2,『龍珠(Side世悧)』
最終的に、あいつら、仲がいいな……??? と納得? した世悧は、おとなしく冬月が阿星によって手当てされる様子を見ていた。なお、そこに至るまでに、阿星が世悧に八つ当たり気味にどなったことを謝罪したり、目の前で突然喧嘩をおっぱじめたことを冬月と二人で謝罪したり、それに対して、世悧もまた冬月と阿星に、自身の発言を詫びるという謝罪合戦が繰り広げられたのである。
ともかく。そんなこんなを経て、ようやく腕の処置を終えて今は、全身のあざに薬を塗っている。
(いやあ、さっき俺の状態を診断していたのといい……まじで龍使いってのは何でもできるんだな)
当たり前のように動いているが、あの手際のいい手当と、世悧への処置からその優秀さを悟る。本当にこの二人は十七歳なのだろうか。年齢詐称ではないだろうか。自分よりよほどのこといろいろな方面の技術を習得している冬月たちに、そんなことを疑う。
(まあ、見た目だけなら、冬月に関しちゃ十七よりもさらに下に見えるけどな)
背も男にしては低めだし、顔立ちも美少年ではあるが幼め。さらにあの細いからだ。どれだけ見ても、あの華奢な体躯から、恐ろしい威力の蹴りや拳が繰り出される原理が分からない。怖い。
(……にしても)
思いつつ、視線を冬月の荷物に落とす。外套に『鱗傘』という特別な装備であるらしい服、腰に括り付ける小さなかばんには、薬の他色々と入っているようだ。その他は彼の母の形見だというペンダント、そして最後に外していた白い腕輪。
「……これ、阿星も同じの持ってるだろ?」
その腕輪を持ち上げて世悧は問う。先ほど服を着直していた阿星が、彼の右腕に似た腕輪を嵌めるのを、確かに見た。今は服に隠れて見えないけれど。色は黒だったように思うが、ちらりと見た感じよく似ていた。
「ああ。別に同じもんじゃないっすけど、……まあ似たようなのは持ってるっすね」
「へー。龍使いの里で流行ってるとか?」
阿星は世悧も見もせずに答える。世悧も世悧で、ごくごくシンプルなデザインの腕輪を矯めつ眇めつ見たり、手元で何気なくいじりながら問いを重ねた。
「娯楽が少ない里ではありますけどね。流行っているというより、こだわりがある人以外、そういう腕輪を作ると自然と似た感じになるだけなんです」
今度は冬月の答え。顔を上げて、冬月たちの方を見ながら「なるほど」、と世悧も返したころ合いで、手当てが終わったようだ。冬月が再び服を着直し、世悧を振り返る。そして右手を差し出して、世悧に言った。
「さ、隊長さん。それ返してください」
「あ、悪い」
世悧も当然、持ち主である冬月に腕輪を返却しようとする。――が。
ぐっ。……ぐっ、ぐっ。
「えっ。あれっ」
矯めつ眇めつ見ていて。白く軽いそれを手の中で弄ぶようにしていて。会話もしながらだったので、あまり意識を手元に手中していたわけではなかったのだが。
「………………………抜けない……」
いつの間にか。本当にいつの間にか、無意識のうちに、世悧は腕輪を自分の腕にはめてみていた。悪気はなかった。悪気はなかったんだけど……抜けなく、なった。
「……」
冬月は沈黙している。世悧は冷や汗をかいた。顔が上げられない。上げるのが怖い。だがしかし、これは悪いのは自分だという自覚があった。むしろ、崖からの落下で命を助けられ、意識を失った自分を手当てしてもらって、……この所業である。
世悧は考える。冬月のペンダントは母親の形見だった。そして外見にこだわりはなさそうな冬月からして、単なるおしゃれで腕輪をつけているわけではないのでは? 阿星とお揃いであつらえたわけでもなさそうだし。……ならばこれもまた、誰かの形見だったりとか何か大事なものである可能性があるのでは……?
真冬の夜明けも近い時間帯。焚火があっても寒いことに変わりはないというのに、だらだらと冷や汗をかきながら、世悧は覚悟を決め、顔を上げた。無表情の冬月がいた。世悧は土下座した。
「すまない。本当に済まない。俺が悪かった」
「……」
土下座する世悧に、冬月は無言で手を伸ばす。びくりと肩を震わせたが、それは暴力をふるうためではなく、ただ世悧の右手を持ち上げた。そして。
ぐっ。ぐぐっ。ギリギリギリギリ――
「痛ぇ痛ぇ痛ッッッてエエエエエエえ!」
何が何でも引っこ抜く、とばかりに腕輪を引っ張る冬月。彼は完全なる無表情だった。しかしその細腕からは考えられない腕力を発揮して、腕輪を引っ張った。だというのに、どうして嵌められたのかがわからないくらい、手首の太さにピッタリ沿っており、小指の一本も入る隙間がないほどの腕輪である。手をできうる限り細めても全然抜けない。全ッ然抜けない! ゴリゴリ言ってる、骨が悲鳴を上げている! 痛い。痛い。手首が千切れる!
「……」
世悧の悲鳴にも構わず冬月はぎりぎり引っ張っていたが、ようやく一時停止し、無表情のまま阿星と顔を見合わせていた。その間、世悧は手首を抱えてくるりと地面に丸まり、びくびく震えていた。
「――仕方がありませんね……」
世悧が震えている間に、何らかのやり取りがあったらしい。冬月の声が頭上から降ってきた。それは、ひどく穏やかで優しい声だった。世悧は何とか、一時的でも怒りを阿星が抑えてくれたのか、と希望を抱いた。しかし。
「隊長さん。手首にお別れしてください。切り落としましょう?」
「これ以上なく物騒な結論たたき出してた!」
あたかも慈愛溢れるかのような声で紡がれた、一切慈悲のない言葉に世悧は叫んだ。もちろん右手首は、大事に懐に抱え込んだままだ。だって斬られる。切り落とされる! むしろ、いったいどこに持っていたんだか全くわからない、長剣を構えた阿星が冬月の背後にいる。切り落とす気満々じゃねーか!
「待て待て待て待て! おち、おちつけ、落ち着こうぜお前ら!」
世悧がずるずるとしりで後ずさるも、焚火に下から照らされ、くっきりとした陰影の浮かぶ顔を笑みの形で固定した二人は言った。
「俺らは落ち着いてるっすよ。隊長さん、大人しくしましょう? 俺、剣はちょっと自信あるんでスパッと逝けますよ」
「その後の処置は任せてください。失血死なんて心配しなくていいんですよ」
阿星の言葉通り、恐ろしく落ち着いた声だった。こいつら仲いいな!? 怖ぇよ!
「ちょっ、まっ……ひ、ひいいいいいいいいいいい!」
夜明け間近の森の中、断末魔のような世悧の悲鳴が響いた。
☽☽☽
なんとか、なんとか! 世悧の手首をすっぱり腕からお別れさせようとする二人を止めることに成功した後。攻防は実に数十分続き、あたりが白んできたころである。
「誠に申し訳なく、俺が悪いのは重々承知なんだけれども、手首を落とすのはなにとぞご勘弁ください。……てか、マジで、この腕輪そんなに大事なもんだったのか……?」
そう、正座しながらも恐る恐る問うてみる世悧。そんな彼に、冬月と阿星は顔を見合わせている。
……攻防の最中、説得のために何度も何度も抜こうとして、濡らしてみたり、ちょっと火に近づけて温めてみたり、冬月の指ならと隙間に差し込んでみたりと、今この場でできるいろんな手段も試したが、どれも徒労に終わった。結局白い腕輪はまだ手首にはまったままである。なお、冬月の指ですら、手首と腕輪の隙間には入らなかった。
「―――けど、」
「――ってるよ、……から……」
正座している世悧からやや離れ、ひそひそと相談している二人を待っている時間が怖い。え? 今度はまさか、冬月の父親の形見だったりとかするのだろうか。両親は既に他界していると阿星が言っていたよな……。
いまだ止まらない冷や汗に、軽率に腕輪を嵌めてみた自分を呪う。というかなんで入ったんだ。こんなに抜けないのに。そうぐるぐる考えていたところ、ようやく相談を終えたらしい冬月たちが世悧の所に歩み寄ってきた。そして二人して、世悧の前で静かに座る。思わずゴクリと息を飲んだ。
「――これは、あの時、俺らに『逃げろ』って言ってくれた世悧隊長を信頼して、話すことっすよ」
静かに口を開いたのは阿星だった。その隣の冬月も、じっと世悧を見つめている。世悧は無言で、こくりとうなずきだけを返した。
すると、阿星は自分の右腕を世悧の目の前に突き出してくる。そのままバッと袖をまくって、冬月のものとよく似た、黒くシンプルな腕輪を見せた。
「――これは、『龍珠』っていうものなんです」
「『龍珠』?」
聞き返す。見ても、ごくシンプルな腕輪にしか見えないが……龍使い特有の、特殊な品、ということなんだろうか。
「龍珠は、『龍気が形を成したもの』っす。常に持ち主の影響を受け続けて、持ち主が身に着けている間、いろんな形に変えることも出来る」
阿星はそう説明をするが、正直理解が追い付かない。持ち主の影響で形も変えられる? って、それはつまり……?
「呪術……? みたいなもんなのか?」
「ちょっと違いますね。そもそも、龍や龍使いだけが持っている『気配』というか『気迫』というか……まあそれを僕らは『龍気』と呼ぶのですが。その龍気と僕らの意思とに反応して姿を変えるんです。呪術記号や言霊は必要ありません」
そういった冬月は、「阿星」、と隣に呼びかける。
「やっぱり、見てもらった方が早くないかな?」
「そうだな。――隊長さん。よく見ててくださいね」
そして――阿星の様子が、変わった。
(!)
先刻、対峙した白狼のうち一頭に対して見せた、冬月の異様な雰囲気。それと同じものを、阿星から感じた。
(これが……『龍気』……?)
つまりあの時、白狼が一度冬月の前から引いたのは、『龍たるものの気配』を感じて本能的に恐れたためなのかもしれない……。
そう、思った瞬間だ。瞬きほどの時間もなく、阿星の右手の中に、長剣が出現した。
「はっ?」
頓狂な声を上げる世悧。しかしそれには特に反応を示さず、阿星は剣を握ったままの右手をひょいッと持ち上げて、手首を見せる。
「ほら、見てください。腕輪がないっしょ?」
言われて注目すれば……確かに、腕輪は跡形もなく消えていた。外した様子もないのに。
「え……、つまり、それが、その剣が……?」
「そうっす。さっきまでは腕輪にしてましたけど、今、俺が長剣にしました」
「割と人それぞれなんですけど、阿星の場合は腕輪は一つですね。まあ、増やそうと思えば数は増やせるんですけど。僕の場合は、腕輪の状態だと二つです」
すっと冬月が掲げた左腕には、確かに白い腕輪がもう一つ、はまっていた。
「さっきの話だと……結構なんにでも、形を変えられたりするのか?」
目の前の光景に混乱しながらも、自分の頭を整理するように声を出す。
「何にでも……かは、わからないですけど。変形の限界があるのか、試してみたことはないし、大抵得意武器とかに変形させるから、取る形はそれぞれ固定されているようなものですし。普段は邪魔にならない装身具……腕輪とか、ペンダントとか、指輪とかにしている人が大半ですけど、必要時は得意武器に形を変えるんです」
冬月が追加する情報が頭の中をぐるぐる回る。そして世悧はハッと気づいた。
「あっっっ! さっき俺の手首を切り落とそうとした剣! どっから出したと思ったんだよ! いつの間にか消えてるし、俺は追いかけられててすっかりうやむやになったけど! あれもそれか! 龍珠なのか!」
「そうっすね。だって……狩りとかで使う小刀くらいは持ってますけど、それより龍珠の方が切れ味良くて……痛いの嫌っしょ?」
「嫌だけども!? その前に切り落とすという選択肢を持たないでほしい!」
そう叫んで世悧は阿星をキッと見る。にらんだんじゃない、見たんだと彼は心の中で主張する。むしろ若干涙目だった。――けれど、そこで世悧はぴたりと動きを止めた。阿星の気配の変容や、龍珠の変形に気を取られて、ずっと顔をまっすぐ見ていなかったのだ、とここで気づく。だって。
「その、目……」
阿星の、翡翠色の瞳。その瞳孔は――獣のように……龍の瞳のそれのように、縦に長くその形を変えていたのだ。「ああ」、と阿星は左手で目を押さえる。
「そういや初めて見るっすよね。龍気を発するとき、こうなるんすよ」
「……」
世悧は再び、ゴクリと息を飲んだ。今、平然と目の前で話している少年たちが、自分とは異なる力を持つ者たちなのだと、わかっていたことを改めて突き付けられた気分だった。龍珠、というのは初めて聞いたが、世の中には呪術が浸透していて、例えば温熱の呪術が施された毛布のように、特殊な力を発揮する物品は身近にある。
けれど、あの目は。天空の脅威たる龍と同じ瞳。これが、龍を御する者――『龍使い』なのだと、知らしめられた。
「――怖いですか?」
言葉を返せないうちに、そう言ったのは、やや困った顔をした冬月だった。