お師匠さまのたからもの
のっし、のっし。
のっし、のっし。
人里からはなれたところにある、深い緑におおわれた森のなかを、モコモコした大人の背丈ほどの何かがゆっくり歩いていきます。
二本の足で歩いてはいますが、人ではありません。かといって、動物でもありません。
ふかふかした緑色のコケでおおわれた彼の体は、土くれによってできていました。
彼は、森の奥に住む魔法使いのおばあさんによって作られたゴーレムだったのです。
「やあ、おはようライム」
木々にとまったコマドリたちが話しかけます。ライムというのが、彼の名前でした。体の表面と同じ、緑色をした果実にあやかってつけられた名前です。
「うん、おはよう。さっぱりしたいい朝だね」
歩きながら、手をあげ応えます。朝のさわやかな日差しが薄もやの向こうから降り注いでいて、気持ちの良い一日になりそうでした。
そうして、森のなかをまっすぐ進み、つきあたったところにあるお花畑から、色分けして植えてある花を何本かつむと、ライムはきた道を引き返し、自分の家へと戻ります。
森の奥の少し開けたところにある、木の蔓が絡まってできた小さな一軒家。そこが、ライムの家でした。
「おかえりなさいライム、またお花をつんできてくれたのね」
微笑みとともに迎え入れてくれたのは、ライムの生みの親である魔法使いのおばあさんです。遠くの里まで名の知れたえらい魔法の先生で、ライムは尊敬の想いを込め、「お師匠さま」と呼んでいました。
「ああ、お師匠さま、どうかベッドに戻ってください。おからだにさわります」
ライムは、迎えてくれたお師匠さまを慌てて抱きかかえ、奥にあるベッドへと寝かせます。お師匠さまのやせ細った体はとても軽く、もうだいぶ前から、具合があまりよくありませんでした。
「お師匠さま、どうかもうしばらくお待ちください。ぼくがきっと、お師匠さまの病気を治してさしあげますから」
心配そうにするライムの頭を、お師匠さまはあやすように優しくなでます。
「よくおききライムや。これは病気ではありません。もし病気なのだとしても、すべての生き物が、等しくいつかはわずらう病気なのです。だから、心配する必要なんてどこにもないのよ」
お師匠さまの病気。それは、『老い』でした。いくらえらい魔法使いとはいえ、時の流れにはしたがうしかなかったのです。
お師匠さまに朝ごはんを食べさせてあげた後、ライムは一人分の食事をお盆にのせ、気づかれないようそっと家を出ます。
向かう先は、裏にある秘密のほら穴でした。
「おはよう、朝ごはんだよー」
まのびした声で、ほら穴のなかに呼びかけます。すると、元気よく姿を現したのは髪をおさげにした小さな女の子でした。
「あら、いい匂いね。今日の朝ごはんのメニューは何かしら」
「今日はクルミのたくさんはいったパンと、じゃがいものスープだね」
教えてあげると、女の子の顔に笑みがぱあっと広がります。きっと好物なのでしょう。
この女の子は名前をユキといいます。初雪の日に生まれたからユキなのだと、ライムは前に教えてもらったことがありました。
「ねえ、ライム。あなたの料理って、どれもこれもすごくおいしいわ」
ほら穴の奥に置かれたテーブルで食事をしながら、ユキが明るくいいます。ライムは少してれながら、ポリポリと頭をかきます。その様子がおかしいのか、ユキは楽しそうにクスクスと笑いをこぼしていました。
ユキが笑顔をみせてくれるたび、ライムは胸の奥がとても温かくなります。それはまるで、ひだまりのように心地のよいものでした。
だけど、温かい気持ちになったあとは、いいしれない痛みがライムの胸をおそいます。
どうしてなのかは、ライム自身がよくしっていました。
それは、ライムがユキのことを、いずれお師匠さまを助けるための生け贄にするつもりでお世話していたからです。
一人の命を助けるために、別の一人の命を生け贄にさしだす禁断の黒魔法。
どうあってもお師匠さまに元気になってもらいたいライムは、いけないことだとわかっていても、それにすがるしかなかったのです。
はじめは、自らの命をさしだすつもりでいました。だけど、人ではないライムの命では生け贄にはなりませんでした。
だからやむをえず、森のなかを、お腹をすかせさまよっていたみなしごのユキを、自らの代わりに生け贄にすることにしたのです。
「ねえ、ライム。わたし、あなたのお家が見てみたいわ。今度ご招待してちょうだいな」
食事を終えたユキがはずんでいいます。けれど、ライムは慌てて首を横にふりました。
「ぼくの家はすごーく散らかってるんだ。だから、片づくまでしばらくは無理かな」
ユキは残念そうに、「そっか」とだけいって下を向きました。ライムは胸がますます痛むのをこらえるしかありませんでした。
そんなふうに、もやもやした気持ちをかかえたまま、ライムは日々をすごします。どうしてなのか、ユキを生け贄にする決心が、ここにきてにぶりはじめていました。
そんなある日、ライムは思いがけない事態に出くわしました。ユキが、ほら穴から姿を消したのです。
「大変だ、大変だ」
青ざめたライムは、木の陰から葉っぱの裏まで、森のなかをすみずみまで探し回ります。だけど、ユキの姿は森のどこにもありません。
「困った、本当に困った。このままじゃお師匠さまを助けられない」
そう繰り返しながらも、ライムは、心のどこかでホッとしている自分がいることに気がついていました。
ユキがこのまま森から逃げてくれれば、あの子を生け贄にしなくてもすみますから。
やがて日が暮れ、ユキを探すのをあきらめたライムは、複雑な気持ちのまま自分の家へ戻ります。そして、ドアを開け、なかに足を踏み入れたときのことでした。
歌が聞こえました。
その、どこかなつかしいしらべは、ライムがまだ土くれだったときに、お師匠さまがよく歌ってくれていた子守歌です。
「あら、ようやく帰ってきたのね」
歌うのを一旦止めて、お師匠さまが静かにこちらを見ます。しかし、ライムは言葉を失い、石像のように固まっていました。
ずっと探していたユキが、なんと、お師匠さまの膝の上で寝息をたてていたからです。
固まっていたライムの全身から、へなへなと力が抜けていきます。
ユキの幸せそうな寝顔と、やさしく微笑むお師匠さまの姿。そのあたたかな光景を目の前にしてもなお、ユキを生け贄にするのなんて、ライムにはもう無理でした。
「この子、あなたのお友達なんですってね」
微笑んだまま、お師匠さまがいいます。だまってうなずくライムは、すっかり泣きだしそうになっていました。
「お師匠さま、実はその子は……」
心の痛みにたえきれず、すべてをあらいざらい告白しようとしたライムの口を、お師匠さまがそっと手でおさえます。
そして、ユキの髪をなでてあげながら、
「ねえ、ライムや。あなたは、わたしの宝物がなんなのかしっているかしら?」
と、ふいに別のお話をはじめました。
「お師匠さまの宝物ですか……? ぼくなんかにはとても想像がつきません」
答えがわからず首をひねるライムに、お師匠さまが続けます。
「わたしにとってはね、あなたとすごす、この森でのなんでもない日々こそが宝物なの。一日、一週間、一ヶ月、そして一年と、ゆっくりゆっくりおだやかに流れていく幸せな時間こそが、かけがえのない宝物なのよ」
そういって、お師匠さまは膝の上で眠るユキをやさしいまなざしで見つめます。
「わたしたちの暮らしにこの子が加わったら、もっともっと宝物が増えることでしょうね」
「はい……、ぼくも、そう思います」
ライムの口からこぼれたのは、ずっとしまいこんでいた本当の気持ちでした。
ちょうどそのとき、話し声に気がついたのか、ユキが目をさましました。
「あら、いけない。わたしったら、ライムのお母さんの膝の上で寝てしまっていたのね」
ばつが悪そうにするユキに、ライムは思っているままを言葉に乗せます。
「ねえ、ユキ。よかったら、このまま、この家でぼくたちと暮らさないかい」
しばらくキョトンとした後に返ってきたのは、寝て起きたばかりとは思えない元気な返事と、ライムの大好きな明るい笑顔でした。
そうして、一体と一人の暮らしは一体と二人の暮らしへと変わり、やがて季節が三つすぎたころ、また一体と一人の暮らしへ。
老いて亡くなる間際、お師匠さまは心配そうに見つめるライムとユキに、こう言い残しました。
「宝物がいっぱいで、もう持ちきれないわ」
ライムとユキは、一晩涙にくれた後、森を見渡せる小高い丘の上にお師匠さまのお墓を作ってあげました。そこに、毎朝お花を供えるのが二人の新しい日課です。
森に流れる時間は、今日もおだやかでした。