2 - 1:「商業国アウィージェ」
「ふうぃ~、何とかここまで来れっしたね」
「やっと、てとこだな」
荷台を引く馬に跨がったルーベルの言葉に、問題が発生するまで揺れる荷台に乗っていた陽色が反応し顔を出すと、建ち並んだ城壁が目に映る。長いといえば長い旅路だが、二人が初めて出会ったのはついこの間だ。それ故に慣れ親しんだ間柄ではないが、危険を共にする旅の中では信頼関係を築かなければならない。
いつ魔物に食い殺されるかわからない外側の世界では、信頼できずとも信用は売り買いしなければ生き残れないのだ。特に、ルーベルのような行商人はそうしなければならない。
アザルドを出た二人は次の目的地でありルーベルが目指していた国へと進んでいた。その国の名前はアウィージェと言い、通称『商業国』と呼ばれている国だ。
しかし、今の二人は新しい国に到着したことへの感慨に浸ることはなかった。
「しっかし夜に何があったんでしょうかねぇ?」
ルーベルは壁沿いに歩くように馬に鞭打つと、ポツリと言葉を零した
「俺もずっとそれが気になってる。なんでバルヅガイが焼け死んでいたんだ……」
朝、バルヅガイの焼死体を発見した陽色はすぐにルーベルを呼び、改めて焼死体を調べ、解体した。
しかし、いくら焼死体を調べても不可解な謎しか見つけられなかった。
「内側からバルヅガイを焼き、破裂させた……。魔石やウェリオの力であそこまでの力を持ってるのはいるにはいるが、国が管理しているような相当貴重なやつだ」
「あるんっすかね、そんな怖い力持っているのでも」
「ああ、実際に見たことがあるわけじゃないが、そこまで強力な力を持った魔石は通常では見つからないらしく、それでも発見情報はあるとは聞いた覚えがある。まあ、ルーベルさんが聞いたことのない情報みたいだから嘘の情報かもしれないけど」
つまり眉唾ものである。ルーベルは「長生きしてるだけのオッサンだ」と謙遜しているが、陽色は自分よりも情報通であるはずのルーベルより自分が知っていることは少ないであろうと考えている。そのため、生命力の高いバルヅガイを焼き殺すほどの力を秘めた魔石やウェリオの存在があるという情報を、陽色は信じきることができないでいた。
だが、少なくとも能力が高いものが存在しているだろうとは思っている。そして、その力を上手く使いこなせば今回のようなこともおそらくは可能だろう。
「陽色さん、オレっちが言うまでもないことだろうけどよ、バルヅガイが焼け死んでたってことは……」
「ああ、俺らの他にも誰かがアザルドにいたってことだ。そして、俺が戦っていたところを見てたんじゃないかとも思ってる」
発見した時、微かにではあるが狼煙のようにバルヅガイから蒸気が出ていた。沸騰しかけの水のように、体の血がぼこぼこと沸きだっていたのだ。
バルヅガイが焼け死んでいた場所は放り込んだ小屋からそれほど遠くない、むしろかなり近い位置だった。道には引き摺った後はなかったため、バルヅガイは少なくとも、自分の足で歩けるくらいには余裕があったはずだ。
そして、そのバルヅガイを発見した何者かは瞬時に焼き殺した。
でなければ、バルヅガイから蒸気が出ている場面に陽色が出会すことはない。
だからこそ不可解だ。アザルドには何もない、自分たちのように夜の城壁の向こう側を歩くことを危険視している人間くらいしか訪れない国だ。だが、バルヅガイの焼死体近くには自分たち以外の人の気配は感じなかった。
何者かはバルヅガイを焼き殺しただけで何もせず、そのままアザルドから立ち去ったということになる。
一番の謎はこれだ。
バルヅガイは空を飛べるだけの力を備えているため、取れる素材は換金性の高いものが存在する。だというのに、なぜ殺しただけであの場に放置したのだ。
一体あの場には誰がいたんだ? ……あの時、アザルドには自分たち以外に一本のウェリオがいたが、
「まさか、な」
陽色の脳裏に宝物庫であっただろう場所にいたあのウェリオが過ぎる。あのウェリオの能力がバルヅガイを焼き殺したのだろうか? いや、能力がそうだとして、ウェリオは自らの意思では動くことはできない。ならば使い手がいたのだろうか? いや、だとしたらなぜあんな場所に放置していたのだ。
「あー、駄目だ……全っ然わからない。なんで爆発音がなかったのかもわからない」
「……そういえば、焼死体を調べてたときも言ってやしたね、バルヅガイは爆発して死んだって」
「ん、ああ、形は保ってたけどあれはおそらく爆死だ」
焼死体の周囲に体の中身というか、グチャグチャの肉片や内臓が飛び出していた。原型を留めていたことが不思議でならなかったが、どうやら一部だけが飛び出したようだった。
普通なら原型を留められるとは思えないが、魔石やウェリオが関与しているならそれほど不思議には思えない。
魔石やウェリオ、というよりも魔物化は常識外の現象だ。どんな力を備えていても不思議ではない。
「爆発音のしない攻撃、ねぇ……」
「本当にあるっかね、そんな力を持ったもんが」
見たことのない力を秘めた存在。先程はあるだろうと答えた陽色は、今度はその言葉には口を開かず、押し黙るまま。
陽色が知っている能力は、以前に見聞きしたことがあるだけのものを覚えているだけだ。千差万別と存在する魔石やウェリオの力を、陽色自身はそれほど把握しているわけではないのだ。
二人の会話はそこで途切れ、同時に城壁の入り口である城門が遠くに見え始めていた。
「さて、依頼終了まであと数分だな」
「……ですねぇ」
依頼。陽色とルーベルは依頼という一つの契約で行動を共にしている過ぎない。その内容は商業国アウィージェまでの道中を共にし、魔物が現れれば打ち倒すという簡易なものだ。しかし、その一文だけでもかなりの危険がつきまとうことを、この世界の住人は知っている。
魔物の力は恐ろしいまでに強大で、ただの鉄の剣では文字通り歯が立たないのだ。魔物の皮膚は鉄よりも固く、軟体であっても斬ることは容易でなく、斬れたとしてもほとんどの傷は高い治癒能力によって再生する。
そんな出鱈目な力を持つ魔物からそれでも人種がここまで生き延びられたのは偶然に過ぎない。力の相性はあるが、相性が悪ければ死が待っている。それは陽色も同じことで、相性の悪い魔物と遭遇してしまえば死ぬ可能性のほうが高い。
だが、そんな世界であっても彼は旅を続けるのだろう。
ルーベルが陽色の横顔を見ると、その顔には先程のわからない謎に顰めていた表情はなく、新たな国の中がどうなっているのかとウズウズしている少年の顔があった。
「お、ルーベルさん検問窓が見えてきたぞ」
「本当だ。今回もまた、無事に生き延びることができやした。陽色さん感謝しやすぜ」
「俺も一人じゃ辿り着けなかっただろうし、ギブ&テイク、こっちこそありがとうだ。ま、安心するのは門を潜ってからだ」
陽色が突き出した人差し指を目で追えば、そこには5mはあろう金属の大扉があり、そのすぐ右隣には検問を行うための窓口がある。
その窓口から二人を伺うように見る検問兵がいた。その目は妙にギラギラとしていて、少し雰囲気が悪い。
これは魔物がいつ襲ってきても良いように城壁の外側を見るためのものであり、それと同時に別の国から来た者や行商人を確認するための措置だ。
二人を確認し、魔物でないとわかった検問兵はほっと息を吐くと窓から首を引っ込め、大扉を片側だけ開くように伝えた。片側だけ扉を開く理由は魔物が城壁内を入ることを防ぐためであり、門の扉が大きいのは荷馬車がギリギリ通れるだけの間隔を作るための工夫だ。
そして、大扉を通るまでの間、門を守るのは陽色たち行商人に依頼を受けた者の役目である。
*
「これでお別れだな、ルーベルさん」
門が閉じると同時に、陽色は後ろに控えているルーベルにそう言った。
あとは報酬を貰えば依頼は終了。ルーベルはこの国で物を売り買いし、新しい傭兵を雇いまた別の国へと旅立つ。陽色は気ままにアウィージェを歩き、ルーベルと同じ行商人から依頼を受け、国を後にする。
基本的に陽色は傭兵と同じように国へ国へと旅立つが、一つ違うことがあるとするならば……。
「んじゃバイバイな」
「ああ……ん? ちょ、陽色さん依頼料はまだ渡してないですよ!」
「いらねぇから懐に仕舞っておけよ。バルヅガイの牙とか皮膜GETしたからこれ換金する」
自由気ままに、気分屋で歩くことだ。
かつて、この大陸という世界を渡り歩いた旅人は、時には報酬を受け取らずに立ち去り、時には無償で旅を共にしたという。依頼料と同価値だと感じたものを見つければそれを手にし、あなたからは何も要らないと首を横に振る。
はたしてそれが本当に依頼料と同等の価値かはわからないというのに、だ。
「それじゃ、達者でな」
「ま、待ってくれ陽色さん! オレっちまだお前さんに言いたいことが!!」
しかしルーベルの言葉には手を振るだけで、聞く耳持たずといった体で陽色は歩き去っていく。ルーベルの手はその背中に届くことはなく、やがて力無く手を地面へと向ける。
言いたいことが、答えてほしいことがあった。だが、よく考えればそれは自由を信条とする旅人には足枷ではないだろうか? ルーベルは「考えが甘かったかねぇ」と独り言ちると、荷物の確認をするために荷台へと足を乗せた。
荷台の中へ入るとすぐに手短な袋を手繰り寄せ、その中を覗き込んだ。
「ん? こりゃあ…………」
袋の中には何やら動物の皮や爪といったものが入っていた。しかし、ルーゼルがアザルドよりも前の国で仕入れた品々の中にはそういったものはなかった。
いや、あった。
ふと視界の端に写った大きな物体に目を移せば、ルーゼルの疑問にとても簡単な答えが返ってきた。
「は、ははは! な~にが何も要らないだよ」
乾いた声を上げ、ルーベルは笑った。
「お前さんの荷物を置いてく人がいるかい。えぇ? 陽色の旦那」
その大きな物体の正体は、換金率の高いバルヅガイの両翼であった。所々皮膜が破けてはいるものの、素材として十分に使えるものだ。しかも、人の手で破られた形跡はない。
袋を逆さまにして中に入っていたものをばら撒けば、そこには同じくバルヅガイの爪や毛皮が荷台の中に広がった。
陽色は嘘をついたのだ。
「嘘は泥棒の始まりだぜ、旦那。貧しい者には恵みの雨だが、行商人のオレっちには要らないお世話だぜ」
*
「ふぅ、これでまけたか」
ルーベルに嘘をつき、その場を後にした陽色は人通りの多い場所で止まると後ろを一瞥した。
そこにはルーベルの姿はなく、さらに周りを目を配らせ何処にもその姿がないことをことがわかると息を吐いた。
陽色は昨日の夜、眠ったふりをして彼の独り言を聞いていた。
同じように国の外側を渡り歩く行商人から信用以上の信頼を得ることは、とても嬉しいことだ。しかし、すぐに人を信頼することは危険であることも知っている。
ルーベルが危険な人間であるとは思わない。ただ彼が冷静にそう判断して出したことなのかがわからない。もし彼が自然に考えた結果のことならば、陽色は彼の提案に頭を悩ませただろう。
自分は自由にこの大陸を渡り歩きたい。だが、一人で旅をするには危険が多すぎる。ある程度のパイプラインがなければ餓死してしまうだろう。そうならないための方法として、ルーベルが話していた提案はとても嬉しいものだ。
「気さくで良い人だったのは確かなんだが、な」
思考を振り払うように前を向くと、陽色は顔を上げてアウィージェの町並みを見渡した。
道行き交う人々は皆、買い物袋として木の皮で編まれた籠を片手に持ち、雑談交じりに歩いていた。
傭兵や行商人もその中に混じっており、行商人は各地で必死に仕入れたのであろう麦や藁、武具防具を売っていた。
「はぁ~! これは中々に良さ気だ」
「おい、早く目的を果たせこのそ」
「おお、お兄さん目がExcellent!! 良いでしょう良いでしょう!? これは軍国ヴァッツィンの――――」
別の国から来たのだろうか、傭兵と思わしき男性が品定めとばかりに目を細めそれを見て感想を呟き、その横にいる付き添いと思わしき女性が急かそうとし、行商人がそれに言葉を被せていた。品物を買っていく可能性のある人間を逃がさないよう、強引に行っている光景だ。
その傭兵以外にも、国に住んでいる者は珍しいものを見ると「ほうほう」と目を輝かせ買い取っていく。
それだけではない。行商人の中にはこの国でしかないものを見るとそれに目を輝かせ、買い取れないだろうかと交渉を始める者がいる。これによって買い取られた物品はまた別の国で売られるのだろう。そして、この光景の中にきっとルーベルも交じり、売り買いを始めるに違いない。
商業国と呼ばれるに相応しい国は、文字通りに活気に満ち溢れていた。
「はは、これは凄いな……」
あまりにも活気がありすぎる国に若干に引き気味ながらも、陽色は目を輝かせ、期待に満ち溢れた眼差しをアウィージェに向けた。
ここなら旅立つ前に色々と役立つものがありそうだ。
「さて、宿を探そうかと思ったが……その前に見て回ったいいかもな」
行商人はその日その日で並べる品物を変える。
というのも、同じものを多くは仕入れられないのだ。
行商人は今日を生きるために死に物狂いで品物を揃える。どの職業よりも生計を立てることが難しく、各地を転々としなければならない。そして、賃金に変えてもそれを使って、時には買った物品を使って物々交換しなければならない。そのため、仕入れた物品は二桁行くことが少ない。
明日今日にこの国から去り、売り買いした物を別の国へ運ぶ行商人は少なくないだろう。だから、宿を探すよりも先に品物を見て回る方が良いこともあるのだ。
「これこれ」
「しかし、どっちに行くか……いや真っ直ぐに行くのも良いな」
陽色が今立っている場所はちょうど十字路で、前と左右の三方向に道が分かれている。目を細め、正面の奥を覗いても売り買いされている様子が見て取れ、右からも、左からも行商人と買い物客による売り買いという名の戦闘が行われていることがわかる。
どちらに行っても良いだろうと考えている陽色は、どうやって進む道を決めようかと悩ましげに顎に手をやる。
「これ、反応しろよ」
「駄目だ、決められない」
「……おい、いい加減にこっちを見ろ。それとも何か、貴様の耳の穴の中は耳垢が詰まっていて他者の言葉が聴覚に反応しないのか? いやいや、さ~すがにそれはありえないだろう」
「もうこの際、目を瞑って歩くか? いや、通行人の邪魔だから無理だな」
「聞けよゴラ」
散々に無視され続けた陽色の真正面にいたその者は、陽色の左大腿部に鋭いローキックを見舞った。
その攻撃は見事なまでに綺麗に極り、陽色の痛覚を最大限に活性化させた。その結果、陽色は涙腺を緩ませ流れるようにその場に跪いた。
つまり、クソ痛い一撃にもんどり打った。
「~~~~。だ……!?」
「ふん、ようやく認識したか」
両目に涙を蓄え、陽色は悲鳴にならない声混じりに蹴ってきた者を見上げると、そこには少女呼ぶくらいに小さな、赤と黒を基調とし様々な色で刺繍が施された豪華なローブを羽織るように着た女の子が仁王立ちしていた。
その少女に、陽色は全く見覚えがなかった。
「だ、誰だ、よ…………お…前……!」
「我の名前か、エリオミルグと名乗っておこう」
いや、誰だよ。聞いたこともない名前に陽色は心の底で吐き捨てる。
偉そうに腕を組み、仁王立ちをして自分を我と言う少女 エリオミルグ。
なぜ自分は蹴られたのかわからないと、自分が彼女を無視していたことがわかっていない陽色は、初対面の少女を見上げ、左腿の痛みを和らげるために地面の砂を握りしめた。
「な、何の用だ……?」
「道を訪ねるぞ。初めてここを訪れ迷ってしまった」
「……俺も、初めてこの国に……来たんだが」
「なに? つまり貴様は役立たずだということか」
不思議な少女にいきなり蹴られ、さらに罵倒される。わけの分からないことの連続に陽色はため息を吐いた。
「ため息を吐きたいのは我の方だ。無駄な時間と力を浪費してしまった」
「こっちは無駄に暴力を受けてその上罵倒されてる」
「我が話しかけたというのに無視した貴様が悪い」
「無視しちまってたのか……。ああ……無視したのは謝る。すまない」
「許そう」
無駄に偉そうに話すエリオミルグに陽色はもう一度ため息を吐いた。なぜこの少女はここまで偉そうに振る舞えるのだろうか?
初めてこの国を訪れたというのだから、もしや別の国のお偉い方なのかもしれない。しかし、さすがにこれは教育が悪すぎではないだろうか。もしかするとこの国も……?
この国の王家がどうなっているのかと、関わることがまずないであろう事柄に陽色は急に不安になり始めた。
「役に立てないだろうが、一応聞いておく」
「良いぞ、聞いてみろ」
「……お前の訪ねたいっていう目的地はどこだ」
「この国にあるという『闘技場』だ」