19,『その瞬間、笑ったのは、誰だったろう(Side駆麻)』
駆麻は仲間である帝国兵士と連携しながら、森の中で呪術師・羽異と元宰相・諒填を捜索していた。そうはいっても、軽々と移動の呪術陣を多用できる実力者である羽異がいる以上、発見できるかと言えば、困難であることもわかっている。
(けれど、移動の呪術陣は、移動距離が長ければ長いほどに、王気を消費すると聞いた。今、呪術師・羽異は南龍を操るために、大半の力を使っている状態だとしたら……近くに潜んでいるかもしれない)
世悧が狙われたこと、そして冬月たちが今また、南龍の巣へと向かっていること。それらを踏まえれば、近くに潜んでいた羽異と諒填が再度現れ、冬月たちを妨害、ないしは殺害しようとする可能性は高かった。本来ならば、確実なのは、冬月たちと共に行き、そこで待ち構える方法だろう。
(でも、龍と戦えない俺たちが、冬月君たちについて行くのは足手まといでしかない)
郁がそうであったように、駆麻たちを助けようとして、冬月たちが負傷したり、目的が達成できなければ本末転倒だ。
龍使いではない世悧がついて行くことができるのは、彼のこれまでの経験と、冬月・阿星との信頼関係、そして純粋な実力による結果だろう。龍を前にしても、自分の身を自分で守るために動けるだけの力を持った人間なのだ、世悧は。
駆麻は、自分の実力を卑下するつもりはないが、驕るつもりも全くない。これまで、龍を見たことくらいはあるが、間近で相対したことは一度もない自分は、おそらく龍を前にして普段通りに動くことができないだろう。
(それに、たぶん冬月君も阿星君も、自分たちが『龍使い』だ、ということをあまり知られたくないみたいだし)
これまでの旅路でも、駆麻たちが冬月たちのことを察しただけで、ただの一度も、彼らから『自分たちは龍使いである』と明言はされていない。察して余りあるだけの話はしていたけれど、明言だけはされたことがなかった。隠すつもりはないが、明確にするつもりもない、といったところなのだろう。だから、駆麻もあえてはっきりとしたことは聞かなかった。
その距離感は、きっと駆麻への気遣いでもあるとわかっている。おそらく、この件がどんな形であるにせよ終わった時に、去って行く冬月たちと、ここに残る駆麻たちという、道が分かれる未来で、余計なことを知ってしまうことで降りかかる困難が、できるだけ少なくなるようにという、配慮なのだ。
だから、駆麻は何も問わない。駆麻にだって好奇心はあるし、ほんの少しの嫉妬くらい感じないわけではないが、それでやるべきことを見誤るほどに、愚かではないつもりだ。
(だから、俺たちは今、出来ることをやるだけだ)
そう思い、森の中で足を進める。広い森で、あるかもわからないものを探すのはひどく疲れるけれど、集中は切らさないように。
探しながら、思い出す。自分の知る諒填は、優しい人だった。厳しい人ではあったけれども、貴族であることに驕らず、駆麻のような平民出身の兵にも直々に声を掛けてくれるような人だったのだ。
変わってしまったあの方から、目をそらしてしまうほどに、尊敬していた。きっと何かお考えがあるのだと言い聞かせて、盲目的に命令をこなしていた、半年間。
(……『うじうじ後悔してないで、命かけてでも、どうにかするために動きやがれ』、でしたね、世悧殿)
深呼吸をする。南龍の巣に至るまでの道のりで、世悧から聞いた言葉だ。世悧自身も、知り合いからの受け売りだ、と言っていたけれど。それでも、前を向く力をもらったのは本当だ。
駆麻は、やや乱れた呼吸を押さえつける。何度考えても、事実も過去も変わらない。今できるのは、呪術師と諒填の痕跡を探し出すこと。本当は、彼らを発見し、捕縛できるのが一番だけれど。
——そう思って、次の瞬間。
駆麻は戦慄して、素早く身を伏せた。同時に気に何かが刺さった固い音が聞こえる。ちら、と視線をあげると、先ほどまで駆麻の頭があった位置、その木の幹に矢が刺さっていた。ぞくりと、冷たいものが背を走る。かすかな風切り音に反応しなければ、命はなかっただろう。
そして姿勢を低めたまま、駆麻は唇をかみしめる。自分がここにいる理由、先日世悧たちを襲った出来事、そして、目の前に突き刺さった矢。それらから光びき出される答えは、単純なことに一つしか思いつかない。
この矢を射かけた人物が誰なのか。それは、……駆麻が最も尊敬していた、貴人。
音を立てないように、矢の飛んできた方向から木を盾に身を隠す。視線を巡らせ、気配を探った。
(兵士たちは、どこに行った? やや散らばってはいたが、それほど離れてはいなかった。お互いが視界に入る範囲に、ちゃんといた)
捜索範囲の広さから、全員が固まって動くことは非効率すぎたため、数組に分かれて行動していた。駆麻のほかには二人、共にこのあたりを捜索していた者たちがいたはずだ。けれど、視界に映る範囲に彼らは見当たらない。駆麻のように姿勢を低くしているだけだろうか。
(諒填さまは、ほぼ同時と言っていい速度で三連射できる。……まさか、)
様々な可能性が頭の中をよぎった。そうして、その中でも今駆麻に選べる最善を、導き出す。だから彼は一瞬溜めてから、一気に外に飛び出したのだ。思ったとおり、途端に矢が降り注ぐ。それらを剣で弾きつつ、射手の位置を探ろうとして——のけぞって倒れた。真横から振り降ろされた剣を、紙一重で躱したためだ。
そして驚愕する。それは、剣をふるったものは、諒填ではなく、羽異でもない。つい先ほどまで共に行動をしていた、兵国兵士だったのだ。けれどその様相は異様だった。瞳は光を映さず空虚を見つめ、口の端から涎を垂らして、明らかに正気ではなかった。
「ぐっ、」
けれど、それを考察するより先に、体勢を整えようとして、ハッと気づいてさらに横に転がり、背後からの急襲を避ける。そこには、やはり正気を失った帝国兵士が、駆麻に剣を向けていた。さらに降り注ぐ矢に、舌打ちをこぼして、駆麻は走り出す。あまりにも不利な状況だった。
けれど、それも無駄な足搔きにすぎなかった。時折降ってくる矢を振り払い、とびかかってくる帝国兵士を退ける。兵士たちはことごとく正気を失っていて、それも一緒にいた二人だけではない。正確な人数はわからないが……おそらく、駆麻以外で、この森に捜索に来た兵士全員が、操られている。それが呪術か薬かは、わからないが。
(冬月君たちが言っていたな……)
自分は呪術師としては非常に浅い知識と実力しかない、と冬月は言った。それでも、考えうる限りのことを教えてくれて、十分気を付けてほしいと念を押された。郁の父親が連れてきていた呪術師にも、多少の話を聞いたが、それでも羽異は『黒呪術師』と呼ばれる部類の輩で、『白呪術師』では知らない手段を持っている可能性もある、と警告された。
息が上がる。少しでも追手を減らすために、駆麻も兵士たちへ剣をふるうけれど、生半可な傷は物ともしない。出来る限り命を奪いたくないのは、甘いのだろう。だから、まよわず斬る。それでも、可能な範囲で、彼らの足を狙って剣を振るのは、ああ、たぶん自分のためなのだ。
けれど、あまりに多勢に無勢だった。疲労からの不注意もあり、わずかによろけた駆麻は、すかさず降った矢に衣服を射止められて身動きが制限される。かろうじて左手が腰元の短剣にかかった。——が、反撃に出る前にぱっと目の前に現れたのは、二人の男。正気を失った兵士たちは、その二人を前に動きを止めている。
当然のように、当たった予想に喜べない。
どちらもやはり知った人物で、片方はいつもの如く深くフードをかぶった小柄な男。隙間からわずかに覗く髪は紫がかった紅髪。その顔の下半分は黒い布で覆われている。
片方は、やはりフードを深くかぶった男。その人は、髪も目も覗かせず、口元すらも黒い布で覆われているのに、駆麻には誰なのか明確だった。
その瞬間、笑ったのは、誰だったろう。
何をされたのかは、わからない。ただ、視界が暗転した。
☽☽☽
意識を失い、ぐったりとした駆麻に、呪術師・羽異は歩み寄った。すでに呪術はかけている。あとはそれを完成させるだけ。そして懐から取り出した小瓶の中身を、躊躇なく駆麻の口に流し込んだ。それから羽異が何事か呟くと、駆麻の体がびくりと跳ねる。そして彼はゆっくりと目を開けた。
その碧眼に宿っている光は、一見常と変らない。しかしよく見ると、どこか調子はずれなものが揺れているような気がした。それは、今も羽異の傍らで沈黙を守る、諒填の緑瞳に、ひどく似た光。
「……よし。行くぞ」
愉悦のにじんだ声で高圧的に言った羽異に、駆麻と諒填は軍隊式の敬礼をとる。揺るぎ無い声で応えた。
「——はい」




