24,『理解できないよね?』
結局、ジークの目の前に冬月、冬月の右側に阿星、左側に世悧、その背後の地べたに駆麻が寝ている、という状態で『お話』が始まった。
まあ先ほどのやり取りで、ジークとの距離感がなんとなくつかめた気のする冬月は、単刀直入に尋ねてみた。
「それで、君が聞きたいことって何?」
直球だな!? という視線を左右からもらったが、無視した。
「あはは。そりゃ決まってるでしょ? 儂を襲った呪術の使い手のこと、兄さんら、知ってるよね? 教えてよ?」
何で知ってる前提なんだ、この龍王……? という疑問が渦巻いたが、冬月はやや考え、ちらっと世悧と阿星を見た。すると二人からは、(隠し事はしない方がいいだろう)という視線が返ってきたので、正直に話す。
「それは、呪術師・羽異だと思うよ。紫がかった赤髪に、金色の眼をした男だ」
血色の瞳がぎらぎらと光ったが、冬月はそれには言及せず、「僕も聞きたいんだけど、」と続けた。
「ジーク、君は一体、どこまで記憶があるんだ? それに、呪術をかけられるほどの距離までに人間に近づかれるなんて、普通ならあり得ないだろう?」
お前、グイグイ行くな? という視線が左右から刺さったが、やはり無視した。ジェタもそうだが、『龍王』という肩書にいつまでもビビっていたって仕方がないのだ。ジェタもいったん会話を始めれば、案外普通に受け答えするし、むしろあの東龍王よりも聞く耳を持っている様子が見受けられるジークならば、この程度は問題ないだろうと思う。
案の定、冬月の問いに気分を害することなく、ジークは思い出すように視線を斜め上に投げながら、顎に手を当てる。
「それがさあ、なぁんか、『歌』が聞こえてね? 急に動けなくなっちゃんだよね? そっからは記憶が曖昧でねえ、すっごい暴れたような気がするなぁ?」
あはは、とジークは笑っているが、そこに含まれる怒りは本物だ。冬月たちに向けてではない怒気であっても、三人はやや身を強張らせた。けれど動かずに、じっとこらえる。
「『歌』? どんな歌?」
「あ、やっぱり度胸あるなあ、兄さんたち?」
真面目に言葉を返した冬月に茶化すような口調で試すようなことを言うジーク。しかしとりあえずそこは適当に返して、本題へと話を戻す。
「度胸がなくちゃ君に挑めるもんか。そんなことより、続きを聞かせてよ」
あえてずけずけとした口調で憮然と言った。左右から、(お前、マジ度胸の塊だなっ……!)みたいな賛辞の視線が送られてくるけど、話が進まないのでそれも無視することにした。
「歌詞は覚えてないんだよね、知らない歌だったし? けど、曲自体は知ってるものだったんだよ?」
焦らすように含み笑うジークに、冬月は眉をひそめた。それでも辛抱強く、先を促す。
「知っているっていうのは、君たち南龍が、ってこと? それとも、龍ならどの一族でも知っている、っていうことなのかな?」
「ああ、龍ならみんな知っているんじゃないかな? 子守歌みたいにそれを聞いて育つんだよね、ずっとさぁ。なのになんでだろうねえ、あの時、儂は金縛りみたいに固まっちゃってね? 初めての感覚だったなあ?」
どこか懐かしむような調子だったのが、ふと硬質さを帯びて、少年姿の龍王は告げる。
「……その曲はね、儂らの間だと、『男神の楔』って呼ばれているよ?」
ジークの血色の瞳が、すうっと細まって、ことさらゆっくりと告げられた言葉で、冬月は鳥肌が立つほどに戦慄した。
『男神の楔』。初めて聞く曲名だった。その歌を、冬月は知らない。阿星と世悧の顔を見ても、やはり知らないのだろう。けれどそれは、ジークいわく龍を、……龍王すらをも、縛った歌だ。
(嘘をついている様子はないし、ジークがそうする理由もない。なら、それによってジークが体の自由を奪われた、ってのは、本当なんだろう)
歌。龍王を縛るもの。呪術師・羽異。協力者の存在。……ああ、それは、まさか。
「まさか、……その『歌』は龍使いが謳ったのか?」
歌でそんなことができるなんて、冬月も阿星も知らない。知らないけれど、これまでの情報をつなぎ合わせれば、そうとしか考えられなかった。
目の前のジークは、笑っている。
「そうかもね? 儂は見てないし、儂の一族も見てないって言ってるけどね? それに、さっきも言ったけど、儂はそれから先のことは正直あまり覚えていないんだよ? だから正確なところはわからないなあ? ……朧な記憶だと、儂や儂の一族のことを使って、好き勝手されたみたいだけどね?」
笑みを浮かべ、軽い口調で、苛烈なまでの感情を揺らめかせる。ジークは、『正確なところはわからない』といいつつ、龍使いが関わっていることを確信しているようだった。ただ相対しているだけで、息が苦しくなりそうなほどの圧迫感を感じる。冬月はいったん口をつぐんだ。
これ以上、『ジークを縛った歌を謳ったのが、龍使いか否か』の問答は、意味がない。そもそも冬月たちもほぼほぼ、龍使いの関与を確信している。否定の材料がないならば、南龍王の意思を覆すことはできない。
ならば今、冬月たちがすべきことは、無意味な問答ではなく、南龍王・ジークがどう動こうとしているのかの確認、なのだ。
数度、つばを飲み込んでどうにか、震えを押し殺す。
「——君は、人間や龍使いが、」
冬月は問う。ジークは彼女の瞳を真っ向から見つめている。
「憎い?」
空気が凍り付く。けれども目は逸らさなかった。
沈黙は、覚悟していた。人間で、龍使いでもある冬月がそれを問うことは、自殺行為に等しいのかもしれない。もっと婉曲な言い回しで、言葉を選ぶべきだったと、阿星や世悧に叱られそうだ。それでも、まっすぐな言葉で、尋ねたかった。
人は、愚かだと。醜く、浅ましいのだと、知っている。自分もそうだと、判っている。それでも、人間が、龍使いが、この王の誇りを穢したことで、ジークが人間の全てを判断するのは、ひどく苦々しく、危うく、そして悲しいと思った。
だからこの純粋な龍の長に聞かずにおれなかった。遠回しな言い方はしたくなかった。それでは、応えてくれない気がしたのだ。
けれど、そこで返ってきた答えは、想像よりも軽快だった。
「——あははっ。『人間が憎い』、と言えば語弊があるかな? 儂はね、人など取るに足りない存在だと思っていたんだよねぇ」
それは、ただの事実を告げる声だった。
「下らないと、愚かだと思っていたんだよ? だって、同じ人間同士で争ってばかりいるし、平気で虚偽を振りまき裏切るみたいだし、理解できないよね? 儂らにとって、裏切りも虚構も、ましてや殺し合いなんて、一族の間では起こりえないものなんだよ? 縄張りを争う理由が見つからないしね?」
——人間って、すっごいくだらないことばかりしてるよねぇ? そう言ってジークは不意に上向き、宙を仰いだ。
「だから軽んじていたのは否定しないかな? そもそも儂は、脆くて弱くて愚かな生き物に、そんなに関心なかったんだよ? 憎む価値もなかったっていえばいいかな?」
冬月は、ただ静かに、ジークを見返す。
「……『軽んじていた』、『関心がなかった』『憎む価値がなかった』……。過去形、なんだね」
ぴくり、と阿星たちの肩が動いたが、彼らは沈黙を守ってくれた。そのことに深く感謝する。
「あはは、兄さんはやっぱり度胸あるね? 良く気付くし、それをそのまま儂に聞いてくるなんて! けど、『過去形』になって当然じゃないかな? 今回儂がしてやられたのは油断で、不覚だったけど、だからって許されるわけないよね? もちろん気に入らないし、儂を操った人間は殺そうと思ってるよ?」
ジークは、笑む。憎悪と憤怒をたぎらせた瞳で、残忍で酷薄な笑みを口に佩き、至極楽しげに言葉を紡ぐ。冬月はきゅっと唇をかみしめた。
そこで、ジークがなぜか、そっと手を伸ばし、冬月のほほをゆるりと撫でたから、息を飲む。
「でも、儂は見境なしではないんだよ? 分別くらいあるつもりなのさ。だって、……儂を侮辱したのが人間と龍使いなら、儂を解放したのも、兄さんたち、人間と龍使いだから、ね?」
ささやくように、ジークは言った。
「だから、兄さんたちに免じて、『人間そのもの』は憎まないであげるよ」
その言葉に、ひどく間近にある血色の瞳を覗きこむ。宝玉のように美しいその表面に、冬月の顔が映り込んでいるのが見て取れた。そうして、冬月はただ、その心情を測るまねごとをする。
数秒。
「……そう、ありがとう、ジーク。僕は信じるよ、君を」
そうして、浮かべたのは確かにほほ笑みだった。左右から、ほんのわずかに動揺したような気配を感じる。今度は無視せずに、冬月は彼らを振り返った。
「阿星、隊長。二人はどうです?」