8,『傭兵組合(Side阿星)』
世悧を変身させてから、自分たちにも少々手を加えて、ようやく阿星たちはそろってヴィラックへと足を踏み入れた。
現在の姿を軽く説明するなら、世悧は前述の通りの化粧に髪は暗い茶髪に染めている。服装は何処にでもある動きやすい平民服一式に、これまたよくある外套。
冬月は、すでに騎士に一度姿を見られていることもあり、ほとんど手は加えていない。瞳の色を呪術で茶色にしているだけだ。服装も『鱗傘』はぱっと見普通の服にしか見えないし、外套もよくある無難なものである。
そして阿星自身は、念のため髪を冬月と同じ金茶色に染めて、瞳も冬月と同色の茶色に呪術で変えた姿。服装も冬月とほぼ同じで、まるきり兄弟といった様相だった。……服を買う時、冬月が店員に『兄』の存在を仄めかしたようなので、あえて似せたともいう。
そうして念のため、全員外套のフードをかぶれば、それなりに見かける旅人然とした三人組の出来上がりである。念のためばらけて都市の門を潜り抜け、中で合流すれば、ヴィラックには何度か来たことがあるという世悧を先頭に並んで歩いていた。
「傭兵組合まで、あとどのくらいですか?」
「もうすぐ着くぞ」
冬月の問いに、振り返らないまま世悧が答える。そう、阿星たちは今、傭兵組合の建物へと向かっていた。路銀を稼ぐ必要も相まって、三人で出した結論は、ざっくりいうと『国外へ旅をする行商人の護衛を請け負って、そのまま脱出しよう』というものだったのだ。
(三人組、っつう先入観があるだろうしな)
いくら見た目を変えても、阿星らを捜索している騎士たちが全く見破れない、という保証はない。冬月と阿星は、髪や瞳の色こそ変えているものの、顔自体はほぼいじっていないのだ。
(……あんまりいじりすぎてもなあ……。化粧は、見るやつが見ればわかるし)
やはり冬月がすでに顔を見られている、ということを踏まえると、危険だ。ゆえに木を隠すなら森の中……というわけでもないが、同行者を増やすことで騎士たちの把握している『三人組』という認識から外れようということだ。さらに、傭兵に護衛を頼む場合、一般的に馬車や馬は依頼主が用意する。自分たちで移動手段を調達する手間が省ける、という計算もあった。
――傭兵には、基本的に二種類ある。傭兵組合は世界各国で展開をしているのだが、その組合に属している『所属』と、属していない『流れ』に分かれるのだ。
何が違うかと言えば、『所属』は通常、拠点と定めた国、あるいは地域からは出ない。あくまで、その傭兵が居住している国、ないし地域の範囲内で仕事を請け負う、ということだ。一方の『流れ』は、国や地域には縛られない。頼まれれば大陸の反対側まででも護衛を請け負う。
実力的には『流れ』の方が優れていることが多いが、荒くれ者が多いのも『流れ』だ。『所属』は、信頼と安心感、という意味で重宝される存在である。
なお、『所属』は組合に完全に管理されている傭兵でもある。力量に応じてランク分けし、それぞれに合った仕事を組合が割り振っている。彼らは白い矛を描いたバッチを傭兵証明として身分を証明するがゆえに、『所属』のことを『白き矛』とも呼ぶものもいる。
そして『流れ』は逆に、自ら仕事を選ぶ。依頼として傭兵組合が出しているものの中から選択することもあれば、自ら行商人などに売り込んだり、顔なじみを作ったりすることもある。傭兵の証としては、黒い槍が描かれたバッチを持つため、『黒き槍』とも呼ばれるのが『流れ』だ。
ちなみに、『白き矛』のバッチは相応の実力を示すことでランクと共に与えられるが、『黒き槍』のバッチは、組合の窓口で「くれ」と言えばもらえる。『流れ』の傭兵は、雇う方も雇われる方も自己責任でしかないからだ。
つまり、これから阿星たちは、『流れ』として傭兵の仕事を受けるつもりだった。
「お。――ここだな」
そう言って、世悧が足を止めた場所。ヴィラックの中心街の中でもやや東寄りの、レンガ造りの建造物だった。傭兵たちの待機所や訓練所、食事処や宿泊施設なども併設されているため、なかなかの威容を誇る規模だ。
「へえ。でっかいっすね」
「里周辺の街にはなかったもんね。小さい受付所みたいなのはあったけど」
冬月と二人、しげしげと眺める。小さい受付所、とは、地方や小さな街に設置されているもので、そこに依頼を出すと組合本部に伝わり、傭兵が派遣されてくる仕組みである。
「じゃあ、僕が傭兵証明とってくる」
軽く言って颯爽と窓口にむかったのは冬月。下手に動いて知り合いに会わないために世悧は待機と決まっていた。よって先に動き出した冬月に任せ、阿星は世悧とともに軽くうなずいて、壁に張り出されている依頼書を眺めた。
「……あー、やっぱり国内の移動が多いな」
「そうっすね。できれば西に抜けたいっすけど」
「それが最短だからなあ」
ぼそぼそと、そう話しながら冬月を待っていた時だった、阿星が背後の気配に気づいたのは。隣の世悧も同じく気配に気づき、にわかに緊張が走る。けれど表面上だけは至極平然と、依頼書が背後の人にも見えるように場所を譲る、という体で、スッと身を引いた。……の、だが。
「――君たちか? 美しい少年がいると聞いたんだが」
「「……えっ?」」
ちょっと意味が解らなくて、素っ頓狂な声がそろって出た。
そのままつい、目を向けてしまった、そこにいたのは、従者を引き連れた貴族風の男。髪は少し癖のある亜麻色で、白い肌に榛色の瞳。服は少々装飾過多の、どこからどう見ても知らない人物である。そして、その人物は満面の笑みを浮かべていた。何だこいつ。
瞬時に脳内検索を試みたが、知り合いではない。知り合いではないが、……最悪なことに、里で叩き込まれた『記録書』の内容に、該当人物が浮かび上がった。浮かび上がってしまった。ひくっと、片頬を引きつらせる。
「えーっと……?」
阿星は、困惑しつつもとにかくここから逃げたい一心で、声をかけようとするも、目の前の人物は、そんなこちらの様子など露程も気にするつもりがないようで、ただただ阿星と世悧の『顔』をまじまじと観察してくる。いっそ無礼なほどにじろじろ見られて、気分が悪い。しかも何やら呟いている。
「……ふむ。確かに標準よりは整っているが……私の好みからは少々……。先ほど入り口で、確かに美少年がいると聞いたのに……」
なんだこいつ。不気味である。不気味であるうえ、何気に失礼なことを言われている気がしてならない。なぜ、見ず知らずの男に突然声をかけられて、いきなり品定めされねばならないのか。ますます気分は悪くなるが、とりあえず発言内容は聞き流すことにして、阿星は世悧にぼそりと話しかける。
「ちょっと、どうします? この人ってさあ、俺の記憶が正しけりゃ隣国の貴族なんすけど……」
「……だよな? いろんな意味で絶対関わりたくねえな。てか、こっちの話聞いてねえし、自分の世界に入ってるし、ここは何も見なかったことにすべきじゃないか……?」
世悧の言うとおり、小声とはいえ、目の前でこちらが話していることにすら気づいていないようで、男は顎に手を当て思案に耽っている。変人だ。ならばここは世悧の言う通り遠慮なく何事もなかったことに……。と、思っていた、その瞬間。
「――お待たせ、二人とも」
組合の窓口からスッと戻ってきた冬月が、微妙に硬直していた空気にの中に割って入ってきた。救世主に見えた。むしろ冬月も、変な人に絡まれて困っている阿星たちに気づいて割り込んだんだろう。これで自然とこの場を去れる……そう、阿星は思っていた。
――が、しかし。冬月の声に反応し、阿星たちと同じように顔をそちらに向けた男は、不自然に動きを止めた。
(なんか、すっげえ嫌な予感がすんだけど)
と、阿星が思った時。先ほどの貴族が阿星と世悧を押しのけて冬月の手をつかみ、感極まったように叫んだ。
「君こそ! 君こそ私の運命の人だ!!」
「「「……はっ?」」」
今度は見事に三つ声が重なった。当の冬月はもちろん、阿星も世悧もぽかんと口を開けて男を見る。しかし男は冬月の手をしっかり握ったままひたすら愛を歌い上げている。歯が浮くようなセリフが良くこれほど出てくるものだ。
(……あっ、まさか、この人冬月を女と思って一目ぼれとか……?)
硬直していた阿星はふっと、そう思い当たった。よって、冬月の暴走大激怒防止に、そっと幼馴染に服の裾を掴みつつ、言う。
「……あの、言っときますけどこいつは男ですよ?」
隣では世悧も困ったようにうなずき、冬月は瞬時に絶対零度の瞳を搭載する。怖い。が、一応目の前の男が誰なのか、冬月の脳内検索でも思い当っているらしく、自制していたようだ。
しかし、そのすべては、次の男の言葉で再び呆然としたものに変わった。
「もちろん彼は少年だ! わかっている! だからこそじゃないか……!」
そして痛いほどに情熱的な視線を冬月にこれでもかと浴びせかけた。……絶句である。固まる三人を気にも留めずに、さらに男は冬月を引き寄せ、抱擁をしようとして――瞬間冬月が我に返って言い放った。
「……っ触るな」
ドスの利いた拒否だった。しかも手をバシッと弾いた。明確な拒否でしかなかった。本来、仮にも貴族の手を、バシッと容赦なくはたくのはいただけないのだろうが、この場合は冬月に味方をしたい。というか全身鳥肌を立てて青ざめている冬月を誰が責められようか。冬月は男の手をバシッと弾いてそのまま、素早く距離をとっている。男はしばらくふり払われた手を見つめて、怒る――かと思いきや。一層顔つきを緩め、愛しげに言った。
「ああ、なんて喜ばしいこの痛み……! やはり君は私の運命だ……!!」
どうしよう、気持ち悪い。とりあえず、引き攣った顔で硬直している冬月を、世悧と二人で背中に隠した。
「……うん? なぜ私のものを隠す? ……ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな。これは失礼した、礼儀を欠いてすまない。私はラバトラスト王国で公爵の位をいただいている、露空という。そちらは?」
礼儀を欠くとかそういう問題じゃないんですけど。
(つーか、やっぱり隣国の公爵なんじゃねえか! 初対面の少年を自分の物呼ばわりする変態なのに!?)
ラバトラスト王国、終わっているかもしれない。だってこいつ、貴族の最高峰たる公爵なんだぜ?
「夢だ、これは。誰か夢だと言ってくれ……!」
青ざめた顔でそうつぶやく冬月が、心の底から哀れだった。