13,『なんのために?(Side阿星)』
そうして、景稔に顔を覗き込まれたのは世悧だった。がっしりとした体躯は高さはなくても威圧感がある。そして彼は服、剣などの装備を含め、じろじろと見ていた。それに冷や汗をかいて、世悧は必死で顔をぶんぶんと横に振る。
「んんん?」
そんな世悧に、首をひねってさらに近づく景稔。と、阿星はそこで行動した。
「ちょっと。あんた、お貴族様っしょ。隊長にちょっかい出さないでくれないっすか」
ずいっと、二人の間に割り込むようにして、警戒した猫のごとき様相で、そうのたまったのだ。
「んっ!? む、すまん、近かったな! いやいや、どうにも、彼を見た時に俺の知っている者と姿が被ってな!」
「はあ? そう言ってあんたも、隊長を侍らすつもりっすか」
「えっ、星流!?」
がはは、と笑う景稔に、食って掛かる阿星、本気で戸惑う世悧、という構図ができて、周囲はオロオロしているが、阿星はそんなことには構わない。今は、ここを切り抜けるのが重要だ。それには景稔の意識を、世悧への『既視感』からそらさねばならなかった。
「いやいや、星流、君? 何を言っているんだ! 俺はそんなことをするつもりなど!」
警戒心あらわにふるまう阿星に、景稔は慌てたように両手を振る。自分の振る舞いが、初対面相手だとするならば、距離感が近すぎた自覚はあるようだ。そこで、阿星は畳みかけるために低く叫ぶ。
「だってお貴族様ってそうなんでしょ? 俺らの弟を、露空公爵が侍らしてるみたいにさあ!」
「……」
景稔は、ぴたりと動きを止め、阿星を見て、世悧を見て、喜々として馬車に戻っていった露空の方を見て、もう一度阿星を見た。
「えっ? おと、弟!? えっ!? 公爵閣下!?」
「だから、俺ら兄弟で傭兵なんすけど、弟を気に入った公爵閣下が離さなくなったんすよ! 護衛が終われば返してもらうってことになってっけど、ホントだか……」
「おい、星流……」
動揺する景稔、吐き捨てるように言う阿星、オロオロする世悧。その世悧のオロオロが、露空たちの目を気にして困っているように見えたことで、上手いこと景稔に真実味を感じさせた。……実際、かなり事実に近いことしか言っていないのもあるけど。
「君……え、露空公爵って、そういう……!?」
公爵を出迎え、一晩護衛し、見送る、という任務を負っていたはずの景稔たちの動揺は深い。そしてその動揺によって、見事に世悧への既視感から目をそらすことに成功したようだった。
「「……」」
阿星と、そしてさすがに察した世悧も、深く深く、景稔たちに対して頷きを返す。……たぶん、露空の従者たちもそこそこ近くにいるので、この会話は聞こえているのだろうけれど、何も言ってはこなかった。言い返せないところがありすぎたんだろう。
「そ、そうか……すまん! 俺にはそういった意図は全くない! むしろ、弟君のことに関して、協力できることがあれば言ってくれ!」
尽力しよう! と、景稔は熱く阿星に告げた。それには、ゆるゆると首を振る。
「……貴族は信用できねっす。……それに、下手に刺激したくねえし。ますます執着されて、返してもらえなくなったらどうするんすか」
余計な事すんな、と言外に釘をさすのは忘れない。そして、信用できないから近寄んな、というのも含ませた。
「星流、そこまでにしとけ。ええっと、騎士様方、すみません、うちのが……」
そこで舌打ちまでかましそうな勢いでいる阿星の頭をグイッと抑え、世悧がぺこりと謝罪する。景稔も、流石にここまで言われれば空気を読んだようである。
「あ、いや、こちらこそすまんな、俺が不用意なことを君たちに言ったばかりに」
そしてなんとなく、そのまま互いに頭を下げつつ、それぞれ持ち場に戻ったり、一行の中に戻ったりと別れていったのだ。
ふう、と阿星はやり切った息を吐く……と、そこでガっと世悧に肩を引き寄せられた。
「おい……おい! 助かったけど! いきなりは心臓に悪いって! 俺ほとんどついて行けてなかったんだが!?」
「それが割と真実味あったから大丈夫っすよ」
ぼそぼそと抗議する世悧に、ぐっと親指を立てて阿星は返す。終わり良ければ総て良しというやつだ。結果的に助かった世悧としてはそれ以上言い返せないようだが、それでも何かしら思うところがあるらしい。
「お前らってみんなそうなのか……? なんか手慣れてねえ?」
「ははは」
「『ははは』じゃねえよ……」
まあ、世悧の言うとおり、龍使いであるということを悟られずにやり過ごしたり、悟られてしまった場合に逃げ出すために、阿星たちは色々と仕込まれている。それはもう、色々と。ちょっとした演技や口から出まかせも、その一つだということだ。
「てかさ、さっきの言い方だと俺たち『三人兄弟』みたいに取られねえか?」
「その方がいいじゃないっすか。『噂』に結び付けにくくなるし、『血のつながった兄弟』なんて言ってねえんすから、『兄貴分』『弟分』ってことにもできるし」
世悧の指摘に、飄々と阿星は返す。
「てか、隊長だってわかってて乗ったじゃないっすか? 『うちの』って、『仲間』とも『弟』ともとれるし、わざとあいまいにいましたよね?」
「ばれたか。ま、お前は俺のこと『隊長』って呼んでるし、あっちがどう受け取るかは……あっちの自由だな」
ぺろ、と舌を出す世悧も、なかなか肝が据わっている役者であるといえるだろう。ちなみに、景稔たちに露空のことをあのように伝えた結果、オッチェンジェスタでの露空公爵の風評に関わることにはなるだろうが、そんなものは二人とも知ったことではないので気にしていなかった。事実として、冬月を侍らせようとしているあの変態が悪いのである。
(それにしても、隊長の剣のことがばれなくてよかったな)
ちらり、と阿星は世悧の腰元に視線を落とす。……昨晩気づき、早急に対策をしてよかったと思うそれは、今、世悧の実家の紋章は全く見えない、何の変哲もない剣である。買い換えたわけではない。だってそんな金の余裕はない。よって、苦肉の策として、もともとの剣を覆うように、阿星の龍珠を発動させて、外見をごまかしているだけだ。
(つまり隊長は、右手首に冬月の龍珠を片方嵌めて、腰に俺の龍珠を下げてるわけだ。……師範が見たら拳骨かもな)
龍使いからしたら、なんでそうなった、としか言えない状況なわけだけれども、それが最善だったのだから仕方がない。オッチェンジェスタさえ抜ければ、他国の貴族家である世悧の実家の、それでなくても装飾的な家紋が剣にあることに気づくものはほぼいないと思われるので、龍珠による偽装は解除するつもりではあるのだから、これも数日間の緊急措置である。
——そうして、そこからは再び、宿について休むまで滞りなく進んだ。ただ、冬月にはやはり会うことはかなわなかったけれども、それはもう無表情で、同じ部屋へと誘う露空を足蹴にしたのを目撃したので、無事なのだろう。
明けて、翌日。いよいよ国境を超えることになる。国境を超えるには、貴族であろうが平民であろうが、身分の証明が必要となる。貴族家に連なる者ならその家紋を提示するし、逆にそういった証のない農民などは手続きに時間がかかる。阿星たちの場合は、『流れ』の傭兵として取得した『黒き槍』の傭兵証明を提示すればよかった。
国境の門までは、景稔たちの隊が護衛として送り届けてくれるのもあり、非常にスムーズに手続きが終わっていく。
その時、証明確認の順番を待っている阿星と世悧に、すっと、景稔が近づいてきた。
「君たち、昨日は済まなかったな!」
「……いえ」
わずかに眉をひそめた阿星を小突いた世悧が短く返答をする。何かを疑っているのか、それとも世間話なのか。判らなかったが、あまり警戒するな、というように景稔は笑っている。
「詫びに、少し助言をしておこうと思ってな!」
「……助言、ですか?」
景稔の言葉に、二人そろって首をかしげる。この様子だと、世悧の正体に感づいたわけではないようで、少しだけ肩の力が抜ける。……が、すぐにそれは強張ることになった。
「君たちは『流れ』の傭兵なのだろう? ならばいろんな街に行くだろうと思ってな! どうやら、近年、龍の襲撃が増加傾向にあるらしい! 君たちも気を付けることだ!」
まさかそんなことを言われるとは、思わなかったから。
「え?」
虚を突かれたような声が自分の口から出たのを、阿星は自覚する。だって、龍使いの里で、そんな話を聞いた覚えはないのだ。……自分が、知らないだけ? いや、『近年』と景稔は言った。つまりここ数か月の話ではないのだろう。上層部で伏せられていたのか? なんのために?
阿星の混乱に気づくことのなかった景稔は、そのまま話を続けている。
「うむ、俺の所属する部隊は地方で幅広く活動するからいろいろと話を聞くのだがな……何でも、北のフラースト国や、南のタラスジェア帝国で増加傾向にあるらしいぞ! これからラバトラスト王国に入るのならば、南の国々まで行くこともあるだろう! 耳に入れておいて損はないと思ってな!」
「は、はあ……。ありがとうございます」
世悧は阿星の様子に気遣ってか、さっと前に出て礼を述べたところで、……景稔はわずかただけ、その笑顔を悲しそうにゆがめた。
「本当に、君は、『あいつ』を思い出す。……部下だったやつなんだがな……妙なことになっているらしく、探しているんだ」
「……」
阿星と世悧はここで、再び景稔の中で、疑惑が戻ってきたのかと思い、内心の焦りを隠すように目を見合わせる。けれど、景稔が実は、全て気づいているのかそうではないのか、測ることはできなかった。そんな二人に構わず、朗らかに目の前の騎士は続けた。
「まあ、いっそ無事に逃げちまったならそれでいいと、俺は思ってるんだがな。だからな、君たち。もし、俺の部下に会うことがあれば、伝えてくれないだろうか。今の龍の襲撃のことと、……『元気でやれ』、と」
「そのひとの名は、」
世悧が、問う。景稔は柔く目を細めた。
「『世悧』、という。お人好しで仲間想いの、いいやつなんだよ」
そこで、二人の証明確認の順番が回ってきた。行け、というように手を振る景稔に、阿星と世悧は、会釈し、小さく返した。「伝えますよ、必ず」と。
——こうして、無事国境は越えて……旅路は、まだ続く。