8,『温泉街・チェラ』
護竜山の樹海最寄りの村から少し南に行くと、この辺りでは大きい部類に入る街がある。冬のこの時期は観光客もそこそこ多い温泉街・チェラ。そこに、なぜか冬月たちはいた。
「いやあ、冬月と阿星のおかげで俺たち首が飛ばずに済んだんだ! まあ飲め飲め! もう十七なら酒もイケるだろ?」
あっはっは! という、世悧の笑い声を皮切りに始まったどんちゃん騒ぎである。そう、冬月と阿星は、迷子の大人二人を森の中で保護し、無事騎士たちのもとへ送り届けた。存在感の薄い副隊長に泣きながら喜ばれた。そこまではよかった。
が、しかし、送り届けたのち、速やかに離脱しようとして失敗した。コミュニケーション能力の高い世悧率いる、オッチェンジェスタ国騎士たちの押しに負けたのだ。
いわく、必要な量の薬草採取は終わった。あとは乾燥させたりなんやかやして煎じるのみ。その作業は医師がやるため、騎士団は警護していればいい。そしてすぐに乾燥させないと薬効を喪う性質上、乾燥作業まではこの草原で行うことになっている。つまり時間が空いた。生きて帰れてうれしいから飲もう! と。
断る隙を与えない見事な連携で押し切られた冬月と阿星は、流されるままにチェラの街まで連行され、イマココである。二人は顔を見合わせ、全てを諦め、この状況に甘んじることにした。
「おおおお! お前どれだけいくんだよ!?」
誰かが叫んでわっと座が盛り上がる。騒ぎの中心は世悧と、冬月だった。はやし立てられ始まった飲み比べで、二人してゴッゴッゴッと水のように酒を飲み干してゆく様は圧巻の一言だ。特に、見た目がやや幼い冬月に、騎士団の屈強な体躯の男たちが驚愕を隠せていない。
(別にこのぐらい量の内じゃないけど)
などと冬月が思っているとは阿星以外は知らないだろう。世悧も酒には強いらしく、かなり度数の強い酒を続けてあおっているにもかかわらず、顔は赤いが呂律はしっかりしている。が、冬月の強さはそれ以上だった。いくら飲んでも素面のままである。
「はあ? それはこの店で一番強い酒だぞ!? それを割りもせずよくもまあぐびぐびと……! 体の中どうなってんだ!?」
世悧が叫ぶのも無理はない。冬月は己はザルを超えたワクだと重々承知している。十六で飲める歳になって、初めて里の大人に混じって飲酒をしたが、つぶれたのは大人たちだった。その後も、相手を酔い潰してはケロリとした顔をして恐れられている。
そんな冬月は今日も今日とて負けなしだ。飲み比べではすでに五人抜きで、実は世悧は六人目の相手だったりするが、彼女にとっては全く問題ではなかった。彼女にとって、酒は水とほぼ同義である。
「ははっ。まだまだいけますよ」
しれっと言い放った冬月に、世悧は自主的に試合を放棄した。それにまた場がわく。
「隊長が負けるとこ初めて見た……!!」
「マジ感動する! こんな子供みた……うぐっ」
「すっげえ! 隊長は今まで負け知らずだったのに!」
「男らしいなあ! そんなにちっこ……むぐっ」
うおおおおおお! という歓声の中に混じる不用意な発言は、間一髪ほかの隊員に強制的に黙らされる。昼間、世悧たちを連れ帰った時に起こった、騎士による地雷発言からの冬月の絶対零度笑顔発動で、彼らはちゃんと学習している。酔っていてもしっかりと統率がとれた動きであるあたり、深く恐怖は刻まれたようだ。よって冬月も、最後まで発声されなかった言葉は聞こえなかったことにして差し上げた。
ちなみに、いつもならばこういった場面では茶々を入れたり止め役をしたりするのが常の阿星は……すでにつぶれていた。彼は冬月とは真逆の下戸である。そもそも店に漂う酒気だけでほろ酔いになり、一、二杯の軽い酒を開ければもう真っ赤になった挙句、とっくの昔に寝落ちしていた。
龍使いの里であれば冬月に限らず、周囲がきちんと止めるのだが、今日はコミュニケーション能力の高すぎる騎士たちに離れた席にさらわれたせいで制止が叶わなかった。気が付いた時にはすでに落ちていたのである。弱いんだから自制しなよ、とは思うものの、阿星の場合すぐ寝落ちるだけで特に害はないので、今回は放置を決め込んだ。
「よおぉし、今日は俺もつぶれるまで飲むぞ!」
世悧の大音声に店中が呼応して大合唱がはじまる。まったく酔った気配のない冬月はその熱気に充てられて困ったように笑う。
「僕、ちょっと風に当たってきますね……」
冬月は一応そう告げたが、阿星と冬月をそっちのけで盛り上がっている周囲は誰一人として聞いていない。勝手にしてくれとばかりに冬月は人知れず輪からすっと抜けだした。
☽☽☽
外に出ると冷たい夜気が肌に心地よかった。それでもやはり冬月らの里よりやや南にあるためか、あるいは温泉街であることも関係しているのか。この時期の風は里のそれよりはやわらかい。
「もう真夜中か。あれだけ飲んでてあの人たち、明日の仕事は大丈夫なのかな」
冬月は軽く伸びをしてつぶやく。オッチェンジェスタの国民性がおおらかで暢気とはいえ、一応流行り病で国家の一大事の最中、任務遂行中のはずである。そこを言い出したらそもそも宴会をするなという話だが……庵哉が許可を出したのだからいいのだろう。
一応、騎士たちの半分は野営地に残って医師たちの護衛をしている。酒盛りメンバーが決まった時、残される彼らの悲憤の声が草原にとどろいていたけれど、仕事はきちんとしているはずだ。なお、庵哉はしれっと酒宴に交じっている。暢気な国民性はお偉い様にもしっかり浸透していた。
ちなみに、唯一この場に誰も参加していない医師たちは、威圧感マシマシの中で薬を作るよりも心安らぐ、と周囲の騎士が減るのを喜んでいた。危機感は本当に大丈夫だろうか。あそこは護竜山の近くだぞ。
まあ、それを言えば、明日二日酔いになれば困るのに危機感がないのは阿星も同じなのだが、冬月は彼については心配していなかった。
(あいつ、弱くて量は飲めないけど引きずったことはないもんな)
里でもよく冬月とともに驚かれていた。冬月はそもそもの酒の強さに、阿星は回復の速さにだ。なにしろ誰より早く潰れるくせに、目覚めた時には何事もなかったかのように通常通りなのだ。たとえ睡眠時間が三十分程度でもだ。里の大人に二度見されていた。
そんなことを思い出して、壁に背を預けて空を見上げる。見える星は里より少ない。それはあちこちから湯気が上がる街の様相も関係しているだろう。真夜中だというのに、眠りの遅い街の喧噪は、背後の飲み屋からばかりではなかった。
そしてふと、思い出した。あれは世悧たちを保護することが決定し、里を出る直前。冬月は阿星と共に、今後の動きを色々と言い含められていたが、その中で冬月にだけ、声を潜めて落とされた、声。
――『息子を、頼む』
それは阿星の父親・星尹の言葉だ。鉄仮面からは想像できないような、優しい声だった。まったく。心配ならば心配だと、ちゃんと本人に伝えればいいのに。眉ひとつ動かさないで、指示を与えたくせに、そのたった一言にすべてを籠めて。あの人は堅物に見えて子煩悩なのだから、笑ってしまう。阿星以外の子供たちにも、厳しいようで甘い優しい父親。
ただ少し、素直に、なれない人なのだろう。
「もちろん。星尹さん、貸しですよ?」と笑って返した冬月にとって、その甘ったるいような温かさは、微笑ましく――少しだけ、羨ましかった。
緩い風に、目を細める。郷愁を感じるほど繊細な神経はしていない。けれども感じる心の孔は――埋まることは、無いのだろう。
頭を振って、こみ上げそうになった何かを振り切る。大きく息を吸い込んで、気合を入れなおし、さあ中に戻ろう、と思った。その時、冬月は不意に左手に人の気配を感じて振り向く。そして目に入った人影に、先ほどまでの思慮などすべて吹き飛んで、これでもかと目を見開いた。
――その人物は優雅に微笑んで道の真ん中をこちらに歩んできていた。その笑みの美々しいこと。まるで人間ではないかのよう。それを凝視し一瞬頭が真っ白になった冬月は、無言で距離を詰めると、予告なしで右の拳を『彼』の頭にたたき落した。
「っなにやってんだジェタ!!」
そこにいたのは、龍使いの里の大人を混乱させた一因の、駄龍だった。