17,『別に、情けなくなんかないですよ?』
冬月たちはさっさと街を出た。日が暮れかけていたし、その日は野宿になったが、慣れているので問題ない。なお、路銀についても、護衛依頼こそ放棄となったために報酬はもらわなかったが、道中「いらない」というのに露空が冬月に押し付けてきた宝飾品の数々があるため、売っぱらって現金に換える気満々である。なお、宝飾品を売り飛ばすことに関して、冬月は言った。
「え? これは贈り物じゃなくて、迷惑料だよ」
一番の露空の被害者の意見はやはり強く、路銀が必要であるという切実な事情も相まって、阿星たちは何も反論しなかった。
そして、夜。ここしばらく露空に合わせて宿にばかり泊まっていたため、久方ぶりの野宿だった。焚火がぱちりと爆ぜる音を聞きながら、冬月たちはこれからの進路について話し合っていた。
「僕らとしては、その、景稔さんという方から聞いた情報も気になりますし、タラスジェアに行きたいと思っています」
切り出した冬月に、阿星がうなずく。そして世悧を見れば、なるほど、とうなずいていた。
「俺も行くあてなんてねえからな。つうか、そもそも、これが外れねえ限り、お前らと別行動はできねえんだろ?」
これ、と世悧が自分の右手首を軽く振る。そこには、ぴったりはまって何をどうしても頑固に外れない、冬月の龍珠が、白い腕輪の形をしてきらりと光りを弾いた。
「そうですね。まあ、それでも僕らとは違うところへ行くというのなら、手首を置いて行ってくだされば」
「だから、なんでそんなこという時だけ満面の笑みなんだよ冬月。阿星もなんで否定しねえんだよ。こえーよ」
「ははは」
まあ、冗談ではある。ただ、今日の襲撃を防いだ時、やはり今のままではやりにくい、と感じたことは確かだ。せめてもう少し、今できる戦い方に慣れるよう鍛錬すべきだろう。
(最悪、ジェタから鱗を強奪して、新しく龍珠にするか……)
龍王の鱗ならば、さぞ素晴らしい龍珠になるだろう、と冬月が考えているなんて、本人以外の誰も知らなかったけれど、今も遠くから冬月をストーカーしているジェタだけは、背筋に寒いものが奔っていた。
ともかく。
「なら、やっぱ足が欲しいっすよね。傭兵の仕事を受けて、金貯めるしかないっすかね」
「迷惑料としてうっぱらう予定の宝飾品も、馬三頭も買えるほどじゃないし……当面は阿星の言うとおりじゃないかな。隊長、どう思います?」
阿星の言葉に今度は冬月がうなずき、世悧に話を振る。すると、今度は何やら考え込んでいた。
「うーん……俺の伝手が使えれば、何とかなる、か……? でも馬か……」
「え、隊長、この国に知り合いなんているんすか? でも貴族関係とかだと、今は頼りづらいんじゃ……?」
阿星が身を乗り出し、冬月も目をしばたいてから、じっと世悧を見る。もし、その『伝手』とやらが使えるものならば、ぜひとも使ってもらいたい。
「ああ、貴族とかのつながりじゃない。職務の関係でできた縁ではあるけどな。俺は昔、『山の民』と町民の間を取り持って争いを収めたことがあってな。それ以来、妙に気に入られてるから、頼めばある程度のことは何とかしてくれるかも、ってことだ」
世悧いわく。『山の民』と呼ばれる彼らと、町の人々との間の取引で不正があり、話がこじれた結果、あわや山の民との戦争になりそうなところを、どうにか双方をなだめすかして、首謀者たちに穏便に処罰を下すことで治めたらしい。
「俺、危うく山の民の首長の娘と結婚するかしないか、って話までいったわ。そうなると山の民に婿入りすることになって、騎士も続けられないから、丁重にお断りしたんだが」
世悧は遠い目をしている。割と閉鎖的な一族である山の民にそこまで気に入られるとは、恐るべき人心掌握術である。
(……まあ、僕らも割とすぐに、この人に気を許しちゃったんだけどさ)
世悧は昔から世悧なのだな、と冬月と阿星は思った。そして確かに、今の話であれば、山の民に協力を仰ぐことはできそうだが……。
「うーん。でも、山の民っすか……」
「山の民は、ね……」
苦笑しながら、冬月は阿星と視線を交わす。それに訝し気に世悧は眉を寄せた。
「なんだ? 何か問題があるのか?」
「なんというか、山の民に龍の一族って嫌われてるんですよ。だから、隊長だけならともかく、僕と阿星が龍使いだとばれた時のことを考えると……やめた方がいいかなって」
冬月の説明に瞠目した世悧は、本当に知らなかったのだろう。まあ、うん。先ほどの世悧の話に、龍使いは全く関係ないし、わざわざ山の民も嫌っている者たちについて話さなかったのだろう。
「えーっと、宗教上の問題、っていえばいいっすかね……」
阿星が世悧に説明するのを聞きながら、冬月も叩き込まれた知識を思い起こす。
——この世界には、龍の一族以外にも、国に属さない様々な一族がある。山の民はそんな一族のうちの一つだ。。
山の民は、基本的に山の中で地面を掘った地下に住まう一族である。日に当たることがあまりないその肌は色白で、山から掘り出した鉱物や、木々を使って様々な加工物を作り出す、手先が器用な一族としても有名だ。
そして、そんな彼らが信仰するのは、『龍神教』と呼ばれるものなのだ。
この世界の宗教で、有名なものは三つある。一つは、二神教。最も普及している宗教で、男神・アンデと女神・ウルニカを創造神とするものだ。
そして二つ目が、龍神教。これは実は、龍を神として崇め信仰する宗教だ。その教義としては、龍と創造神を同一視している。山の民の信仰は主にこの龍神教である。よって、龍を従わせる異能を持った龍の一族を、神を侮辱する『邪なる者たち』として嫌いぬいているのである。
……なお、三つ目の宗教として、聖龍教というものもある。これは先ほどとは逆に、龍の一族を神格化して信仰するという、これまた少々冬月たちとしては対処に困る宗教だったりする。教義としては、龍の一族を神の化身とみている、らしい。ちなみに、この宗教を信仰する者たちは、当然のように龍が大嫌いであり、龍神教とは常に対立している。
ちなみに、『国に属さない一族』には、山の民以外の一族だと、海辺に住む水の民や、森の奥に集落を作って隠れ住む森の民、砂漠を放浪する砂漠の民などが有名だろうか。
(水の民は龍使いとは割と仲がいい協力関係。森の民は聖龍教を信仰していて、龍の一族を神聖視しているんだよね。で、砂漠の民は基本的に無宗教の一族だったはず)
冬月もそうやって知識を思い起こしつつ、阿星の説明を捕捉して、世悧は納得したようだった。
「それは、うん。ばれないとは思うけど、ばれたら面倒すぎるな?」
「っしょ?」
「正直、龍気さえ使わなければバレないとは思うんですけど、龍の襲撃が絶対にない、とは言えないですし。どうしても早急に馬が必要なわけじゃない今、危険を冒さなくてもいいかな……と思います」
世悧の元上官である騎士・景稔から、『南や北の国々で龍の襲撃が増加している』という情報があったのだ。オッチェンジェスタまで話が届くのならば、目に見えて増加しているのだろう。冬月たちが行く先でも、龍の襲撃がある可能性は排除できない。
「そうだな。別に急ぐ旅でもねえしな」
「じゃあ、最初の案通り、適度に傭兵の依頼を受けつつ、資金を溜めるってことでいいんすね?」
うなずいた世悧に阿星が確認をするように言えば、「だな」、と肯定が返る。けれど世悧は、そこで何かに気づいたように、再度口をひらいた。
「あ、そういやさ。俺には目的地って特にねえけど、お前らはどうなんだ? つうか、龍使いの里のこと、お前らは気にならないのか?」
問われ、冬月は阿星と二人で瞠目した。……話していなかっただろうか? 話していなかったかもしれない。そういえば話した覚えはないな、と思い出して、ふっと冬月は笑い、告げた。
「あ、うちの里、もうオッチェンジェスタにはないんで」
「は?」
「いや、ぶっちゃけると、龍使いの里にも情報収集担当がいるんで、その人らから俺らが正体ばれたって情報は、その日のうちに里に伝わってるっす。で、数日でもう跡形もなく里は別の場所に移動したっすね!」
それはもう爽やかに、阿星も言った。世悧は冬月と阿星の顔を交互に見て、頭を抱えた。
「……は?」
「……ええっと、そもそも、龍の一族って流浪の民なんで……しばらくひとところにいても、そのうち別のところに移住するのを繰り返してるんですよ。ちなみに、里長が次の居住地を決めるんですけど、今回は急遽の移動なので僕らもどこに移住したのかは知りません!」
言い切った冬月に、世悧は崩れ落ちた。
「え? じゃあ庵哉様はどうなるんだ? 軍を編成して護竜山の樹海を調べても、ただただ龍に襲われる危険があるだけで、骨折り損ってことか……!?」
世悧がブツブツと何か言っているが、それに関しては「多分、僕らの行動から軍事侵攻は無意味だって気づいてくれてますよ……」としか返せない。一応、阿呆でなければ推測できるように手がかりはあったはずなのだ。ただ、残念ながら冬月と阿星にとって、オッチェンジェスタの騎士よりも里の仲間の方が大事なので、それ以上はどうにもできないし、何かをする気もない。
(まあ、もし予想より阿呆で、軍事侵攻したとしても、龍の危険性だけで言うなら、東龍王は僕をストーカーしてるし、危惧するほどじゃないかもね)
東龍は基本的に王を誇りに思い、結束が強いといわれる。冬月を絶賛ストーカー中で、不在の東龍王・ジェタの指示なく、人間を頻繁に襲撃することはあまりないと思われる。まあ、龍に対して攻撃したり、森を荒らすなどの行為をすれば別だが。
「まあまあ、隊長。俺ら逃げてるし、隊長も逃げたしで、里の捜索のためになかなか動けなかったでしょうし、考える時間はあったはずなんで、軍事行動の無意味に気づいてますって」
「……うん、陛下と庵哉様が賢明なご判断をされるのを祈るしか……ないな……」
現状、国に追われて逃げだした世悧にも、できることは何もないのである。そして、誰からともなく、「この話はやめよう」、という雰囲気が漂い、全員が別の話題を探した。
「あ。そういや、街で言ったただろ? 『ソンの一族』……だっけ? あれって結局何のことだったんだ?」
ふと思い出したような世悧の問いに、冬月たちも乗っかることにした。
「特別なことじゃないですよ。南東龍の一族名、っていうだけです」
「龍たちの縄張りごとに、南東龍とか東龍とか呼ぶのが多いっすけど、一応龍たちにもそれぞれ一族名ってのがあって、龍使いの里にはその名称も伝わってるんすよ」
「へえ」
冬月の説明に阿星も続け、興味深そうに世悧が相槌を打つ。
「その一族名が、東は『震』、南東が『巽』、南は『離』、南西は『坤』、西は『兌』、北西は『乾』、北は『坎』、北東は『艮』」
「だから南東龍は『巽の一族』。東龍なら『震の一族』っていうんすよ」
言いながら、冬月は地面に族名と方位を合わせて書く。
さらに言うなら、龍の中にも格があり、震・離・兌・坎の一族、すなわち東南西北の龍は、巽・坤・乾・艮の一族、すなわち南東・南西・北西・北東の龍よりも格上だったりする。龍気や身体能力が、東龍などの方が強いのだ。よって、東龍たちを相手に修練を重ねてきた冬月たちにとって、今日の南東龍の襲撃は比較的、対処が簡単だった。それでも龍なのだから、油断は命取りだけれども。
「へえ……。いろいろあんだな、ほんとに……」
感心しきりの世悧は、冬月が描いた地面の文字をまじまじと見ている。単に、里の外では龍たちの一族名など、呼ぶ必要も認識する必要もないために失伝されたのだろうが、本当にただの名称、というだけなので特別なことではない。
「けど、東龍とかの方が強いってのは、本当なのか?」
「基本的には。僕らも、東龍以外と相対したのは今日が初めてですけど、やっぱり東龍よりも南東龍の方が龍気が弱くて、従わせやすかったですね」
「ああ、俺の龍気は冬月ほど強くないんすけど、数頭同時に従わせられたし」
世悧の疑問に冬月たちが答えれば、阿星の言葉に世悧は首をかしげる。
「え、お前らって、冬月の方が強いのか!?」
意外そうにされて、冬月も顔をしかめたが、阿星の方がぎゅっと眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をした。
「……龍気の話っすよ、龍気の! お互いに得意武器で戦えば、俺の方がちょっとだけ強いんすからね!」
しかし、この阿星の主張は聞き捨てならない。確かに数か月前に二人で試しに冬月は徒手空拳、阿星は剣で戦ったところ、ギリギリで冬月が負けた。それは事実だ。だが、たったの一回だろうが!
「おい、阿星。あれは一回負けただけだろ。今度は僕が勝つからな」
「はっ! 返り討ちにしてやるよ」
「へえ、じゃあ、今やってみる?」
「待て待て待て! 俺は! さっきの話の! 続きが聞きたいなー!」
ガっと冬月と阿星が互いの胸ぐらを掴みあったところで、世悧が割って入ってきた。それに渋々、互いの手を放す。まあ、今喧嘩して怪我をするのがよくないのは、わかる。
「すみません、隊長。でも阿星、勝敗はともかく、鍛錬も兼ねて後で組手してよ」
「止めてくれてありがとうっす、隊長。……冬月、俺からも頼む。最近やってないもんな」
そしてパシン、と右手を合わせて、その場は収まった。世悧はほっとしながらも、「鍛錬はいいけど、怪我すんなよ」と言っている。新鮮な気分だった。だって、東海師範は怪我上等、本気でやり合え! と叫んで自ら突進してくる恐ろしい熊筋だった。
「ともかく! 龍気の話っすよね。冬月、実は龍気を使う時、むらっけがあるんすけど、ムラさえなきゃ俺よりかなり強い龍気持ってるんすよ。むしろ里でも有数って師範は言ってったっす」
言われた冬月は肩をすくめる。世悧は少し目を丸くしていた。まあ、自分の見た目が、あまりそういう、『強い』印象を与えないのは自覚をしている。龍を相手に戦う、というのならば、それこそ東海のような筋骨隆々な大男をイメージする者が多いのだろう。実際のところ、内に秘める龍気の大きさに、外見は全く関係ないのだけれど。
たとえば、龍使いの里長である雁十は、見た目は柔和な紳士だけれども、彼が里長足り得るのはその強さが認められているからなのだ。
けれど、龍使いに対して、まだまだ世間一般のイメージが強い世悧はぽかんとしていて、阿星がクスリと笑った。
「あ、信じてないっすね? ホントっすよ。こいつ前に里で三十頭近かった龍を一度に従わせたこともあるんですから」
「おい阿星。それは、」
声をあげようとした冬月を阿星が遮った。
「あーあー。まぐれだって言うんだろ? まぐれでもなんでも事実なんだからさあ、謙遜すんなよ」
ペロッと言う阿星。世悧はただただぽかんと口を開けている。しかし呆ける世悧をほっぽって、冬月は愚痴るように言った。
「事実でもなんでも、いつでもその力が出せなきゃ意味なんてないじゃないか」
そのむらっけのせいで、幼馴染の蜜香を助けたと思ったら自分自身は龍にさらわれた、という苦い経験が記憶に新しい。そのせいでジェタに出会い、ストーカーが爆誕するという事態にまで陥ったのだ。若干遠い目をする冬月に、阿星が背をたたいて励ましてくるけれど、一向に改善の兆しが見えない己の状況に、冬月はほとほと嫌気がさしている。
けれど、そんな二人に、世悧が言った。
「でも、やっぱりお前ら二人ともすごいな。今日、俺なんてお前らに声かけられるまでは竦んじまってたってのに」
何処か自嘲の混じるその言葉に——今度は冬月たちが、ぽかんと口を開けてしまった。世悧は、眉をひそめてこちらの反応を見ている。
「あれ。……なんか文句あるのか? やっぱ情けなかったかなーって珍しく反省してんだけど」
ますます唖然としている二人にイラッと来たのか、ややその口調は刺々しい。それに冬月。と阿星は、盛大にため息をついた。それにむっとした表情の世悧が口を開くより早く、冬月は言う。
「別に、情けなくなんかないですよ?」
真摯な表情で、世悧の顔を覗き込む。
「へ」
世悧は素っ頓狂な声を出して固まる。
「だって隊長、龍初めて見たんでしょう? 僕たちは龍使いなんだから慣れてるだけです。竦むどころか恐慌状態に陥る人だって初めてなら少なくないですし、むしろ竦んだだけですぐに僕らの言葉通り避難誘導してくれたじゃないですか。それってすごいことだと思いますけど」
そうして冬月はまっすぐ、世悧の紅色の瞳を見つめた。からかいはない。本心だから。本心で、世悧をすごいと思っているのに、先ほどのように自己卑下されるのは、嫌だったから。
すると、世悧はなんだか気まずそうに冬月から顔を背ける。が、背けた先では阿星が待ち構えていて。
「隊長。俺も、冬月と同じ意見っすからね。そもそも、隊長じゃなきゃ、避難誘導頼むとか最初からしないで、逃げろっていうだけだったっすよ」
なあ、と阿星に同意を求められて、冬月はうなずく。そして二人して、世悧をじっと見つめた。すると、焚火の明かりしかない状況でもわかるほど、その頬が紅く染まっていく。それを見て、冬月たちまで少々照れてしまう。
そして、三人の間に、何とも言えない気恥ずかしい空気が漂った。
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――その夜。世悧が真夜中にもかかわらず、筆を執って何かをしたためていたことに、冬月たちは気づかなかった。何度も止まっては書き直し、苦悩するように冬月と阿星を見ていたことにも……気づかず、夜は更けていく。