4,『その象徴』
剣戟の音が響く。
ぎりぎりで阿星の攻撃をはじきながら息も絶え絶えの冬月は、けれど決してあきらめてはいない。しかし彼のくるくるとよく動く小柄な体躯に対して、若干その振るう剣は持て余し気味だ。そこを俊敏さでカバーして応戦してはいるが、やりにくさがわずかににじんでいる。
対して上背もあり筋力も明らかに平均以上の阿星は、軽々と流れるように剣を扱っていた。息つく間もない攻防は終わりがないようにも感じられたが、――一瞬の間隙を縫って、阿星が鋭く剣を横にはらい、冬月の剣を弾き飛ばした。高い金属音が響いて、冬月はすかさず後ろに飛びずさって距離をとるも、すでに勝負ありだ。
「勝者、阿星!」
審判を務めた道場生の声。阿星も構えた剣を下ろした。そしてにっと、彼は笑う。
「俺の勝ちだな!」
「ホントに手加減なしだよね、お前は」
はじかれた剣を拾って次の者に順番を譲りながら、冬月は思わず口を尖らせた。するとさらに笑いながら阿星が答える。
「手加減なんてしたらお前怒るじゃねえか。つか、お前相手に手加減は無理」
「僕、お前に勝ったことないけど?」
「負ける気ねえからな! けどそれなら俺だって体術でお前に勝てたことねえし。次に組手当たったら手加減してくれんの?」
「お前相手に手加減は無理」
「そーだろそーだろ。手加減したら怒るぞ、俺は」
真顔で返す冬月、楽しそうな阿星。お前らほんと仲いいな、と周囲の道場生が生暖かく見守るまでがワンセットである。
「……そうだ、このあとどうする? 俺んち来ねえ? うちのガキどもが冬月冬月ってうるせーんだよな」
汗をぬぐいながら阿星が尋ねる。阿星の家は彼を含めて四人兄弟である。十歳の弟と、七歳の双子な弟妹。彼らの中で龍使いの異能を持って生まれたのは、長子の阿星と第二子である十歳の弟・深星だけだったが、異能のあるなしにかかわらず彼らは元気いっぱいの仲良し兄弟である。
ちなみに本来であれば一緒にこの道場にきてしごきを受けているはずの深星は、本日かぜっぴきにつきお休みである。そして兄の幼馴染にして親友・冬月に阿星の兄弟は非常になついており、朝も早くから冬月の作るご飯じゃないと食べないと駄々をこねた風邪ひき涙目な弟を、二人して甘やかしてしまったがゆえに兄たちは遅刻したという事実があったりする。
「うーん、朝もお邪魔しちゃったし、やめておくよ。それに今日は祠に行こうと思ってるし」
阿星の誘いに冬月は少し考えるも、否を返した。
「あー、そっか。じゃあ仕方ねえな。掃除なら手伝うか?」
「ここ最近は天候も荒れてないし、大した手間じゃないから大丈夫。阿星は深星についててやりなよ。おじさんもおばさんも、今日も忙しいんだろ?」
阿星の申し出にひらりと冬月は手を振って返す。阿星の両親は里の重役だ。『行商』の者たちとのつなぎや龍使いたちが持ち帰る情報の整理、あるいは今後の里の方針についての会議や警備関係等々、仕事はいろいろある。
だがまあ小さな里のこと、普段はそこまででもないのだが、最近は、長くこの国、オッチェンジェスタに拠点を置いているため、そろそろ移動すべきだという意見が現実的になりつつあり、重役会議が毎日のように行われている。
「……そうだな、しゃあねえか。でも遠慮はいらねえからいつでもきてくれよ。むしろ俺のために来てくれ。お前に会いたくて家出するんだぞ、あいつら」
「それ、三年前だっけ? まあ宵口の訪問者を警戒して出てみれば深星たちだった時は僕も驚いたよ。そりゃ僕の家は端っこの方にあるからあの子たちには夜の大冒険だったかもね」
「つかあいつらお前のこと好きすぎだろ。俺よりお前になついてるだろ。何なら父さんより冬月の言うこと聞くくらいだろ。最近父さん、深星が反抗期って地味に落ち込んでんだけど。あんま甘やかしてんなよ?」
「阿星には言われたくないよ。弟妹だいすき甘やかし筆頭お前じゃん。……まあ、僕は一人っ子だから、下の兄弟ってかわいいって思っちゃうんだよ」
「俺は甘やかしてねえよ……っと、次の順番来たな。師範がよんでっから行ってくるわ」
二人でだべっているところに東海の声が届き、阿星は腰を上げた。冬月はうなずいて「いってらっしゃい」と見送る。
――遅刻につき鍛錬量三倍と五倍の二人は、まだまだしごかれる運命にあるのだった。
☽☽☽
夕刻。「あいつらやっぱり体力お化け」という視線を周囲の他道場生に向けられながらも冬月と阿星は鍛錬をやり遂げた。
「――ありがとうございました!」
という本日の締めの唱和が終わった瞬間二人して崩れ落ちて、阿星に至ってはそのまましばらくピクリとも動けなかったほどに疲弊していたけれど。そんな二人をみて至極満足そうにしながら、だがしかし片付けの邪魔だとばかりに容赦なく道場から追い出しにかかる東海師範には、人の心がないんじゃないかと全員が思った。
「……ぐふっ。む、無理……屍になりそう……」
よろよろと、何とか自力で立ち上がり帰路についた阿星はこぼす。同様にふらふらと足元がおぼつかない様子の冬月は何とか答える。
「ここで屍になっても……僕は骨を拾えないよ……余計な体力使ったら共倒れだから……」
「見捨てんなよ……。てか、祠行けんのか、その調子で?」
「大丈夫……。様子見てちょっと手入れするだけだし……。疲れてるくらいでサボってたら管理できないでしょ」
ちょっとうつろになりながらも冬月は言い切り、ゆっくりとしながらも、徐々にしっかりとした足取りに戻ってきた。そして、そんな彼に仕方なさそうにうなずいた阿星とも別れ、冬月は里のはずれ、草原にやや近い位置にある湖、その端に設けられている祠へと足を進めた。
――龍の一族は流浪する民であるが、信仰、というものがないわけではない。その象徴が『祠』である。移住する際にはその祀る『神石』を共に移動し、住処を見つければその場所で最も清浄な場所――時に巨木の根元や川岸、洞窟の中ということもあるが、現在は湖のほとりである――に祠を組み上げるのである。そしてその神石および祠を管理する『巫女』の家系が、冬月の母親の家であった。
けれど、すでに冬月の母、そして父も鬼籍に入っている。しかしその巫女としての役割は代々女性に受け継がれるものであるため、女児に恵まれなかった今代、冬月は代理で管理をしているに過ぎない。
次の巫女には冬月や阿星と同い年である蜜香という少女が先日、重役たちの目にかなって選ばれていた。ただいかんせん、冬月の母である先代巫女は既に逝去しているため、蜜香は本来、当代巫女から口伝や実地で学ぶ内容を書籍などで四苦八苦しながら学んでいる最中である。
ゆえに、かつて多少なりとも知識を母から聞いており、母急逝後から巫女代理をこなしていた冬月は、蜜香が一人前になるまで引き続き代理で管理を受け持つこととなっているのだ。
「……よし、異常なし……」
形式に則りながら冬月は祠の周囲を点検し、野生動物に荒らされた箇所がないことや、ガタが来ているところがないかなどを確認し、落ち葉などをよけて軽く掃除をする。月に二~三回ほどの作業で、両親が亡くなる前から母について共に行っていたそれは手慣れたものである。
本日も問題なしであることに冬月はほっと息を吐く。そのころにはいよいよ冬の足の速い夜がやってこようとしていたため、完全に日が落ちる前に、と冬月は足早に帰路に就こうとした――その時。
空気が、変わった。