1,【性に諍い裏切りを隣に たとえ己が命を擲とうとも】
【性に諍い裏切りを隣に たとえ己が命を擲とうとも】
露空と別れてからの旅路は、おおよそ順調だった。勿論当初は冬の気配もあったが、適当に傭兵として依頼を受けつつ、じりじりと南下。季節は巡って、秋の終わりが見えてきていた。とはいっても、オッチェンジェスタ国とは違い、南の国々はまだまだ、日中は汗がにじむ暑気が残っているのだけれど。
騎馬で最短距離をいけば夏の終わりにはタラスジェア帝国にたどりついていただろうが……まあ、南の国々は予想以上の暑さだったし、傭兵の依頼を受けつつ、時には徒歩での移動もあった。それらを踏まえれば、まずまずの速さで移動できたといえるだろう。
今、冬月たちは、ラバトラスト王国を抜け、ズセリナジク国・ニーカゲダ王国・ザンマロ国を通って、南龍の住処のあるタラスジェア帝国を目指している。道中、何度か龍の襲撃にあうこともあったし、相変わらずジェタは冬月のストーカーだったけれども、タラスジェア帝国はもう目前である。
ただ、この数か月、移動しながら色々と情報も集めて、新たに不穏なうわさも聞いた。
——いわく、『タラスジェア皇帝は、狂っている』。
「俺が知る限り、今の皇帝はかなりのやりてって話だったんだがな」
傭兵としての仕事を終え、依頼主と別れた後。本日の宿の一室に集まって、情報をまとめていた時、世悧がそうこぼした。
「そうですね。僕らも、そういう風に聞いていたんですけど。なあ、阿星」
「……おう。タラスジェアってかなり、王権の強い国っすよね。そんで、その皇帝の政策で、ここしばらくは漁業と観光業で成功してたはずなんすけど」
トントン、と阿星が机をたたく。そこには、噂や実際に体験した人々の話がまとめられた紙が置いてあった。
「とにかく、龍の襲撃が増えているのは事実ですね。僕らも道中、結構遭遇しましたし」
依頼主をごまかして、冬月と阿星で龍を追い払ったり、かなり神経を使った。
「そうだな。東龍とか南龍の方が強いって話が、俺でもわかるくらいには、結構な回数襲撃があったもんな。……で、その強い南龍の巣である谷が、タラスジェア帝国にはあって……漁業にも観光業にも大打撃を受けて、財政が傾いている、と」
世悧も同じくトントン、と机を指でつきつつ話す。これは流れてくる商人たちが、こぞってその話をしていたから、やはり確かなのだろう。
「で、そんな状況で、皇帝陛下はまともな対策もうてず……むしろ襲撃が増え始めてからおかしな命令を出したりして、『狂っている』と言われ始めた……ってことっすね」
阿星がまとめて、冬月たちはうなずきを返す。中には皇帝が龍に何かをしたから襲撃が増えたのだ、とか、皇帝が龍に呪われたのだ、とか、黒呪術師がかかわっている、などという、荒唐無稽な噂まであった。
「……龍使いの動向も、ちょっと変なんですよね」
冬月はさらに懸念点を上げる。
「これだけ襲撃が頻発しているのに、一度もほかの龍使いに遭遇していませんし、龍使いが龍を追い払った、という話もほとんど聞きません」
「ああ。村人なんかに話を聞くと、短い間隔で同じ村が襲われることも多いようなのに、一度も龍使いは来ていないらしいな」
世悧も苦い声で話を繋ぐ。阿星が大きくため息をついた。
「つーか、襲撃回数も、ここまでとは思ってなかったっすよ。同日同時刻に複数の村が襲われたり、あり得ない大群で押し寄せたり、そんなの今まで、聞いたことがねえよ」
道中何度も言っていたことである。冬月と阿星が知る限り、龍の行動としておかしすぎる。
「やっぱ、龍がそんなに襲撃すること自体が一番おかしいんすよね」
阿星が言うそれに、冬月もうなずいて難しい顔をする。
「――? ……襲撃の回数は確かに多すぎるとは思うが、それほど不思議か?」
怪訝な顔をして尋ねるのは世悧だ。阿星が顔をしかめたまま答えた。
「あれ、話してないですっけ? 龍は基本、何も食べなくても生きていけるんすよ。食べるのは嗜好品的みたいなもんっす。動物も植物も食べれなくはないけど食べなくても死なないっすね」
「個体差はありますけど……根本的に、人間や動物とは作りが異なる生き物なんですよ」
冬月も淡々と付け足した。
「え。じゃあなんで人間を襲うんだ?」
当然の疑問として世悧が問うと、やはり淡々とかわるがわる、阿星と冬月が答える。そもそも龍とは、生存のために人間を喰らうのではないのだ、と。龍は生存に食事の必要ない種族であり、ただ娯楽の一つとして、或いは自衛のために、或いは本能的に、襲撃を行う。
「さっき言ったっしょ。人間は珍味。嗜好品みたいなものなんすよ」
「龍って人間と同じくらい知性がありますからね。そういうものも欲するわけです。生存のために食べる必要はないけど、食べれないわけじゃないので」
「それに家畜を狙ってたりもしますね。人間がおいしく育ててっから。人間はそのついでだったりするんすよ」
「人間だって動物の一種ですから。弱肉強食の野生の世界では脆弱な被食者の一つってわけです。あとは……龍って好戦的な生き物ですし、本能で襲撃したり……縄張りを荒らす者たちに対して攻撃することもありますけど」
「でも龍使いもいるし、動物のほうが旨いらしいんでふつうはそんなに襲ってこないはずなんす」
さばけた態度での答えに、世悧は少々意外そうな顔をした。
「……割り切っているな。龍が知性を持ちながら、同じく知性ある人間を喰らうことに嫌悪はないのか?」
困惑、もしくはあるかなしかの怒りに似たものをにじませた声音で世悧が問う。
たぶん当たり前の疑問に、冬月と阿星は苦笑をかみ殺した。
「……ありませんよ。だって、龍にとって捕食は本能で、自然の摂理ですから。人には人の社会と秩序があるように、龍には龍の社会があって、秩序があるんです。そこに介入する権利を僕等は持っていません」
何でもないことのように冬月は答えた。阿星も気負いもせずに続ける。
「世界は人間だけのものじゃないんすよ。確かに人間は文明では龍に勝るけど、純粋な力では絶対に龍には勝てないっす。どちらが中心でもなければ上もなく下もない。龍使いの里では、龍と人間のどちらにも傾かない、中間であることを心がけるように教えられます。だから、どちらか一方の物差しで、勝手に他方を図ることはしないっす」
世悧は瞠目する。そんな彼を見て冬月たちはこんどこそ苦笑した。
「僕らの師範の、受け売りですけどね。どうしても、人間側に寄りたくなることも多いですし。でも、阿星の言ったこと、それが僕たちの『常識』です。そう教えられて育ったんです。……龍使いと同じように龍を見ることは難しいって、わかってますけど」
世悧はわずかに息をつめたけれど、冬月たちは静かに笑う。
龍とは何で、人とは何か。その考え方が根本的に違う個所が、ある。龍使いは確かに人間だけれど、だからと言って人のために龍を貶めはしないのだ。
「……そうなんだな。まあ、ならそれはいい。じゃあ、お前らから見て、龍がこういった行動をとるようになった原因とか、心当たりはあるか?」
おそらく理解はしがたいだろうに、世悧は感情に任せて非難をせず、話しを進めた。ほんの瞬きほどの間、冬月は目を伏せる。
(……隊長がそういう人だから……こうして話せるんだよな)
感謝していた。言葉にもしないし、表情にも出さないけれど。そのまま、冬月は世悧の問いに答える。
「……いえ……。龍は簡単に、何かに影響を受けるような存在ではありません。万が一の話ですが、龍使いが操っているとしても……あんなに多くの龍を一度に操れる人なんていないですよ」
何しろ、おかしな行動をしているのは一頭や二頭ではなく、南龍や北龍という一族単位だ。里長である雁十ですら、困難だろう。阿星も紙を見つつこめかみを抑える。
「てか、龍使いとしても、そんなことする理由がないっす」
「お前らにもわかんねえか……。お前らが言う通りなら、行動が滅茶苦茶なんだよな。例えば、龍の間だけで流行ってる伝染病とかの可能性は?」
世悧はの問いは続くが、それには阿星がため息とともに答えた。
「それもなくはないっすけど、龍は縄張りがきっちり分けられてて。俺たちが知ってる中で、この目に見えねえ境界線を越えていく龍はいないっす。つまり龍は自分たちの一族の中でしか交流を持たない。だから、北龍と南龍が同時期に同じように伝染病……ってのは、ちょっと考えにくいんすよねえ……」
実はその境界を軽々超えて、冬月たちにくっついてきている東の龍王がいるのだが、冬月はそのことにはもちろん触れなかった。オッチェンジェスタで見ていた限り、東龍の襲撃頻度はおかしくなかったので、一連の事件はジェタが原因ではないのだろうと考えたうえでの秘匿である。
……どうしようもなくなれば、ジェタの存在を暴露するけれど、できれば言いたくない。東龍王がどうしようもない駄龍でストーカーだなんて、言いたくないのだ。
よって、冬月はジェタには触れずにしれッと返す。
「でも、龍の命令系統が狂っているかもしれないっていうのはありますね。龍は龍王に絶対服従のはずですから、龍王に何かあったという可能性は考えられます」
こうして、タラスジェア帝国に入ったら、皇帝と龍の様子を確認する、ということで、話し合いは終わった。それから各々、自由行動になる。冬月は静かに、部屋を出た。歩きつつ、静かに考える。
——先ほどは話題にしなかったが、冬月と阿星にはもう一つ、気にかかっていることがあった。この状況で、自分たち以外の龍使い一度も遭遇していない——ということに関連することではあるが……。
(『行商』の人たちにも、会ってないんだよね)
行商とは、異能を持たない里人で構成された、情報収集機関の一つだ。いくつかの商隊に分かれており、世界中を回る。そのルートはある程度の規則はありつつも、固定ではない。けれどそんな中、商隊が必ず一定期間滞在する、という街が複数ある。もちろん、全ての商隊が同時期に、ということではない。ただ、『この時期の、この街には、商隊の内一つが必ず滞在している』……という街があるのだ。
二十歳を超えた龍使いは、世界中を巡って龍と対峙する。里に戻るのは数年に一度あるかないかだ。そんな龍使いたちが互いに情報を交換したり、今回のように里が移動した場合に、新しい里の場所を知らせる役割を、行商はになっている。
ゆえに冬月と阿星も、行商から新しい里の場所を聞くつもりで、しっかり記憶している『時期』に『該当の街』を通った。
(でも、……いなかった)
一度なら、そういうこともあるかもしれない。けれどこの数か月間で、何度かあった機会すべてで会えなかったというのは、おかしい。
(隊長がいたから? ……そんなわけないよね)
冬月や阿星は様々な知識や技術を叩き込まれているが、それはつまり、龍使いの里の大人たちは、同じ技術をもっと高い精度で身に着けている化け物ぞろいだということだ。そんな彼らが本気を出せば、たとえ冬月たちが世悧と行動を共にしていたとしても、たったの一度も接触ができないなんて、そんなわけがない。
(でも、なんでそんなことになっているのか、阿星とも話したけどわっかんないんだよなあ)
今も、再度里であったことや、これまで集めた情報を振り返るが、全くわからない。重要な情報が欠けている、そんな感じだ。
(これ以上考えても、仕方ないか)
納得のいく答えが出そうにないので、思考を切り上げて、気分転換にそのまま外に出た。——その時。
「……」
冬月は思わず冷たい目になった。なぜならば、そこにジェタがいたからだ。いや、いるだけならいい。いつものことだ。なわばりのまできやがってこのストーカー駄龍が、と思うだけだ。
しかし今、目の前にいるジェタは一人ではなかった。
ちなみに二人でもなければ三人でもない。……五人だった。しかもジェタの周りに群がる人影、それはどう見ても妙齢の美女ばかり。冬月は眼をすがめてその光景に見入る。
「……うわぁ……」
思わずつぶやきが漏れる。実のところ冬月の目は常人よりかなり優れた視力を誇っている。ジェタたちがいる場所は、人込みを挟んで若干の距離があったが、女たちの熱を帯びた視線や、染まった頬まで事細かに見て取れた。
……確かにジェタは、外見は絶世と言ってもいいほどの美丈夫だ。珍しい髪の色さえ一層その美しさを妖しく引き立て、白皙の肌に青灰色の瞳が映える。ともすれば冷たくも見えるが、優美な微笑がそれを相殺している。いったいどこで学んだものか服装も洗練されているし、変態発言さえ慎めば言動もそれなりに人間に馴染んでいる。それは魅力的な男に見えるだろう。
「あれが、たぶらかされた女性たちか……」
舌打ちとともに冬月は、一瞬だけ龍気を発露させた。ジェタだけが、気づくように。阿星には気づかれないように、ちゃんと対象を指定して。
かくして、ジェタは正しく冬月に気づき、弾かれたようにこちらを見たので、にっこりと微笑みを向ける。
(その女性たちは、無事に帰しなよ?)
そんな意味を込めて。龍にたぶらかされた女性の末路など、決まっている。それを見て見ぬふりはできなかったので、脅しをかけたのだ。するとジェタは、狼狽したような表情で冬月の方に来ようとしていた。けれどそれを無視して踵を返す。
(外を歩く気も失せたし)
そう思って、ただ自分の部屋へと戻りながら、次にジェタと会うときはいつも以上に刺々しい態度を禁じ得ないかもしれないな、とも思った。
あのたらしめ、いつだったか女漁りが趣味のようなことを言っていたが、まさかこんな、ほかの龍の縄張りに来てまでやるとは。外見に騙されてホイホイ付いて行く女たちも女たちだが。
「あ、冬月?」
気分転換も出来ずに、若干イラついたまま部屋に戻ったら、阿星も部屋に戻っていた。風呂を浴びていたらしく、銀髪がしっとりと濡れている。瞬いて、冬月は表情を取り繕う。
「どこ行ってたんだ?」
阿星が不思議そうに尋ねる。出ていったと思ったら不機嫌そうに戻ってきたのだから、疑問に思うのも無理はない。
「いや、ちょっと女性をたぶらかす屑野郎に遭遇しただけ」
冬月は真顔で、そう答えた。嘘ではない。
「おいおい。暴れたんじゃないだろうな?」
嘘はついていないので、阿星も特に疑問を抱かず、ただ冬月の行動を案じていた。それににっこりと笑って返す。
「やだな、何もしてないよ。ほどほどにしておけよ、ってガン飛ばしただけ」
「やってんじゃねえか。……まあ、騒ぎになってないならいいけど」
そして阿星はため息をつく。そう、騒ぎにはなっていない。冬月を追いかけてこようとしたジェタだが、ガン無視した。これまでの経験上、阿星や世悧と一緒にいれば突撃はしてこないだろう。どうも、ジェタは『秘密の逢瀬』とやらにこだわっているように思うので。
冬月がそう考えていると、阿星がポン、と冬月の肩に手を置いた。
「冬月、お前が軽薄な野郎に引っかかる可能性はないだろうし、そこらの奴に負けることもないけど、あんまり無茶すんなよ? 騒ぎを起こすなよ?」
お母さんかお前は。冬月は半眼になった。あと、阿星には言われたくない。阿星も一言多かったり、頭に血が上りやすかったりで、無茶したり騒ぎを起こすことが多いのを、冬月は知っている。だてに里で、二人そろって問題児として認識されていない。
よって、思ったことをそのまま阿星に告げたが、ふるふる、と首を横に振られた。
「いいや、お前の方がヤバいから。何がヤバいって、顔がヤバいから。お前が一人でいると高確率で面倒事が起こる。顔がよすぎて!」
「はあ?」
思いっきり力強く叫んだ阿星に、冬月もまた、思いっきり眉を寄せた。しかし阿星は力説する。
「お前の顔は兎に角人目を引くんだよ! 女の目も男の目も! もう忘れたのか、ラバトラストの強烈な変人ひっかけたくせに!」
冬月は真顔になった。
「……いや、あれは特殊でしょ。あんな変人そこらにいないでしょ」
「いや、変態は割といっぱいいるから! 自覚と自衛しろ! まじで!」
「……」
露空、そしてジェタ。あれらに遭遇した身では、微妙に反論しづらかった。あんな強烈なのは、多くはないはずだが……そのはずだが……。
考え込んだ冬月に、好機と見た阿星が延々と対策を言い連ね、それに冬月が突っ込みをして。世悧が戻ってくるまで、有益なのかくだらないのかわからない話に興じた二人だった。お蔭でジェタへの不快感を忘れることができたのだが、冬月は自身ではそんなことには気づかなかった。
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――その夜、世悧が独り寝室でいつものように筆をとり、したためた書を闇色の鳥に乗せて飛ばしたことにも、冬月と阿星はやはり気づかなかった。




