2,『牢獄に等しい場所だった』
次の生贄が選ばれる、その期日まであと一日。選別の儀から六日たっている。
実のところ、皇帝の私室については、探り始めた翌日には探し当てていた。しかしいきなり突撃するという無謀をする気は、流石になかったため、色々とほかの情報を収集したり、こそこそと対策を施したり、対応を考えていたのである。想定よりも時間がかかってしまったけれども。
ちなみに、阿星と世悧とは、皇帝の私室発見のさらに翌日、つまり今から四日前に合流できた。というか、真夜中に情報収集でうろうろしていたら、同じくうろうろしていた阿星と世悧を発見した。二人は兵士姿だったが、それを天井裏から冬月が目撃し、合流した形だ。
二人いわく。最初は、兵が徴収されていると聞いて、誰かと入れ替わろうと思っていたが、なんか見ていたら統率があまりとれていないわ、新顔が多くて顔も名前もお互いに把握していないようだわ、ということで、一人二人しれッと増えていても気づかれないのでは? という結論に至ったらしい。そして、外出から帰ってきた振りをして何食わぬ顔で兵士用の裏門を通ったら、普通に入れたらしい。
「のんびりとしたお国柄が売りのオッチェンジェスタ出身である俺がいうのもどうかと思うけど、この国の緩さヤバくね?」
そういった世悧の顔はとても真剣だったし、阿星も真顔でうなずいていた。冬月も実にヤバいと思う。数だけ増えて全然教育が行き届いていない兵士なんて、糞の役にも立たないという証明が、冬月の目の前の阿星と世悧だった。
ちなみにこの時、流れで澪南を襲おうとした糞野郎どもも、全く訓練が行き届いていなかったことを思い出した冬月が、ポロリとその話をこぼしたところ、少女たちの現状まで包み隠さず話すことになり、阿星は「大惨事一歩手前……っ!」と頭を抱え、世悧は優しい瞳で「……お前が男前なのは知ってたよ。知ってたけどさあ……」と首を横に振られた。解せぬ。あの夜のあの状況で、冬月が取れる行動の選択肢が、ほかにあったのならば教えてほしい。絶対この二人だって、同じ立場なら同じ行動をする、と冬月は思う。
ともかくも、そんな二人は、冬月に「いいか、お前は彼女たちの中で『みんなの王子様(女)』であり続けろ。それ以上になるな。絶対だぞ」と厳命された。むしろ懇願されたので、うなずいておいたが、何をどうして『みんなの王子様(女)』という評価になってしまったのかを、そもそも理解していない冬月には難しいお願いかもしれなかった。
何はともあれ、そうして合流し、情報交換をした結果、やはり二人も、徴兵した兵士たちがいつの間にか消えている、という話についてはつかんでいたようだ。それも合計すると結構な人数が消えており、その行方は杳として知れないのだという。冬月からも、兵士に同じ話を聞いたことと、皇帝と宰相の様子、皇帝の私室の位置を含め、合流時までに掴んだ情報について話しておいた。
「じゃあ、俺と阿星は兵士に扮してさぐる。うまくいけば警備のふりをして奥に立ち入れるし、城下の様子も確認できるしな。冬月も引き続き、情報の収集と女性たちの護衛を頼む」
そう世悧がまとめて、それぞれ動いた結果、いろんなことが分かった。掴んだ情報をもとに、色々と推測を組み立てることも出来た。そしてさらに、三人で示し合わせて動いて数日たって、現在。明日にはもう、次の生贄となる少女たちが選ばれてしまうのだ。
もう時間はない。だから今夜、三人でここに潜んでいる。
冬月は皇帝の私室の、天井に潜んでいた。ちなみに阿星と世悧も一緒である。兵士の仕事? しれッと兵士の数が増えていても気づかれないのなら、しれっとサボっていても気づかれないのだ、と二人ともいい笑顔で言っていた。つくづく、現在のタラスジェア帝国の警備は糞である。
ともかく。
「……」
冬月たちは三人で顔を見合わせ、下の気配に耳をを澄ませる。ここ数日、色々と動き回って、ようやくここまで来たのだ。今、皇帝の私室では、皇帝がひとり、深い深いため息をついていた。けれど、不意に扉がノックされ、外側から声がかかる。
「陛下。お迎えに上がりました」
淡々とした声は、冬月が知っている人物のものだ。
「……諒填。そうか、時間か」
顔を上げた皇帝・紅駕屡は、扉の向こうから現れ、首を垂れるこの国の宰相・諒填をじっと見据えた。紅駕屡にも、諒填にも、その顔に浮かぶ表情は無に等しい。どこか寒々しい関係性を思わせた。
「……羽異殿がお待ちです」
「判っておる」
親しさなど皆無な言葉のやり取りのみで、二人は部屋を出て歩き出す。諒填の先導に、紅駕屡が従う形だった。当然、冬月たちも静かに、気配を消して、そのさらに後ろをついて行く。
——下へ、下へ。広大な城の奥の奥、そのさらに地下深くへと、両辺と紅駕屡は歩いてゆく。明かりに照らされて大きく壁に映る影と、反響する足音。気を付けなければ、冬月たちの尾行が露呈するため、距離を保ちつつ、より一層慎重に足を進める。
ここ数日、さんざん城内を調べて回ったが、流石にその場所のことまでは把握しきれていなかった。公からは隠された場所でもあるのだろう、移動する間、ほかの人間の気配は皆無である。
(『羽異殿』……か)
これから、紅駕屡が会いに行く人物。この先で、待ち受けている人物。こんな夜中に会いに行くことも、その場所が隠された地下にあるということも、そもそもわざわざ皇帝である紅駕屡の方から足を運ぶことも、異様さばかりが際立って感じられる。
(つまり、それだけ表に出るのがはばかられる人物であり……重要な人物だってことを示しているよな)
そうであるならば、この国がここまでの状況に追い込まれた原因は、その人物に関係していると考えて、ほぼ間違いがない。
(……あの扉の先か)
しばらく歩いて、ようやく諒填と紅駕屡が足を止めた扉を見る。何の変哲もないように見える、木の扉。気づかれないように気配を探り、やや時間をおいて忍び込んだその扉の向こう側にあった光景に、思わず冬月は顔をゆがめた。
そこに広がっていたのは、巨大な牢獄だった。否、牢獄に等しい場所だった。
無数に突き立つ鉄の棒。それに括り付けられたのは、生きているのかどうかもわからない、人間だった。まるで磔刑にでも処された罪人であるかのように、自由を奪われ、粗末な衣だけを纏い、生気なくぐったりとしている。人、人、人。
(すべて男……徴兵された者が消える、というのは、つまり、こういうことか……っ)
わずかに目を開いている者も、その瞳は濁り切り、口からは涎を垂れ流し、時折うめき声に交じって訳の分からない言葉がもれ聞こえる。
これを、この光景を作り出したのが、おそらくはこの部屋の奥で、紅駕屡を待っているという、『羽異』という人物なのだろう。
冬月たちは音もなく、けれど確実に、紅駕屡たちの後を追う。すぐにでも磔にされている人々を解放してやりたいが、唇をかみしめてその思いを押し殺した。そうしてやがて、広大な地下に響く二人分の足音が、フードをかぶった小さな人影の前で、止まった。
「羽異殿。陛下がお越しになりました」
諒填がそう声をかけたことから、冬月たちも、そのフードの人物が『羽異』であることを知る。大柄な紅駕屡と比較するとずいぶん小さく、平均から見てもおそらく小柄な部類に入るだろう。フード付きのローブで全身を負っているため判りにくいが、体型としてはごくごく平凡。筋肉質には見えないし、極端に肥えていたり、逆に痩せているような様子も見られない。
そしてその人影が、諒填の声に反応して振り返ったところを、冬月たちは念のためにかなりの距離を取った場所から、注視していた。鋭い聴覚、地下にある広大な室内という音の響きやすい場所、そして鍛えられた視力が、その距離からでも正確な観察を可能にしていた。
「本当に来たのですねえ、こんな場所へ」
それは、面白がった響きを隠しもしない声だった。フードの蔭から垣間見えたのは、紫がかった紅い髪と、金色の瞳の男。三十代ほどだろうか、その顔立ちは、彼が持つ色彩の珍しさに反して、あまりに平凡で特徴といった特徴が見当たらなかった。
ただ、顔立ち自体ではなく、そのほかに目を向ければいくつか印象に残る部分はある。例えば金の瞳に宿る愉悦を含んだ鋭利さ。例えば、ひどく不健康に見えるほどにくすんだ肌色。よく目を凝らせば、目の下にはうっすらとクマがあるようにも見える。
「そなたが、来いと言うたのであろう、呪術師・羽異」
笑い含みの羽異に、無感動な声で答えた紅駕屡。
(呪術師……)
驚きはない。『羽異』と呼ばれた男が、呪術師であることは、わかっていた。今も、その男の足元に描かれているのは、まぎれもない呪術陣なのだから。今、まさに完成させたのだろう呪術陣をみて、冬月は戦慄する。
おそらく、呪術の知識がほとんどない阿星と世悧も、この場の異様さから、うすうすその呪術がまっとうなものでなことは察していることだろうが、彼らは冬月のように、その陣の意味までは理解できない。
……そこに描かれている呪術記号は、結合を表す『円を成す盾』、死殺を表す『黒い二重円』、そして超然を表す『箱の中の炎』。それらを基礎とした、恐ろしく緻密で高度な呪術陣の上には、縛られたまま転がされ、わずかに息をしているだけの五人の男性。
羽異の方が呪術師としては冬月より、はるかに上の腕を持っているのだろう、細部までは読み解けない。それでも、血の気が下がった。あれは、自分の知識に間違いがなければ、他人の生命、あるいはそれに類するものを奪う、呪術だ。
あの陣の上に転がされている五人の男性の命を消費して、羽異は呪術を行使しようとしている。
(黒呪術師、なのか)
それは、冬月にとって、初めて目の当たりにする存在だった。呪術師の分類は大きく三つあり、神殿に属す白呪術師のことを『神官』、属さない者をそのまま『白呪術師』、禁術を使う者を『黒呪術師』と呼ぶ。
神官も白呪術師も、見たことはある。呪術師の大半は、そのどちらかに属するからだ。その二つに属さない……人間の命を代価とするような、禁忌を犯す者。黒呪術師。
禁忌を犯せば侵すほどに、その呪術師の見た目にも影響が出るという。羽異のくすんだ肌、クマのある目元。……あの男はどれだけ、禁術を繰り返したのだろうか。
阿星、世悧と視線を交わす。今、捕縛のために飛び出るべきか、否か。
そうしている間にも、紅駕屡と羽異の会話は進んでいる。
「ああ、そうでしたねえ。私が、ここで、兵士たちに何をしているか、知りたいのでしたねえ」
ねっとりした口調で言いつのる羽異。それを責めもしない諒填は、脇によけたまま冷めた瞳で見ているばかりで、言われた紅駕屡も感情の失せた表情のままだ。
「ここのところ、そちが欲する人数が増えておるじゃろう。民に、不審が広まりすぎておる。抑え込むには限度があるのじゃ。それを判っていながら、そこまでそちが人数を欲する理由程度は知りたいと思って何が悪い?」
抑揚のない紅駕屡の声が、羽異に問う。問われた羽異からは、くつり、とした笑いがかすかに聞こえた。
「いくらあっても足りませんよ、皇帝陛下? ……彼らには、私の力の『糧』となってもらっているのだからねえ。これでも、色々と力を尽くしているのでねえ、『王気』がいくらあっても足りないのですよ」
「……つまり、そちは彼等から、『王気』を奪っておるのか?」
愉悦のにじむ男の声と、色彩を欠いた紅駕屡の声。そのやり取りで、徴兵された男たちの命を代価に、この羽異という呪術師は己の『王気』を補填しているのだと、冬月たちも理解する。冬月たちは吐き気を覚えつつ、再度目を見合わせて、いつでも動けるように態勢を整え始めた。
「おやあ、察しがよろしいですねえ、皇帝陛下」
にたり、と羽異は笑う。嗤っている。怖気が立つような笑みだ。
何が、面白いというのだろう。荒廃した国と、怯える帝国民と、未来を絶望して自暴自棄にふるまう人々。病んでいると思った。皇命に粛々と従う兵士も、息をひそめて明日を待つ人々も。
この国で、この城で、どれほどの嘆きが、悲憤が、絶望が渦巻いて恐怖にがんじがらめになって、凝っているのか、この男は知っているはずだ。知っているだろうに!
少し離れたところで、阿星が拳を握りしめているのが見えた。世悧が、常にないほどに無表情で、彼らの様子を見下ろしているのも。冬月自身、ともすれば今すぐ動きそうになるのを、何とか耐えている。
でも駄目だ、今動けば、転がされている男たちや、周囲で磔になっている人たちに被害が出る。一気に、奴らが何かをする暇もなく、捉えなければならない。冬月たちはじりじりと、気配を消しつつ動き、それぞれの配置について行く。
けれど、その時。
「……でも、おかしいですねえ。そんなこと、今更考えるなんて。そんな正気は、潰えたはずなのですが。ねえ、陛下。大事なものを守りたかったのでしょう? それが私にしかできなかったのでしょう? だから国民を捨てたのでしょう?」
「……」
金色の瞳を細め、饒舌に語り始めた羽異。それに、冬月たちはやや焦る。
(まずいかも、しれない。急がないと)
その間、ただ紅駕屡は沈黙をしている。虚ろを映していた瞳は閉じられていた。ねっとりと舐めるように、観察するように、視線を這わせる羽異を、視界から遮断している。
「陛下。漣瞳紅駕屡皇帝陛下。誰かに入れ知恵されましたか? 陛下がただ、『狂った皇帝』であれば、皇后と皇子は死にはしないとご存じでしょう?」
ほらほら、それだけが望みでしょう?
それだけを、望みなさい。
囁くような声だった。けれど、まとわりつくような声だった。それなのに、いっそ優しく聞こえるほどに、緩く緩く縛られていくような、声だった。
けれど、眼下の皇帝は瞼を上げる。
「そうだな、余は……狂っていたのじゃ」
その声と、冬月たちが飛び出したのと、羽異が紅駕屡から視線を外し、振り向いたのが、全て同時だった。羽異には気づかれた。冬月、阿星、世悧が一斉に刃を振り下ろす。自分たちにできる、一番速い速度で、確実に羽異を捉えるために。
けれど、バチッと弾かれた痛みに、冬月たち三人は蜻蛉を切って羽異と距離を取る。
「ちっ、呪術結界か!」
冬月は舌打ちをこぼす。あと一瞬早ければ届いていたであろう刃は、紙一重で羽異が発動した結界に阻まれた。パラパラとかすかな煌めきをこぼしながら、結界の名残が崩れていく。おそらくは、一撃を耐えるための簡易結界だったのだろう。
(この男の実力なら、もっと高度な結界を扱えるはず。……王気を集めていることといい、おそらく、継続的に呪術を行使し、王気を消費する『何か』をしている可能性が高いな)
思いつつ、自分たちの位置関係を把握する。羽異を中央に、三方に散る形で冬月、阿星、世悧。冬月の真後ろには、かばうように呪術陣の上に横たわる男たちがおり、距離的には冬月が一番、羽異に近かった。
そして。
「ああ……そうか。もう、おらぬのだな」
世悧の背後にかばわれる、紅駕屡が口を開く。彼の赤銅色の瞳は、——炯々と光を宿していた。
「余の盟友は、もうおらぬのだな。……諒填」
キイン、と弾いた音は、世悧が剣をふるったためだ。折れて転がった転がった矢は、世悧の背後にかばわれている、紅駕屡を狙ったもので……放ったのは、脇によけて沈黙していた、諒填だ。
茶髪に深い緑の瞳をもち、気品ある生粋の貴族然とした顔立ちをした、この国の宰相・諒填。彼はただ、無感動な瞳で、彼の主君たる紅駕屡を見返した。なにも、映らない瞳で、ただ見ていた。




