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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第8話 最強の仕入れと、進化する定食

 かくりよ亭の裏口前に停められた軽トラックの荷台は、見るからに重量級だった。


 丁寧に血抜きと下処理が施されたホーンボア一頭分の肉は、大きな部位ごとに分けられ、清潔な防水シートと簡易冷却材で包まれている。加えて、骨材の入ったコンテナ、薬効草を束ねた箱、スライムの可食部を収めた密閉容器がいくつも積まれており、一般的な食材搬入とは明らかに様相が違った。


「……相変わらず、量も質も容赦ねえな」


 悠斗は小さく息を吐き、荷台に上がる。元探索者とはいえ、料理人としての生活が長くなった今、この重量を前にして何も感じないわけではない。だが――。


 彼は躊躇なく、ホーンボアの前脚肉が詰められたコンテナに手をかけた。


 ずしり、と空気が沈む。


 百キロ近い重量が、腕と腰に一気にかかる感覚。それでも悠斗は顔色ひとつ変えず、重心を低くして持ち上げた。


「おっと……」


 地下への搬入口は店の裏手、段差のあるコンクリート階段を下った先にある。普通なら台車を使うところだが、悠斗はそのままコンテナを抱え、階段へ向かった。


 ぎし、と階段が軋む。


 だが足取りは安定していた。探索者時代に叩き込まれた基礎体力と、ダンジョン内で鍛えられた身体操作は、職を変えても失われていない。


「……店主、無理はしないでください」


 背後から声がかかる。


 刹那だった。


 彼女は既に別のコンテナを一つ抱え上げている。それも骨材が詰まった、相当な重量物だ。


「心配すんな。これくらいで音を上げてたら、厨房には立てねえ」


「そうですか」


 刹那はそう言うと、軽く膝を曲げただけでコンテナを持ち上げた。


 その動作は滑らかで、無駄がない。筋肉の収縮と重心移動が完全に噛み合っており、まるで重量そのものを感じさせない。


 彼女は悠斗と並び、同じ階段を下り始める。


 コンクリートに響く足音が、二人分、規則正しく重なった。


「……やっぱり、探索者の身体だな」


「店主も、元とはいえ十分ですよ。動きに迷いがありません」


「料理人は段取りが命だからな。身体がついてこなきゃ話にならねえ」


 短い会話の間にも、二人は地下の食糧庫へと到達する。


 重厚な金属扉を肘で押し開け、内部へ。


 ひんやりとした空気が肌を撫でる。地下食糧庫は温度と湿度が管理され、壁際には用途別の棚と冷蔵設備が整然と並んでいた。


 悠斗はコンテナを指定の位置に下ろし、刹那も同様に荷を置く。


 どさり、という鈍い音が二つ重なった。


「よし、次――」


 そう言いかけたところで、悠斗は一度地上を見上げた。


「……細かいもんは一人じゃ面倒だな」


 彼は踵を返し、階段を上がると、裏口から店内へ顔を出す。


「理央、ちょっと来い」


「はい? あ、今行きます!」


 カウンター越しに顔を出した理央は、帳簿を閉じて慌てて立ち上がる。エプロン姿のまま、小走りで裏口へ回ってきた。


「店長、何でしょうか?」


「軽い箱とか小物類、地下に運ぶの手伝え。数が多い」


「分かりました。刹那さんも一緒なんですね」


「はい。お手数をおかけします」


 理央は軽トラの荷台を見て、思わず目を丸くした。


「……これ、全部今日の分ですか?」


「今日の仕入れだ。文句あるか」


「い、いえ! むしろありがたいですけど……」


 理央は気を取り直し、スライムの可食部が入った比較的軽い容器や、薬効草の箱を抱え上げる。


 重量自体は大したことはないが、内容物は繊細だ。揺らさぬよう、慎重に腕に収める。


「こういうのは、理央の担当だな」


「はい。落としたら大変ですから」


 三人で役割を分担し、搬入はテンポよく進んでいく。


 悠斗と刹那が重量物を次々と地下へ運び込み、その合間を縫うように理央が小箱や容器を丁寧に下ろしていく。


 誰一人、無駄な動きはなかった。


 それぞれが、自分の立ち位置と役割を理解している。


 地下食糧庫の棚が、少しずつ埋まっていくにつれ、かくりよ亭の「今日」が形になっていくのが分かる。


 最後の箱を運び終えたところで、悠斗は一度、額の汗を拭った。


「……よし、搬入はこんなもんだな」


 刹那は軽く息を整え、理央は達成感のある表情で頷く。


「これで、仕込みに集中できますね」


「ああ。あとは俺の仕事だ」


 悠斗は地下の食材を一瞥し、静かに包丁を握る自分の姿を思い浮かべながら、次の段取りへと意識を切り替えた。


 かくりよ亭の一日が、ここから本格的に動き出す――そんな予感を残したまま。


地下食糧庫から運び出されたダンジョン食材は、厨房の作業台に用途別に並べられた。


 ホーンボアの各部位、骨材、薬効草、スライムの可食部――どれもが一般流通品とは明確に違う“生きた素材”だ。瘴気は抜けているが、内部には微弱な魔力が残っており、扱いを誤れば味も効果も台無しになる。


「刹那、今日はもう上がっていい。理央も、事務作業に戻れ」


「手伝いましょうか?」


「いや。ここからは俺一人の仕事だ」


 ぶっきらぼうにそう言い切ると、悠斗はエプロンの紐を結び直した。


 探索者が刃を振るう場所がダンジョンなら、料理人が本気を出すのは厨房だ。


 まず手を付けたのは、ホーンボアの肩ロース。


 既に解体は完璧だったが、ダンジョン由来の獣肉は筋繊維の中に魔力の澱が残りやすい。これを除去せずに使えば、食感が硬くなり、バフ効果も不安定になる。


 悠斗はまな板の前に立ち、静かに息を整えた。


「――《かくりよの手》」


 呟きと同時に、両手に淡い光が宿る。


 それは炎でも雷でもない。触れたものの“在り方”を読み取り、料理へと最適化するための、料理人に特化した魔力操作スキル。


 悠斗は肉に直接触れた。


 指先から流し込むように魔力を巡らせると、肉の内部構造が感覚として伝わってくる。どこに魔力が滞り、どの筋が強張っているのかが、まるで地図のように浮かび上がる。


「……ここだな」


 包丁を入れる位置は最小限。


 魔力でほぐし、包丁で仕上げる。


 肉の繊維を断ち切るのではなく、解放する感覚。澱んだ魔力だけを抜き、旨味と栄養、そしてバフの核となる部分だけを残す。


 下処理を終えた肉は、見た目からして違っていた。赤身は艶やかに、脂は白く澄み、触れれば指が吸い付くような弾力がある。


 続いて骨材。


 通常なら長時間煮込むだけの素材だが、ダンジョン産の骨は魔力を多く含み、下処理次第で出汁の質が劇的に変わる。


 悠斗は寸胴鍋に骨を入れ、水を張る。


 そこへ再び《かくりよの手》を発動。


 魔力を鍋全体に行き渡らせ、骨の内部に残った不要な魔素を浮かせて分離させる。表面に浮かぶ黒ずんだ泡を、丁寧に掬い取っていく。


「……よし」


 澄んだ水に残ったのは、純度の高い旨味と回復系バフの素となる成分だけ。


 最後に、薬効草とスライムの可食部。


 薬効草は魔力で繊維を傷めぬよう活性を調整し、スライムは温度と魔力圧を同時に制御して、独特のぬめりを旨味成分へと変換する。


 すべての下処理が終わった頃、厨房には心地よい緊張感と、確かな手応えが満ちていた。


 悠斗は一度、冷蔵庫の前で腕を組む。


 今日の夕方に出す予定だったメニューは、元々は――

 「ホーンボア生姜焼き定食(バフ盛り)」。


 安定した筋力強化と疲労軽減を狙った、堅実な一品だ。


 だが。


 今、目の前にある素材は、明らかにそれ以上のポテンシャルを持っている。


「……この質なら、抑える理由はねえな」


 悠斗は決断した。


 生姜焼きはやめる。


 代わりに――

 低温で火を入れ、肉の魔力構造を保ったまま仕上げるホーンボアの炙り焼き。

 そこに、先ほど引いた特製の骨出汁を使った回復促進スープを添える。


 バフは、筋力強化に加えて――

 微量の再生補助と集中力向上。


「夕方の連中、驚くだろうな」


 誰に言うでもなく、悠斗は小さく口角を上げた。


 仕込み台に並べられた食材たちは、すでに“ただの材料”ではない。

 かくりよ亭の料理として、探索者たちを支える準備を整えていた。


 そして悠斗は、包丁を置き、次の工程へと静かに進む。


 ――本番は、ここからだ。


 夕方の営業開始を告げる暖簾が掛けられる頃には、かくりよ亭の厨房はすでに戦場の静けさに包まれていた。


 寸胴から立ち上る湯気は澄み切っており、骨出汁特有の重さはない。低温調理を終えたホーンボアの肉は、提供直前の炙りを待って静かに休ませてある。

 悠斗は火口の調整を確認し、包丁の位置を整えた。


「……来るぞ」


 ほぼ同時に、店の表から引き戸の開く音。


「いらっしゃいませ、かくりよ亭です」


 理央のよく通る声が響く。

 平日の夕方、それでもダンジョン帰りの探索者や、常連の作業員たちがぽつぽつと席を埋めていく。


「今日はバフ盛り定食、内容が少し変わってます」


「お、何だ何だ?」


「仕入れが良かったので、グレードアップしてます。ご期待ください」


 理央は笑顔でそう告げ、注文を取りながら、視線だけで厨房に合図を送る。

 ――二人の間に、言葉はいらない。


 最初の注文が通る。


「バフ盛り定食、一つ!」


「了解」


 悠斗は短く返し、即座に動いた。


 肉を火にかける。

 じゅっ、という音が小気味よく弾け、香ばしい匂いが一気に立ち上る。表面だけを的確に焼き、内部の魔力構造を壊さない。火入れは一瞬、判断は一秒。


 盛り付け。


 艶のある肉を切り分け、白米の横へ。

 澄んだ回復促進スープを椀に注ぎ、薬効草を刻んで散らす。


「――はいよ」


 カウンター越しに差し出された定食を、理央が受け取る。


「ありがとうございます。お待たせしました、ホーンボアの炙り焼き定食です」


 客の前に置かれた瞬間、空気が変わった。


「……うわ」


「匂い、やばくないか?」


「これ、本当に定食屋か?」


 箸が伸び、肉が口に運ばれる。


 一拍。


 次の瞬間。


「……っ!」


「何だこれ、柔らか……いや、力が……?」


「身体が、軽く……!」


 ざわ、と客席が揺れる。


 驚きと喜びの声が重なり合い、遠慮なく厨房にまで流れ込んできた。


「おい、これ今日だけか!?」


「疲労、抜けるどころじゃねえぞ!」


「集中力が一段上がってる……!」


 理央は驚く客たちに対応しながらも、内心で息を呑んでいた。

 ――反応が、今までと違う。


 それでも彼女は崩れない。


「本日の仕入れによる限定仕様です。また出せるかどうかは……店長次第ですね」


 そう言って、さらりと厨房へ注文を通す。


「バフ盛り定食、追加二つです」


「来い」


 悠斗は一切顔を上げず、次の皿を仕上げていく。

 だが、耳には確かに届いていた。


 客席の声。

 料理が、確実に“届いている”という実感。


(……上出来だ)


 ピークタイムを越え、客足が一段落した頃。

 鍋の火を落とし、悠斗は深く息を吐いた。


「理央、少し回せるか」


「はい。今なら大丈夫です」


「なら――」


 悠斗は冷蔵庫を開け、取り分けてあった肉を手に取る。


 刹那の分だ。


 営業用ほど強いバフは乗せない。

 だが、回復と栄養、そして“明日も動ける”ための調整。


 同じ料理でも、目的が違えば仕上げも違う。


「……よし」


 皿を整え、まかない用の膳を作る。


「刹那、上がってこい。飯だ」


 少しして、控えめな足音。


「失礼します」


 刹那は制服姿のまま、カウンター裏の座敷に腰を下ろす。


「……これは」


「今日の仕入れ分。お前が獲ってきた素材だ」


 刹那は一瞬、言葉を失い――

 それから、ゆっくりと箸を取った。


 口に運んだ瞬間、彼女の表情が緩む。


「……美味しい」


 それは探索者としてでも、最強としてでもない、

 ただ一人の客としての、率直な一言だった。


 悠斗はそれを聞いて、満足そうに頷く。


「ならいい」


 厨房には、再び静かな時間が戻りつつあった。

 だがその空気は、確かに充実している。


 ――かくりよ亭の夜は、まだ続く。

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