18,『ひとではない力を持つ存在(Side庵哉)』
上がってくる報告に、庵哉はその鋭い黄土色の瞳の眼光をさらにとがらせて、ため息をついた。
(これは……もはや護竜山に龍使いの里がないのは、決定的だな……)
報告では、おそらくすでに、世悧と冬月、阿星はオッチェンジェスタにいないだろう、というものだった。なぜならば、少し前にオッチェンジェスタ国から、ラバトラスト王国へと帰国していった公爵・露空が、自国内で龍の襲撃に会い、龍使いによって救われた、という話が届いたからだ。国境からはそれほど離れていない街で起こった襲撃だったようだ。そこに高位貴族がいたとなれば、話しが回ってくるのも速かった。
情報の伝達には、大きく分けて三つの手段がある。一つは、人力……人間の脚や馬で手紙を運ぶ、『飛脚便』。二つ目は、訓練された鳥によってやり取りをする、『快鳥便』。そして呪術師や神官を介する『呪術便』だ。今回はもっとも早く情報を運ぶ、呪術便が随分と行きかった。
そうして、露空公爵の滞在していた街を守った龍使いは、町の人々の証言からおそらくは二人……それが少年だった、という話もつかんだのだ。
(断定はできん……が、龍使いはあまり複数では出てこん。なのに今回は二人。民の避難誘導に貢献した男の目撃証言も踏まえれば、ほぼ世悧らだろうな)
ため息を深くつく。冬月たちの件で、すぐに王城に帰還し、護竜山のふもとの樹海を調査するための軍を編成していたが、それも世悧らの失踪事件で一度話が滞っていた。冬月らの動きが読めなかったためだ。早急に世悧を筆頭に三人をとらえようとするものの、国内での目撃情報が、全く集まらない始末。足踏みをしているうちに、今回の報告である。
(どんな手を使ったものか……)
庵哉は考えを巡らせるが、少なくとも世悧による工作ではないことはわかった。あの男はひどくお人好しであり、龍使いの少年たちに同情してしまったのは、理解できる。国ではなく身近な人を愛し守ろうとする、そんな男なのだ。実の家族に対してはやや距離を取っているようではあるが。……まあ、あの一家は、仕方ない。能力は高いのに、奇行しかしない。
ともかく、そんな世悧が同行しているからと言って、その姿を一切見せずに、この短期間に国境を超えるような不可解なことを可能にする力は持たないだろう。戦闘能力と人望は目を見張るものがあるが、呪術などは使えないことを、庵哉は知っている。
もう一つ、深くため息をついて、庵哉はいくつかの指示を部下に飛ばし、国王陛下のもとへと向かった。もともと、報告のために時間を取っていただいている。今回の件は、庵哉に一任されていたからだ。
そうして入室した会議室に待ち構えていたのは、二人の人物だ。
中央に座すは、黄土色の髪・紫の瞳をした、聡明そうな顔立ちの美丈夫。武術の心得があることを察せられる、しっかりとした筋肉を纏う体躯は長身だ。彼こそが、在位十年目を迎えたこの国の王。
珮人御塙。
そして、そんな王の隣に控え、うっすらとほほえみを浮かべる老爺。白髪に白髭をたくわえ、青瞳には聡明さを映した穏やかな顔立ちだ。しゃんと伸びた背筋は、年齢を感じさせない。前国王時代からのゆるぎない地位と信念を持つその人は、王の母方の叔父でもあり、北方に広大な領地を持つ領主でもある。
オッチェンジェスタ国宰相、汰浦である。
「お忙しい中、お時間を取っていただき、誠にありがとうございます」
庵哉が礼を取れば、二人は構わないというように席を勧めてくる。それに従って席に着き、侍女が三人分のお茶を出して退出したところで、報告を始めた。部下からの報告と自分の意見までを漏らさず伝える。
「……で、あれば、龍使いの住む里は、すでに我が国にはなかろうのお」
「はっ」
汰浦のゆったりとした言葉に、庵哉は同意する。そもそも、庵哉は、妙に飄々としていた冬月と阿星の態度が引っかかっていたのだ。過剰な抵抗もしなければ、庵哉がともにいるうちには逃げるそぶりさえ見せなかった。むしろ、騎士たちと妙に打ち解けてしまっていたくらいだ。
(いや、私たちも遭難から救われた身ではあったが)
それが、妙に気を許すきっかけになってしまったのだろう。相手が年若い少年二人だったことも、そんな雰囲気に拍車をかけた。だが、おそらくその裏で、龍使いの里へ何らかの手段で連絡を取っていたのだろう。そして、我が国から龍使い全員が逃げ切る自信があったからこそ、冬月と阿星はあえて、『囮』としての役割を果たすべく、庵哉たちに同道したのだ。
非常に、頭が痛い事態だ。自ら判断し、まんまと行方をくらませる力が冬月たちにあったことも、どこからか情報を入手した黄玉に探りを入れられていることも。思い通りにいかない事ばかりである。
そして冬月と阿星、世悧が失踪した経緯も経緯だ。一部の騎士の暴走、白狼の襲撃、そして騎士たちの証言が確かなら、そんな騎士たちを守ったのは、当の龍使い二人と世悧だ。そして崖から落ちていった……。結局は手元に何も残らず、むしろ優秀な騎士を一人失ってしまった。いや、冬月らを襲撃した騎士たちは除名され罰金等を科された。将来有望な者もいたのに。ただでさえ、鱗疱瘡の件で騎士団が動き、予定外の費用がかさんでいるというのもある。貴族たちの病が無事完治して、事態が収束したのだけがいい知らせだった。
「おそらく、龍使い独自の連絡手段か、情報網があるのじゃろう。これまでも常々囁かれておったことだが。……儂らが思っている以上に、『龍使いの里』とは組織だって効率的に動いているようですな、陛下」
汰浦の分析はおそらく正しい。龍使いを探し求める国々や、黄玉という巨大組織から、ことごとく逃げ馳せてきた龍使いには、独自の情報伝達手段か、あるいは情報網があるのではないか、という推測は昔からあった。ただ、龍使いに接触すらできないこれまでは、その実態は全くつかめていなかったのだ。
「そうだな。だが、その連絡手段も情報網も、依然として全容のかけらすら掴めていない」
王・御塙はそう言ってわずかに笑う。そこに、怒りはなく失望すらもない。むしろ、楽しんでいるかのようなそれに、ややいぶかしむような視線を向けてしまった庵哉だが、汰浦は何かを知っているのか、微笑むのみだ。
「もちろん国としては、彼らに協力してほしいものだが……彼等は、ひとの手には余る存在だよ」
そう言った王は、何を知っているのだろうか。庵哉には知らされない何かがあることだけはわかったけれど、それを追求することは、許されていないと感じたのだった。
☽☽☽
庵哉は、王と宰相の前から辞してから後、再び頭を抱えていた。王の御前へと向かう前、龍使いの里を捜索するための部隊の解散を、部下を通じて伝えていたのだが、それを聞いた騎士たちが騒いでいるのだ。
「いやっふううううう! 隊長ぉ、やっぱ逃げ延びたっすね!」
「冬月たちも逃げたんだろ? そうだろ? よっしゃ、さっすがぁ!」
せめて、その歓喜は城の外でやれ。職場でやるな。立場をわきまえんか、この阿呆どもが! と、そう叱りたかった。
……世悧たちが崖下に落下した後。白狼の襲撃が終わったと知った騎士たちは、世悧らを捜索して、状況を把握したという。そして街に駆け込み、早急に王城へと情報が回り、世悧らが手配されるに至った。
だが、それに世悧の部下たちが納得していたのかと言えば、……納得していたわけがなかった。そもそも、彼らは一部、龍使いに恨みを持つ者たちを除いて、冬月と阿星にも好意的であったし、気さくで部下思いの世悧を非常に慕っていたのだ。その上、白狼の襲撃事件では、その三人に守られたがゆえに、けが人は出たものの死者は一人もいなかった。一応、職務ではあるために、冬月と阿星の似顔絵の作成には協力させたが、それすらも不本意だったのだろう。
庵哉にも、報告が上がっている。白狼の襲撃直前、阿星が叫んだという胸の内。それは、龍使いが、異能を持っているだけの人間であるのだと、頭に叩き込まれたかのようだった。
(私の立場に、そんな感傷は不要なのだがな)
けれど、自分の眼で見た冬月と阿星を、庵哉もまたわかっている。見た目の幼さに言及されて怒ったり、酒に極端に弱かったり、水をかぶって寒いから抵抗するのは嫌だと言ってみたり。
(ひとではない力を持つ存在だ。頑丈な体をもち、龍を従わせ、毒となるものすら効かないことがある)
国のために、利用できる存在。利用することへのためらいは、軍大臣・庵哉にはない。けれど、私人・庵哉には……今の状況を、扉の向こうの騎士たちと同じように喜ぶ心があることを、否定できなかった。
まだ子供の領域である少年たちも、目をかけてきた部下も。生き延びていればいい。国内にいるのならば捜索せざるを得ないが、もはや国外へとすり抜けていったのならば、誰にも捕まらずにいればそれでいいのだ。
そして、彼らはきっと、その通り逃げ延びるのだろうなと、思った。
けれど庵哉は、ため息をついてキッと視線を鋭くする。軽率に騒ぐ騎士たちは、戒めねばならないのだ。




