4,『ひとでも龍でもない何かによって、(Side世悧)』
自分から距離を取るように、森の中にいた二人が戻ってきて、世悧は困惑していた。かなり精神的に混乱し、ひどい状態だったはずの二人なのだが、冬月はきれいな笑顔で、阿星は頭を抱えて戻ってきたのである。どうした。特に冬月。阿星にいったい何をしたんだ。
しかし、世悧にその疑問を口に出す機会は与えられなかった。すっと近づいてきた冬月は、右手で阿星の手を握り、左手で世悧の手を取った。そして阿星と世悧の手を合わせるようにぎゅっと胸の前で握り、言った。
「隊長。先ほどの話ですが、——僕たち、三人で一緒になりましょう」
「なんて?」
冬月はほほえみを浮かべていた。美少年っぷりをこれでもかと発揮し、むしろ光の加減できらきらと輝く金茶の髪に、深い紺青の瞳が慈愛を湛えていて、神々しいほどだった。
だが言っていることは意味が解らなかった。
世悧と同じように手を握られている阿星は、遠い目をしている。世悧はなんとなく察した。よくわからないことを言いだした冬月と、この銀髪の少年は押し問答を繰り広げ、……そして押し切られたんだろうな、と。
「詳しい説明を求める」
世悧は当然の主張をした。そもそも、冬月の発言が、さっき世悧が問い詰めてしまった、『龍使いたちの秘密』につながらない。もう、全然意味が解らない。世悧だって、冬月と阿星を追い詰めるような真似をしてしまって、あまりに余裕のない自分に思い悩んだり、自分だって何もかも二人に話しているわけではない、という事実を思い出して自己嫌悪したりしていたのに。
なんだかいろいろ、がっくり来ながら、世悧は冬月の話を聞いた。途中で立ち直ったのか調子を取り戻した阿星も加わって、冬月の言いたいことを理解した。
「つまり、『伴侶』という体裁があれば、『龍使いの里の一員』扱いだと押し通せると、そういうことか?」
「そういうことっすね」
世悧の確認に阿星がうなずく。阿星は既に、開き直ったらしい。突拍子のないとしか言いようのない冬月の案を、受け入れている様子だ。若いってすごいな、と世悧は思った。順応力が違う。あるいは、彼らが幼馴染だからこそなのだろうか。
「いや、百歩譲って『伴侶』ってことにしても、三人じゃなくてもよくないか?」
「え? 隊長は、僕と阿星のどちらかを選べるんですか?」
頭痛をこらえて尋ねた世悧に、心底意外そうに冬月が答えた。そして阿星まで、世悧を興味津々に見てくる。とても気まずかった。
「やめろ、答えにくいことを聞くな。俺が悪かったよ! 上等だ、二人まとめて俺の旦那な!」
世悧はやけくそで、叫んだ。冬月と阿星は、似たような、にんまりとした笑みを浮かべた。
「はい、よろしくお願いします」
「あっはっは、末永くよろしくっす!」
所詮こんなもの、詭弁だと全員が分かっている。それでも、自然と笑いがこぼれたのは、ひかれた一線が解けて消えた、気がした。
☽☽☽
それから、世悧たちは本題に入るため、少々移動して、準備もした。まあ、主に冬月が盗聴防止の呪術を施したというだけだが。見た目、とくに何も変わらないので、世悧や阿星にはよくわからなかったが、試しに呪術効果範囲の内と外をいったり来たりしてみると、確かに範囲外にいると内側の声が一切聞こえなかった。世悧たちはややぐったりしている冬月を称賛した。
冬月がぐったりしているのは、冬月の技量的に、ギリギリ使えるような大掛かりな呪術だったため、かなりの気力を持っていかれたらしい。「成功してよかった……」と呟いていたので、たぶんほとんど使ったことがないのだろう。そりゃそうだろう、簡単に使えるのなら、これまでだって使った方がいい場面はいくらもあったのだ。
(それを、ここにきてやったってことは、そんだけ重要な話なんだろうな)
日が傾いてきたため、適当に夕飯を済ませ、焚火を囲みながらそう思う。『伴侶』云々の話で随分と軽くなっていた空気が、再び引き締まったのを感じた。
そして、二人は語り始める。
「……隊長も知っていると思いますが、今、この世界は大陸が一つしかないですよね」
冬月の確認に、世悧はうなずく。
「ああ。もともとは八つに分かれていたが、千年前に大規模な地殻変動が起こって、全ての大陸が一つになったんだろう」
その地殻変動の影響はすさまじく、当時の人類の約三分の二が死に絶えたとまで言われている。いくつもの国が消滅し、混乱の時代が訪れ、戦乱が耐えなかった時代だと。それからおよそ千年。今年は統一大陸歴一〇一八年である。
……ちなみに、その地殻変動で、千年前よりさらに以前の歴史がほぼ失われていることもあり、かつて八つに分かれていたそれぞれの大陸についてはほとんどわかっていない。ただ、龍たちの縄張りが、かつての八つの大陸それぞれの範囲だったのではないかと言われているのみだ。
「じゃあ、なんで地殻変動が起こったのか、ってのは知ってるっすか?」
阿星の問い。世悧はそれに首を振る。話しの先行きに、不安を覚えながら。
「いや……。火山活動がどうとか、大地震が起こったためとか、星が降ってきたとか、色々と研究されているらしいが、明確にはなっていなかったはずだ。……俺が、知っている限りでは」
その答えに、冬月と阿星はゆっくりと否定した。
「それらは、正しい答えではありません。龍使いには……いえ、龍使いの里でも、気づく人だけが気付いている、って感じなんですけど」
「それは……?」
「明確に、教えられたわけじゃないんすよ。ただいろんな知識を詰め込まれている中で、それらを繋げて考えて、違和感を持ったヤツだけが気付いてる。……里の大人は、大抵気づいてそうっすけどね」
阿星の言葉を受けて、冬月がピン、と指を三本立てた。
「僕らが教えられたのは、大きく分けると三つです。千年前、ある龍使いが乱心して、龍を操り、龍の数が激減したこと。その後の、世界の人口推移。龍の大まかな襲撃状況」
乱心した龍使いについては、戒めとして。人口推移や襲撃状況は、今後の龍使いとなるうえで把握しておくべきこととして、学んだという。
「——人口推移って、簡易的なもんじゃなくて、かなり細かく、俺らの先祖の執念としか思えない精度で学ぶんすよね。国ごとレベルで。襲撃状況にしても同じっす」
阿星の言葉に、世悧はドン引きした。龍使いに求められる知識量がえげつない。しかし、この様子だと、そのドン引きレベルの知識を全て身に着けているのが冬月と阿星、ひいては龍使いたちなのだろう。それだけでもう、恐ろしい。
けれど、続いた話に、世悧はそんなことには構っていられなくなる。
「最初に気づいたのは、総人口の推移の違和感でした。……千年前、激減した人口は、その後の混乱期を経て徐々に増加したんですが……一定のところで、その増加がぴたりと止まったんです」
「え?」
「国ごとの栄枯盛衰はもちろんあるっすよ。栄えている国は人が多いし、逆は少ないし。戦争や飢饉なんかがあれば当然、減るし。けど、全ての国の人口を合計してみてみると、統一大陸歴三百年あたりで十五億人前後になって、そこから、大きく減りもしなけりゃ、増えてもいないっす」
阿星の言葉に、背筋に悪寒が這う。そういう視点で、人口を考えたことがなかった。あるいはそういう研究をしている者もいるのかもしれないが、そもそも龍使いたちほど昔から、世界全ての人口について記録している団体や国はほとんどない。地殻変動前の歴史は失われ、その後の混乱期の情報も散逸しているし、正確性は著しく低い。というか、他国の歴史や人口の情報をすべて手に入れる、というのが普通は不可能だ。その不可能をやってのけている龍使いたちが異常なのである。
「偶然、なんてことは、」
「七百年って、偶然が続くにはちょっと長いと思うっす」
阿星に言われて、だよなあ、と肩を落とす。それに追い打ちをかけるように、冬月が口を開いた。
「その人口の増減について、龍の襲撃が深く関わっているんですよ」
「……」
そうつながるのだろうとは、思っていた。考えたくなかっただけで。
「その、根拠は?」
「統一大陸歴三百年ごろ、人口が増加していたころ、龍の襲撃はまばらでした。襲撃の規模も小さかったようですね、いまよりもずっと。そして、人口が十五億に近づいたころから徐々に増加し、現在の状況に近くなっています。その増加率はおよそ五倍です」
「龍の数が激減した、と言っていただろう? 人口と同じようにゆっくり龍の数が増えたなら、その影響じゃないのか?」
冬月の答えに、世悧は指摘する。けれどゆるゆると首を左右に振られた。
「……龍はある意味、不死です」
息を飲んだ世悧に冬月と阿星は語ったのは、これまで一般人には知られていなかった、龍の生態だった。
龍とは、おおよそ三百年くらいの寿命を持つという。その中でも龍王は、八百年生きるといわれているらしいけれど。そんな龍たちは人間や動物とは根本的に生態が異なり、生殖行為はしないし、そもそも無性。ただ、死の前に卵を産み、それぞれが生まれ直すのだという。卵を産む前に死した場合ですら、その骸から新たに生まれ出でるのだと。
千年前、乱心した龍使いによって龍同士が争い、多くの龍が『死んだ』が、それらもまた『生まれ直した』のだ、と。
「だから結局、龍の数は一定っす。寿命を迎えて卵に還り、また生れ出る。そういう生き物なんすよ」
そうして、世悧は龍を滅ぼそうとすることの無意味を知った。龍の鱗を貫く龍珠を用いて戦う冬月と阿星を何度も見てきたが、彼らが決して龍を殺そうとしなかったことも、思い出した。
龍とは、なんて理不尽な存在なのだろう。何度目かの思いが去来して、けれど振り払う。その龍という存在について、今、冬月と阿星は世悧に教えてくれようとしているのだ。屁理屈をこねて、掟を破り、危険を冒してまで。
「つまり、三百年もたつ前に、とっくに龍の数は元に戻ってたってことだな」
「はい」
冬月から返ってきた肯定に、言い表しようのないやるせなさを感じ、無理矢理飲み下す。そんな世悧に冬月と阿星は淡々と告げていった。
「人口推移と龍の襲撃について、例を上げましょう。統一大陸歴四八六年、西方・パッケロ国の大飢饉。百万人規模での被害を出しましたが、この間、西龍の襲撃は通常時の八分の一でした」
「統一大陸歴四九〇年、北西のザンザラー王国で起きた内戦。十年間続いたんすけど、この時も北西龍の襲撃は通常時の五分の一だったっす」
「五二二年、当時のテンダム王国が大発展し、北東諸国をまとめ上げ、ほかの地域へも進出しようとしていましたが、龍の襲撃が徐々に増加・激化した影響を受け、国内が荒れた結果再び分裂しています」
「六三五年、オッチェンジェスタ国で起きた大寒波。この年の龍の襲撃はかなり小規模だったみたいっす」
「七〇八年、西方コンダベール、北西リウッカ、北方ミザケラによる三国間戦争。襲撃それぞれの規模は小さいものの、かなり頻発したせいで三国それぞれ戦争どころではなくなったとか」
「それから……」
「もういい。……つまり、人口の増減が、龍の襲撃によって調整されているってことなんだな?」
阿星を遮り、世悧は言う。めまいがしそうだった。否、むしろ吐き気を耐えている。つまり、それは——人間と龍の関係とは、龍によって人間の数が管理されているということなのだろうか。ならば、『龍使い』の役割とは、その補助、なのか?
「……そういう面がある、ってことっすね。多分、自分たちの行動によってそういうことが起こっているってのは、龍も自覚してねえんじゃないかって、推測してるっすけど。だってマジで、龍って人間に対して、『獲物』以上の興味ないっすもん」
阿星は言った。その言葉の意味を理解して、世悧はさらに戦慄する。だって、つまりそれでは、ひとでも龍でもない何かによって、決められたことのようではないか。
あるいはそれが、『神』だとでもいうのか?
「人口を、調整する、意味ってなんだ? それが、千年前の地殻変動につながるっていうのか?」
問う。冬月が苦笑した。
「隊長は話が早いですね。……ここからは仮説ですけど……龍の数と、人間の数の均衡によって、世界の均衡が保たれているんじゃないかと、僕らは考えています」
「……え、」
「始まりは、乱心した龍使い。そいつによって一時的に龍が激減した。均衡が崩れ、地殻変動が起こったのではないか、という仮説っす」




