3,『タラスジェア帝国兵士(Side世悧)』
少女たちを乗せた馬車を彩良が連れて、帝都への道を戻って行ってから数日。世悧たちは、小さな街に立ち寄っていた。本日の宿と今後の旅のための物資の補充が目的である。
(……けど、ひとが少ねえな、やっぱり)
これまでの街や村でもたびたび見たが、圧政や龍の襲撃の恐怖に耐えかねて逃げ出した者が多いのだろう。特に、龍の巣にだんだん近づいている現状、その割合は増えている。長らくあけられた様子のない店や、空き家がかなり目についた。
その中で、小さな露店に目が引かれる。
「あ、冬月。あの露天商、薬草を扱ってるんじゃないか? 寄っていくか?」
「そうですね、この間からたびたび調薬して、手持ちが少なくなってますし……」
「できるときは採取するけど、今はそんな余裕ねえもんな」
世悧の言葉に、自身の持つ薬草の在庫を思い浮かべた冬月と、眉を下げる阿星。世悧も「だよなあ」と同意を返した。
「あ、駆麻さん、楼良さんも、いいですか? すぐ済ませますので」
パッと振り返って、冬月が声をかければ、鷹揚に笑顔を返してくれた。それにぺこりと三人そろって頭を下げ、薬草売りの露店に近づく。
そこは、老女が一人で経営しているようだった。小さな露店にしては薬草の種類が多く、乾燥や保存の方法もしっかりとした手順を踏んでいるようで、期待していた以上に状態がよさそうである。
とはいえ、世悧は毒や薬の知識に多少自信はあるが、調薬はかじった程度だし、阿星と冬月なら冬月の方が得手だということで、中心になっているのは冬月である。
「いらっしゃ……」
「あ、こんにちは」
世悧たちの訪れにフッと顔を上げた老女は、不自然なところで言葉を切り、何故か目を見開いている。……冬月をはじめとして、なかなかお目にかからないような美貌の持ち主が突如やってきたせいで、呆然としているのだろうか? それにしても驚きすぎな気がするけれど。そう不思議に思いつつ、軽い挨拶をした冬月の横で、阿星と世悧も会釈をした。
「……?」
老女の反応に首を傾げつつ、敵意は感じなかったため、世悧は少し意識しておくにとどめた。冬月と阿星も同じなのだろう、さっそく薬草の購入の相談をしている。
「これとこれとこれと……あれも買っとく?」
「でも日持ちがな……隊長、どう思うっすか?」
「ん? ああ、それって解熱剤や痛み止めになるんだろう? 念のため買っといた方がいいんじゃないか?」
そんなやり取りを、じっと老女に見られて若干居心地が悪い。ちらり、と観察したところ、かなりやつれていて、元は茶色か金色だったのだろう頭髪には白髪も多くみられるために、老女だと思ったが、実は案外それほど高齢ではないのかもしれない、と思う。青い瞳の周囲には若干の皺や濃い隈があるが、眉間を寄せるのをやめて、隈も消えた状態でにっこり笑えば、かなり若い印象になりそうだ。
「あの、これでいくらになりますか?」
そうこうしているうちに、薬草の選別が終わり、冬月がそう店主に声をかけた。そこでようやくぎこちなく動き出した店主。その時、フッと後ろから影が差した。
「わぁ~、本当に世悧さんたちって博識ですね~」
多少興味があったのか、そう感心したように、世悧と冬月の間からのぞき込んできたのは楼良だった。彼女の後ろには、わずかに苦笑した駆麻の姿も見える。
「あ、」
——楼良さん、と。
呼ぼうとした冬月は、瞬時に言葉を飲み込んで、息を飲む。世悧も同様に、反射的に動いていた。
次の瞬間起こったことは、それぞれの動きが入り乱れていて、明確には把握しきれなかった。ただ、わかるのは、つい先ほどまで世悧たちを……正確には、おそらく冬月を見ていたのだろう店主が、憎悪をはらんだ金切り声を上げて、薬草を切り分けるためのナイフを振りかぶったことだ。
「ァァァぁああああああああああああああああああ!!!」
店主がカッと目を見開いて、ナイフを振り下ろした先にいたのは、楼良だった。彼女は突然のことに、とっさに腰元の剣を抜こうとする、が、それは世悧が押しとどめ、同時に店主と楼良の間に体を割り込ませて、二人を別つ。
「落ち、落ち着いてください!」
「ナイフ放せって、おばちゃん!」
世悧と同じように、反射的に動いたのだろう冬月と阿星が、店主を抑え込んでナイフを取り上げた。けれど口角から泡を飛ばしながら、店主は叫ぶ。
「あんたぁ! この、この悪魔がぁ! 忘れてないからなぁっ! その顔! あたいの、あたいの息子を返せえええええええぇえぇえぇええええ!!」
どこか閑散としていた路上にも、叫びは高く長く響き、周囲の家からは恐る恐るのようにのぞき込む人々と、世悧たちを不審げに、或いは恨みや恐怖を込めてみる人々。特にその視線は、店主に怒りを向けられている楼良に突き刺さっていた。
「……、っ、」
背にかばった楼良が、何かに気づいたように体を強張らせたことを、世悧は察した。
(何が何だか……いや、予測はできないことはねえ、けど、とにかく離れた方がいいな)
思って、ちらっと冬月と阿星、そして駆麻に目配せをする。それぞれから首肯を返され、さっと世悧は楼良をかばうように肩を抱き、バサッと彼女に外套をかぶせてその顔を一時的に隠す。
「隊長、早く行って下さい」
「ここは俺らに任せていいっすから」
そうささやいてくれた冬月と阿星に目で感謝を伝え、駆麻ともに楼らを連れて、町の外へと早足で出ていった。駆けださなかったのは、だんだんと不穏な空気が広がりつつある町の人々に、不用意に刺激を与えないためだ。
冬月と阿星の馬も一緒に引き連れつつ、さほど大きくはない町を抜け、さらに離れる。宿はあきらめて、野営ができる場所を黙々と探した。その間、楼良はもちろん、駆麻も固い表情をしていた。
彼らの気持ちを察して、世悧もまた、何も言うことなく時間が過ぎていく。
☽☽☽
町からそれなりに離れた場所に野営の準備を整え、夜がやってきた。冬月と阿星はまだ戻ってこない。二人がそろっていて、普通の町人たちにどうにかされてしまうことはないだろうとわかりつつ、心配はある。内心は若干そわそわしていたが、それは面に出さず、ただ焚火を見つめていた。
そして、パチ、と火の粉がはぜた音を合図にするように、ぽつりと口を開いたのは駆麻だった。
「……本当に、すみません、世悧殿。俺たちはこれまで……陛下の命令に従って、民を虐げてきました。だから、もし街中で身分がばれれば、ああいうことが起こるかもしれないと、わかっていたのに……巻き込んでしまいました」
そして、姿勢を正した彼はきれいに頭を下げる。その横の楼良も同様だ。それを慌ててやめさせて、世悧は眉を下げた。
「やめてください、駆麻さん、楼良さん。お二人も、彩良さんも、ちゃんとばれないように兵服ではなくてただの旅装にして、剣も慣れないでしょうに愛用のものから持ち替えてくれたでしょう? 変に構えたりこそこそした方が怪しまれますし、必要な対策はしていたうえでああなってしまったのだから、仕方がなかったんですよ」
何とか顔を上げてくれたものの、二人の表情は優れない。自嘲するように、楼良が口元をゆがめた。
「あの人、息子さんが帝都で有名な呪術師だったんですよ~。……半年前のことです~。陛下の命令で私が皇城に無理やり連れて行って……そして、皇后陛下方を治療できなかった呪術師殿は……お怒りに触れて……国外追放に」
何も持たせず、身一つで国境の外に置き去りにされる、国外追放の刑。処刑とほとんど変わらない刑罰だ。優れた呪術師であったというから、何とか生き延びている可能性もあるけれど。
楼良が言うには、あの薬草売りの店主は、その呪術師の母親だという。息子が引っ立てられるように連れていかれるのに、かなりの抵抗をした女性だったのそうだ。
「……半年前より、随分印象が変わってたので~、最初は気づかなかったです~。この町が、彼女たちの故郷何なんでしょうか~。……本当に、私ったら、……」
そして立てた膝の上に顔をうずめてしまう楼良。おそらく、楼良が推測したように、あの町が故郷で、息子のことがあってから帝都を去り、地元に戻ってきた、と考えるのが一番違和感がない。世悧たちが帝都・ディセンパオについた時は、門の警備がかなり厳しかったが、半年前はまだ出入りが容易だったのだろう。
そう、半年も前に、顔を合わせた時間はさほど長くはなかっただろうに、楼良はあの店主のことも、店主の息子とのことも、覚えていた。それこそ、半年の間には同じようなことは幾度となくあっただろうに、それでも覚えていたのは、きっとあの店主親子のことだけではなく、後悔の数だけ心に落ちているのだろう。
「……」
楼良たちに罪がない、とは言えない。たとえ皇帝という巨大な権力を前に、従うしかなかったのだとしても、奪われた者からすればただの言い訳でしかないのだろう。どれほどに良心が痛んでも、内心で葛藤していても。
それは、かつてオッチェンジェスタ国の騎士であった世悧にも、わかる葛藤だ。幸いにして祖国は非常に治世が安定しており、国民ものんびりまったりおおらかで、犯罪も少なかった。……それでも、貴族の利権だの、汚職だのはあったし、権力に従わなければならない場面はゼロではなかった。
(それを、俺はどうやって飲み下していたっけな……)
そんなものを投げ捨てて、逃げ出した結果が今、ともいえるのだが。冬月や阿星をオッチェンジェスタ国の首都に連れていくことを躊躇い、逃げろとまで囁いて、結局立場を投げ捨ててこんなところまで。……いや、こんなところまで来てしまったのは、いろんな理由が絡み合っているけれども。
だけど、苦いものを感じて、それでも命令に従ったことがないわけではない。
(あ、そうか。景稔さんだ)
現在の、オッチェンジェスタ国第四騎士団大隊長、景稔。かつて、新人だったころの世悧の上官。……祖国から逃げ出す時の国境で、おそらく半ば以上に世悧の正体に気づいていながら、見逃してくれた人。
新人だったころの世悧に、景稔が言ったのだ。
——『上の判断が気に食わねえことなんか、いくらでもある。それでも、従わなきゃなんねえこともな。どうしても我慢できなかったその時は、反抗でも離反でも何でもしやがれ。命かける覚悟でな!』
冗談のように大きな声で、冗談ではない真剣な目で、そう言った。そうして世悧は尋ねた。「後から、間違いに気づいたときは、判断を後悔をしてしまったときは、景稔さんならどうするんですか」、と。
大きな声で景稔は笑っていた。
——『そりゃあ、お前……』
「『うじうじ後悔してないで、命かけてでも、どうにかするために動きやがれ』、だっけ……」
ぼそり、と無意識に口に出してしまった景稔の言葉の回想が聞こえたのだろう、駆麻ばかりか、パッと顔を上げた楼良までが世悧をまじまじと見ていた。世悧はあー、と曖昧な声を上げた頬をポリポリと掻くが、視線を外してくれない二人に観念したように、淡く苦笑した。
「あの、俺の昔の知り合いが言っていたんです。自分の判断が間違ってたって後から想ったんなら、命かけてでもどうにかするために動けって。うじうじ後悔してたってどうにもならねえだろって……」
思えば、騎士だった自分が、冬月と阿星を逃がそうとした時、無意識でその時の景稔の言葉があったのかもしれない。……今も、後悔は、していないけど。
そんなことを思い出していれば、目の前のタラスジェア帝国兵士ふたりは、くしゃりを顔をゆがめていた。楼良の白い頬をつうっと涙が伝う。駆麻も片手で目元を覆ってしまったが、おそらくは似たような状態かもしれない。
「あ、えっ、」
世悧が焦って二人を交互に見ると、その姿がおかしかったのか、今度はくすりと笑われる。
「……ふふっ、そ~ですね、動かなきゃ。とりあえずは、女の子たちの保護、ですよね~」
ポロリとまたひとつ、楼良の瞳から涙がこぼれたけれど、彼女も、そして駆麻も罪悪感に押しつぶされそうだった、重い空気は払しょくされていた。
そんな二人に、世悧もほっと息を吐いて、ふわりと微笑む。
「ええ、まだまだ、旅しなきゃいけませんしね」
その顔を見た楼良はおろか、駆麻までが今度は両手で顔を覆ってしまったので、また世悧が慌てることになったのだが。




