7,『ざまぁみろよ、』
数千メートルの空中飛行は、さすがにきつかった。減速したとはいえ、森に突っ込んだ衝撃は半端ではない。
「ったぁ……くそっ、骨いったな、これ」
冬月は頭を押さえて立ち上がる。が、すぐにへたり込んでしまった。がくがく震えて足に力が入らないうえ、手足は裂傷だらけ。目も当てられない。――だが、生きている。生きていた、冬月は。
「……ざまぁみろよ、東龍王」
そのまま大の字に転がり、そんなことをひとり呟いて苦笑する。しばらく耳を澄ませたが、龍が追ってくる気配はない。無意識のように右手で、胸元のペンダントの無事も確かめて、ほっと息を吐く。
冬月が、あの山から飛び降りた時の東龍王の反応はなかなか見ものだった。
「……は?」
と、予想外も過ぎたのか、間抜けな声が最後に聞こえた。何度でもいおう。ざまぁみらせ、人間舐めんな、あの龍どもが!
……ともかく、追手がないのは、その呆け具合で対応が遅れたのと……冬月の姿が、一瞬にして消えたからだろう。『風』にさらわれて。
護竜山付近では、冬の夜が始まると、非常に強い風が吹く、というのは有名な話だ。南から北へ、やや吹き上がるその風鳴りが龍の咆哮するそれに似ているともいわれ、『龍の息吹』と呼ばれているすさまじい風。
生まれた時から護竜山のふもとに住まい、龍使いとして様々な知識を学び、自然の中で育った冬月には、その自然現象を予測するのは難しくない。だからあの時の冬月のカウントは、『龍の息吹』を待つそれだった。
(……ただ落ちるのでは、ダメだったろうな)
それではすぐに追いつかれてしまうし、崖に体がたたきつけられかねない。だから、風を待った。すさまじい暴風は、小さな冬月の体を簡単に巻き上げて吹き飛ばし……龍どもの視界から、失せさせたのだ。
まあ、それには龍たちの油断も大いに関係していたし、執拗に探された様子もないのはもともと男は喰わないという東龍王が捨て置いたのかもしれない。というか捨て置いてくれ、頼むから。おいしくないから。
そうして龍たちの視界から失せた後は、落下するだけ。三千メートル以上の高所、ふつうならば死ぬしかない。けれど龍使いの装備は『対龍』に特化しているし、万が一の対処法は血反吐を吐くほど叩き込まれた。容赦のない東海に、本気で崖から突き落とされたこともある。死ぬかと思った。道場生全員で泣き叫んだ。あの人は鬼だろうか。
(……まあ、あれがあったから、今生きてるんだけどさ)
なお、装備の秘密は普段着でもある『服』にある。冬月を含め、龍の一族の身に着けている服は少々特殊なのだ。
その上着は腰で止められている帯を解けば一瞬で一枚の大きな布となり……それは全身を支えるように紐でつながっている。紐は鉄蔓という頑丈な植物によって編まれ、布には砕いた龍の鱗を編み込んた特製品。その製法ゆえに『鱗傘』と呼ばれる服だ。それによって風をうまく受けた冬月はそのまま減速し、森の中へと着陸をしたのである。
……まあ、龍の巣で受けた岩でのすり傷や、森に突っ込んだ時の枯れ枝による裂傷、さらには左腕を強かに打ち付け、きれいに骨が断裂したようで、満身創痍としか言えないが……生きては、いた。
というか、満身創痍ながらも命があったのは龍の一族だからだろう。ただひとよりも皮膚が硬く、頑丈な肉体を持って生まれたことに感謝である。
「護竜山があそこ……風が北へ流れるから……あー、割と里から離れたなあ……」
――まあ、なんとかなるでしょ。そうつぶやいたが最後、冬月は意識を失った。
冬月は知らない。彼が飛び降り、姿を見失った後、激高した龍たちを止めたのが彼らの長であることを。その東龍王がゆがませた口の端で、つぶやいていたことを。
「面白い、餓鬼だなあ……」
これから巻き込まれる災難を、まだ冬月は知らず、眠りにに落ちている。
☽☽☽
冬月が里へ帰還したのは、それから数日後。
「と……冬月……?」
彼を一番最初に発見したのは、阿星だった。森の中、仲間や家族が止めるのも構わずに狂ったように剣をふるっているところにがさりと草のこすれる音に警戒をすれば現れた人影が、冬月だった。
「うん、阿星。……生き残ったよ、僕」
茫然としている阿星に冬月はそう笑った。……次の瞬間には阿星にもみくちゃにされ、そのまま意識を飛ばしそうになったものだから、真っ青になった阿星に里に引っ張って行かれ――何とか意識をはっきり持ち直したところで、再び号泣と歓声の中でやっぱりもみくちゃにされたのだった。
腕は痛いし、おなかは空いたし、クタクタという言葉では済まないくらいに疲れ切っているけれど。帰ってきたなあ、と冬月は笑った。
☽☽☽
――その夜、『その男』は一通の手紙を受け取った。龍の翼を模した封蝋の押された手紙を開き、その内容に目を通すと、男は眼をすがめて呟く。
――機は熟した、と。
その後男は何か書きつけた手紙を同じ封蝋で封じ、先ほど手紙を彼の下へ運んできた伝書鳥に結わえつけ、再び夜の空へと飛ばした。
その鳥は、白色に鮮やかな紅の走る羽をしていた。