黒い茨と森の歌姫
「ルヴィアの面倒を見てやってくれないか?」
王太子ジュリアンの言葉に、コルネリアはぴたりと瞬きを止めて凝視した。
言葉の意味は分かる、だがその気持ちは全く理解できない。
ルヴィアと言われた令嬢……ですらない女性は、脅えた様にジュリアンの腕にしがみついてその背に隠れるように身体を縮こまらせている。
婚約者のコルネリアでさえ、公式の行事や交流の時間でもなければその腕を取る事はないというのに。
しっかりと搦められた白い指は、細くて美しい。
「大丈夫だよ、ルヴィア」
親し気に斜め下に優し気な視線を送ったジュリアンは、困った様にコルネリアに視線を戻す。
「そう睨まないでやってくれ。悪いのは彼女ではないんだ」
睨んでなどいないけれど、という言葉は口にしても無駄だ。
目つきが鋭いとか、冷たそう、意地悪そうなどのどうでもいい感想は聞き飽きている。
喉を枯らす程叫んだところで、伝わらない者には伝わらない。
彼らは見たい物しか見ようとしないのだ。
王太子ジュリアンとルヴィアの真実の愛。
その障害となる悪役の公爵令嬢、王太子の正式な婚約者であるコルネリア。
彼女を邪魔だと思った者達は、その目つきを見ればルヴィアを睨んだという。
コルネリアの睨んでいないという主張なんてどうでもいいのだ。
だって、その人間達には「そう見える」のだから。
言い返すのすら馬鹿らしい。
「左様でございますね。では、わたくしもルヴィア様を気にかけることに致しましょう」
「ああ、よろしく頼んだよ」
頼んだといいつつ、彼女を連れたままジュリアンは自らの執務室へと優雅に歩いて行く。
振り返ってその背を見ることもせず、コルネリアもまた婚約者として、未来の王太子妃として与えられた執務室へと歩き出した。
「確かに、ルヴィア様は悪くないのでしょうね」
「……コルネリア様だって悪くないでしょうに」
不満げに漏らしたのは侍女のレツィだ。
窓際に飾ってある、黒茨の苗に手を延ばそうとして、コルネリアはふ、息を吐いた。
「わたくしが悪いか悪くないかなんて、彼らにはどうでもいいのよ。私が誰かと何かを交換したとしても、奪うなんて言われるのだから。お互い望んで取引したにも関わらず、ね」
「それは、先見の明のない取引相手のせいでございましょう」
「そうね。お互いに利があったはずなのに、こちらの方が良いと見ればそう攻撃してくるの。浅ましい事よね。結局……私の思いなんて、彼らからすれば取るに足りないの。きっと悪だくみをしたに違いない、良い物を奪い取ったんだと騒ぐ方が楽しいのでしょう」
そんな輩にいくら違うと言ったところで無駄である。
公正な取引だったとしても。
「ルヴィア様の評判はどう?城での生活には慣れたのかしら?」
「良い評判も悪い評判もお聞きします」
ルヴィアが城にやってきてもう半年になる。
レツィはしかめっ面で返事をするが、コルネリア寄りの意見ではなく正しく噂を精査した結果だ。
「礼儀作法は知りませんし、学ぶ気もあるのかどうか……まだ夜会には出られそうにはないと教育係からは聞いています。聖女として担ぎ出すのは時期尚早と言う事で差し止めになっておりますが、王太子殿下の……お相手を務めるのならば、いずれは……」
申し訳なさそうに目を伏せて言うレツィにコルネリアも微笑み返す。
「そうね……彼女は歌詠みの一族……ですものね」
歌詠みの一族とは森にすむ神に祝福された種族である。
三国に跨る森の中で、ひっそりと生きていて、薬草を煎じたり歌で癒しを施したりするので、各国から病気の者達が訪れるが、滅多に人前に姿を現す事はない。
彼らの望む物を社に捧げ、翌日には薬が返礼として置かれていたり、何処からともなく妙なる歌声が聞こえてきて傷や病が回復するといった奇跡が起きる。
逆に恐ろしい歌も伝わっているそうで、彼らの森に侵略したり一族の者を連れ去ったりと悪事を働かれれば、その悪しき歌で滅ぼされてしまうのだ。
かつてその様に滅びた国もあったという。
その伝説の一族の女性が何故城にいるのかといえば、森で狩りをしていたところ、彼女が罠にかかって抜け出せなくなっていた所をジュリアンが見つけ、助け出したのだ。
そこは歌詠みの一族の森からは外れており、外に出て外部の人間と接触した以上村には戻れない掟があると言い、ジュリアンは仕方なくという体を装いつつも、嬉々として城へ連れ帰った。
白金色の柔らかそうな髪に、新緑の若葉色で零れ落ちそうな程大きく艶やかな瞳。
弱々しい風情の美しい少女は、男性達の庇護欲を掻き立てる。
彼女は更に歌詠みの一族の中でも、植物を咲かせる能力に秀でていた。
何年も咲かなかった王妃の庭の白薔薇を咲かせた事で、王妃からの信頼も得たのである。
そして、堂々とジュリアン王太子の側に侍っていた。
それを快く思わない者達も、いる。
筆頭はコルネリアであると、ジュリアンも思っているだろう。
周囲もそう言っているのだから。
ルヴィアを遠ざけたい人々はこぞって、コルネリアの名を出すのだ。
しかしそれは、嫌がらせだけではなく真っ当な意見でもある。
客人とはいえ、王太子の婚約者を差し置いて側に侍っているというのは異常事態だ。
当のコルネリアは何もしていなくても、やはりジュリアンにとっては関係が無い。
彼にとっては婚約者であるコルネリアが悋気で、客人ルヴィアを脅かす存在であってほしいのだろう。
自分達の真実の愛の引き立て役として。
「何故こんなに、仕事が増えている?これでは彼女に会う事も出来ない」
ジュリアンのため息交じりの不満に、補佐官はふと顔を上げて問いかけた。
「それはどちらの女性でしょうか?」
ルヴィアとコルネリア。
答えは分かっていて補佐官のヴィースは眉根を寄せる。
だが、その答えを待つことなく、彼は続けて言った。
「ルヴィア様はコルネリア様と教育係のご指導で、舞踏のお稽古中でございますれば、どちらにしましてもお会いする事はかなわぬかと」
「だが、この仕事の量は以前よりも増えているのではないか?」
ヴィースはふう、とこれ見よがしに溜息をついた。
積み上げられた書類からはみ出た紙が揺れる。
「殿下がコルネリア様に命じたのでしょう。ルヴィア様の面倒をみるように、と。ですからコルネリア様に回っていた仕事がこちらに戻ったに過ぎません」
は?とジュリアンが固まった。
そして眉根を寄せて、眉間に深い皺を刻む。
「仕事を放り出してまで面倒を見ろなどと言ってはおらぬ」
「でしょうね。コルネリア様はご自分の仕事をなさった上で面倒を見ておられます。この仕事は元々殿下の仕事だったものを、狩りに行くという殿下の予定に合わせてコルネリア様に回された分です」
ぐ、と詰まったジュリアンに追い打ちを掛けるようにヴィースは言った。
「だから申し上げましたでしょう?戻った仕事だと」
漸く執務を終えたジュリアンがルヴィアを訪ねることが出来たのは夕刻だった。
客室へ先触れを出して訪ねれば、大きな目に涙を湛えたルヴィアが部屋から飛び出してきてジュリアンに抱きつく。
「ジュリアン様……っっ」
「やあ、ルヴィア、今日のお稽古はどうだった?」
「ひどいんです、コルネリア様も先生も厳しくて、意地悪で、冷たくって」
ぽろぽろと涙を零す様子に、ジュリアンは居たたまれずにルヴィアの細い身体を抱きしめた。
どんな酷い事をされたのかと怒りを覚えて尋ねる。
「一体何があったんだ」
「……私、一生懸命頑張ったんです。何とか、少しだけ出来るようになったのに、褒めてくれなくって。子供でも出来るのだと逆に怒られて……」
ひっくひっくと泣きじゃくりながら言われた言葉に、ジュリアンは少し安堵した。
打たれたとか、罵倒されたとかではなくて良かった、と。
「よしよし、ルヴィアは頑張ったのだな」
「はい……ジュリアン様」
頭を撫でてやれば、すぐにころりと機嫌を直し、ルヴィアは花がほころぶように微笑んだ。
今まで暮らしてきた世界が違う。
ただ褒める、それだけのことが何故出来ないのだ、とジュリアンは苛立たしさを胸中に収めたまま、笑顔になったルヴィアを再び抱きしめた。
「まだまだ夜会には出られないって、先生も言ってましたけど、ジュリアン様と踊りたいので私頑張りますね」
「ああ、私も君と踊りたい。待っているよ」
そんな二人の様子に若い侍女達は目を輝かせて頷いていたが、熟年の侍女達は白けた視線を注いでいた。
身分差と言うものはそう簡単には乗り越えられない。
ましてや婚約者を差し置いて、踊るなど。
婚約者と二曲踊って三曲目にというのならまだ許されるかもしれないが、どうみてもまっさきに踊り出しそうな二人なのである。
王妃から遣わされた熟練の侍女達は早くこの客人付きの業務から外れたかった。
彼女達を応援するような若い侍女達にあとは任せればいいではないか、と侍女仲間とも話している。
ルヴィア自身の為人が悪いわけではない。
明るくて無邪気で、優しいといえば優しいだろう。
だが、安心して仕えられる相手ではない。
そもそも後ろ盾がないのだ。
侍女達は王宮で雇われてはいるが、コルネリアであれば公爵家が後ろにいる。
俸給の他にも公爵家からの心づけもあるので給与は他よりも群を抜いて高い。
紹介状も貰えるので、例えば彼女が婚約者の座を降りたとしても勤め先は選び放題だ。
ルヴィアはどうかといえば、王妃から遣わされた侍女は王妃の実家である侯爵家からも俸給に上乗せがある。
しかし、正式にルヴィア付となってしまっては、そうもいかない。
更に彼女がジュリアンに捨てられでもしたら、ただの侍女に格下げになってしまう。
妃に選ばれたとしても、俸給は最低限しかもらえない。
働き損とまでは言わないが、良い職場環境ではないのだ。
下手な事をして公爵家に睨まれるのも御免である。
「やあ、ネリー。調子はどうだい?」
「あら、バート、お久しぶりだこと。どうもこうもありませんわ」
お互い愛称を呼び合うのは公爵家同士の幼馴染だからである。
コルネリアのクレイン公爵家と、アルバートのオルソン公爵家は領地が一部接する、大きな意味でのお隣さんでもあったので、小さなころから行き来はあった。
気安い言葉を交わし合うのは、信頼の証でもある。
「例のルヴィア嬢、大変なのか、やっぱり」
「小さな事も褒めてあげないと冷たくしたって事になるんですって。……馬鹿らしい」
「それはまた……」
くつくつとアルバートは喉奥で笑って、机をとんと叩いた。
「五歳の頃に舞踏を習い始めたけど……一カ月もすれば踊れるようになりましたけどね……。彼女はまだまだ先になりそうなのですが。それでも足運びを覚える度に褒めなくてはいけないなんて」
「俺も親に褒められた事なんてないなあ……狩りで大物仕留めて優勝した時ぐらいだ」
「結果を何も出さずに努力したら褒められるなんて、そんな生温い教育をするのは貴族ではないわ」
蝶よ花よと育てられる場合を除いて。
特に領主教育は厳しいものだ。
「だいたい、俺のように親が急逝したらどうするんだ?召使いにでも褒めてもらうのか?実にくだらないな」
「貴族の責務を分かっていないのね。わたくし達の過失は人の命を失う可能性もあるから許されないという事も、常に出来て当たり前だという教育方針も、その矜持も」
出来なければ能力が足りないと引きずり降ろされるだけだ。
その厳しさを全く分かっていない。
どの貴族家であろうと当主は一人だが、分家もあれば傍流もある。
貴族でなくなったとしても、能力があれば返り咲けるのだから隙があれば跡目争いにもなるのだ。
だから嫡子は完璧でなくてはならない。
その替えである次子も、なにかあれば領主の代行を務める義務もある。
男兄弟が複数人居て、嫁に行く事を考えるだけで良ければまだ待遇はマシになるが、楽だという訳ではない。
親の決めた婚約者の元に嫁ぐための花嫁教育を課す貴族家も多いのだ。
その場合は相手に合わせて、徹底的に教育をされる。
相手の好きな色を好きになり、その色の衣装を纏う。
相手の好きな食べ物を食べ、飲み物を飲む。
女性個人の好みなど関係が無い。
自分の事を自分で決める事が出来る男性に生まれるか、全て周囲の決める事に従う女性に生まれるかの差くらいで、何もかも自由に振る舞えるというのは幻想だ。
「でも、わたくしはまだマシね……。面倒といえば面倒だけれど、足の引っ張り合いをするよりはまだ良い方だと思う事にするわ」
「引っ張るというよりぶら下がっているようだしな」
「まあ、なんてことを仰るのかしら」
くすくすと笑って、それからコルネリアは小さくありがとう、と呟く。
「貴方と話したら少し、気が軽くなったわ」
「それなら良かった。話ぐらいならいつでも」
必要な書類を置いて、侍従を伴ってアルバートは王太子妃用の執務室を後にした。
「ただでさえ忙しい身の上に、自分の女の面倒まで見させるとはえげつない真似をする」
呟かれた主人の言葉に、侍従は静かに会釈を返した。
久々の公務でコルネリアはジュリアンと共に、数日離れた領地へ行く事になった。
数日前の土砂崩れで、怪我人や死人も出ているために華美な服装ではない。
土砂崩れがあっただけあって、大雨に浸された土地はぬかるんでいる。
「こういう時こそルヴィア様を伴っていらした方が、彼女の為にも良かったのではないでしょうか」
「まだ表に出せる状態ではないのは君が一番知っているだろう」
「民は礼儀作法など気にも留めません。彼女の優しさが癒しになりましょうし、歌声で花が咲くのを見れば奇跡だと心も安らぎましょう」
刺々しいジュリアンの声にも憤る事なく、淡々とコルネリアは意見を述べた。
そしてその言葉には一理ある。
もし今後、彼女を……例えば娶るとした場合「聖女」の肩書は物を言う。
活躍の場は、確かに限られているのだが、こういう場が最適だ。
「私が浅慮だった。一考してみよう」
コルネリアは何も言わず、窓の外を見ている。
こんな時ルヴィアだったら……「ありがとうジュリアン様」と可愛らしく微笑むだろう。
それは心を温める癒しであり、愛おしいと思わせる。
心の中で比べながら、ジュリアンは小さく溜息を吐いた。
現地での活動は多岐にわたる。
政務官や村長と話し合い、収集した情報を精査して、二次災害が起こりそうな場所へは立ち入り禁止とした。
崩れた家屋は騎士団と近くの村の青年団で撤去したうえで、住宅を建て直す。
他の領地であれば領主が行うが、ここは王領だからこそ、国王の代わりに王太子として代行していた。
ふと窓の外を見れば、コルネリアが上等な衣装の裾を泥で汚しながらも、人々にパンとスープを与えて励ます様子が見える。
城では悪女だの冷酷な女だのと言われているが、その面影もない。
穏やかに微笑み親達と話すコルネリアの姿に遠巻きにしていた子供達も安心したのか、食べ物を貰いにコルネリアの元へと集まって来ていた。
「親を亡くした子はいるのか」
「幸い……と言っては何ですが、死んだのは老いた者達ばかりでして。何とか村の若い衆は助かりました」
「そうか。遺族がいないのならば、村に見舞金を出そう。復興に使うがよい」
ジュリアンが言えば、侍従が名簿を見ながら村長と詳しい話を始める。
外からは子供達の楽し気な声が聞こえていた。
「今日はご苦労だった」
「殿下もお疲れ様でございました」
短い言葉を交わして馬車を降りると二人は其々の部屋に向かう。
ジュリアンはコルネリアの衣装の裾が泥に塗れているのを見て、眉根を寄せた。
「その衣装はもう使い物にならないな」
「わたくしもそう思いましたが、泥を洗い落として売れば幾ばくかのお金になりますとか。子供達のお菓子代にする予定ですの。それではおやすみなさいませ」
美しい淑女の礼を執ると、コルネリアは部屋に吸い込まれて行った。
新しい衣装を贈ってやろうとその時はジュリアンも考えていたのだが、城に戻ればルヴィアが会えなくて寂しかったと泣きながら抱きついてきて。
慰める内にルヴィアの新しい衣装を仕立てることになり、コルネリアへの贈り物はすっかり忘れてしまったのである。
どちらにしろコルネリアにとっては大した出費でもない。
衣装は公爵家からも用意されるのだ。
同じ頃、コルネリアは自室で信じられない物を見ていた。
窓際においてある、家宝の黒い茨。
刺が黒い蔓から突き出し、天を目指して藻掻くようなその茨は、魔法で出来た物ではない。
花も付けず実も付けない、ただの黒い茨で、金銭的な価値もなければ何かの魔道具でもない。
ただの一族の象徴。
それだけ。
けれど、その黒い茨に銀色の薔薇が咲き誇っている。
ルヴィアが無断で部屋に入り、勝手に花を咲かせたのだ。
一族の歴史が、不躾に上書きされた。
力を重んじる一族が、美で塗りつぶされ。
「花が咲いている方がいい」という価値観を押し付けられた。
紛れもない善意なのだろうが、それはコルネリアにとって自分の内側の柔らかい場所を刺し貫く攻撃。
ふつり、ふつりと糸が切れていく。
この国の為に、王太子ジュリアンの為に、クレイン公爵家の為に生きて来た。
身も心も捧げたけれど、魂までは渡していない。
その魂が穢されたのだ。
「レツィ、手紙を書きますわ。用意をして」
コルネリアは一粒の涙も流さなかった。
いや、流す事が出来なかったのだ。
あまりに深い憎悪ゆえに、コルネリアは覚悟を決めた。
たったそれだけの事。
人が聞けば他愛ない理由だとそう断じるかもしれない。
それが誰かの大事な物だと気づかずに踏み躙る人々なら、そうだ。
簡単にそう言うだろう。
寧ろ、美しい花を咲かせたのだから感謝しろと言う人すら、いるだろう。
けれど、違う。
これは慈悲であり善意の皮を被った侵略であり蹂躙なのだ。
少なくともコルネリアの心を折るには十分だった。
王太子の相手としてルヴィアが側妃になろうと王妃になろうとどちらでも良かった。
都合よく使われるのも覚悟していたのだ。
その未来も見えていた。
でも、己の何もかもを踏み躙られるのは断じて違う。
積み上げて来た研鑽は、誰かに褒められたいからではなかった。
ただただ、己と国の未来の為。
そう在るべくして在る為に。
一瞬にして崩される、などと思ってもみなかった。
そしてそれは、これからも起こりうる未来。
ただの美しい花に成り下がるなんて御免だ。
国中の貴族が呼ばれる大きな夜会で、ジュリアンはルヴィアを同行していた。
初めての夜会に、ルヴィアは顔を輝かせて喜んでいる。
まだ舞踏は踊れないが、夜会では特に舞踏を踊らなくてはいけないという決まりはない。
最初の舞踏は国王夫妻が踊るという習わしはあるのだが、二人の舞踏は必要なかった。
本来ならばジュリアンが同行しなくてはならないのはコルネリアである。
だが、初めての夜会で不安だというルヴィアを誰かに任せる事は出来なかったし、コルネリアからもルヴィア様を優先してあげてくださいませ、と言われれば断る事もない。
大事な客人であり、今後聖女としても名を上げる予定の美しいルヴィアは、令嬢達と違う魅力で会場の男達の目を惹きつけていた。
満更でもないジュリアンを見て、国王夫妻も思うところがなくはなかったが。
「クレイン公爵とご息女コルネリア様」
名前を呼ばれた二人が扉から入ってきて、一同はざわりと揺らめいた。
普段なら王太子の婚約者であるコルネリアは王族と共に王族席に座るのだが、コルネリアの場所にはルヴィアが納まっている。
慌てて席を設けようと慌ただしく従僕達が移動を開始するも、クレイン公爵が手を上げてそれを制した。
「ああ、席は結構です。ご挨拶を申し上げたいだけですので」
ご挨拶?と会場の貴族達は首を傾げる。
令嬢達は、とうとうルヴィアに追い出されるのか、と扇の陰で微笑んだ。
静々と進み出たコルネリアが見事な淑女の礼を執る。
「国王陛下、王妃殿下、ならびに皆様。本日ここにて、わたくしコルネリアは、ジュリアン王子との長年の婚約を、我が意志をもって解消させていただきたく、お願い申し上げます」
凛とした声が響き渡り、会場は次第に騒めきに彩られて行く。
流石に国王がその貴族達の騒ぎを手を上げて制すると、静かに問いかけた。
「公爵から話は聞いている。だが、其方が何故そう決断したのかまでは聞いておらぬ。話してみるが良い」
コルネリアは了承の返事の代わりに膝を屈して、ジュリアンとその手を縋る様に掴んでいるルヴィアに優しく微笑んだ。
「王太子殿下には、心から愛する女性がおられます。森の歌姫ルヴィア様です。彼女の純粋な魂と奇跡の力は、この国に新たな光をもたらすでしょう。家と家との契約が、真実の愛の前に立ちはだかるべきではありません。わたくしは、自らの身を引くことで、お二人の未来を祝福したいのです。どうか陛下、わたくしと王太子殿下の婚約を白紙に戻し、新たなる妃として、ルヴィア様をお迎えくださいませ」
気高く寛大で愛のために身を引く、悲劇の令嬢。
その場にいた者は、その言葉に異を唱えることが出来なかった。
誰もが噂で知っていたのだ。
王太子ジュリアンが森から連れ帰った歌詠みの一族の娘とその奇跡の才能。
そして、真実の愛。
クレイン公爵家の勢力を削ぎたい者達は、こぞってコルネリアを嫉妬に狂う悪女として攻撃したが、これはまた違った結果を生む。
何故ならコルネリアは悪女として糾弾されたわけではなく、祝福を与える聖女のような慈悲を見せたのだ。
この国の為になるという大義名分すら乗せて。
祝福されたジュリアンとルヴィアは謝罪も言い訳もできない。
何故なら祝福されているのだから。
罪悪感と喜びがジュリアンの顔に浮かび、ルヴィアは未だに怯えた目を向けている。
周囲からも散々コルネリアに憎まれていると、そう吹き込まれていたからだ。
「そしてルヴィア様、先日のお礼も申し上げておりませんでしたわね。わたくしの部屋にございます、我が一族にとって何よりも大切な宝である『黒き茨』に、あのように見事な銀の薔薇を咲かせて下さったこと、心より感謝申し上げます。あのお花は、お二人の輝かしい未来そのもの。二人の愛の証として献上させて頂きますわ」
「まあ、コルネリア様!やっぱり分かってくださいましたのね!とっても嬉しいです。大切にいたしますね!」
無邪気な微笑みと言葉に、ジュリアンは愕然とした。
そして貴族達もまた。
婚約者であり、王太子妃となるべきコルネリアの部屋に無断で入ったのか、と。
更にその家の宝を勝手に自らの能力で変質させたのだ。
本来なら投獄されるほどの罪となるそれを、コルネリアは祝福と言う言葉で包んで進呈した。
それは、王家への断絶の言葉でもあったかもしれない。
流石に令嬢達ですら、笑う事すら出来ずに表情を消す。
コルネリアが微笑みで語った罪状は、贈物という名の包装紙で包まれていて。
それをルヴィアは無邪気な笑顔で謝礼と共に受け取ったのだ。
次の王妃となるべき女性が。
その意識のずれに、ジュリアンは呆然としたのだ。
今までは可愛らしいと思っていた無邪気さは、致命的な欠陥である。
相手の思惑を汲むことも出来ず、表情と言葉に簡単に騙され、相手の意のままに動いてしまう。
ジュリアン一人で支え切れるものではない。
だが、今更コルネリアに縋る事すら出来ないのだ。
祝福と共に、国王に新しい婚約をと申し出られてしまった。
即座に断る事が出来なかった時点で、もう了承したも同然である。
さすがに王妃も顔色を失くした。
確かにずっと咲かずにいた庭の薔薇を奇跡の歌声で咲かせた時は感動もしたし、喜んだ。
ジュリアンがルヴィアの無邪気さや美しさを愛でるのも許してきた。
だが、ルヴィアを次期王妃として育て上げるのは、至難の業である。
王妃とて、コルネリアを王妃に、ルヴィアを側妃にという考えは持っていた。
だからこそ、ジュリアンに対してもコルネリアへの礼を失する事だけは避けるように言ってきたし、今日の今日までルヴィアの同行などはさせた事もない。
贈り物はしていたようだが、それについてもコルネリアの了承を得ていたのだ。
後ろ盾もない可哀想な客人だから、と。
危うい均衡を保っていたその天秤に、最後の重りを載せたのはルヴィアだった。
国王も難しい顔をしていたが、公爵へと問いかける。
「長年我が息子を良く支えてくれた。だが、次の婚約は決まっておるのか?」
決まっていないのなら側妃に、などと言い出しかねない王家にふ、とクレイン公爵は冷たい笑みを浮かべた。
「ええ、既に娘から解消の意志は聞いておりましたので、私も父として出来るだけ良い人物をと探しまして」
言いながら、公爵は衆目に目を走らせた。
その中から二人の人物が歩み出る。
オルソン前公爵と、オルソン公爵を継いだアルバートだ。
「両親が急逝し、急に跡を継ぐことになり忙しくしておりましたので、婚約者も決められませんでしたが……この度コルネリア嬢と縁を結ばせて頂く運びとなりました」
クレイン公爵とアルバート、そして前オルソン公爵は会釈を交わしてアルバートはコルネリアの隣に立つ。
国王は残念そうに頷いた。
「そうか。書面が届いたら許可しよう。コルネリア、幸せになるがよい」
「はい、陛下」
「ジュリアン様、何てお似合いの二人なのでしょうね」
ルヴィアの場違いな明るい声を聴きながら、ジュリアンは微笑み合うコルネリアとアルバートを見つめていた。
失ったものの大きさに打ちひしがれながら。
それからというもの、ジュリアンの生活は一変した。
補佐としてコルネリアが熟していた仕事を、ルヴィアは出来ない。
必然的に王妃と王太子であるジュリアンに振り分けられて、単純に仕事の量が増えた。
それだけならまだ文官を増やし、仕事に励めば問題ないが、隣に立ち同じ目線で語り合える相手がいない。
側近達はいるが、彼らも自らの家門を背負っているので、王族としての公平な目線は期待できないのだ。
何気ない言葉でさえ、今は大事なのだと痛感する。
王妃もまた王太子妃教育に四苦八苦していた。
礼儀作法もまだ完璧ではないのに、誘われたからとホイホイ招待を受けては嘲笑の的となって帰ってくる。
王妃の元へはその際のルヴィアの言動も嘲笑まじりの報告と共に苦情として寄せられた。
学習能力が無いわけではない。
だが、誘われたら行かないといけないという良心を優先するのだ。
一度は馬車で通りかかった通りにいた孤児に宝石を与えた事で、大騒ぎになったりもした。
着ていた衣装以外の全ての宝飾品をばら撒いたのだ。
結果、乞食も孤児も換金する前に死体となったのである。
そして、彼女にとって悪いのは世界の方であり、彼女は悪くないと改めないのだ。
言語や歴史など、学ぶ事に関しては素直でも、その生い立ちからくる善意は変えられない。
醜聞はじわじわと王家を侵食していく。
それをかき消す様な裏工作をしようとしても、何処かで頓挫する。
公爵家の後ろ盾を失った王太子に味方する者はいない。
「常識も何もない森で拾った娘を、国の未来より重んじた」という烙印を押されたのである。
たとえコルネリアが祝福して身を引いたとしても、国の為を思うのならば引き止めなければいけなかった。
それがルヴィアとの別れとなるとしても。
国母になれぬ女性を愛した王太子へ、嫁ぎたいという令嬢もまた、いない。
愛する女性を抱えて、働かされる未来しか見えない場所に嫁ぐのは不幸としかいえないからだ。
低位貴族の中には名乗りを上げる者達もいるが、王家からすれば今度はその血筋の低さが問題となる。
優秀な王太子妃もいたからと、次子の王子は他国への婿入りも決まっていて、そちらも今更反故には出来ない。
ルヴィアに優秀な補佐官を付けようにも、優秀な者が引き受ける筈もなく。
高位令嬢からは蔑まれ、低位令嬢がお友達として居座るという悪循環。
その令嬢達に唆されて衣装を何着も仕立てようとした時は流石に解任にせざるを得なかった。
詐欺まではいかないとしても、適正価格でない商品を買ったりと散財も王太子の財布を圧迫している。
婚約者への歳費も使い果たして、後ろ盾もないルヴィアには収入源が王太子の他にないのだ。
ジュリアンとて新調しなければならない服もあるし、外交や夜会でも流行には気を使わねばならない。
そもそもルヴィアには貨幣価値など分からないのだ。
皆で分け合うとか、持っている人が持っていない人にあげる。
だからルヴィアも宝石を与えるし、困っていればジュリアンや他の人が助けてくれると信じて疑わない。
昔はその全力の信頼が眩しかった事もあった。
なのに。
今は違うとしか思えない。
その齟齬にジュリアンは打ちのめされ続けている。
次から次へと問題が起きて、息つく暇もない。
王妃が溜息を吐く横で、しゅんと涙を目に溜めてルヴィアが膝に置いた手を震わせている。
「今度は何を仕出かしたのです」
ジュリアンの呆れた問いかけに、王妃は目線でルヴィアを促した。
「庭師にお庭を見せて貰っていただけなんです……」
庭師に庭を見せてもらう、それだけなら問題はないが、何を問題視されているのかジュリアンは瞬時に察した。
長い手指で目を覆う。
「二人きりに、なったのか」
「ええ、でも、薔薇を見せて頂いただけなんです。本当です」
それは本当なのだろう。
ジュリアンには分かっている。
ルヴィアがそんな事で嘘を吐くわけはない。
だが、他の人間は違う。
「侍女は、どうした。何故、男と二人きりになったりしたのだ……!」
「だって、どうしても、と頼まれて……元気のない薔薇があるから、歌声を聞かせれば元気になるかもって……」
泣きじゃくりながら理由を話すが、そうじゃない、とジュリアンは怒鳴りたくなった。
善悪が問題ではないのだ。
侍女がいないのなら、侍女がくるまで待つか、別の女性を伴っていくべきだった。
少なくとも、誰も見えない所に男と二人きりでいたという事で、普通の令嬢なら結婚すら出来ない。
何も起きていなくても、何かあったのかと思われるだけで令嬢の瑕疵となる。
「……まあいいでしょう。ジュリアン、そういう事だから結婚は早くても一年以上先になるわ。まあ、今もすぐに結婚できるような状態でもありませんからね」
「噂は……」
「立つでしょうね。庭園から二人並んで戻ってきた時は、髪も衣装も乱れてたというのだから」
カッとジュリアンの頬に怒りの為の赤が上る。
ルヴィアは必死で首を横に振った。
「狭い生垣の先にあったのです。ですから、衣装が引っかかってしまったり、髪の毛も絡まったり…」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。でもね、髪と衣装を乱した女が、年頃の男性と二人で戻ったら熱烈な関係だと吹聴されるのですよ」
「それは、誤解です!」
きっと、話せば分かってくれる!などと言い出しかねない様子に、王妃は肩を竦めた。
「この様子だから、暫く人前には出せないわ」
「分かり、ました……」
がくりとジュリアンは項垂れる。
決してルヴィアの貞操を疑う気持ちはない。
だが、心を尽くして話し合えば、何もかも解決出来ると思っている所が既にもう違うのだ。
悪意を持っている者達にとって、本当は何があったか、真実はどうだったかには何の意味もない。
それを、彼女は理解すらしていないのだ。
人前に出して誤解を解こうとすればするほど、噂となっていつまでも醜聞は消えない。
だからこそ、王妃は人前に出せないと言っているのだ。
目の前で会話をしていてさえも、ルヴィアだけは違う世界に生きている。
彼女には何一つ伝わっていない。
「アルバート、その……コルネリア……夫人は息災か」
ジュリアンに問われて、アルバートはふと書面から顔を上げた。
アルバートとコルネリアは婚約の許可を得てすぐに、王都で結婚式を挙げて領地へと帰ったのだ。
夜会で集まった人々の多くは呼ばれ、若き公爵と美しい花嫁は皆の目の保養となったのである。
だがもう、コルネリアを王城で見ることはない。
「ええ。コルネリアは領地を切り盛りしてくれていますよ。私が王城での仕事も出来るようにと。ですがそろそろ、子供も生まれますので、私も領地へ一旦戻る予定です」
アルバートは優秀な宰相補佐だ。
いなくなっては困る、と言おうとしたがその前にアルバートはにこりと如才なく微笑む。
「宰相には許可も取り、引継ぎも済ませております。初めての子供ですから、コルネリアも大変でしょうし、暫くは社交期間もこちらには来られそうにありません」
「そうか……めでたい事だな」
優秀で美しい妻。
コルネリアの何が不満だったのだろうかと思うが、もう思い出せない。
ただ、ルヴィアの無邪気な魅力に目が曇っていただけなのか。
目の前の男に、全ての幸せを奪われたかのような錯覚を覚えて、ジュリアンは目を伏せた。
「ええ。私にはもう両親もおりませんので、義両親にも暫く我が領地に滞在して頂けるようですよ。義兄上の所にも子供が生まれますし、そちらは義姉上の両親がかけつけるようで。まあ、城同士は離れておりますが、隣の領ですしね。街道の整備もしておりますから、行き来は苦じゃありません」
屈託ない笑顔で幸せを語るアルバートには輝かしい未来しか無いのだろう。
書類の束を傍らの文官へと渡して、アルバートはジュリアンに笑みを向けた。
「殿下もお幸せに」
二週間の旅を経て、アルバートはオルソン公爵領に辿り着いて、早速コルネリアを見つけ出して抱きしめた。
「ただいま、奥さん」
「お帰りなさいませ、旦那様」
そして二人は額をつけて、くすくすと笑い合う。
「留守中変わった事は無かったかい?」
「ええ、手紙に書いた事くらいかしら。あとメーガン牧場の家畜の育ち具合も安定したみたい。子牛も子豚も生まれるそうよ」
「そうか。じゃあ地代を払えない事はなさそうだな」
「ええ」
侍女のレツィが幸せそうな二人の元へ紅茶をのせた配膳車を押してきて、卓に置きながら言う。
「駄目ですよ、もう。奥様は働きすぎです」
「ふふ、レツィは厳しいのよ」
「大丈夫だ、レツィ。私が帰って来たからには、もう無理はさせない」
長椅子に仲睦まじく並んで座った二人を見て、盆を胸に抱きしめながらレツィはにっこりと笑って頭を下げる。
「お願いします、旦那様」
「それで、王都はどうだったのかしら?」
「ふふ。殿下は君を呼び戻したそうだったね。先手を打たせて貰ったけど。子供が生まれるんじゃ無理に王都への招聘は出来ないだろう」
「あら、安心しましたわ。ルヴィア様も大変そうですものね」
優雅な手つきでコルネリアは紅茶を口に含んで、優しく笑んだ。
「何処まで知っている?」
「全部よ。侍女にあてがったギレッタが手紙で教えてくれるの。ほら、以前貴方とお話した誉める係の侍女。彼女はまだわたくしが給金を渡しているのだもの」
クツクツとアルバートは笑って問いかける。
「そんなに気になるのかい?まだ」
「いいえ?せめて貴方との子供が出来るまでは正気でいてもらわなきゃ困るでしょう?あれだけ無防備なのですもの。あのまま放り出したらあっという間に狼達に食い散らかされてしまうわ」
「ああ、そうか。あの女が駄目になったら形振り構わず君を王命に縛り付けてでも連れ戻しに来そうだからな」
ふむ、とアルバートは首を傾げてコルネリアの頬を撫でる。
「だがもう、王家自体の求心力が低下しているからな、色々と時間の問題だ」
「それは困ったわね」
憂鬱そうに首を傾げるコルネリアに、アルバートは優しく微笑みかける。
「君は何も気にする事はない。子供を生んで君が無事ならそれで」
「善処するわ」
子供を生むのは命懸けだ。
出来れば大事な相手との愛の結晶をこの世界に送り出したくもあるけれど。
癒しの力なんて便利なものが伝わっているのなら歌詠みの一族ももっと……と思ってはたとコルネリアは気付く。
「そういえば、聖女の話はどうなったのかしら?」
「……うーん……保留だったのが立ち消えになったようだな」
王太子の相手として「ただの娘」であっては困るのだが、聖女と名乗らせるには些か問題が生じていた。
公務で訪れた被災地で、ルヴィアは花を咲かせてみせたのだ。
『皆様の癒しになると嬉しいです』
そう無邪気に言う王太子妃に周囲は感動、とはならなかった。
喜んだのは子供達だけ。
奇跡に驚きはしたものの、だから何だという話である。
花で腹は満たされない。
その後、王太子が用意をさせた食事を配りはしたものの、彼らの不信感は拭えなかった。
何しろ服装も華美で、常に裾汚れを気にしていたのも評価を下げたのである。
「それは殿下の落ち度であらせられるわね。最初に言い含めておかなかったのが問題だわ。王妃教育を受けているのだから、当然分かっているだろうと放置したのでしょうけど……」
「王妃殿下も一通りの教育はしただろうが、まさか配給よりも先に花を咲かせると思わなかったんだろう」
ルヴィアにとっては順番など些事だったし、悪意など皆無だ。
けれど、受け取る方には問題しかない。
彼女の根底には、善意は伝わる、必ず理解してもらえるという確固たる自信がある。
コルネリアに対して行った事も、コルネリアの返答も彼女にとっての「成功例」となったのだろう。
「貴族達への余興としては過不足ないが、恵まれぬ者を救う力じゃないからな。どう活用するかで今後が決まるだろう」
「そうね。早目に決断しておいて良かったこと」
コルネリアの言葉にアルバートも頷く。
あの時。
もし今の未来を選ばなかったなら。
コルネリアが表立って動いていれば、問題は先送りになっていただろう。
相変わらずルヴィアも微笑んで善意を振り撒いているだけでも大きな問題は起きなかった。
だが、些細な問題が起きる度に王妃や王太子はコルネリアを責めただろうことは目に見えている。
庭師の件にしても、本人に怒りをぶつけられないからと八つ当たりされた可能性が高い。
その分コルネリアは悪意を受け止めて、疲弊していくのだ。
美しくて無邪気で愛される為だけに存在している者と、強さと権力と賢さで支える者。
自分の責任は自分で負うのは当然だが、他者の荷物まで背負わされるのは御免だ。
「君はもう十分頑張った。後はのんびりと彼らの凋落を見守るだけでいい」
「ええ、そうね。そうするわ」




