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天統べる者  作者: 月圭
序章 龍の一族
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1,【ひと世 ふた馳せ みつ結び】

【ひと世 ふた馳せ みつ結び】




 少年が一人、冬の空気を裂いて里の中を疾走していた。その息は凍てついて白く、周りの里人が何事かと軽く目を瞠るほどにその速度は速い。


 ふわりと柔らかい質の毛先が軽く跳ねている髪は金に近い茶、大理石のように白い肌とは対照的に、長い睫毛の奥にある夜明け前の空のように深い紺青の瞳は澄んで、強い光を湛えている。


 前髪がやや長く、強い印象の瞳を覆うがゆえに一見ではわからないが、しっかりと見ればひどく整った顔の少年だった。ただでさえ、誰もが中性的だと口をそろえるだろう容姿に加え、十七歳という年齢にしては小柄で細い体躯が、いっそう性の境目を見失わせる。それは美少年だとほほを染める者もいれば、女のようだと嫌な視線を浴びることもあるだろう。


 だがしかしその、性別迷子な美少年の現在は、全力疾走である。彼はその美しい顔を大いに歪めてひたすら走る。走る。とにかく走る。爆走だ。煌めく汗、しかし顔色は蒼白、何があったと目を丸くする里人の反応は正しい。


 そして走る勢いそのまま里はずれの道場に少年は飛込み――


「よし、遅刻じゃな。喜べ、お前は訓練三倍じゃ」


 ガッと、その首根っこをわし掴んでごくごく平たんに言い切った筋肉の塊――否、初老の男性。


「ぐふっ……いやセーフでしょう。僕は間に合いました。三倍はないです」


 首への圧迫により詰まった息もなんのその。すかさず逃げ出し、初老の男性がごく平たんに言い切った発言に少年は反論する。荒い息を整え、声だけはまるで余裕であるかのように冷静に。


 なお、少年が逃げ出した瞬間、予備動作のない拳が、先ほどまで少年の頭があった場所に振り下ろされた。間一髪だった。冷静を装う声音とは違ってとりつくろえなかった美少年の顔色は、蒼白から土気色になった。


 拳をよけられた初老の男性はちっと激しい舌打ちをかまし、肉厚の手のひらに空ぶった拳を打ち付ける。ぱあん、と小気味のいい音が道場に響いた。


「セーフじゃないわ、この阿呆め! 一分遅刻じゃ、一分!」

「……気のせいじゃないですか。師範見かけによらず細かいですね」


 怒鳴る男、だが口だけはひるまない少年は、まさかの口答えをした。それを聞いた、実は最初からいた道場生である子供たち(多数)は「やめとけって、」と真っ青になって忠告めいた言葉をごくごく小さな声で発したが、ごくごく小さな声であったがゆえに少年にも師範にも気づかれることはなかった。そしてビキリと師範のこめかみに青筋が走る。


「だ阿呆! 儂はいつだって繊細じゃ! そして戦士たる者いかなる時も時間厳守! その歳になって、そんなこともわかっとらんのか! わしが性根をもう一度鍛えなおしてくれる、そこに直れ!」


 師範たる男は、そう少年を叱りつけながら、袖をまくりあげる。顔は五十歳は軽く超えているように見えるというのに、あらわになった腕はそんなことは微塵も感じさせない。まさしく筋骨隆々、その言葉がこれ以上なく似合う。素晴らしすぎて世間一般の五十代は涙目だろう。


 そんな彼のこげ茶の瞳は意志の塊、髪こそ緑がかった茶色から白いものが増えているが、浅黒い顔は標準装備でいかめしい。ひそかに『熊筋師範』と呼ばれているのは道場生たちの間の秘密である。そしてその仇名の由来は、片手で熊を殴り倒したことがあるという伝説であったりするのだが……。その、狂気な凶器の右腕を凶悪な微笑みでもって振り上げようとする師範。


 少年はここでついに表情をもひきつらせた。顔色は変わらず土気色だった。


「いや、落ち着きましょう師範。今朝は不可抗力です。『どこぞの馬鹿』の家の手伝いをしていたんです。だからやめましょう、その拳をしまいましょう、東海(あずみ)師範、師範の拳まともに受けて無事だった人なんか見たことがありません。死にます」


 少年は言いつのりながらじりじり後ずさる。少年と師範を囲む道場生たちの輪もじりじりと離れてゆく。しかし、『東海』と呼ばれた男……師範は笑っている。これまた年齢を感じさせない若々しく素敵な笑顔だ。年齢は感じないが恐怖はマシマシである。


 そのままじりじりと師範と少年の距離が縮まって、少年の顔がすべてを諦めた――その時。


「なんっで、冬月(とうき)てめえ先に行くんだよ馬鹿ああああああ!」


 どーんと。


 扉を破壊せんばかりに道場に飛び込んできた二人目がいた。集まる視線、凍り付く空気、冷や汗をかく、たった今飛び込んできた少年。『冬月』と呼ばれた金茶髪の美少年だけが「道連れが来たか」と小声で言った。


 そして、そんな冬月の小声は聞こえなかった、たった今飛び込んできた方の少年は、短く刈られた銀髪はつんつんと立っていて、眦の吊り上がった明るい翠の眼はくっきりとした一重。精悍な体つきをして、肌は健康的に日に焼けている。さっぱりと明るい印象の強い彼もまた整った顔立ちだ。冬月と同年ではあるが背の高さも相まって青年と呼んだ方がしっくりとくるかもしれない。


 だがしかしそんな青年も、今は熊筋師範を前に蛇に睨まれた蛙のごとく固まっている。


「ほう。遅かったのう、阿星(あほし)。よってお前は五倍じゃな。冬月のいう『どこぞの馬鹿』もお前じゃろ」


 お前ら、本当に仲いいな。はっはっは。


 そう笑う師範の声は、確かに笑っていたけれど、目は全然笑っていなかった。


「違うんですって、うちのチビが! 弟がちょーっっと駄々こねて冬月が作ったご飯じゃないと食わねえっていうから!」

「そうか。戦士たるものそれでも時間厳守。子供にすがられても動じぬ精神を養わんとな。よって冬月三倍、阿星は五倍じゃ」


 『阿星』と呼ばれた銀髪の少年は弁明する。しかし師範は笑顔だった。げんこつは回避したが、地獄の訓練割り増しは回避できなかった。冬月と阿星は思った。……これ死んだ、と。












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