1 - 2:「剣」
昔々、といっても62年ほど前の話である。魔物化という現象が起きたとき、人間が魔物化したとき新たな種族が誕生した。
耳が長く、遠くまで見渡すことができる千里眼という目を持った『エルフ』。同じく耳が長いが褐色の肌を持ち、千里眼はないが夜の中でも昼と同じように全てを見渡すことができる夜見目を持つ『ダークエルフ』。犬歯が鋭く発達し白い肌と赤い瞳を持ち、長い時を生き抜き、生即ち全盛期、不老長寿の『吸血鬼』。
まだに全ての種は把握されていないが、その他にも体毛に覆われた『ワーウルフ』や体に花を咲かせた『イーター』が存在している。それは全ては人間と同じ言語を話せるため、他の魔物と違い意思の疎通ができる。
62年前は魔物化して生まれた彼らと戦争し、お互いに殺し合っていた。しかし、言葉が通じるとわかり、54年の歳月を経てなんとか手を取り合うことに成功した。それでも、お互いにいまだに癒えない傷も残っている。
*
迫りくるバルヅガイを迎え撃とうとした陽色、しかし、急降下していたバルヅガイが大きく翼を羽ばたかせ急停止し、口を大きく広げた。
その直後、二人に凄まじい衝撃と耳鳴りが起きる。
「痛ぅ!? こりゃ超音波か!」
ルーベルがその攻撃の正体に気が付くが、超音波がルーベルの声をかき消しているようで、すぐ傍にいるのに陽色には聞こえていない。
鼓膜が揺れ、両手で耳を押さえていても耳鳴りがする。だが、そうしていないと鼓膜が破れてしまいそうで両耳から手を離せない。それによって馬を操作することができず、超音波によって混乱した馬があらぬ方向へと走り出す。縦横無尽に亡き国の中を荷馬車とバルヅガイが走行する。
陽色も超音波による攻撃に右手に長剣を持ったまま両耳を抑えている。これでは攻撃もままならない。
相手は夜の空を飛んでいるため正確な位置を把握するのは困難、いや、あの充血したかのような赤い目のおかげで少しはまともか。しかし、それでも空を飛べないこちらは圧倒的に不利である。
打開できる術を思いつかない現状に陽色は心の中で舌打ちする。
(くそっ、これじゃあどっから攻撃されても迎撃できるかわからない!)
空を飛んでいる相手、地を駆け回るしかないこちら。しかし、今はさらに荷馬車の上にいるせいで下手に動き回れず、馬が走り回っているせいで揺れのせいで足場が不安定だ。この状態ではまともな戦闘どころか迎撃すらできない。どうすれば良いのか、頭を回すが相手の超音波が冷静な思考を阻害する。
バルヅガイはじっくりと品定めするように二人を見ているのか、攻撃をしてこない。これは不幸中の幸いだが、それでも打開策を思いつかなければ意味がない。
(どうする……! 今のところ馬が障害物に当たっていないが、いつぶつかるのかもわからない。このままにしていても埒が明かない、いや、ジリ貧だ!)
バルヅガイは蝙蝠が魔物化した存在。攻撃的で超音波によるかく乱と行動の抑制をし、相手を追い詰めたところを仕留めるといった狩猟が主な行動だ。
攻撃的なこの種にはスライムの時のように逃げるようなことはしないだろう。それに、すでに獲物として見られている現状、そんなことは決してない。
打開策を思いつかない限りは仕留められるのを見ているだけだ。陽色はルーベルと一緒に狙われることを避けるため、少しだけ距離を開けた。
(耳栓になるやつでも近くにあれば……!)
打開策、それがないわけではない。しかし、それを決行するにしても必要なものがあった。
それができれば、一回限りだがバルヅガイを倒すことはできないまでも、追い払うことは可能かもしれない。
だが、それをするために必要なものはどこにもない。
その時、バルヅガイが翼を羽ばたかせ、急降下を始めた。狙いは陽色であった。
(俺か、いやルーベルさんを狙われるよりかははるかにマシだ!)
武器を持っている相手を最初に狙ったのは、おそらく後でじっくりと何も持っていないルーベルを狙うためだろう。長剣を構えられないでいる陽色を狙ったのはある意味常套手段だ。
急降下してくるバルヅガイ、陽色はどうしようもないこの状態の中、意を決した。
両耳から手を離し、一瞬だけ両手で長剣を収めた赤い鞘を見る。耳から手を離した直後、超音波による衝撃が増し、あまりの痛さに片目を瞑った。
(鼓膜が破れそうだ、頭痛も吐き気もする。だが、来るなら来い!!)
歯を食いしばり、痛みに耐えながらバルヅガイの姿をしっかりと見定め、鞘に納めた剣を構える。
そして、バルヅガイがほぼ目の前まで来た瞬間、陽色は長剣を振るいバルヅガイは翼の乱杭歯の如き爪で陽色を引き裂こうとした。お互いの獲物にぶつかり合い、固い物体がぶつかり合った音が超音波にかき消されられる。
(近くで甲高い音がなってるはずだってのに聞こえない、どれほど強い音なんだ! だがな!!)
翼の爪と鞘がぶつかり合っている場所で小さな爆発が起きた。
突如発生した爆発にバルヅガイは驚いたのか、超音波によってそれまで起きていた頭痛や耳鳴りが一瞬で消えた。いきなり消えた耳鳴りにルーベルが驚くが、すぐに陽色が何かをしたことを悟り、陽色へと顔を向ける。
「ひ、陽色さん! 大丈夫ですかい!」
「ああ、大丈夫だ。ルーベルさんは馬の方を頼む、また超音波が来る!」
「わかったあ!」
ルーベルが馬に跨り、手綱を引き数秒すると馬は落ち着きを取り戻し、それまでの無茶苦茶な挙動から緩やかな動きへと戻る。陽色はバルヅガイに注意を払っていたためその光景を見てはいないが、床から伝わる振動によって上手くいったことを確信する。
陽色は鞘に収めたままの長剣を下段に構え、すぐに迎撃へと移行した。荷馬車からジャンプし、地面に鞘が触れた瞬間、その触れた地面が爆発する。その反動と衝撃によって陽色は天高く舞い上がり、空を飛ぶバルヅガイへと肉薄する。
「さあ、こっからが本番だ!! さっきまでの借り、帳尻合わせて全部返すぞおぉ!!」
先ほどと同じ爆発が起き、自分と同じ高さまで飛んできた陽色にバルヅガイは驚きを隠せずにいた。
空は自分の領域であり、地を這う人間はどうやってもここまで飛んで来れるはずがないのだと思っていたからだ。それは慢心でなく、これまでの月日の中で確立していた事実だった。
しかし、それはバルヅガイが人間の歴史を知っていなかったために起きたことだ。
横薙ぎに振るわれた鞘付きの長剣がバルヅガイの左翼にぶち当たり、爆発する。爆発は凄まじい衝撃と熱を発生させ、その衝撃は翼を覆っている爪を破壊し、熱は翼の皮膜を傷付け穴を開ける。バルヅガイに今まで味わったことのない痛みが走り、超音波ではなく悲鳴を上げる。
『ギッィイギギィ、ギィギィ!!!』
「はっ! やっと一泡吹かせてやったぜ」
標的として定められたときにも聞かなかった鳴き声、でなく泣き声を聞き陽色は地面へと落下する中満足そうな笑みを浮かべる。
しかし、それが隙を生んでしまったのか。バルヅガイの赤い両目がギョロリと陽色へ向けられる。その目は明らかに怒りや憎しみ、怨念が宿っていた。何かが来ると身構えるがしかし、宙にいる陽色は態勢を整えられないでいた。
(これは……やばい!!)
思うが遅く、バルヅガイが空を駆け陽色へと肉薄する。陽色は右手に持つ長剣で持って迎撃を試みるが、二度見たその剣の危険性をバルヅガイが理解していないわけがなかった。
バルヅガイは正面から攻撃すると見せかけ、陽色が剣を向けた瞬間にUターンするように陽色の背中を取った。宙では体の自由の利かない、陽色はそのバルヅガイの対応の速さに驚愕した。
「は、はや―― がっ!」
爪でなく、超音波の衝撃が陽色の背中を打つ。爪で攻撃してこなかったのは、陽色がまだ何かを持っているとでも思ったのだろう。
当の本人は剣以外を持っていなかったため運が良かったと思っている。もし、爪で攻撃されていれば人間の身、かなり深い傷を負っていただろう。
陽色は超音波によって吹き飛び、城の入り口、木造の扉へとぶつかり破壊し、城内へと突入する形となってしまった。体の正面で扉にぶつかってしまったため、顔や脛に激痛が走る。
床にうつ伏せで倒れ、床のひんやりとした冷たさが体に伝わる。
「ぐ……くそ……滅茶苦茶、痛ぇじゃねぇか…ぁ……」
その冷たさにこれ幸いと体を鞭打たせ、すぐにゆっくりと起き上がる。相手はただでさえ動きが速いのだ、ゆっくりと休んでいる暇はない。
それに、外にはルーベルがいる。すぐに見つかるだろう、依頼主を見捨てるわけにはいかない。
鞘を杖代わりにして起き上がり、城内から出ようと試みる。
その時、耳鳴りが少し残っている陽色の耳に聞こえる音があった。
「これは……バルヅガイの音か?」
はっきりと断定することはできないが、それを聞いた陽色は笑みを浮かべた。
バルヅガイがこちらへと向かっているということは、ルーベルは狙われていないということだ。自分を標的としているのなら問題はない。いや、まだ体の痛みが和らいでもいないのでかなりハンデがあるが……。
「上等だ」陽色は長剣を構え、ゆっくりと音のする方向へ、城内の奥へと向かっていった。
*
陽色と別れたルーベルは馬を走らせ、身を隠せる場所がないかを探していた。
最後に見た光景は地面を爆発させ、天高く舞い上がった陽色の姿。自分を逃がすために身を挺してくれた陽色の姿であった。
一人の旅人として、行商人である自分を助けるために振るわれた力。ルーベルは危険な場所にいるにも関わらず、心を躍らせていた。
もうかなりの年齢となるが、それでも冒険譚のような旅をしているような気分が今ルーベルの中に満ち溢れているのだ。
この気持ちが湧き上がってきた始まりは陽色がスライムを追い払ったときだ。まるで言葉を交わしているかのような雰囲気を陽色は出していた。スライムが何もせずに草むらへと立ち去り、陽色はそれをなにもせずに見送った。今まで見たことのないその光景にルーベルは道の感動を覚えた。
もし、彼が無事に戻ってきて、彼が了承してくれるのなら、自分とパートナーになってほしい。行商人と旅人という、62年前にあった関係のような……。
それが自分の上空に現れたのはその考えが頭に過った時だ。
「バ、バルヅガイ!」
血走っているかのような赤い両目、左翼は陽色が負わせたものなのだろう、爪がいくつもなくなってボロボロで皮膜にも穴が開いている。はっきり言ってしまえばあの状態でよく飛んでいられるものだ。
しかし、最初見た時よりも明らかに翼を多く羽ばたかせ、かなり疲弊しているようにも見える。
陽色はどうしたのだろうか? まさか殺されてしまったのだろうか。いや、それならすぐにでも捕食しているはず、もっとこちらに来るまでに時間がかかるはずだ。
だとしたら……取り逃がした? もしや逃げたのだろうか。いや、あの〝旅人〟がそんな判断をするとは思えない。まだ会ってから少ししか経っていないが、それでも逃げるような真似をするような男には見えなかった。
(きっと、きっとまた来てくれるはずだ)
ルーベルは陽色が途中で旅人である自分の心を投げ出すような人間であるとは思わなかった。
必ず来てくれると、助けてくれると信じた。そして、必ず自分は陽色へと伝えるのだ。
「パートナーになってくれとお前さんに言わない限り、オレっちは諦めないぞぉ、陽色さん!!」
馬に鞭打ち、荷馬車を加速させる。バルヅガイはそれを嘲笑うかのように鳴き声を上げ、上空を滑空した。
*
「……あ? なんだよ、ここ」
音を探し、そして見つけたのは大きな扉だった。途中から変だと感じてはいた、城内にバルヅガイが入ってきたというのなら、自分はすぐに見つけているはずだと。
だが、まるで誘われるように自分は進んできていた。気になったのだ、この音は何なのだろうかと。
ここはもうかなり昔に亡んだ国のはずだ。だというのに、この音は一体どこからしているのだろうか? 誰かがピアノでも奏でているのだろうか。
いや、それこそ在りえない。この国にまだ弾けるような楽器も、こんな誰も来ないだろう場所に忍び込み、弾くような酔狂なものなどいないだろう。
…………では、この音色は一体?
(そもそも、こんな音色ピアノでもヴァイオリンでもないんじゃないか? 少なくとも俺は聞いたことがない)
不思議な音色であった。騒音のようなうるさい音でなく、風の様にすぅ~っと自然に耳に入ってくるような音だ。そして、それは心地よく、いつまでも聴いていたいような中毒性がある。
陽色は何を思うでもなく、扉に手をかけ、ギィと古く、錆によって鉄が軋み上げる音と共に押し開く。
「ここは、もしかして宝物庫……だった場所か?」
扉を開け中に入ると、大きな部屋だった。だった場所というのは、そこには何もなかったからだ。いや、一つだけ中央に鎮座しているものがある。
そこはそれ以外に何もなく、埃だけが敷き詰められたかのような何もない場所。聞いた話によるのならば、ここはこの国 『アザルド』の宝物庫だろう。金品物資、全てを城壁と防御塔に費やし、身を削った国王の財産の全て。それがここにあったはずなのだ。
そして、不自然にそこに一つだけ残っているもの。
「……なんで剣だけ」
床に真っ直ぐに突き刺さった大剣がそこにあった。黒い柄も深緑色の鍔も銀色の刀身も全て長い。
なぜこの国にこんな武器が存在しているのだろうか。普通ならこの大剣もお金か城壁の素材として加工されるはずだ。なのに、なぜ不自然にこの場に突き立っているのだろうか。
気付くと、自分をここまで運んできた音色が聞こえなくなっていた。
「…………」
不気味、というのが正直な気持ちである。陽色はその大剣をよく見るが、装飾のほとんどない普通の大剣だ。普通だからこそ、不気味である。
触れようと右手を近づけると、不意に声が聞こえた。
「私に触れるの?」
「……は?」
女性の声だ。それは「私に触れるのか」と陽色に問うた。わたし、ということは……もしやしなくても目の前の大剣だろう。
それはつまり、この剣が喋ったということだ。陽色は首を左右に振り、この部屋に自分以外に誰かいないかを探した、すると。
「私に触れるの?」
もう一度同じ質問を投げかけてきた。陽色はしばらく思考を停止させていた。
これはもう疑いのようがないだろう。喋っているのだ、この剣が、陽色に、触れるのかと。
陽色の知っている知識の中で一つ、これら全てに該当するものが存在している。陽色は博識なほうではなく、自分から率先して知識を蓄えるほうでもない。だが、考えられるのはそれ一つである。
まだ質問に答えていないが、陽色はその剣に一つ質問した。
「お前、もしかして『ウェリオ』か?」
「……」
『ウェリオ』、それは魔物化によって誕生した種族の一つだ。元は『武器』、というよりも金属であり、そのほとんどが武器の形をしていることが特徴だ。
それは人間と同じ言葉を話し、そして人間と同じく感情を持っている。刃こぼれや傷が付くことによって血を流したりはしないが、痛みはあるらしい。しかし、それを言葉として表現することはなく、自分たちは振るわれるために存在し、それによって負った傷は勲章だと話す。
最大の特徴はそれぞれに違った能力を持っていることだ。炎を纏ったり、武器を指揮棒の様に振るって水を操作したりと、いわゆる魔法のような力を宿しているのだ。そのため、ウェリオは最大の武器として傭兵や兵士に使われることが今の大陸の常識となっている。しかし、ウェリオはそれほど数が多くないのが現状である。
この大剣がそのウェリオである可能性は高い。
大剣は長い沈黙の後、溜め息をような声を出し、そして答えた。
「そうですよ。私は大剣のウェリオです」
「やっぱか……なんでこんなところに突き刺さってるんだ?」
「話す義務はありません」
はっきりと話す気はないと言われ、陽色は溜め息をついた。
(まあ、確かにそうだな、何も言い返せない)
しかしだ、気になることは気になる。話す気はないのだから口は割らないだろうが。
「ところで、あなたはなぜこんな何もない国にいるんですか?」
「ああ、夜は危ないからな。魔物に襲われないようにここで一休みしようとして……あっ!!」
大剣の言葉によって自分がなぜここに来たのかを思い出す。バルヅガイが自分でなく、ルーベルを狙いを変更したのはわかりきっているというのに。
舌打ちをする陽色に大剣は文句を口にする。
「いきなり五月蠅いですね、どうしました」
「バルヅガイに襲われてたんだ! それで吹き飛ばされてこの城の中に入ってきた、それで仲間が逃げてるんだよ!!」
「なぜこんな来ているんですか、馬鹿ですか」
「知るかよ、俺はただ綺麗な音色が聞こえてきてそれに引き寄せられただけだ」
「音色……?」
陽色もそれどころではないのだろう、声を大にして大剣の言葉に返す。
しかし、その帰ってきた言葉に大剣は眉を顰めているような声音でその言葉を復唱した。
そして、何かを考え込むように沈黙する。陽色は急いで立ち去ろうと踵を返して去っていく、と、その後ろ姿に大剣が声をかける。
「音色が聞こえたのですか」
「あ? そうだ。急いでるから俺は行くぜ」
ぶっきら棒に返すと、陽色は声がかかる前にその場から立ち去って行った。
「私は、つ……いなくなりました……ね。」
口を開くと、すでにそこには彼の姿は無く、それから大剣は何も話さなくなり、静かに床に突き刺さったままだった。
その場に残されたのは物言わぬ大剣だけとなり、城内に流れていた音色も聞こえなくなった。
「私の名前は『剣』」
しばらくして、大剣は自らの名を名乗った。それは果たして誰に向けられたものなのか……。