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天統べる者  作者: 月圭
第三章 誇り穿つ矜持
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3,『見えない線が引かれている』


 トキロ村を焼き尽くした炎は、冬月の呪術でそれ以上燃え広がることなく消し止められた。何もかもが灰となった場所で、わずかばかりの痕跡を集め、埋葬をする作業に、冬月たちは数日費やした。


 ここ数日、三人とも口数は少ない。これまでの旅路で、何度も龍に襲われたし、襲撃を受けた後の街や村も見てきた。けれど、目の前で村が滅ぶ瞬間を見てしまったのは、初めてだった。


 風が通り抜けて、簡易な墓標に供えられた花を揺らしていく。焼けただれた死体の中には、何頭もの馬もいた。周囲に残った蹄の跡から、いくらかは逃げたのだろうけれど。馬たちにも丁寧に墓を作った。この村の人々にとって、我が子に等しい宝だったのだろうから。


(……わかってる。全部なんて救えない。そんな、力はない。僕にも、誰にも)


 だけど無力感に苛まれる。乗り越えなくてはいけないのだろうけど。父や東海、雁十たち、先達の龍使いたちは、この虚しさを、悔しさを、乗り越えてきたのだろうけど。


 ふと、視線の先に阿星と世悧をとらえる。こぶしを握り締め、固く目を閉じて、祈る阿星。その向こうにいる世悧は、怒りをかみ殺しているような不自然な無表情だ。


 世悧がぽつりとこぼした声が、風に乗って届く。


「……なんで……なんで、こんな。どうして龍使いは、こんな光景を生み出す龍を、憎まずにいられるんだ?」


 その問いに、冬月と阿星は答えられなかった。


 世悧の言うとおり、冬月たちが抱くのは、自身への無力感。力不足への憤り。未熟さへの失望。そこに、龍への憎悪や怒りは含んでいない。


 龍使いにとって、龍とはそういう生き物なのだ。理が異なる存在。人間の枠に収めてはいけないもの。同時に、龍を憎むことの無意味さも、龍使いは知っているのだ。……その考え方を、龍使い以外は理解できないだろう。それが、普通だ。


 人間にとって、龍は脅威である。対抗手段などほとんどない、圧倒的な力を持つ、侵略者であり、略奪者であり、殺戮者である。


 ぐっとこぶしを握り締める。そして視線を上げた先で、理解できない何かを見るような視線が、世悧のまなざしに交じっていることに気づいた。気づいてしまった。びくり、と肩をはねさせたのは、自分だけではない。阿星もまた、泣きそうな顔で世悧の視線を受け止めていた。


「なあ、冬月、阿星。本当に、育った環境の違いだけなのか。だから俺は、お前らを理解できないのか?」


 世悧が重ねて問う。一歩、踏み出された彼の脚に、思わず一歩、冬月たちは後ずさった。見えない線が引かれている気がした。それは、最初からあったはずなのに。だけどここ数か月、ずっと一緒にいて、限りなく薄れているように錯覚してしまっていたのだ。冬月は縋るように、服の下に身に着けたペンダントを握る。


 けれどその一線を、世悧も明確に感じたのだろう。傷ついたように、瞳がゆがむ。


「……俺には話せないことが、あるんだな」

「俺らは、嘘はついてないっす! ただ……」


 以前、世悧に話したこと。龍にとって人を襲うことは娯楽であり、本能でしかないということ。弱肉強食と言ってもいいかもしれないが、龍にとって人間は、知性があろうがなかろうが関係のない、『獲物』に過ぎないという話。


 それは、真実だ。ただ、話していないことが、あるだけで。


(だって、)


 まだ、迷っている。何が最善なのか。世悧のために、自分たちのために。


 話さなければきっと、世悧との距離は離れていくとわかっているけれど、それでも迷う。何も語らなければ、彼は、冬月たちを理解できないままだろう。話したところで納得できるかは、別であっても。


 関係の浅い、ほかの人間なら多分、こんなことで悩まない。龍使いへの認識も龍への認識も、理解し合えないことも、きっとそのままにしておいた。それでよかった。だけど、ここまでずっと一緒に旅をして、世悧がそんな、『それでいい』存在ではなくなってしまったのだ。……きっと、阿星にとってもそうだから、今、隣にいる幼馴染は、ひどく泣きそうな顔をしている。


「それを、話したら、隊長は……聞いたことを後悔する、気がします」


 血がにじむほどにこぶしを握り締めて、冬月は言う。世悧はハッと嗤った。


「やっぱ、俺はそこまで、信用されてないんだな」

「そうじゃない! 違います!」

「何が違うっていうんだ?」


 冬月の否定に、聞いたことのなかった低い声で問われる。冬月は答えに窮し、だから叫んだのは隣の幼馴染で。……その翡翠の瞳から、こぼれた涙を見た。


「だって、これを知ったら、隊長は……俺らの里に命を狙われるかもしれないんすよ……! それでも話せっていうんすか!?」

「阿星!」


 声を荒げた阿星を、冬月が制止する。肩を掴まれて、ハッとした様子の阿星は、瞠目する世悧を見てうつむく。


「わりい、冬月。……すんません、隊長。俺、頭冷やしてきます……っ、」


 そうして、踵を返そうとした阿星に、手を伸ばそうとした時だ。冬月はぐっと腕を引かれた。たたらを踏んで振り仰げば、そこには駆け寄ってきたらしい世悧。


「隊長、」


 息を飲んだ冬月が呼べば、紅色の瞳が冬月と阿星を交互に見る。冬月だけでなく阿星の腕も捕まえていた彼は、二人をひとまとめに抱きしめてきたものだから、危うく阿星とぶつかりそうになった。けれど、それに対して何かを言う前に、世悧が謝罪を告げた。


「……俺が悪かった! 俺のために言わないでいてくれたんだな」


 そして彼は、ぐっと冬月と阿星の背中を抱く手に力を込める。大柄というわけではないのに、温かくて大きな手だと、思った。


「でも、俺だって覚悟くらいある。覚悟決めてないなら、こんなこと聞かねえし、お前らと一緒に旅なんかするか」

「「!」」


 言いながら、世悧がほんのわずかに震えていることに、阿星も気づいただろうか。


「俺は、何も知らずにお前らを誤解するのは、嫌だ。……でも、お前らだって、そりゃ話しちゃいけないことをホイホイ話したら、危険かもしれないんだよな。だからさ、」


 抱擁を緩めた世悧が、冬月と阿星の瞳を間近で見つめた。それに魅入られるように、冬月たちは見つめ返す。


(『何も知らずに、誤解する』……)


 世悧の言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。そして、さらに世悧は言う。


「お前らが、俺に話していいって思った時に、教えてくれ。俺は聴かなきゃよかったと思うかもしれない事でも、受け止めるから」


 その優しい声音に、冬月は自分の中で、とある可能性(・・・・・・)への目隠しが、はがれた気がした。




   ☽☽☽




 焼け落ちたトキロ村から、やや離れた森の中。冬月と阿星は二人、葛藤していた。そして冬月はぽつりとこぼす。


「……考えてみたんだ」

「何を?」


 振り向いた阿星に、冬月はもたれかかるようにして小さな声で答える。


「隊長の立場を知りながら、僕の龍珠のこととか、状況もあって、結構いろいろ話してきたじゃん、僕ら。あんま話さない方がいいこともあったけど、ごまかしがきく範囲ではあった、と思ってる」


 一応、その都度、話していいことと悪いことはちゃんと考えていた。だから、以前に龍とのかかわり方について、世悧に聞かれたときにすべてを答えなかった。


 ただ、かなりぎりぎりの線引きだったことはわかっている。自分たちは世悧に対して、ひどく心許しているということも、自覚はしていた。……最初はそんなことなかったのに、もっと警戒をしていたのに。いつの間にか、当然みたいに、里の仲間の一員みたいに、そばにいて、一緒に話していた。


「……んなの、わかってるよ、俺だって。だけど、今までの話とはわけが違うじゃねえか」


 阿星の言うことも当然だ。世悧だけじゃない、話した自分たちも、きっと命を狙われる。それは、この世界の根幹にかかわることで、この情報を利用すれば、やろうと思えば本当に、世界を滅ぼせるかもしれないのだ。だから秘匿されてきた。沈黙は、守られてきた。


 たぶん、話さないことを今選択したとしても、世悧は許してくれるだろう。世悧のための選択なのだと、飲み込んでくれるのだろう。でも、越えられない一線と、わだかまりは残り続ける。


 それを我慢する強さは、たぶんある。冬月と阿星はそういう一族で、そういう教育を受けてきた。そして世悧は、自分たちよりも大人で、強い。


 だけど、冬月は思う。


「……もしかしたら、これから先……隊長が、知らない(・・・・)ことが、あの人の身を危険にさらすんじゃないかって、思ったんだ」

「え?」


 首をかしげる阿星を見つめ返した。冬月は、つい先ほど気づいてしまった……いな、おそらくは目をそらしていた可能性について、語る。


「今さ、龍の襲撃状況が異常だろう? で、龍使いの動きも、僕らの予想とは全然違うみたいで、違和感を覚えているよな」

「おう」


 これまでの旅路で、これだけ龍の襲撃が頻発している地域で、一度もほかの龍使いに出会っていない、というのは数日前にも出た話題だ。掘り下げることをせずに話題が移ったが、たぶん冬月と阿星は無意識に、掘り下げることを避けたのだ、と今は気づいている。世悧には言っていないが、里の『行商』に出会えるはずの場所で、出会っていないということもある。その、異常。


「龍使い一人の力で、南龍と北龍をどうにかできるとは思わないけど……もし、それが、複数の(・・・)龍使いによる(・・・・・・)行動だった(・・・・・)、と考えたら……龍使いの里が総出で、それに対処しているということが考えられる」

「はっ!? なに、いって、……」


 しりすぼみになる阿星の声は、冬月の言った可能性がゼロとは言い切れないと、わかったのだろう。


 龍使いは、龍を御する異能を持つがゆえに『龍使い』なのだ。そして、龍が本来はしないはずの行動を繰り返している。……それは、龍たちを操る何かがいるためではないか、と考えにたどりつくのは難しくない。


 龍使いは、人間にも龍にも偏らず、ただ龍の襲撃を退ける。それが一族の生き方であり、存続のための手段だった。連綿と紡がれてきた。


 けれど、ひとは変わる。そして、どれほどに幼いころから教えこまれていたって、個々人の思想は強制できない。龍を操って人を襲わせる、といった行動をとる龍使いが、存在する可能性は否定できない。……信じたくなくてもだ。


「可能性だよ。可能性でしかない。何も確証はない。南龍の様子をつぶさに観察できたわけでもないし、実際にそんな馬鹿げたことをしている龍使いを見たわけでもない。だけど、『ありえない』とは言い切れないよな?」

「いえ、ない、けどよ……」


 絞り出すような声は、困惑と戸惑いに満ちている。けれど冬月は、先ほど気づいた可能性について容赦なく告げた。


「もし、だよ。龍使いの誰かが、龍の異常行動を引き起こしたのだとしたら……その結果、引き起こされることが何なのか、知ってるか知らないかって、隊長にとって全然感覚が変わるだろ」

「!」


 正確には、抱く危機感がまるで異なるだろう。阿星は冬月をじっと見て、深くため息をついた。きっと、そのため息の中に、冬月が提示した可能性に付随する、里の家族や幼馴染への心配や不安を押し殺して。


「……ああああ……。くそ……隊長が隠してる『あのこと』もあったな……。中途半端は、一番よくねえのか」

「うん。僕も、知らないままにあの人が動くのはまずいと思う」


 苦笑するのは、お互い様だ。きっと龍使いとしては、危険性を感じた時点で『処理』するのが正しい。けど、そんなことはしない。したくない。しないために、今、言い訳を探して足搔いている。


「阿星、確かに、『あの話』は、今までとはわけが違う。……だから、こう考えよう」


 冬月は覚悟を決めた。そしてこちらを眉をひそめて見つめてくる阿星に、きれいに笑って見せた。


「隊長は、僕らの『伴侶』ってことにしよう。里に外部から嫁入りする人も居るんだから、何と言われようとそれで押し通そう」


 ぽかんと阿星は間抜け面を晒した。


「は? いや、俺ら全員男だが?」


 それはそう。いや、冬月の正体は女だが、そこは置いておくとして。


「大丈夫だよ。世界には同性婚が認められている国もいくつかあるし、龍使いの里に夫婦は男女じゃないといけないって掟はないだろ?」

「いやいや、掟はないけども? そもそも三人でって」

「一夫多妻、一妻多夫なんてそこら中の国で認められているじゃないか。里でも一夫一妻制、っていう規定もやっぱりないし。問題ないよ」

「実際問題そういう関係じゃねえじゃん! 俺らただのダチってか仲間じゃねえか!?」

「実態が即している必要なんてないだろ? 好いた女性(・・)ができれば、その人たちも一緒に幸せになろう」


 海のように心が広い人を見つければ問題ないはずだ、と冬月は思う。阿星は先ほどまでの悲痛な顔とは一転、頭を抱えて唸っているけれども、たぶんこいつは折れる。


 冬月は知っている。阿星という男は、これでも十七年……もう少しで十八年だけれど、冬月と共に育ってきた幼馴染で、大人たちを翻弄してきた問題児なのである。


 冬月は、これから世悧に伝えることに決めた話に付随して、どうしてもくすぶる昏い感情を奥底に封じ込めて、それはそれはきれいに笑ったのだ。












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