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天統べる者  作者: 月圭
第四章 箱庭の賢王
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11,『ただ、助けを求められないだけなんだ(Side阿星)』


 酷くもどかしかった。知られたくないことは顔にも言葉にも出さないようにできる男なのに、今はあんなにあからさまに不安定になっている冬月。なのに、阿星は彼にかける言葉が見つけられない。


 ……冬月は昔っから我慢強くて、一人で立ててしまう奴で、心配だって、しにくいやつで。今だってきっと、必死に何かを飲みこんで、『いつも通り』に戻ろうとしている。そしていつかきっと乗り越えるんだろう。


(けど、ダチだろ、俺たち。つか、建前だろうと、『伴侶』だって言ったじゃねえか。……そんなこと言いだすくらい、ずっとずっと、近くに居る仲間なんだろ)


 もどかしい。もどかしい。でも、言葉が見つからない。下手に触れると、本当に壊れてしまう気がする。どうすれば、今の彼の心を救えるのか、阿星には全然わからない。


 わからなくて、そして……失うのが、怖い。


(俺は、……)


 どうすればいいのだろう。阿星は思う。


 何度も声を掛けそうになる。怒鳴りつけて、叱り飛ばしたくもなる。けれど冬月の、まるで壊れる寸前の人形のような顔を見て、何も言えなくなってしまうのだ。


 触れてはいけない。触れてはいけない。

 ——『今は、触れてくれるな』と。


 そんな声なき声が、聞こえるようだから。それでも冬月に問いかけて、受け入れる力が、今の阿星にはきっとまだない。


 世悧と顔を見合わせ、お互いに小さく首を横に振る。そして結局会話のないまま、その日もやはり歩みだす。


 触れてはいけない。

 触れてはいけない。

 ——受ける覚悟がないならば。


 阿星はきつく歯を食いしばる。


 己の非力さが、語彙の無さが、恨めしい。冬月はいつだって阿星の傍に居て、阿星を支えてくれた。多分阿星のことを一番分かっているのは、冬月だ。


 そしてきっと、冬月のことを一番近くで支えてきたのは阿星で、彼のことを分かっているのも自分だという、自負があった。そう思っていたんだ。生まれて十八年。年長者にはたったそれだけ、と言われるだろうけど、自分たちにとっては人生のすべてだ。その時間を一緒に過ごしてきた。


(それでも、知らねえことも、わからねえこともある)


 それはお互い様だ。当然だろう、どれだけ近くに居たって、別の人間なのだから。判っている。判っているのに、阿星にはわからないことで冬月が苦しんでいることが、こんなにも悔しい。


 自分の心まで、引き裂かれそうだ。己の心が、揺れて、揺れて。冬月が不安定なら、阿星がしっかりしなくてはならないのに。


(くそ、嫌になるぜ)


 己の幼さが、心底嫌になる。目の前に横たわる、南龍の問題に集中しなければならないことだってわかっているのに。


 口を開きかけては閉じて。繰り返し、繰り返し。陽が巡って、また夜が来る。


 ……その日は午後になるにつれて大荒れの天候で、轟く雷鳴が鼓膜を破る勢いだった。阿星たちは、無理せずに見つけた村に頼み込んだ。空家がいくつかあるという事で、一晩なら構わないと言ってくれた。村の住人は、タラスジェア帝国軍服を着用した兵士たちを見て身をすくませたが、追いだしたりはしなかった。複雑な思いを様々抱えて、阿星たちは頭を下げ、一晩の宿を得た。


 冬月のこと。龍のこと。国のこと。龍使いである自分たちの役目。


 ああ、どうしようか。ぐるぐるぐるぐる、考えながら雨音を聞いて起きていたから、今宵も冬月が寝床を抜け出したのに、阿星は気づいた。


 反射的に飛び出す。けれども嵐は視界を遮って、ほんの少し前に出て行ったはずの冬月がもう見えない。衣服を冷たく濡らし、頭上では相も変らぬ雷鳴。


 その雷鳴が呼び起こした記憶に、阿星は目を見開いた。


 冷たくて、冷たくて、寒い。膝を思わず着きそうだった。でも震えるのは、多分その所為じゃない。


(……そうか)


 ——知っている、と思ったことを不意に思いだした。あんなふうになった冬月を、自分はかつてどこかで見たことがあった。あれほどに、弱った、彼。揺れる。崩れる。壊れそうなほどの……。


 既視感を覚えたんだ。恐怖のような、慟哭のような。虚ろさと、がらんどうの心。


 ああ、知っていた。

 ああ、見たことがあった。


 どうしよう。どうしよう。再び、あの闇に堕ちてゆく彼をどうすれば、救い上げることができるだろう。手を伸ばして、握り返してくれる保証なんてない。手の伸ばし方さえわからないのに。


 しっかりしている幼馴染だ。いつだって折れない。曲がらない。その不屈さは、尊敬できる。……そんな彼を、こんな気持ちで見る日がまた来るなんて。


(なんで俺、冬月は一人で立てるやつって思ってたんだろ)


 不安。恐怖。叫びたいほどに、阿星も動揺している。


 『あれ』は、もう八年も昔の話だ。でも、実際にあったことだ。あの哀しい記憶。冬月だけでなく、阿星もそれなりに傷ついた。里中も大騒ぎで。


 冬月が両親を一度に喪った、あの事件。


 あの時も阿星は、何もできなかった。冬月の背をたたいたのは東海師範で、涙を流して寄り添ったのは蜜香で。阿星はただ、彼の傍でその手を握ることしかできなかった。


 あの時によく似た表情(かお)を、今の冬月はしている。


(冬月が、恐れてるのは、怯えているのは……何かを、誰かを、『喪う』こと、なのか?)


 それが何をきっかけとして生まれた恐怖なのか、阿星にはわからない。


 雨が、顔を伝う。伝っていく。それは、涙のようで……。ああ、もう、今なら叫んでも、許されるだろうか。


「……っ」


 叫びたいのは冬月だろうけれども。駄目だ。阿星じゃだめだ。駄目なんだ。八年前のあの時と同じくらいに、冬月は今傷ついて、壊れそうで。だけどここには東海も蜜香もいない。阿星には、冬月の背を押すことも、寄り添うことも出来やしない。


 東海のように深い経験に裏打ちされた、包み込むような深い懐がない。蜜香のように、一緒に涙を流して抱きしめてやれるほどに心の芯が安定していない。


 だって、阿星はいつだって、冬月と隣り合って手を握り合っていて、支え合っていて、だけど、だからこそきっと、どこかで阿星は冬月の強さに依存していた。


「————ッ! ————————!!」


 今なら、誰にも聞こえない。苦しくて、やり場のない、表現しがたい感情。


 こんな自分だから、冬月は何も言えないのだ。何も言ってくれないのだ。何もかも自分で飲み込んで、立ち直ろうとして、そして立ち直ってしまう。そういうやつだ。……いつかは(・・・・)、一人で立てるほど強いやつ。だけど、すぐに立てるわけじゃない。傷つかないわけじゃない。辛くないわけじゃない。


 ただ、助けを求められないだけなんだ。


(駄目だ、崩れるな、崩れるなよ……っ! ただの自己嫌悪なんて、糞の役にも立たねえんだよ!)


 未熟さを思い知る。足りないものばかりの自分に唇をかむ。でも今、何かに追い詰められて、何かの喪失に怯えているのは冬月で、きっと彼よりは自分の方が、まだ冷静になれている。冬月は最低限『普通』にふるまいながら、『何か』を飲み下すことに必死で、おそらく今、ひどく視野が狭くなっている。


(……視野が狭まってんのは、俺もっしたね、隊長)


 紅玉の瞳を持つ、大人を思い出した。冬月に限界が来る前には、止めることができるようにつぶさに観察をしていた世悧。……あの人はきっと、阿星の余裕も失われていることに気づいて、見ていてくれたのだろう。


 ——世悧は、その冷静さで、手の間から滑り落ちていくようなこの心も、しっかりと、受け止めてくれるだろうか?


 『三人で幸せになりましょう』。


 『伴侶』の話をした時、冗談のような本気のような、よくわからない調子で言ったのは冬月だった。あの時は冬月に押しに押されて、もうどうにでもなれ、と思っていた。


 だけど、そう。阿星も冬月も、一人ぼっちじゃなくて、ふたりきりでもなくて、三人で仲間なのだ。


 冬月が助けを求められないなら、阿星が手を伸ばせばいい。


(——隊長、助けてください)













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