プロローグ(1)
ちょっと興が乗ったので書いた短編を掲載します。
更新は不定期ですので、あしからず。
午前零時を五分前にして、石原正哲はVR機器の電源を入れて、全身の力を抜いてログインを待つ。
すぐに変化が訪れた。
視界がブラックアウトする。
全身の感覚を喪失して、すぐに焼けるような熱を脊髄に流し込まれるような不快感が襲う。
否、これが不快感に思えるのは初心者だけだ。
正哲はもう、これが快感の予兆にしか思えなくなっていた。
視界が真っ赤に染まる。
趣味の悪い赤い空。
夕焼けなどではない。
太陽のような光源のない、しかし血のように鮮やかな真っ赤な空は、危険を告げるアラートランプのようだった。
……危険なのは間違いないがな。
正哲がこれからログインするのは、まっとうなVRゲームではなかった。
◆
セックス、ドラッグ、バイオレンス。
この世のあらゆる欲望がVRの世界にはあった。
現実では味わえないハードコアなそれらは、すぐに法規制されたが、ゆえに地下に潜って続けられた。
警察は血眼になって取り締まろうとするが、ヴァーチャルの出来事だ。
現実の犯罪の方がよほど優先度は高く、規制はされたものの実質、無法地帯となっていた。
アンダーグラウンドVRコロシアム。
略してアングラコロシアムとはそのままだが、知る人ぞ知る殺人の聖地だった。
ここでは毎夜、人が殺される。
もちろんヴァーチャルでのことだ。
本当に人が死んだら、国家権力が黙ってはいないだろう。
石原正哲がそのコロシアムの中央に降り立ったとき、今夜の祭典が幕を上げた。
◆
正哲の相手は少女だった。
年の頃は十五を下回るくらいか。
だが少女の外見はアバターにすぎない。
中身は中年男のロリコンかもしれないのだ。
だから、遠慮なく正哲は腰の刀を抜いた。
日本刀、もちろん刃引きなどしていない真剣だ。
ヴァーチャルなのだから、帯刀に免許は不要。
サーバーは日本にあると言われているが、ここでは銃の携行も許されている。
対して少女が抜いたのはナイフだった。
腰の後ろ、尻の上に交差した鞘があったらしい。
両手にナイフを逆手に握り、少女は無表情のままで、立ち尽くしていた。
……まるで隙だらけだ。
正哲は不快に思いながら、今日の趣旨は少女を惨殺することだと判断した。
今回のギャラリーは悪趣味なリョナラーなのだろうか。
……いや、油断は禁物。
正哲は目の前の少女アバターの中身が素人ではないことに気づいた。
表情が動かないのはアバターの設定でどうにでもなる。
しかし視線が自分の全身を余さず捉えているというのは、どう考えても戦いに慣れている証拠。
……どうせ、中身は軍人あたりだろう。
今日の趣向は油断した正哲を少女が一方的に蹂躙するというものなのかもしれない。
そう考えた時点で、手加減は不要になった。
たとえ目の前の少女が外見通りの少女で、ただこの悪趣味な場で苦痛を与えられるだけのために呼ばれていたのだとしても関係ない。
知らなかった。
ただそれだけが免罪符となる。
だからここでは許されるのだ。
殺すことが。
少女を斬殺することが。
その柔肌を刀で切り裂くことが。
許されているのだ――。
◆
勝負はあっけなかった。
やはり中身は軍人崩れか何かだったのだろう。
ロシア製のシステマがインストールされていたようだが、プログラム通りの型では正哲の斬撃を凌げない。
むしろ格好の餌食だった。
何やらナイフで突いて来たので、軽く首を刎ね飛ばしてやったら激痛に苦悶の表情を浮かべ、少女の形をした顔は涙ながらにアメリカ英語で「もうやめてくれ」などと言い出したから興ざめだ。
首を除いて五体満足な身体の方を思う存分に蹴り、肋骨が折れる感触を確認してから正哲は少女の顔をした首を見下ろして言った。
「ここに来るには十年早い。全年齢のVRMMOをやりこむことをオススメするよ。ウスノロすぎてアクビが出るかと思ったぜ」
正哲はギャラリーに手を振り、コロシアムを後にした。
少女の首が胴体と離れた時点で出口の鉄柵は開いていたから、そこから外に出る。
刀を血振りをして鞘に収め、ストレージに収納する。
……現実にもあればいいのにな、ストレージ。
いやあったら違法物品の持ち込み、し放題か。
「石原さん、今日も圧勝でしたね!」
「本名を出すなアガタ。ここではクロムだ。なんのためのアバターだと思ってる」
アングラVRワールドで石原正哲、とはさすがに名乗れない。
今の正哲はクロムと名乗っていた。
「クロムさん、飲みませんか。ちょっとお頼みしたいことがあるんですよ」
アガタはスーツにネクタイ、由緒正しきビジネスマンスタイルだ。
それだけに胡散臭い。
ここでは腰に日本刀、トゲトゲのついた革のジャケット、鎖を巻いただけ、など世紀末のような格好が当たり前だ。
フォーマルな格好は浮く。
正哲のアバターであるクロムも、腰の刀をしまったとはいえ紺色の着流し姿だ。
ギャラリーからはサムライスタイルだのと持て囃されているが、正哲にはバカにされているようにしか聞こえなかった。
「酒か。それともドラッグの方か? 悪いが明日は仕事だから、どちらにせよ、そう遅くまでは飲めないぞ」
「小便なぞどうですか、女の。カクテルにして飲める会員制のクラブがあるんですが、最近、入れるようになれましてね」
「趣味じゃないな」
「では無難に酒にしましょう。クラブ・ヴィ・ストリングで」
アガタの挙げたクラブは、Vストリングという卑猥な水着を着た美女アバターが酌をしてくれる彼好みの店だ。
アガタはこのアングラVRワールドに性的な楽しみのために来ているので、趣味というか行き先が偏っているのだ。
「俺にそういう趣味はない。そうだな……烏天狗にしないか。日本酒を飲みたい気分だ」
「分かりました。払いはこちらで持ちますよ」
「珍しいな、そういうのは」
「頼みがあるって言ったじゃないですか」
「聞くかは保証できんぞ」
「まあまあ。どうせ大した額じゃないんですから。お気にせずに」
電子データの酒だ。
確かに高価で希少な日本酒を再現しているが、一升飲んでも百円程度にしかしないだろう。
現実ならば万札が飛びかねないが。
◆
烏天狗は満席だった。
仕方無いのでアガタオススメの店にするが、例の女性の尿を飲む店に連れてこられたらしく、外観で判断できなかったことを正哲は悔やんだ。
「おいアガタ。趣味じゃねえって言ったよな? お前の耳は飾りか?」
「いえそんな。味の方はまっとうなんで、気にせずどうそ楽しんでくださいよ」
笑顔満面で女性の元へ向かうアガタ。
タダ酒のためだ、この際、どのように提供されようが知ったことではない。
女の一人に声をかけ、メニューを持ってこさせる。
「カクテルを出す店だったのか。じゃあブラッディマリー」
「かしこまりました」
なにやら虚空でメニューを操作した女は、ふたりの女性アバターを席に招き寄せた。
それぞれ正哲から見えない角度でスカートをたくし上げ、氷の入ったマドラーにウォッカとトマトジュースを注いだ。
ふたりの女性アバターは立ち去り、女がマドラーをシェイクしてカップに注ぎ、レモンの輪切りを添えて完成したブラッディマリーを俺のテーブルに置いた。
狂った店だ。
考えたやつは正気の沙汰じゃない。
「ブラッディマリーです。おつまみなどは何か用意しましょおうか?」
「…………任せる」
アガタの方を見ると、スクリュードライバーらしきカクテルを飲んでいた。
口元からこぼれた黄色い液体がスーツの襟元を汚したが、メニューをいじってすぐに綺麗に直した。
「どうですクロムさん。なかなか良い店でしょう」
「お前の趣味には付き合いきれん。とっとと要件を言え。聞いたら帰らせてもらう」
なんとなく血尿にしか思えないブラッディマリーをちびりと口に含み、つまみとしてだされたローストピーナッツをかじる。
「クロムさんってコンシューマーはやりますか?」
「いや、最近はほとんどやらんな。VRならここで十分だ」
「そうですか。実はですね、弊社が新しいゲームを出すことになったんですが、クロムさん、よろしければやってみませんか?」
「お前の会社? 確か人気作が出てたはずだな」
正哲はアガタの素性を思い浮かべた。リアルでは真面目なサラリーマン、いやゲームクリエイターだったはずだ。
「前のプロデューサーが降板したんで、持ち上がりで私がプロデューサーなんですよ。クロムさんみたいな人がゲームを牽引してくれると、弊社としてもありがたいのですが」
「出世していたのか? おめでとう」
「肩書だけですよ」
謙遜しながら、アガタは肩をすくめた。
いやもしかしたら謙遜ではなく、実際に肩書だけで対して待遇は変わっていないかもしれない。
ここでのストレス発散の様子を見る限り、その可能性が高そうだった。
「どんなゲームだ? あまりファンシーなのは性に合わないぞ」
「あ、そこは大丈夫です。正統派ファンタジーですよ。前作が好評だったんで、それを受けて似たようなテイストの新作が出ることになったんです」
「ふうん。タイトルは?」
「『ナロウ転生』っていうんですよ。今度ゲームサイトでも覗いてください。PVが見れるはずです」
「うむ。まあいいや、調べてみるよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ俺は明日があるから」
「あ、お疲れ様です」
正哲はログアウトした。
……確かアガタの会社でヒットしたゲームは十年ほど続いたコンシューマーの名作だ。
その会社から出る新作のプロデューサーがアガタというのは少し面白かった。
あの変態がどんなゲームを作るのか、少し興味が湧いた。