1 - 3:「バルヅガイとの天壌戦」
天壌とは天地。つまり天壌戦とは空中と地上での戦いのこと。
城外へ出た陽色は暗い空を仰ぎ見、バルヅガイを探した。あのバルヅガイは体が大きいため、通常であればすぐに見つけだすことができる。だが、今は夜である。よく探さないと見つからない可能性は高い。
陽色は目を凝らして探したが、今の場所では見つからない。そうわかると地面に鞘の先端をぶつけて爆発させ、民家の屋根に飛び乗りそこから改めてバルヅガイを探し始めた。
城内にいたおかげか、吹き飛ばされたときの体の痛みはもうほとんどなくなっていた。しかし、その事実は逆にそれだけ時間が経っているということを意味している。
早く見つけ出さないとルーベルの身が危険だ。逸る気持ちを剣の柄を握りしめることで紛らわせる。
そうして夜の空を探し回ると、少し離れた場所に空を飛ぶ大きな影を陽色の目が捉えた。
「見つけたぜ……!」
陽色はそれを視界に収めると、すぐに鞘の先端を屋根にぶつけ爆風を伴って跳躍する。その爆発の衝撃は風化して脆くなっていた石の屋根を崩す。
屋根は大きな音を立てながら崩れ、石の崩れる音をバルヅガイはその大きく肥大した耳ではっきりと耳にする。そして、バルヅガイはその音によって陽色に迫っていることに気付き、首をもたげるようにして陽色へと向き直る。
その赤い目と陽色の黒い目がぶつかり合った瞬間、バルヅガイは翼と口を大きく広げ、鳴いた。
『ギィヤギャギャギギィイ!!』
耳を劈く様な不快な鳴き声を発しながら、バルヅガイは滑空する。
すでにバルヅガイの中では陽色は最大の敵になっているようで、それまで追っていたルーベルのことなど視野にも入っていないようだ。
ルーベルはバルヅガイの鳴き声に後ろを一瞬振り返り、バルヅガイがすでに自分を狙っていないことに気が付く。そして、その標的が誰であるかも、一瞬にして理解した。
(やっぱり生きてたんだな、陽色さん!)
生きている。それがわかったとき、ルーベルはさっきまで襲われていたことも忘れて歓喜した。
昔、いや本来の『行商人』として、旅人である陽色にパートナーとして契約を結べるかもしれない。その思いが果たせれることが何よりもルーベルの心に安らぎを与えたのだ。
それは、陽色がバルヅガイに負けないということを、ルーベルが微塵も思っていないことを意味していた。
*
空へと飛翔した陽色は、滑空し、迷いなくぶつかりに来るバルヅガイの左翼を見た。そこは先ほどの戦いの際、自分が傷付けたものだ。
皮膜の所々が破けているにも関わらず、バルヅガイはまるで傷を負っていないかの如く空を自由に飛んでいる。
「まずは、翼を貰うぜ」
陽色は狙いを定め、鞘に納めた長剣の柄を握り直す。
バルヅガイは陽色の言葉に反応し、十分に近づいたと思うや滑空をやめ、その場に留まり口を大きく広げ超音波を陽色にぶつけようとする。
先ほどの戦いでは空での身動きが取れずに陽色は吹き飛ばされた。無論、人間である陽色には、バルヅガイのような空を飛び回るための翼はない。
だが、
「同じ過ちを犯すような馬鹿じゃないんだよ、俺ぁ!」
空中で鞘の先端が爆発し、さらに大きく空へと舞い上がる。そして、バルヅガイの頭上を取るや大きく振りかぶり、左翼を狙って振り落す。
バルヅガイはそれに驚くが、急降下するように斜めに飛び、頭上からの攻撃を避ける。
陽色の振られた鞘に収められた長剣は、バルヅガイの左翼の周りに残っている爪を砕き、欠片となってパラパラと空を漂う。
『ギギッィイヤギャギャ!!』
「今のが避けられるのか……。上等だな」
間一髪逃れることに成功したバルヅガイは吠えるように鳴き声を上げ、怒りを表す。
陽色は落下する中、今の攻撃が当たらなかったことに驚く。バルヅガイの発した鳴き声は届いていないようだ。
その態度が気に食わなかったのか、さらに鳴き声を巻きたらせてバルヅガイは陽色へと突っ込む。陽色は身構えるが、バルヅガイは真正面から陽色へぶつかりに行くことはせず、その横を飛び抜け旋回。中心に陽色を置き、その周りをグルグルと回りはじめる。
「これは、少しヤバいかもな」
陽色はバルヅガイが何をしようとしているかを悟り、顔を顰める。
その直後、バルヅガイが超音波を陽色へとぶつけはじめる。それは衝撃の強いものではなく、最初に発したときのような脳を揺さぶり、不快にさせるものだ。
陽色は反射的に両手で耳を塞ぐと、すぐさま衝撃の強い超音波がぶつけられる。見えない壁がぶつかってきたかのようなその衝撃に、陽色は為す術もなく吹き飛ばされ、舌打ちする。
「ちっ、予想通りか! だがなぁ!!」
視界に城壁が写る。えらく遠くまで吹き飛ばされたが、吹き飛ぶ陽色に追い打ちをかけようとバルヅガイが正面からぶつかりに来ている。
陽色は声を上げ、剣を振ることでその重さを利用して体重移動を行い体を捻る。そして、鞘を城壁に叩きつけ、垂直に並び立つ城壁に一瞬だけ両足を着ける。
「良いもん見せてやるよ」
一瞬だけの静寂、時が止まったかのような働かない重力の中、陽色の口だけが動き音が伝わる。
そして、
「時雨!!」
城壁と鞘が繋がっている場所が爆発し、陽色の体が向かってくるバルヅガイへと飛ぶ。凄まじいスピードで間が狭まり、もう止まることのできない二体は交錯する。
横をすり抜ける瞬間、バルヅガイの右翼の爪が、陽色の長剣がそれぞれの体を狙い、繰り出された。
「もらったぜ」
それぞれの身体の位置が逆転し、陽色の声と爆発音が再度響いた瞬間、陽色の体がまるで逆再生しているかのようにバルヅガイへと向けて飛んでくる。
バルヅガイは飛んで避けようと羽ばたこうとするが、体が落下を始める。右翼に痛みが走り見てみると、そこにはほぼ全ての爪が砕かれ、皮膜には大穴が空き、風を受け止められるようなものではなくなっている姿があった。
先ほどのすれ違い様、陽色の長剣と右翼がぶつかったことでできた物だ。バルヅガイの脳裏に今しがた陽色が言った言葉が浮かんだ。
「もらったぜ」
バルヅガイの目に映る陽色の姿がどんどん大きくなっていく。超音波を放とうとするが既に遅い。
目の前まで迫った陽色は剣を上段に構え、勢いよく振り下ろす。
「落ちろおぉぉぉぉ!」
全身全霊、本気の一撃だ。先ほどまでとは気迫がまるで違う
右翼と左翼で覆う様にして頭を防御した瞬間、真っ暗な中に凄まじい打撃音と爆発音がバルヅガイの耳に響いた。
空という足場の安定しない空間にいながらも、陽色は全体重と重力、爆発による衝撃の力を借りてバルヅガイを地面に叩き付けた。
地面に降り立った陽色はすぐさま地面に鞘の先端を突き立て、小さな爆発によってバルヅガイとの距離を開ける。そして、そのまましばらくバルヅガイの様子を見る。
(かなりダメージを負わせたが……生命力は高いからな、このまま戦うこともありえる)
鞘をガードしたバルヅガイの両翼は爆発によってボロボロになり、爪は指で数えるほどしかなく、皮膜は幾つもの大きな風穴が開いていた。あのままでは飛ぶことはできないだろう。
空中を飛ぶことができる相手は人間にとって最大の敵だ。一体でも、どこから襲ってくるのかわからず、爪や牙を持っているものはまともに食らったならばそれだけで致命傷になりかねない。
それらを潰せれば心配はほとんどないだろう。しかし、この敵には最大の武器である超音波がある。
魔物全てに言える事だが、魔物の種はそれぞれ特殊な力を持ち合わせている。
スライム種で言えば、削られてもすぐに集まり下に元に戻り、斬撃や打撃の効かないあの水の体だ。
この蝙蝠の魔物であるバルヅガイには、衝撃波にもなる攻撃的な超音波を特殊な力として持っている。口を開けるという動作が必要であるが、その発せられる超音波の範囲はとても大きい。はっきり言ってしまえば、距離を開けた陽色がいる場所もその超音波の届く範囲である。
長剣を構え、バルヅガイの反応を見るがピクリとも動かない。
「死んだか……?」
全く動く気配がない、もしかして殺してしまったのだろうか?
陽色がそう訝しむと、バルヅガイがガバッと起き上がった。
「うぉあっ!? 起き上がった」
ノーモーションでいきなり立ち上がった。顔だけでなく、体が直立するように起き上がる。まるで一種のホラーである。
陽色がその突然の行動に驚き、怯んだ一瞬をバルヅガイは逃さなかった。大きく口を広げ、今まで一番強力な超音波による衝撃を放ってきた。陽色はそれに対応できずに吹き飛ばされるが、吹き飛ぶ一瞬、鞘の先端を地面に当てて爆発させ、二つの衝撃を利用して後退した。
その耳に超音波による耳鳴りが起き、顔を顰めるが、問題はそこにはなかった。
すぐにその場から爆発を利用して飛び去る。その際中、陽色は舌打ちしながら遠方のバルヅガイを一瞥する。
「あの野郎……砲撃台かなんかか?」
立ち上がった場所から一歩も動かず、陽色目がけて超音波を繰り出す。狙いは全て陽色だ。目に見えない超音波は避けるのは難しく、陽色はそれを全て勘で乗り切っている状態。当たってしまうのは時間の問題だ。
一歩も動かないその姿勢は陽色の言う通り、その姿はまるで固定砲台のようだ。
それに対して、陽色は顔を歪ませ、避ける一方。一瞬の隙を突こうにも、超音波の届く距離は広い。それはバルヅガイの周辺を見ればわかる。
バルヅガイの周辺、約35mほどの場所を境にして物が崩れていっている。民家の壁を、草木も、大きな石ですら微塵と化していく。それは『バルヅガイ』自身の足場も同じである。
自身の周りごと、アリジゴクのようにクレーターを作り、飲み込んでいっている。
(もしかしてだが、正気を失ってんじゃないだろうか)
強く叩きすぎたかもしれないと、陽色は汗を垂らす。
バルヅガイはいつまで経っても超音波を途切らせず、そのまま口を開いたままである。そして、陽色はその口から放たれている超音波を避けるために何度も跳躍している。これではまるでイタチごっこだ。
陽色の目に映っているバルヅガイは、自分が放っている超音波のせいでアリジゴクに飲み込まれている獲物のように沈んでいっている。その光景を視界に収めている陽色は慌てだす。
(おいおい、いくらなんでもそれはヤバいだろ!)
沈んでも大丈夫なのか、陽色にはわからない。
陽色のせいかはわからないが、現状のバルヅガイはとても正気とは思えず、無差別に攻撃しているとしか見えないのだ。もしかしたら、周りの状況に気が付いていないのかもしれない。
今すぐにでも止めに入るべきなのだろうが、突っ込んでも自分が超音波の餌食になるだけ。そんな無謀なことはできない。
打開策が浮かばず、超音波を避け続ける中、陽色は歯ぎしりする。
(南無三……ってわけにはいかない。どうすりゃいいんだ)
悩みに悩み、窮地に立たされたその時、陽色の意味にある音色が聞こえた。それは聞いたことのない不思議な音色。
優しく、聞いた者を包み込むような、どこか安心できるものだった。
その音色は辺り一帯に響き渡っているようで、バルヅガイの超音波によるアリジゴク化が徐々に弱まっていた。それと同時に超音波による耳鳴りも弱っていき、ついには完全になくなった。
一体、何が起こっているのか。陽色は疑問符を頭上に浮かべるが、それよりも混乱しているバルヅガイが目に留まった。
(バルヅガイにもわけがわかってない。いや、そんなことしている場合じゃないな!)
現状把握、それも重要なことではあるが、今は危険度の高いバルヅガイをどうにかしなければならない。陽色は衝撃による跳躍でバルヅガイに肉薄し、フルスイングで硬質な鞘をその胴へと叩き込む。
反応が遅れたバルヅガイはそれをまともに食らい、叫びにならない鳴き声を上げる。しかし、陽色の攻撃はそれで終わらなかった。
「かっとべオラァッ!!」
力一杯振り抜き、まるで狼煙のように煙を伴って吹き飛ぶバルヅガイ。その姿は先ほど、本来であれば陽色が叩きつけられる筈だった城壁に衝突し、動きを止める。
さらに、
「確実に、意識を刈り取る!!」
すでに虫の息であるバルヅガイに「城壁に埋れ!」と言わんばかりに追い打ちをかける陽色。すでにバルヅガイは気絶しているが、空中で一回転してその鞘による打撃をバルヅガイへと叩き込んだ。
一際甲高い爆発音が城壁から上がるのを最後に、超音波と爆発による二重奏は終わりを告げた。後に残ったのはボロボロの姿で気絶している蝙蝠の魔物と、その姿に凹んだ城壁、そしてアリジゴクでもいるのではないだろうかと思うほどの大きなクレーターであった。