百奇夜行 ~路(みち)~
大好きだったお祖母ちゃんの葬儀を終え、独り暮らしをしている街の駅に帰り着いたのは日付が変わるか変わらないか、という時間だった。
街灯の灯る駅前はとうに人影も絶え、タイミングが合わなかったのかタクシーの姿も見えない。待とうか、という気にもなれず、私はキャリーバッグをごろごろと転がしながら歩き始めた。
急な話で休みが取れず、ゆっくりお別れができなかったこと、何年も帰れずに顔を見せてあげられなかったこと、そんないろいろな後悔が背中から覆いかぶさってくるような感覚。
長旅で疲れた体とバッグの重みという物理的な負担もあり、足取りは重かった。
突然、けたたましい音が近づいてくる。
地方都市の郊外であるこの界隈にはまだ、暴走族と呼ばれる連中がいるのだ。翌日が休みというわけでもないのに、こんな夜更けにご苦労様なことだ。
ただ、女一人の身としてあまり遭遇したくない類の人たちなのは確かだ。コンビニの灯りまではちょっと遠すぎるように思える。私はとっさに小さな路地に入り込んだ。
背後をごんごんという耳ざわりな音とヘッドライトが通り過ぎる。
(へえ、こここんなところだったんだ。)
その路地自体は知っていた。ただ駅に近いのに車が一台通れるかどうか、という幅の上、直線ではなく微妙なカーブを描いている道なので利用する機会がなかったのだ。
その通りを眺めてみる。か細い街燈に照らされた両脇には古いつくりの商店や民家軒を並べている。もちろん、今の時間はどこも開いていないが、そもそも店じまいしてしまっている店も多いようだった。
(シャッター商店街、ってやつかな。)
そんなことを思った背後、先ほど通過していった爆音がもう一度大きくなってくる気配がした。
(こっち、行くしかないか。)
もう一度通りに戻って暴走族に出くわすか、このままこのちょっと淋しい道を進むか。案内板に書かれた、自宅近くの国道への距離を見て私は路地の方に歩を進めた。
心細さは思ったほどではなかった、というか不思議な安心感のある街並みだった。建物の雰囲気がそうさせたのかもしれない。ただ今思えばあの時間帯と光源の量にしては不自然なほど明るかったような気もした。
通りの半分ほどのところまで来た時だった。道が少しだけ広くなっている箇所があった。バス停のようにも見えたが、そんな標識はない。だいたいバスが通れるほどの広さとも思えない。
(ん?)
私は足を止めた。道のせいではない。その広くなってる場所に人影が立っていたからだ。
白い上品なワンピースを着た老婦人だった。
(こんな夜中にどうしたんだろう?)
声をかけようか、一瞬迷った。不審人物と思われるかもしれない。しかし、なぜか自然に体と口が動いた。
「あの、どうかなさいましたか?こんな夜更けに。」
老婦人がこちらを見た。
「ありがとう。ご心配なさらなくてもだいじょうぶよ。今、迎えが来るのを待っているのよ。」
そう言ってほほ笑む。柔らかい笑顔だった。顔立ちはぜんぜん違うのだけど、亡くなったお祖母ちゃんをふと思い出した。
「お優しいのねえ。きっと、お優しい方に育ていただいたのね。」
(……あ……)
共働きの両親に代わって私を育ててくれたのはお祖母ちゃんだった。いろんなことを教えてもらった。人に優しくすること、いつでも笑顔でいること。
でも、そんなお祖母ちゃんに私は何がしてあげられたのだろう。会いにも行けず、お別れもできず。
いつの間にか私の眼から熱いものが溢れていた。足に絡みついていた後悔が、まるで蔦のように全身を覆い尽くすような気がした。
「いいのよ。」
「え。」
「あなたが大切に思った人は、あなたがそう思ってくれただけで嬉しいものなのよ。それはね、とっても素敵なことだから。」
老婦人は私の眼をじっと見据え、そして優しく、けれど力強くうなずいてくれた。後悔がぽろぽろと剥がれ落ちた。
「あの……」
お礼を言おうとした。しかしそれを遮るように老婦人が言った。
「お迎えが来たかしら。」
「え?」
車の近づいてくる音もなければ、人の気配もない。じゃあ誰が?と思った瞬間、強烈な明かりが道を照らした。そしてそれに続いて、大きなものが動く音がした。
「なに……え?え?え?」
がたん、がたんという大きな音ともに現れたのは列車だった。
写真やテレビで見たことのある路面電車のような、小さな箱型の一両だけの列車が線路もない路地裏に、軋むような音を立てて進入してきた。列車は、きききき、という音とともにあっけに取られている私とにこやかにほほ笑み続ける老婦人の前に黒々と停車した。
ごとごと、と音がしてドアが開いたのだ。
「相変わらずのんびりさんなのねえ。」
開いたドアの向こう側には、ぴしっとしたスーツ姿の若い男の人が佇んでいた。男の人は、はにかんだように笑うと、老婦人に手を差し伸べる。
老婦人はその手をとって、車両のステップをとんとんと軽やかに上った。
「じゃあ、私はこれで。お嬢さんも、元気出してね。」
「あ……」
車両に乗り込んだ老婦人は、いつの間にか男の人と同じくらいの歳のご婦人の姿になっていた。閉まったドアから手を振る二人を乗せて、列車はごうんごうんという音といっしょに走り去っていった。
私も思いっきり手を振っていた。涙は相変わらず流れていたけれど、それはさっきの涙より暖かく感じた。
肩の疲れが私を引き戻した。私はさっきの裏路地に立っていた。ほの暗い街燈の灯りの下には列車が走って来た形跡などどこにもなかった。
(夢……?)
私はあたりを見渡した。そして、
(これ……)
道端の電柱に黒枠の立て看板が立っているのをみつけた。知らない名前の女性の葬儀会場への案内だった。
(あちらでもお幸せに……)
私はそっと手を合わせた。
後日、テレビのローカル番組で、この街にかつて小さな鉄道が走っており、人々に親しまれていたこと、あの裏路地がその最後の線路あとだということ、そしてもうすぐ再開発によって消滅する予定だと知った。
インタビューで鉄道の思い出を懐かしそうに語るお年寄りを見て、
(街の思い出もいっしょに持っていたのかなあ。)
と思った。