22,『その綺羅らかな血色を』
唐突に南龍王の巨躯が傾いで、ズズン……と重い音が轟いた。そして、警戒を解かない冬月たちの目の前で、それは起こった。
——ふわり、と薄紅色の風が巻き起こって、南龍王を取り巻いたのだ。思わず冬月たちが身構えている目の前で、その変化は続く。
そう、それは、冬月にとっては、見たことのある光景だった。なぜならば、赤銅の巨体がみるみる縮んで、……『人型』を成したのだから。巻き起こった砂塵に一瞬目をつぶった瞬間、トン、と軽い音がして、『彼』が地面に足をつけたと知る。
そして。
「やあ、儂は君らの世話になったみたいだね? 龍使いの兄さんたち?」
そんな声が、えらく軽い感じでかけられて、状況も忘れて冬月たちの時間が止まった。
「えっ、まっ、えっ??????」
「……?????」
「は? ……は?」
「……」
世悧は動揺しすぎて問いの形すら言葉にならず、阿星は目の前で起こったことが理解できなくて呆然とし、駆麻は展開について行けずにひたすら混乱している。冬月だけが、微妙な顔で、目の前の『彼』を見ていた。
それから阿星たちを見渡し、自分だけが比較的冷静さを保っていることを自覚する。そして深く息を吸って、意識をパチン、と切り替えた。
……先ほどまで南龍王たちが暴れまわっていたことも、諒填が殺されたことも、自分の心をぐちゃぐちゃに乱されそうになった『忘れている過去』があることも、わかっていて、……わかっているけれど、それでも感情を切り離す。今この状況に至るまでに起こった、駆麻のことも、諒填のことも、疑問は数え切れないほどあるが、それもいったん置いておく。
目の前の『彼』に、どれほどの怒りをぶつけても、何の意味もないし、混乱しているばかりでは話が進まない。むしろ、今目の前の『彼』は暴れ出す様子はないので、下手に機嫌を損ねない方がいい。これは、タラスジェア帝国を含めた南方諸国にとって、またとない好機かもしれないのだから。
冬月は考えながら、スッと手を挙げた。
「よし、ちょっと待っててください、後で話しましょう。先に色々片付けるんで」
「うん? そうかい? なら、儂は一族を下がらせようかな?」
「お願いします」
冬月が普通に会話をしていることに、信じられないものを見るような視線を三人分もらったが、無視だ。とりあえず、目の前の『彼』はジェタより素直に冬月の提案を受け入れてくれたことに安堵した。しかも、南龍は『彼』が何とかしてくれるそうなので、減らしたとはいえまだ森に残っている襲撃者たちを制圧しよう、と冬月は考える。おそらく、これまでのことを考えると、羽異は既に逃げているだろうし。
よって今必要なのは、襲撃者……つまり、操られている帝国兵たちの意識を奪って一か所に集めて、拘束したら手当てをして、呪術を解く、という面倒なお仕事である。そして血だまりに未だ伏している駆麻の手当てもしないといけないし、……諒填のことも、あのままにはしておけなかった。
「待て冬月」
「どういうことだ冬月」
動き出したのを遮るように、阿星と世悧は、そう疑問を投げかけてくるが、冬月は言った。
「ここで『彼』に敵対するのは、得策ではありません。今は、とりあえず細かいことは後回しにしましょう。『彼』、どうもこっちの話を聞く気あるみたいですし、落ち着いて話せる状況を早急に作らないと」
早口でまくしたてれば、渋々ではあるが引いてくれた。彼らも、冬月に負けず劣らず切り替えが早い。今の状態のままで話し合いなどできない、というのは二人も同意なのだろう。
そうして、三人で手分けして、どうにかこの場の状況を整えたころ。空からは雷雨が去り、青さを取り戻している。地面の炎は鎮火し、黒く焼け焦げが残るだけだ。操られた帝国兵たちは、どうにか拘束して手当まではしたし、ギリギリ全員生存していたのはよかったのだが、人数が多すぎて、呪術の解除は冬月への負担がかかりすぎる、という判断で、今は各々眠ってもらっている。
諒填の遺体の欠片には、鎮火する前に炎が燃え移り……かろうじて判別できる部分をかき集めて、即席で作った小さな木箱に収めた。錯乱に近い状態だった駆麻も、どうにか手当を受け入れてくれて、今は崩れ落ちるように座り込んでいる。
そうして、ようやく冬月たちは、『彼』に向き合ったのだ。すると、目の前の人物はにっと生意気に笑った。
「ふむ? 終わったようだな? なら、こちらにへどうぞ?」
こちらってどこだ、と問う前に、ヒュルル、と冬月たちの体を風が取り巻いた……と思ったら、そのまま体が宙に浮いた。……浮いた!?
「「「「はぁ!?」」」」
四人そろって驚愕の声を上げてしまったが、おそらくこの状態を引き起こした犯人だろう『彼』はニッと笑みを浮かべたままだ。
(なんだろうな……殴りたい……)
冬月は内心そう思ったが、口には出さなかった。害意はないように見えたので、強張る身体から恐る恐る力を抜く。
「儂の部屋も準備ができたからね、招待するよ?」
招待ではなく強制連行では? と冬月たちは思った。『彼』の部屋なる場所に行くのは、正直なところ、結構大分、嫌なんだけれども、明らかに拒否権がない。むしろ返事も必要とされていないのだろう、目の前の『彼』がふわりと浮き上がったかと思うと、その後を追うようにすいーっと冬月たちも宙を移動した。
「これ、おい、なんつーか、……やばいのでは?」
「逆らってもヤバいんじゃないっすかね、たぶん」
「心を無にしましょう。頑張って生還しましょう」
死んだ目で世悧がつぶやき、死んだ目で阿星が応え、死んだ目で冬月が拳を握った。駆麻がその間、うつむいてされるがままになっていたのが気がかりだが、今できるのは大人しくしていることだけだった。
そのまま四人は、南龍王の寝床である洞窟に運ばれる。光の届かないくらい洞窟の奥へ進んだはずだが、所々発光植物が植わっており、視界は案外良好だった。そして奥へ、奥へと運ばれ、たどり着いたのは大きな広間のような場所。
「うわ……これ……」
冬月は思わず、顔をひきつらせた。隣で阿星たちも同じように、ほほを痙攣させている。なぜならば、運ばれたその部屋は、豪奢に飾られていたが、あちらこちらから監視するような南龍たちの気配に満ちていたのだ。背筋に冷たい汗が流れる。
けれど一応、龍たちに攻撃の意思はないようなので、冬月は無理やり、意識を部屋の装飾へとむけた。うっすらと赤い薄布で飾り付けられ、中央奥のやや高くなっている場所には、赤い絨毯と薄赤のクッションが、贅沢に敷き詰められている。
(これ、全部『龍の羽衣』か……)
『龍の羽衣』とは、龍が指先から出す糸からできる布のことだ。基本的に、南龍なら赤系、東龍なら青系と、その龍の体の色を薄くした色をそれぞれ創り出すという。その布は色々な効果を持ってるというが、全ては龍使いの里にも伝わっていない。……まあ、とにかく、龍が作り出すものすごく頑丈で、人間にとっては希少な布、ということだ。それをふんだんに使って彩られているここは……南龍王がくつろぐ部屋なのだろう。
その部屋の中央付近まで風で運ばれたところで、ぱっと解放された冬月たちは、どうにか転ばずに、その場に降り立った。そして目の前の、絨毯とクッションに体を埋もれさせるように座っている『彼』を見上げる。
『彼』は頬杖をついて、笑った。
「自己紹介をしようか? 儂が南龍王、ジークだ」
その瞬間、びりっと空気が張り詰める。龍気は発されていない。ただ、気圧された、それだけだ。
「っ、やっぱり、そうなんですね」
かろうじて、冬月がそう返せたのは、ジェタに慣れていたからだろう。ほかの三人は、予測はしていただろうに、面と向かって突き付けられた現実に、まだ動揺している。信じがたい、というように。龍が人型を取ることも、人語を操ることも、理解を超えていたのだろう。
(……まあ、僕も予想外だったけど……南龍王の人型が、子供だっていうことは)
そう。南龍王ジークの人型が、少年と言える年回りの子供だったことは、阿星たちだけではない、冬月にも驚きだった。否、子供といっても十二、三歳ほどには見えるのだが。
南龍王・ジークの目は、龍の時と同じ血色。その瞳には、狂気ではなく好奇心が煌めいている。癖の強い髪は、鱗と同じ輝く赤銅色。肌は褐色に近く、大きな二重の瞳はやんちゃそうに吊り上がっていて、生意気な笑みを浮かべる口元や徹った鼻筋など、顔だちはジェタ同様絶世と言って良いほど整っている。
南龍の巣のど真ん中、という逃げ場のないところで、冬月は、こちらをじっと見つめてくる、その血色の瞳を見つめ返す。毅然と顔をあげ、視線を揺らさずに、まっすぐ。その澄み切った赤に映っていたのは、探るような深慮と、飾らない好奇心だけだ。
そらさずに、見つめあう。決して偽らず、飾らない互いを。
純粋に、美しいと思った。その綺羅らかな血色を。圧倒される、気高さ。けれどもその目に映る好奇心の強さは、どこか幼さも感じさせる。
(……ああ、似ている)
その幼さは、何処までも己に正直な、あの青い龍王と似ていた。
——そう思った瞬間、知らず、冬月の目が和む。
「子供……? 南龍王が子供……???」
そんな冬月の隣で、ぼそっと呟いたのは阿星だった。その言葉で、どこか緊張が弛緩する。それでも、阿星の声は本当に小さかったのに、眼前の赤を纏う少年姿の龍王にもしっかり、届いていたようだ。
「誰が子供なのかな? 無礼者、儂はこれでも二百歳はいってるんだぞ?」
冗談交じりの口調で憮然とそう言って、ジークは頬を膨らませた。ヤベっと口を自分の手でふさいだ阿星が真っ青になっているが、怒りを買ったわけではなさそうで、ほっとする。
……なんかそのからかい交じりの言動といい、やっぱり、ジークが子供にしか見えないのだが、さらなる突っ込みをするものは誰もいなかった。いやまあ、齢八百の爺のくせに、見た目は青年、中身はストーカーの東龍王もいることを冬月は知っているので、たぶん龍基準では、実年齢と性格と見た目は、何ら連動していないのだろう。
そんなことを思いつつ、慎重に言葉を探す。眼を見開いて、南龍王・ジークを見つめたまま動かない駆麻にも注意を払いつつ、冬月と阿星、世悧はそれぞれと視線を交わした。そして、口を開いたのはやはり冬月だ。
「南龍王、仲間が失礼なことを言って、すみません。……僕は冬月。隣の銀髪は阿星で、金髪の人は世悧さん、茶髪の人は駆麻さんです。あの、僕たちをここに呼んだのは、何故ですか?」
おずおずと名乗りながら、問う。すると今度は、ジークがにっこりと笑んだ。
「あははっ、怯えないでよ? 兄さんたちを殺したりしないよ? だって、なんとなくだけど覚えているよ? 兄さんたちなんだろう、儂をあの忌々しい呪術から解放したのは——」
『呪術』という単語を発した瞬間だけ、その瞳には憎悪が焔のように揺れた。しかしすぐに邪気のない顔に戻る。
「まあ、立ち話もなんだから、腰を据えて話そうよ? ——聞きたいことがあるから、呼んだんだしさ?」
けらけらとそう笑って、ジークは自分の正面をバシバシとたたいた。……いや……たたいたが……この龍王、冬月たちにそこに座れ、と言っているのか……?
(近くない? 近いよね?)
出来ればもう少し、距離が欲しいと切実に思う。だって真正面、しかも机も何もない場所で向き合えと言われているのだ。困る。
「……」
ちら、と冬月は、阿星と世悧と駆麻を見た。駆麻は依然、危うい様子で沈黙していたが、阿星と世悧は青い顔で、眼球がキョドっていた。
(拒否権ないのか? ないのか!?)
(なさそうっす。俺らがそこに座ると当然のように思ってる顔っすよ!)
(……誰が、真正面にいきます?)
冬月たちは視線で会話した。時間をかけることは許されない、し烈な争いだった。……これがジェタ相手ならば何の遠慮もいらなかったのに、と冬月は思った。