7,『息が、止まった、気がした』
この世界では、いくつかの特殊な瞳を持つ者たちがいる。冬月や阿星といった、龍使いもそうだ。
冬月たちが知りえているのは、三つ。『龍使いの瞳』、『龍の眼』、そして『王の眼』だ。
ひとつめ。『龍使いの瞳』は、龍気を使用するときだけ、生き物のもつ生命力と嘘を見抜きやすくなる。その力の強さには個人差が大きいし、また、龍の一族同士だと効果が薄かったりもする。ちなみに冬月は嘘を見抜く力が強く、阿星は生命力を見る力の方が強い。
ふたつめ。龍であればすべからく有する『龍の眼』の力は、生物の寿命が見える能力だ。龍気を駆使した時しか力を発動できない龍使いとは異なり、龍の眼は常にその力を発揮するという。また、本当かどうかは知らないが、龍の瞳を人間が口にすると不老になるともいわれている。
そして、みっつめ。『王の眼』とは、人間の中でも始まりの八大国、その王たちの始祖直系子孫だけが持つ力だ。嘘を見抜く瞳、と言われている。
八大国とは、東のオッチェンジェスタ国、南東のラバトラスト王国、南のタラスジェア帝国、南西のインデージア帝国、西のオカズラ王国、北西のサンザラー王国、北のフラースト国、北東のテンダム王国のことだ。これらの国々はいずれも国内に龍の巣を擁し、千年前に地殻変動が起こった時、八つあった大陸それぞれで中心的な勢力を誇っていたという。そしてその建国は非常に古く、人間が『国』という形を成した、最初の国々だとされている。
(『龍の眼』と、『王の眼』。二つを合わせて、少し弱めたような力なんだよね、『龍使いの瞳』って)
それもあって、『人の形をした龍のようだ』と、龍使いたちはひそかに言われるのだけれど。
ともかく、その『王の眼』を有する、八大国の一つ・タラスジェア帝国皇族直系・漣瞳紅駕屡もまた、瞳の力を有するひとりなのだ。
「……だが、この瞳もまた、万能ではないのじゃ。それが『嘘』なら見抜くが……『真実ではない』ことを見抜けるとは限らぬのだからな」
その意味が解らない冬月たちではない。否、むしろ冬月はよくよく、その意味を知っていた。龍使いの中で、己の性別を偽り続けるために、『嘘は言わないが、真実も言わない』ことで切り抜けてきたのだから。
今だって、そうだ。聞かれないからこちらから何も言わないが、もし紅駕屡が冬月の性別について聞いてきたのなら、冬月が返す答えは一つだけ。『見ればわかるでしょう?』と。そうすれば、苦笑した阿星か世悧が、冬月は『男』なのだと明言してくれるだろうと予測して。
その流れであれば、冬月は何も嘘は言っていない。冬月を男と明言するのは、それこそが真実なのだと信じている阿星や世悧で、やはり彼らは嘘などついていない。だから、紅駕屡にはそこにある偽りを見抜くことができないのだ。
(つまり、羽異も同じように、嘘は言っていないけど、真実も言っていない、ってことだ)
考えながら、冬月は問うた。
「その羽異は、自分こそが龍を操っている、と言ったのですよね。ならば羽異は龍使いではない。しかし、龍を操る何らかの術を持っている、ということでいいのでしょうか」
「うむ。それは、確かじゃ」
室内の人間の顔は一様に渋い。そして、そこからさらに、羽異の言葉で、龍の襲撃をさせない代わりに、少女たちを生贄として差し出せ、と言われたという。集められた少女たちの中から、生贄となるものを選ぶのもまた、羽異であったようだ。
「余は……皇后たちのためという己の願いと、従えば襲撃が減るのだから仕方がないという言い訳に逃げ、思考を止めたのじゃ」
血を吐くような悔恨は、一つの国の君主として、ほめられたものではないのだろう。この国の民ではなく、支配者階級ですらない冬月たちは、あえて言葉にして責めはしなかったけれど。
ただ、もともとは貴族の一員であった世悧は、冬月や阿星よりも嫌悪感を強く抱いているようで、ほんのわずかに睨みつけそうになって、それを抑え込んでいるようだった。
……いずれにせよ、今この皇帝を殴ったとしても何にもならないし、そうする権利があるのは冬月たちではなく、この国の民たちだ。
「……薬で皇帝陛下の判断力も奪っていたのでしょうね。陛下を呪術で縛らなかったのは、余裕がなかったのかもしれません。陛下のように強い王気を持つ肩を呪術で縛るには、呪術師も苦労するはずですから」
例えば、龍気で龍を抑え込むときも同じだ。龍気が強い相手であればあるだけ、龍使いも強い龍気を持っていなければ従わせることはできない。一般的な呪術は王気を使用するため、呪術をかける相手の王気が強ければ強いほど、効きにくいという特徴があるのだ。
治療や守護などはであれば、かけられる側も呪術を受け入れるからまた話は変わるが、思考を奪って従わせる呪術などは、当然反発・抵抗される。王気が強い紅駕屡に対して、その抵抗を抑え込む労力を厭ったために、薬という手段を取ったのだろう。
(まあ、その薬にしたって、意思が強い人にはなかなか効きづらいし……そう考えると、人質を取ったり、龍の襲撃のことで脅したり、精神的に追い詰められていたからこそ、あそこまで無気力状態になる効果が発揮されたんだろう)
そんなことを、呪術を扱う者かつ、薬に精通している者として、簡単に冬月は説明をする。すると、ためらうように紅駕屡が言った。
「ならば……ならば、諒填は……同じように、薬で判断力を奪われ、従うしかなかった、のではないか? 余は、諒填が本来のあやつで、正気であるのならば、あのような呪術師を招き入れることはなかったと確信しておる。そなたらの策で余の思考の霧が晴れた後で、観察してみた諒填の様子は、余が今まで知るあやつでは断じてないのじゃ」
最初は迷いがちだった言葉はだんだんとはっきりと、力強くなっていく。彼にとって、諒填はそれほどに大切な、友なのだろう。
たとえ、呪術師・羽異を引き入れた諒填こそが、皇后陛下と皇子殿下に『嗜虐者の滴』という猛毒を盛った犯人であるかもしれなくても。
「……お話を聞く限り、宰相閣下もまた、呪術師に操られているという可能性は高いと思います。けれど、それが薬によるものなのか、呪術によるものかは、現時点ではわかりません」
さすがに王城外にある諒填の自宅までは突き止める余裕がなかったため、解毒薬も試していない状態なのだ。
(もし、呪術によって宰相閣下が縛られているなら……)
薬よりもまずいことになる、と冬月は内心で思う。薬は解毒すればいいし、龍使いの作る薬は、一般のものよりよく効く。けれど呪術で長期間、精神を汚染されていたのなら、……解呪を施したとしても、本来の人格は、返ってこない可能性すらある。
「では、これからのことを話しましょう。まずは、宰相閣下が薬に侵されているのなら、解毒をしたいですが……陛下は、彼の自宅や、私室の位置をご存じですか?」
沈んだ空気を変えるように、切り込んだのは世悧だった。そう、悪い予測ばかりをしていても仕方がない。まずは、動かなければ。時間もないのだ。
それから決まったのは、宰相・諒填の自宅の私室に解毒剤を仕込むこと、呪術師・羽異の居場所を突き止めて捕縛することだ。どちらも、紅駕屡が大いに協力をしてくれることとなり、諒填の自宅と私室の位置、適当な口実でもって羽異に会わせるように要求をする、ということまで打ち合わせをした。
——それが、生贄が選ばれる、三日前だった。そうして翌日一日を解毒剤や羽異と会うための仕込みに使って、さらに翌日。生贄が選ばれる、前日。
冬月たちは紅駕屡と打ち合わせの上で、皇帝の私室を見張るように潜み、迎えにやってきた諒填と紅駕屡が二人で王城の地下へと向かうのを、冬月たち三人で追ったのだ。
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そして、今。羽異には、冬月たちの存在に感づかれてしまい、奇襲は失敗に終わった。そして諒填にも、解毒剤が効いた様子がない。ならば、彼を縛るのは羽異による呪術なのだろう。
(皇帝陛下よりはまだ、宰相閣下の方が皇城の外に出る機会は多い。……どこかの時点で、呪術をかけられたんだろう)
そして、諒填は羽異に従う人形と化したのだ。
さらに言うなら、呪術で王気を集めてまで、行使している継続な呪術とは、これまでの状況を振り返ると、南龍を操るための呪術である、という線が濃厚だ。
(龍を操ったうえで、高位貴族で王気がそれなりに強いはずの宰相閣下をも支配下に置く……この羽異ってやつは、どれだけの力を持っているんだよ……っ)
皇帝までも呪術で支配下に置くのは流石に難しかったようだが、それでも底知れない力を秘めているのには違いなかった。しかし、だからと言って、怯んではいられない。
不気味にほほ笑む、金の瞳の呪術師・羽異と、紅駕屡を狙った矢を放った放った諒填。今はとにかく、この二人を制圧しなければならないのだ。
(単純な『武力』だけなら、僕らが上だ)
そう判断し、紅駕屡のことを世悧に任せ、冬月と阿星で羽異たちを捕まえようとした。——しかし、その時、にやりと笑った羽異が、この地下室の床に、触れた。
「「「!?」」」
途端、想定外の方向から、冬月たちに襲い掛かってくるものがいた。咄嗟に避けたけれども、追いすがってくる『その者たち』に、冬月たちは驚愕する。
「なっ、くそ!」
それは、意識もほとんどないような、ぼろぼろの服の男たち。……この地下室で、はりつけにされていたはずの、兵士たちだったのだ。
にやりと笑う羽異が視界の端に映り、舌打ちを激しくこぼす。先ほど床に触れた時、何らかの呪術を行使したのだろう。この状況を想定していたのか、ただ用心深くもともと仕込んであったのか。それはわからないが、まずい状況だった。
拘束から解かれた男たちが、よたよたと、けれど止まることなく、冬月たちに追いすがり、進路を阻み、やむなく弾き飛ばしても、何度も何度も起き上がってくるのだから。
(もう自我がほとんどないのに……!?)
どうにか、それらをかいくぐろうとすれば、聞こうとしなくても聞こえる、声があった。
「助けて……助けて……じにだくないいいいぃぃぃぃいいいい」
ぼそぼそと呟かれる言葉たちの中で、明確だったのは救いを求めるそれだった。幽鬼のように、よろよろと、落ちくぼんだ両眼からぼろぼろと涙を流している。
「……っ、」
同じように、縋りつかれてはそれを振り払う阿星たちの腕が、躊躇するように震えたのを、冬月は見た。下手に殴りつければ、そのまま動かなくなってしまいそうな彼らは、一人一人の力は強くはないけれど、その肉体の重量と、あまりの数に、冬月たちの誰もが、上手く切り抜けられないでいる。
「くそっ、」
そのうちに、羽異とその横に並んだ諒填が、別の呪術陣を描き、その上に立ったのを見た。ほぼ自我がない状態で救いを求める男たちは、あからさまに羽異と諒填、あるいはその足元の呪術陣を恐れていて、ぽっかりとその場所だけ浮き上がる様に空間が開いている。
(移動の呪術陣!?)
気づいた冬月が、いっそう縋る男たちを振りほどこうともがき始めた、その時だった。
金色の瞳と、目が、合った。
「——ああ、そなたか」
にいっと嗤ったその笑みに、冬月の背筋が凍り付く。ぼそぼそとしたうめきに似た男たちの声、阿星たちの暴れる音、それらが反響する地下。呟くような羽異の声が聞こえたのは、一番彼らに近かった冬月だけだろう。
羽異は言った。
「嗚呼、そなたが、肉体を偽る子供。……禁忌の龍使い」
息が、止まった、気がした。
「また、会うことになるだろうなぁ」
そんな言葉を残して、移動の呪術陣を発動した羽異と諒填は、その場から去って行ったのだ。