1,【秘すことこそが我が運命】
【秘すことこそが我が運命】
冬月が護竜山から奇跡の生還を果たして四十日がたった。龍の一族は体の頑丈さもさながら、回復速度も常人よりはるかに速い。ゆえに、冬月も満身創痍からは既に回復し、道場でも東海師範の理不尽に近いしごきを受ける日常に戻っていたし、里人の興奮も収まってきたところだ。
けれど、そんな時の人である冬月はここ数日、人目を避けるように里を囲む森の中によく足を運んでいる。今日も道場でのしごきが終わるなり、心配げな阿星を振り切って一人で森へ入って行った。
――が、森の中、たたずむ冬月は一人ではなかった。隣に立つのは彼より幾分背の高い青年だ。それはもちろん、先ほど振り切った、阿星とは別人である。
その青年の髪は無造作に伸ばされ、腰まで届くほど。色は複雑で不可思議な輝きを帯びた深い藍色。瞳は青灰。その配色はかなり珍しいものだったが、――冬月はいつもそれを見て思う。かつて、ずいぶん昔。どこかで見たような色だ、と。それがいつかは、思い出せないけれど。
そしてそんな不思議な色を持つ青年は、整った顔立ちに不敵な笑みを浮かべて、冬月の脇にゆったりと立っていた。それとは対照的に、青年を見つめる冬月の顔は胡乱気だ。端正な顔立ちの美少年がそんな表情をするとことさら冷たく見える。凍えそうだ。
「……ジェタ。毎日毎日なぜ里の近くに来るんだ。気づかれたらどうするんだよ、東海師範とか野生動物並みの勘をしてるんだぞ。迷惑だってもう何回言ったよ、僕は?」
苛立ちを隠しもせず、腕を固く組んで冬月が言い放てば、『ジェタ』と呼ばれた青年は悪びれる様子もなく満面の笑みで返す。
「仕方ないではないか。そなたに会うためにはこうしてくるしかなかろう? そなたが『山』に来るのは難しかろうが。それに、結局はこうして私と顔を合わせてるのだから、そんなことを言いつつそなたも本当は私に会いたいのではないか?」
「お前、馬鹿か? 戯言しかはけない口は縫い付けてやろうか? 僕が来なかったらどれだけ言っても里の中まで押し掛けてくるからわざわざこうして来てやってるんじゃないか。わかってるだろ」
冬月の目は心底面倒くさいと如実に語っていた。優しさなんてなかった。それなのに余裕なジェタの笑みは何なのだろう。腹立たしい。目つぶししてもいいだろうか。ジェタは何処までも面白げにのたまう。
「そう照れずともよい」
「……やっぱり目つぶししていいか。節穴な目はいらないだろ?」
ゴキっと指を鳴らした冬月は多分、半分本気である。だがしかしジェタはそんな冬月を見てなぜか嬉しそうだった。この男はもしかしたら変態なのかもしれない。冬月は思った。そしてここしばらく毎日のように吐いているそれはそれは深いため息を、今日も深く深く吐きだした。
「ったく、どうしてこんなことになったんだか……」
そうして彼はその日に思いを馳せるのだった。
☽☽☽
それは冬月が護竜山から帰還して、里人にとにかくもみくちゃにされた日の夜だった。人々はなかなか冬月を解放しようとしなかったが、真夜中過ぎにはさすがの冬月も「休ませろよ」とにっこり微笑んだ。そして光の速さで帰宅を許されたのである。それを間近で見ていた阿星はのちに語る。あの時の冬月は逆らったら最期だったと。
「っつ……。染みるな……」
冬月はいつものように自宅で盥に湯を張ると、体の汚れをゆっくり洗い落とした。手足の傷は森でもほぼ手当を終えていたのだ。里での治療も受けたが、経過は良好の太鼓判を押されていた。冬月の治療の腕は確かである。後遺症や傷跡も大して残らないだろう。
まあ、そもそも怪我には慣れているということも大きい。冬月(と阿星)をしごくのが趣味兼日課と言ってはばからない熊筋・東海師範の所業によって。感謝すべきか呪うべきか。
ともかくも、程度の重さは普段と段違いとはいえ手順は変わらない。手慣れたしぐさで就寝準備のために包帯をほどいて湯あみをし、薬を塗ってまた包帯を巻き、寝間着を身につけた。形見のペンダントも、もちろん肌身離さず首にかける。片づけまで終えたら数日ぶりにすっきりと人心地がついて、どっと眠気が押し寄せる。
「ねるか……」
明かりを吹き消し目をこすって寝具に潜り込むと、冬月はあっという間に夢の中に――落ちていけたらきっと幸せだったのだと思う。
戸のほうからさっと凍るように冷たい風が吹き込み、冬月は眠りから少し引き戻された。
(寒いな……。鍵かけんの忘れ……てない。かけたはずだぞ僕は)
ばッと、重い体をはね起こした。眠気で回らない頭を無理やり覚醒させ、臨戦態勢を整える。そうして、そこに人が立っていることに気づいた。
「……は?」
そこに居たのは一瞬呆けるほどに綺麗な顔の、見知らぬ青年だった。誰だこいつ。冬月は思って、警戒をはね上げた。龍使いの里の者でも『行商』の者でももちろんない。
その青年と目が合った瞬間、体の底から恐怖が這い上がって、冬月は反射的に後ろへ飛んで距離をとる。
「誰だ、お前?」
声を低くして誰何した。常識的に考えてもこんな時間にやってくる時点で、顔見知りであっても十分不審者であるのに、閉鎖社会万歳のこの里によそ者が来るなどあり得ない。その上、龍の一族でもないのにさっき感じた恐怖の根源は紛れもなく強い『龍気』だった。
どれほど警戒してもし足りないほどに、不審。
けれど、ひどく楽しそうに唇を青年は歪めた。
「……やはり威勢がいいな、小僧」
冬月は、瞠目する。
青年の見た目はせいぜい二十代半ば、しかしその声は見た目以上の年齢を感じさせた。が、冬月が目を見開いたのはそんな理由ではない。
その声に聞き覚えがあったからこそ驚いたのだ。しかも、たった数日前に聞いた声。その時は地鳴りのような声量だったが、確かに同じその声の主は……。
「東、龍王……?」