夫なように、生活を整えておこうと思ったんだ」
3年ほど経ったある休日、交通事故に遭った。
頭部損傷で障害が残る可能性があった。
松っちゃんの家族が頼んで、共同経営者だった人物が全てを引き継ぎ個人事業主になった。
意識を取り戻して、家族から会社の顛末を聞き、また全てを失った気がした。
自暴自棄になり、家族にも八つ当たりした。死にたくなった。
「でも、結局死ねなかったんだよ」
松っちゃんは寂しそうに笑った。
取り敢えず、松っちゃんの不幸な自慢話は、やっと終わったらしい。