表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/63

第49話 刹那、進化の晩餐

 ……終わった。


 地上の掃討は、完了した。


 けれど、歓声はどこか控えめだった。


 死者は出ている。


 それなりに、出ている。


 想定より少なかった。

 奇跡的な水準だった。

 それでも、ゼロじゃない。


 担架で運ばれていく仲間の姿。

 静かに覆われたシート。

 名前を呼ぶ声。


 私はそれを、全部見ている。


 若手最強だとか、象徴だとか。

 そんな肩書きがあっても、守り切れない命はある。


 胸の奥に沈む重さを抱えたまま、私は仮設拠点の簡易ベッドに横たわっていた。


 明日、突入する。


 原因個体排除。

 九州奪還作戦、最終工程。


 今日は動かない。


 動けない、ではない。

 動かないと決めた。


 最高戦力は万全でなければならない。


 魔力は七割。

 筋繊維の微細損傷は回復術で処置済み。

 睡眠は最低でも六時間は取れと言われている。


 私は目を閉じる。


 瞼の裏に、今日の光景が浮かぶ。


 剣が肉を裂く感触。

 血の匂い。

 仲間の叫び。


 そして――終わったあとの静寂。


 一区切りはついた。


 外に溢れたモンスターは、もういない。

 市街地は取り戻した。


 けれど、本丸は地下だ。


 あそこにいる“原因”を断たなければ、これは勝利とは言えない。


 深く息を吸う。


 吐く。


 私は強い。


 そう言われ続けてきた。


 実際、強いのだと思う。


 でも、無敵じゃない。


 だからこそ、備える。


 力任せではなく、万全で挑む。


 ふと、胃の奥が空虚を訴える。


 そういえば、まともな食事はまだだった。


 携行食で最低限の補給は済ませている。


 けれど――。


 ……あの人なら。


 悠斗さんなら。


 きっと、やってくれる。


 こういう時こそ、最大限の一皿を。


 明日、最前線に立つ人間のために。

 死地へ向かう探索者のために。


 理屈じゃなく、背中を押す料理を。


 期待している。


 いや、信じている。


 あの暖簾をくぐれば、きっと。


 思わず、小さく笑みがこぼれる。


 死者は出た。


 重い現実は変わらない。


 でも、止まらない。


 私には戦う力がある。


 救える力がある。


 だから、明日も前に出る。


 できるやつが、できるだけのことをやる。


 それだけだ。


 コン、と軽いノックの音。


「鷹宮。店主が呼んでる」


 隊員の声がする。


 私はゆっくりと起き上がる。


 ……やっぱり。


 知らされてはいない。


 特別だとも言われていない。


 でも、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 きっと、明日に向けた一皿だ。


 私は髪を整え、深く息を吸った。


 ――行こう。


 明日、終わらせるための夜へ。



______


 円卓には、六席。


 私の右隣に、氷室龍也。

 静かに腕を組み、目を閉じている。氷のように無駄のない男。


 正面には、久遠寺恒一。

 背筋を伸ばし、武人のように微動だにしない。


 左には、早乙女澪。

 小さく息を整えながらも、その瞳は獲物を狙う猛禽の色。


 その隣に、アレクサンダー・“グリム”・ハワード。

 巨躯を椅子に預けながらも、纏う圧は獣そのもの。


 そして最後に、趙 天嵐ジャオ・ティエンラン

 指先で卓を軽く叩きながら、すでに気の流れを読んでいる。


 日本最上位と、世界の頂点。


 九州奪還作戦、最終突入部隊。


 そこに、私がいる。


 やがて、悠斗さんが現れる。


 背後に並ぶ食材を見た瞬間、深淵バフで強化された観察眼が反応した。


 ――濃い。


 魔力の密度が、地上の素材とは明らかに違う。


「深淵エリアから確保した食材だ」


 静かな声が、円卓に落ちる。


「今回は説明しておく。これは“永続する”」


 空気が変わる。


「一時的なバフじゃない。身体構造、魔力回路、神経系――基礎値そのものに作用する。定着型だ」


 氷室が、わずかに目を開く。

 久遠寺の視線が鋭くなる。

 グリムが低く笑う。

 天嵐の気配が一段深く沈む。


「想定以上に強化される可能性がある。……正直、どこまで行くか読めない」


 そして、淡々と告げた。


「もはや人間をやめるんじゃないかってくらいの進化を促す料理だ」


 冗談のようで、冗談じゃない。


 皿が一つずつ置かれていく。


 私は視る。


 深淵バフで研ぎ澄まされた観察眼で。


 氷室龍也の前には、透明感のある蒼白の料理。

 冷却と収束を極限まで高める構成。魔力の純度を研ぎ澄ます設計。


 久遠寺恒一の前には、重厚で無駄のない和の膳。

 骨格強度、重心安定、踏み込み出力――武の理想形。


 早乙女澪の前には、繊細かつ鮮烈な色彩の一皿。

 神経伝達と瞬発力を爆発的に底上げする最適解。


 グリムの前には、豪胆で荒々しい肉料理。

 だが粗野ではない。破壊力を制御可能な形に昇華する精密設計。


 天嵐の前には、静謐で流れるような構成。

 気の循環を阻害なく拡張し、内功そのものを一段上へ押し上げる。


 全員、違う。


 誰一人として同じではない。


 その人間にとっての“完成に最も近い形”。


 そして――。


 私は、自分の前を見る。


 白米。

 味噌汁。

 焼き魚。

 小鉢。

 漬物。


 かくりよ亭の、いつもの定食。


 一瞬、場違いにも思える。


 だが、観察眼が告げている。


 これは――異常だ。


 米一粒ごとの魔力配列が完全に整っている。

 味噌の発酵エネルギーが、私の魔力回路と共鳴している。

 魚の脂が、筋繊維の再構築を前提とした流れを描いている。


 尖らせない。


 爆発させない。


 積み重ねた基礎を、歪みなく、限界まで押し上げる。


 私にとっての最適解は、これ。


「お前は、それが一番伸びる」


 悠斗さんが言う。


 胸の奥が、静かに熱くなる。


 死者は出た。


 守り切れなかった命がある。


 それでも、明日行く。


 私たちは、進化する。


 人間をやめるかもしれない進化だとしても。


 それでも――守るためなら、構わない。


「食え」


 合図。


 六人が、同時に箸を取る。


 明日、深淵に潜る。


 終わらせるための、最後の晩餐が始まった。


「いただきます」


 箸を取る。


 最初に口へ運んだのは、白米。


 ――その瞬間。


 世界が、止まった。


 甘い。


 違う、甘いなんて言葉じゃ足りない。


 噛んだ瞬間に、米粒がほどける。

 ただ崩れるんじゃない。層になって、波のように広がる。


 表層はやわらかく、内側は弾力を保ったまま、最後に中心核がほどける。

 そのたびに、深淵由来の濃密な魔力が、舌から脳へ、脳から全身へと走る。


 視界が、明るくなる。


 音が、澄む。


 体の奥で、何かが“組み替わる”感覚。


 ……なに、これ。


 思わず、箸を持つ手が震えた。


 次に味噌汁を含む。


 湯気が鼻腔をくすぐった瞬間、涙が滲んだ。


 深い。


 深いのに、澄んでいる。


 深淵の食材特有の、底なしの旨味。

 本来なら重く、暴力的にすらなり得るそれを、完璧に制御している。


 出汁の一滴一滴が、私の魔力回路に沿って流れる。


 優しいのに、強い。


 包み込むのに、押し上げる。


 焼き魚を口に入れた瞬間、背筋が震えた。


 脂が舌に触れた刹那、爆発する旨味。


 だが荒々しくない。

 暴れない。


 完全に“私用”に調律されている。


 筋繊維の一本一本が、正しい位置に収まっていく感覚。

 骨の芯が、熱を帯びる。


 ……あり得ない。


 これは料理じゃない。


 奇跡だ。


 深淵の素材は、階層に比例して味も濃く、凶暴になる。

 扱いを誤れば、ただの過剰な刺激だ。


 それを。


 ここまで。


 悠斗さんは、もともと麗華――財閥令嬢の舌を唸らせた料理人だ。


 その人が。


 自らの調理技術にバフをかけた上で作った。


 技術強化。

 味覚同調。

 魔力制御精度上昇。


 料理人としての限界を引き上げた状態で、深淵素材を扱った。


 結果が、これ。


「……っ」


 気づけば、立ち上がっていた。


 椅子が音を立てる。


 胸を押さえる。


 鼓動が速い。


 でも苦しくない。


 歓喜だ。


「なに、これ……っ」


 声が震える。


 涙がこぼれる。


 戦場で泣いたことはないのに。


 これは。


 美味しいなんて言葉じゃない。


 生きていてよかった、と本気で思う味だ。


 強くなることが、こんなにも肯定されるなんて。


 ――私は、まだ上に行ける。


 我に返る。


 円卓を見る。


 氷室龍也。


 普段は感情を表に出さない男が、目を見開いたまま静止している。

 箸が止まらない。だが動きは静謐。

 その周囲の空気が、凍るのではなく、澄み切っていく。


 久遠寺恒一。


 背筋を伸ばしたまま、静かに咀嚼している。

 だがその目尻が、わずかに緩んでいる。

 武人が、完全に“満たされた”顔。


 早乙女澪。


 頬を押さえ、信じられないものを見るように皿を見つめている。

 次の一口を躊躇うほどに、尊いものに触れた表情。


 グリム。


 豪快に笑っている。

 だがその笑いは震えている。

 「God…」と低く呟きながら、拳を握りしめている。


 趙 天嵐。


 目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。

 その周囲の気が、渦を巻きながら整っていく。

 まるで、内功が一段上の境地へ踏み込んだように。


 全員、理解している。


 これは、ただ強くなるための食事じゃない。


 “進化”だ。


 人間という枠組みを、静かに押し広げる。


 それでいて。


 幸福だ。


 私は、もう一口、白米を運ぶ。


 噛み締める。


 涙が止まらない。


 明日、深淵へ潜る。


 怖くない。


 だって私は――


 こんなにも、背中を押されている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ