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天統べる者  作者: 月圭
第三章 誇り穿つ矜持
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14,『無表情だった顔に笑みを刷いた』


 冬月はため息をついていた。


 とにかく、大部屋の空気は悪かった。二十人ほどの女性たちは一様に顔色が悪く、情緒も不安定で、体調も悪そうだった。それも彼女たちの状況を思えば仕方のないことで、冬月も強引に話しかけるのをためらっている。


 その上、最初に縄を解いてくれた澪南からは、なぜか無言できつい視線を向けられていて、冬月はますますほかの女の子たちに遠巻きにされていた。よって、誰も近づいてこないので、自力で部屋の中を探索して、大体の構造を把握した。最初に思ったように、居間のような大きな部屋の奥側には水回りの設備が整えられていたほか、寝室扱いの大部屋があり、簡易な仕切りで一人一人の寝具が仕切られていた。


(彼女たちの中だと、澪南さんが一番、落ち着いていそうではあるんだけど)


 冬月は思考を巡らせる。しかし、その澪南に自分はどうやら嫌われたようで、近づいても避けられている。特別なことは何もしていないはずだ。ただ、名前を名乗っただけで。けれど澪南がこぼした『数日』という言葉もある。その『数日』は猶予ともとれるが、だからと言ってあまり悠長にはしていられない。しかし、派手に動きづらいのもまた事実だった。


「……」


 なんといってもいま彼女は、『生贄として集められた女・葵乃』としてここにきている。表面上はか弱い少女として、意気消沈して怯えた演技をしなければならないし、万が一不審な動きをしていると感づかれて、長登夫妻に危害を加えられてはたまらない。


(さて、どうしようかな)


 そしてガシガシと頭を掻こうとして思い留まった。今はいつもの無造作ではなく、きれいに整えられていることを忘れるところだった。面倒な。


(世間話をする雰囲気なんかどこにもないし……きっかけがな。そもそも、ここにいる少女たちも、それぞれ自分の殻にこもっていて、会話があるのはもともとの知り合い同士くらいみたいだ)


 冬月は無表情の裏で考えをめぐらす。


(……やっぱり、澪南さんとどうにかして打ち解けたいところだな)


 しかしなぜ嫌われたのかすらわからない。過去の自己体験で言えば己の容姿が問題だったのかもしれないが――。


(でも、あの子最初はそこまでじゃなかったんだよな。縄を解いてくれたのは彼女だし、どっちかっていうと、僕が名乗ってから……?)


 そう、冬月が『葵乃』と名乗ってから、彼女の態度は急速に悪くなったように感じられる。


(名前……)


 と、そこまで考えて冬月は気づいた。


(もしかして、澪南さんって葵乃さんと知り合いだったのか?)


 可能性はある。時間的にも精神的にも余裕がなかったために、葵乃本人からはそういった話は聴けていなかったが、王命での徴収は帝都から広まっていったようだ。つまり、少女たちの多くは帝都出身なのだろう。


(だとしたら、ちょっとまずいな……)


 今のところなぜだか澪南は黙っていてくれているようだが、冬月が葵乃の替え玉だと証言されてしまったら誤魔化しきれなくなる。


(ばれてるにしろ、ばれてないにしろ、彼女を味方に引っ張り込まなきゃ動きようがないな)


 冬月はそう思って、ようやく寝所へと向かった。風呂を済ませれば時刻は既に真夜中。冬月が座って考え込んでいたのは居間に当たる場所だったが、思考を切り上げた時にはすでに誰もいなかった。なお、風呂にも誰もいなかったのには安堵した。


(時間はない。明日にでも行動を起こさなきゃ――)


 そう思って、冬月は自分で探し当てて用意した布団にもぐりこんだ。周りのみんなから微妙に距離を置かれているが、まあいい。


 まずは縄を解いてくれたお礼を改めて言うところから、はじめてみようか。そう、考えを巡らせていた時だ。


 ――ギイ――。


 先ほど後にした居間の方で微かに扉がきしむ音を、冬月の鋭い聴覚は聞き取った。明らかに、扉が開いた音だった。扉に駆けられている呪術が発動した様子はない。きちんと見れなかったが、昼間に兵士が冬月を部屋に入れた時もそうだったように、手順を踏むか、或いは開けるのが男性ならば反応しない仕組みなのだろう。


(なんだ? こんな時間に――?)


 冬月は布団にもぐりこんだまま、気配を消して耳をそばだてる。すると今度は、静かに寝室の戸が開いた。


 黒く大きな人影が入ってくる。甲冑は身に着けていない。ただ、その身のこなしは玄人ではないが、素人というほどでもではないので、おそらく新米兵士だろう。


(見回りか?)


 冬月は思うが、だからと言って女の寝所に入ってくるだろうか。逃げないように、というなら扉の前で見張っているだけで十分なはずだ。普通の少女たちには、逃げ出しようもないほど厳重に閉じ込められているのだから。むしろ、扉をわざわざ開けて入ってくる、というのは逃げ出す隙を与えることにもなりかねないだろう。


 冬月は眉をひそめ、目だけでその兵士の動きを追う。その男は音もなく、寝静まった女たちの間を泳ぐように歩いていた。冬月が起きていることには気づいていないようだ。


 しばらくそうして静かに歩いていただけだったから、冬月は本当にただの巡回かと思った。色々と普通ではない命令がまかり通っている国なのだから、兵士による非効率的な監視もあるのかもしれない、と。


 しかし。兵士はある一点で足を止めた。冬月はますます眉根を寄せる。


(あそこ……。僕の記憶が正しければ、確か)


 あの黒髪の少女・澪南が寝ていたのが、あのあたりだったはずだ。


(――おい、まさか、)


 と、思った瞬間。兵士の体が沈み込んだ。冬月は眼を見開く。


「!? ……ふっ――」

「静かにしろ!」


 そうして聞こえてきた澪南と兵士の声に、次の瞬間には頭が真っ白になるほど怒りが立ち上ってきた。


「―――」


 冬月は無言で立ち上がった。気配を消したままの彼女には兵士も澪南も気づかない。冬月の瞳に、冷たい色が宿って燃えた。


「やっ……!」

「黙れって――。どうせお前らなんて生贄になるんだから、なにしたって――」


 ああ、吐き気がするな。


 思って、冬月は無表情だった顔に笑みを刷いた。


 そうして、澪南に馬乗りになっているその兵士の、あらわな首もとに、手をかける。


「――何を、している?」


 かけた声は、おそらく阿星ですら聞いたこともない凍てついた温度。しかし笑みは刷いたまま。


 兵士が跳ねるように振り返って見たその顔は、凄絶なまでに美しく、おぞましいまでに酷薄な笑みだった。


「答えられないのか? なあ?」


 冬月はただ尋ねる。兵士は金縛りにあったように彼女に魅入り、……しかしその表情は恐怖に引き攣っていた。


「……おっ、まえは……!?」


 しかし彼は無理やり声を出した。冬月の醸し出す殺気に慄きつつも、こちらを女と思って侮ったのだろうか。その顔には若干生気が戻っている。けれど、冬月はその侮りを許さなかった。


 ほほえみをそのまま、ギリっと首にかけた手に力を込める。うめき声が上がるけれども、どうでもいいことだった。


「騒ぐなよ」


 冬月は笑みを絶やさずに、手刀を一つ、男の首に落とした。それだけで白目をむいた男が、澪南の上に崩れることを防ぐためにすかさず蹴り上げる。容赦などない。ぐったりと床に倒れた男を冷たく見下ろすと、冬月は自分の寝床からシーツを持ってきて、瞬く間に縛り上げた。


 それから澪南を振り返ろうとしたところ、再度部屋の扉が開き、兵士三人が顔をのぞかせた。彼らは、一様にへらへらと下卑だ笑いを浮かべている。


(やっぱりグルか。扉の前、四人見張りがいたからな)


 予想してた冬月は、動じない。ただ冷たく瞳をすがめる。


「おいおい、何してんだ、俺らの順番が——」


 その声が聞こえた時には、冬月は音もなくすでに駆けだし、彼らのもとへとたどり着いていた。一人目には下から上へ、蹴りが顎を撃ち抜く。そのまま隣の男の鳩尾を拳で抉り、三人目。


「へえ」


 三人目の男は、かろうじて冬月の攻撃を避けて見せた。勘はいいのかもしれない。……でも。


「遅い」


 事態に混乱しつつも、慌てて構えようとする三人目の男の背後に回り込んだ冬月は、首に手刀を落として、三人目までも制圧完了した。


「……あ、あんた、あんた、兵士を……!」


 なんてことを、と、か細い悲鳴のような声を上げたのは澪南だった。よく見ると、ほかの少女たちも起き出したのか……起きていたのか、数人ずつ集まって震えながら冬月を見ていた。


 兵士に手を出して、城下の家族が脅かされたら、と怯えているのだろうか。まあ、冬月の躊躇のない所業に引いている可能性もあるけれど。


 思いつつ、冬月は手際よく三人の兵士をも縛り上げてから、澪南たちを振り返った。


「報告されて何かあるんじゃ、という心配なら、大丈夫ですよ。こいつらにまともな頭があれば、このことは誰にも言えないはずですから」


 そもそも、今夜あったことを報告するというのは、自分たちが『たった一人の少女』に一撃で沈められた、と暴露するということだ。女を下に見ているらしいこの男どもが、そんな不名誉を己から言いふらすとは思えない。


 というか、言いふらしたところで、冬月は自分自身の見た目が、全然全く強そうには見えない、ということを知っている。それで、この兵士たちの証言を信じる人間が、どれほどいるだろうか。なお、万が一疑われたら、冬月は全力でか弱い演技をする気満々だ。そこに羞恥心などない。


 さらに言うなら、この国の皇帝が狂っているかどうかは知らないが、少なくとも、澪南たちは皇命で集められた少女たちだ。その価値が『生贄』だとして、手を出しそうとして騒ぎを起こすというのは、皇帝の威信にもかかわってくる。バレればこの兵士は今の地位を保てはしないだろう。


 少女たちを力で、恐怖で、抑え込めると、抵抗なんてできないと思い込んで、少女たちさえ黙らせれば問題ないと高をくくって、自分の欲だけに従ってこんな短慮を犯したのだろうけれど。


 そのようなことを、冬月が簡単に説明すれば、澪南たちは明らかに肩から力を抜いた。それを見て冬月は優しく笑う。そして、震えて自分の肩を抱くようにうずくまっている、澪南の横にしゃがみこんだ。澪南はびくりと肩を震わせたが、冬月はその手を取って心配げに言った。


「澪南さん、大丈夫だった? ――怖かったよね、私が起きててよかったよ」


 言いながら、澪南の様子を案じる冬月。当然、そこには男どもに向けていた殺気など微塵も感じられない。澪南は、そんな冬月に目を白黒させていた。


「もう大丈夫だよ。二度とあんな阿呆は、私が近づかせない」


 そんな冬月にの瞳を見返して、ひっくと一つしゃくりあげた澪南は、堰が切れたようにぼろぼろと涙を流しはじめた。肩を震わせて、冬月に縋りつく。


「こわっ……かった……! 怖かった……!」


 そんな彼女を冬月は優しく抱きしめた。真摯に澪南を見つめて、そっと声をかける。


「――安心して。私が君たちを、護るから――」


 ほんの少し体を離して目を合わせ、澪南の濡れた頬を撫でると、ゆるりと笑ってみせた。澪南の顔が、暗闇でもそうとわかるほど真っ赤になった。


 そうしてしばらく澪南を落ち着かせてから、冬月は澪南をほかの少女たちに預け、床に転がる四人の男どもを引きずって、居間へと移動した。


(こいつらにまともな頭がなかった時は、無駄に騒ぐかもしれないからな)


 きっちり言い聞かせておかなくてはなるまい、と考えた冬月が正しかったことは、たたき起こした兵士たちの言い分からわかった。


「生贄になる女風情が……!」

「こんなことして、どうなるかわかってんだろうなあ!?」

「俺らだって、無理矢理兵士になってんだ……! このくらいいだろうが!」

「どうせ俺らみんな死ぬんだよぉ!」


 そんな、ぐちゃぐちゃ煩い彼らに、懇切丁寧に彼らの状況を教えて差し上げたところ、静かになった。素直が一番だよな、と冬月は思った。


「くっそ、くっそ、美人なのに……詐欺だ……」

「誰が詐欺だ」


 ……いやまあ、男(の体)なのに女と偽って潜入している身なので、……詐欺なのか? ちょっと悩んでしまった。ちなみに、男たちが一番深く納得したのは、男どもをぶちのめしたのが冬月だ、などという証言は信じてもらえないだろう、というくだりだった。自分に置き換えて考えてみたらしい。男どもはつぶやいた。


「……夢でも見たんじゃね、って俺なら言うわ……」


 全員頷いていた。なんか無性に腹が立ったので、脛を蹴飛ばしておいた。もだえ苦しんでいたが、どうでもいいことだろう。


 それから、素直になった彼らから色々と話を聞いた。『無理矢理兵士になった』『どうせみんな死ぬ』……など、気になる発言が多かったためだ。


「だから、俺らも女たちと同じで、徴兵されたんだよ……ですよ」


 聞くところによると、やはり冬月が予想したとおり、大規模な徴兵が行われているらしい。この男どもも、そうして集められたようだ。


 そうしてさらに、男たちから聞いた話に、冬月の眉間にはどんどん皺が寄せられていく。


 ——いわく。徴兵された男たちは、いつの間にか消える(・・・)のだという。配属が異動したわけでもない、どこかに出兵したわけでもない、けれどいつの間にか姿が見えなくなる。


「女だけじゃないんだ……俺らだってどうせ生贄だかなんだかで、いつか殺されるんだよ……!」


 生贄として集められる女性たちと、徴兵される男性たち。おそらく、脅しの文言は同じなのだろう。……自暴自棄になっていた、と四人は認めた。だからと言って許される行為ではないけれど。


(……『狂った皇帝』、か)


 冬月は考えを巡らせ始めた。












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