7,『それでも、彼が戻るというのなら、』
「ただいまもどりました」
人目につかない森の端に戻れば、阿星と世悧が冬月を迎えた。とりあえずは、購入したものを渡していく。服などかさばるものがあるため、結構な量だ。それらをとりあえず整理したところでようやく腰を落ち着け、久方ぶりにしっかり味のある食事で腹を満たしつつ、ヴィラックで聞いてきた噂と、冬月を呼び止めた騎士の様子について情報共有をした。
「俺の扱いって……」
「いや、俺らの扱いもなんかいやっすよ。変質者に誘拐された被害者みたいになってるじゃないっすか」
案の定、二人ともむせたり吹き出したりしつつ、最終的に微妙な顔になっていた。判る。冬月も、あの若者たちの話を聞いた時、どれほど吹き出したかったことか。
ともあれ、互いの見解を話し合った結果、おそらくは噂に尾ひれがついただけで、世悧には捕縛命令、冬月と阿星には保護命令が出ているのだろうという結論に達した。
ここで、冬月は阿星とともに、ひたりと世悧を見つめる。
「そろそろはっきりさせておきましょうか、隊長さん。……これから、あなたはどうするつもりですか?」
「っ。……それ、は、」
答えようとして詰まる姿に、葛藤が見えた。冬月と阿星が聞きたいのは、全員でヴィラックへ行くかどうか、という単純なことではない。世悧が騎士団へ、ひいては国へ戻るか否か、の話だ。冬月らの出した結論が正しいのならば、世悧は騎士団へと捕縛されても即、殺されることはない。その後、生き残れるかは世悧自身にかかっているけれど。
「初めに言っときますけど。俺らは王様んとこへは行きませんよ。このまま逃げるのは決定っす」
「ここで、もしあなたが僕らを捕縛して連れて行こうとするなら、全力で抵抗します」
世悧は強い。それはわかっている。しかし、今いるここは浅い場所とはいえ森の中で、冬月と阿星は二人だ。少なくとも、逃げ切る自信はある。
「隊長さん。別に、僕らはあなたに強制はしないですよ。あなたが、どうしたいのかで、選んでください」
世悧には、命を懸けて守るほどに大切な部下たちがいる。これまで築いた地位も、家族も。簡単に捨てられるものではないだろう。己が生き残ることに全力を尽くすため、騎士団へ帰る、という選択肢も世悧にはある。
なにしろ、ここで冬月と阿星とともに逃げれば、完全にお尋ね者となり、少なくともこのオッチェンジェスタ国にはいられない。国外に逃亡することになるだろう。
もちろん、世悧にはいろいろと話をしてしまった。冬月の龍珠もまた、世悧の手首にはまったままだ。結局、購入してきた油やら何やらを使用してもびくともしなかったのだ。それでも、彼が戻るというのなら、ここで別れるつもりだった。
あの時崖の上で、『逃げろ』と言った世悧は、自身が元の場所へ戻ることを選んでも、きっと冬月と阿星を見逃す。それで自分が、どんな窮地に立たされても、そうするのだろう。だから、同じだけのものは返したいと、思っていた。冬月も、阿星もだ。
――そうして、世悧が出した結論は……。
「お前らと行くさ。……ここまで来たら、生き残ってやりたいからな。お前たちと一緒の方が、生存率は高そうだ」
迷い、葛藤し、けれど最後に笑って、そう言った。冬月は思わず、目をしばたいた。問うたのは自分たちとはいえ、世悧は騎士団へと戻っていくだろうとほぼ確信していたのだ。
「……騎士団の人たちは、いいんですか? ご家族も、大丈夫なんですか?」
思わず眉を下げて問えば、ひらひら、と手を振られる。
「ああ、部下たちは大丈夫だろう。庵哉様と亥良がいるからな。あの人らなら、俺一人の罪にしてくれるし、部下たちだって、俺がいなくなったからってつぶれるような奴らじゃねえよ。つうか、むしろ部下どもは、俺が戻った方がかばいだてとかして罰されそうだし。それに、うちの家族も問題ねえな。うちの連中に手を出す方が不利益だ」
庵哉と、亥良(確か副隊長……だった、はず)への信頼はわかったが、家族に関しても本当に心配をしていないようにそういうものだから、思わず勘繰ってしまった。が、……自分の中の貴族知識を掘り返して、なんとなく納得した。
確か、世悧の実家はそんなに規模が大きい家ではないのだが、……とにかく変わった家なのだ。一芸に特化しているというか、芸術に没頭する当主と、執筆にまい進する領主妻と、狂ったように生物学に傾倒する第一子と、植物学に命をかけている第二子、という構成だったはず。第三子である世悧は、突然変異のような常識人だった。
しかし、そんな世悧の家族は、一芸に秀でるがゆえにそれぞれの分野で第一人者となり、容易に排除はできない人物たちばかりなのだ。
「でも、何かしらの罰を受けてしまう可能性はあるんじゃないっすか? 爵位の剥奪とか、軟禁とか」
心配げに阿星が言いつのる。けれど、それもカラカラと世悧は笑った。なぜか、乾いた笑いだった。
「あの人ら、マジで自分の好きなことさえできれば他は何も気にしねえからな。……むしろ、多少の制裁くらい受けてほしいぜ。これまで俺が被った迷惑を考えれば……!」
世悧は、家族に大層苦労したらしい。常識人って大変だな、と冬月は思った。このあたりで、なんだか気が抜けて、くすりと笑ってしまう。
(……自分で思っていたより、緊張してたんだな)
そして、思ってもいなかった軽口をたたく。
「……よかったです。隊長さんが戻りたいなら止めないですけど、結局外れなかった龍珠は返してもらわなきゃなんで、手首と一緒に置いて行ってもらうつもりでしたし」
「まだ切り落とす選択肢残ってた!?」
バッと手首を抱え込む世悧に、笑う阿星。別に状況が好転したわけでも何でもないのだが、明るい空気がひと時流れた。
こうして、ひとしきり軽口をたたきあった後。話を元に戻して、三人は改めて顔を突き合わせる。
「で、結局、三人で逃げるってことになりましたけど。隊長さんについてはどうするんすか? 冬月を待ってる間に話してても、髪染めくらいしか案でなかったし……」
「街に一切よらねえのは無理だもんなあ。金も尽きるし、馬を借りれなきゃどうしても機動力が落ちて見つかる可能性が高くなるし」
うーん、と頭を抱える二人に、冬月はニヤッと笑った。
「それが、ヴィラックでいいものを購入できたんですよ。――ほら、これです」
ぱっとこちらに顔を向けた二人に見せたのは、懐から取り出した包み。それを広げれば――。
「は? 化粧道具?」
眉をひそめたのは世悧だ。けれど、その横できらっと目を光らせたのは阿星で。
「ああ! なるほどな! でかした、冬月!」
バシバシと興奮のままに肩をたたく幼馴染を振り払って、冬月は世悧に説明をする。
「化粧で、顔立ちをごまかしましょう」
「はあ!? ……いや、俺、化粧なんかしたことねえぞ!?」
目を剥く世悧に、冬月は阿星と顔を見合わせて、にやりと笑う。
「大丈夫ですよ。俺、こういうの大得意っす」
「えっ」
「阿星はすごいですよ。別人になれますからね。……ただ、露店で売ってた安いやつで、できる限り揃えたけど、やっぱり色数はあんまり……。いけるかな、阿星?」
「えっ」
「んー、ま、いけるだろ。基本はそろってっしな」
「えええぇぇぇぇぇ……」
冬月と阿星のやり取りに、首を左右に振りながら困惑の声を上げている世悧。驚きはわかるが、問題が解決しそうなのだから、素直に喜んでほしい。
ちなみに、何故阿星が化粧が得意なのかと言えば、幼馴染である蜜香の影響だった。数年前、ちょっとませた女の子である蜜香は化粧に挑戦し、惨敗していたのだ。もともとかわいらしい顔立ちなのだから、化粧など必要ないと冬月も阿星も言ったけれど、それが逆効果だったのか、頑なに練習をやめない蜜香に付き合っていたら、いつの間にか冬月も阿星も一通りの知識が身についてしまった。
ここで、化粧の腕前に言及すると、まずはごく普通に化粧ができるようになったのが蜜香。そして一般的にうまい、というレベルで化粧ができるようになったのが冬月だ。そんな二人に比べて阿星は段違いだった。なにしろ、阿星は化粧にはまった。ハマりにハマった。そして気づけば、素の状態とは別人レベルを作り出せる、とんでもない化粧の腕を身に着けたのであった。
「呪術もそうでしたけど、物は試しですよ、隊長さん。まずは髪色を変えるところからやってみましょうか」
「お、おう……」
冬月のほほえみに、世悧の声は引きつっていたが、それでも必要性は理解しているのだろう。おとなしく、冬月と阿星に囲まれて、せっせと化かされていったのである。
そして、半刻後。
「……え。マジで……?」
やり切った冬月と阿星の前で、手鏡を見ながら呆然としている世悧は……もはや『世悧』には見えなかった。濃い金髪は暗い茶髪に。髪型も不潔ではない程度にぼさぼさに。きれいな弧を描いていた眉は剃られて足されて、野暮ったい印象に。目元は心なしか印象を薄めて小さく見えるし、白く健康的な肌は、そばかすやシミが目立たない程度に散ったものへ。鼻は陰影を利用してややのっぺりとして見せている。
「えっ。誰これ……」
誰もが認める美男子から、地味で野暮ったい男へと豹変した世悧はぼそりとそうつぶやく。冬月たちは実に満足だった。これならば、知り合いであろうともすぐには世悧本人と気づかないだろう。
呆然とする世悧に、冬月は阿星とにやりと笑い交わして、さらに準備を進めていったのだった。