第47話 第18区画ダンジョン、封鎖完了
――それから、およそ一週間。
俺が今立っている場所は、地図上ではただの仮設拠点扱いになっているが、実態はもう立派な**「第二の前線基地」**だった。
氷室が展開した氷壁は、初日の簡易的な防壁から段階的に補強され、今では厚さも高さも第一前線基地と遜色ない。内部には自衛隊工兵による簡易建築が並び、医療区画、補給区画、通信区画が明確に分けられている。
人員も揃った。医師、看護師、補給担当、整備班、そして警戒用の探索者部隊。
「臨時」や「仮設」という言葉が、もはや形骸化している。
一週間かけてやったことは、単純だが重い。
――生存者を、一人残らず、安全地点へ送ること。
あの時、キャラバンのように膨れ上がった隊列は、最終的に数百人規模になった。
老人も、子どもも、怪我人も、心を折られかけていた者もいた。
俺はただ料理を作り続けた。
回復、疲労軽減、睡眠の質向上、精神安定。
《かくりよの手》で調整したバフを、無理のない形で、毎日、毎食。
「戦場で、飯を三食きっちり食える」
それだけで、人は驚くほど前を向く。
輸送は段階的に行われた。
瘴気の影響を受けにくい時間帯を選び、護衛を付け、少人数ずつ。
焦らない。無理をしない。
――それが、この作戦全体の合言葉になっていた。
そして今日。
第二前線基地の設備拡充と人員補充が完了した、という報告が上がった直後。
通信区画の空気が、はっきりと変わった。
「各隊、最終配置確認に入れ」
久遠寺の念話が、基地全体に静かに行き渡る。
ざわつきはない。
むしろ、妙に落ち着いていた。
それは、この一週間が「準備期間」だったからだ。
誰もが理解している。
――これから、始まる。
第一前線基地と、ここ第二前線基地。
二つの拠点は、地図上で見れば、第18区画ダンジョンを挟み込む位置にある。
挟撃。
封鎖。
ここまで戦線を押し上げ、生存者を後送しきった今だからこそ、成立する作戦だ。
俺は補給区画の一角で、最後の仕込みを終えた鍋に蓋をする。
湯気の向こうで、ヒースが俺の足元にちょこんと座っていた。
今は幼体化したまま、妙に大人しい。
「……分かってる。今日は出番ない」
そう言うと、ヒースは小さく鼻を鳴らした。
こいつも、空気を読んでいる。
外に出ると、刹那が装備の最終確認をしていた。
刀を腰に差し、いつも通りの無表情――だが、その立ち姿には張り詰めたものがある。
「店主」
呼ばれて、目が合う。
「いよいよですね」
「ああ。ようやく、だ」
一週間、戦線を維持し続けた主力。
無傷無疲労に見えても、積み重ねた緊張は確実にある。
「無理すんなよ」
「それは、店主の料理次第です」
珍しく、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
通信塔の上部で、早乙女が弓の調整を終え、視線を北へ走らせている。
氷室は氷壁の一部を再構築しながら、何かを計算しているようだった。
遠くでは、アレクサンダーが腕を鳴らし、趙天嵐は静かに目を閉じている。
誰もが、自分の役割を理解している。
誰も、軽く考えていない。
久遠寺の声が、再び念話で響いた。
「第一、第二前線基地、挟撃準備完了。
これより――第18区画ダンジョン封鎖作戦を開始する」
その瞬間、風が変わった気がした。
瘴気が、わずかに濃くなる。
遠くで、モンスターの気配がざわめく。
俺は鍋を持ち上げ、配膳台に向かう。
前線に出る連中の背中を、食事で支えるために。
戦いは、これからだ。
だが――
ここまで積み上げてきたものがある。
守り続けてきた時間がある。
だから俺は、包丁を握る手に、迷いはなかった。
「……よし」
第二前線基地は、静かに、しかし確実に――
封鎖という次の局面へ、踏み出していく。
久遠寺の号令と同時に、全体マップが更新された。
第一前線基地、第二前線基地、そしてその中心――
赤く脈打つように表示される第18区画ダンジョン。
今回の作戦は単純だ。
一直線に突き進む。
途中の群れは最低限だけ排除。
目的はただ一つ――ダンジョン本体の制圧。
その後、周囲を掃討する。
つまり。
「……一時的に、囲まれるってわけだ」
氷壁の上から見下ろす平原は、既に不穏なうねりを見せている。
遠巻きに蠢く影。
完全にこちらを意識している。
刹那が隣に立った。
「はい。四方から押し寄せます」
声音は静かだが、覚悟は決まっている。
挟撃とはいえ、同時に中央へ収束する形になる。
第一と第二がダンジョンへ到達した瞬間、外周は薄くなる。
そこを突かれれば――完全包囲。
正面突破。
制圧優先。
掃討は後回し。
危険度で言えば、これまでで最大だ。
俺は戦闘員じゃない。
前線に立つ資格もない。
それでも、やれることはある。
「ヒース」
足元の幼竜を呼ぶと、金の瞳がこちらを見上げる。
「今回は留守番だ。だが、削りはやるぞ」
ヒースの身体がわずかに震えた。
戦闘形態への移行を望んでいるのが分かる。
「ブレスは撃たせる。ただし無理はさせない」
俺の役割は継戦能力の維持。
無駄撃ちはしない。
だが、四方を囲まれるなら、薄くする手は打つ。
氷室がこちらへ歩いてきた。
「悠斗。囲まれる時間は最短で二十分、最長で四十分を想定している」
「……長ぇな」
「そうだな」
氷のように冷静な声。
だが、その瞳は戦場を既に見据えている。
「第二基地は防衛特化に切り替える。君とヒースの支援は、想定内だ」
「任せろ。全員、生きて戻せ」
氷室は小さく頷き、踵を返した。
視線を動かす。
早乙女が矢筒を背負い直し、通信兵と最終確認。
趙天嵐は黒い瘴気を纏いながら、無言で立つ。
アレクサンダーは拳を打ち合わせ、ニヤリと笑っている。
「囲まれる? 上等だ。囲んだ側が地獄を見るだけだろ」
軽い。
だが、その背中は頼もしい。
そして、刹那。
刀の柄に手を置き、ゆっくりと息を吐く。
ここ数週間。
北部上陸から、押し上げ、救出、基地構築。
何度も背中を見てきた。
若手最強。
それは称号じゃない。
実力と、覚悟の積み重ねだ。
「店主」
振り返る。
「必ず、抑えます」
「分かってる」
俺は短く答える。
「無理すんな」
「店主も、です」
言い返せない。
念話が響く。
『第一、第二、進軍開始』
空気が変わる。
重低音のような振動。
遠方でモンスターの群れが動き出す。
前線部隊が、一斉に踏み出した。
氷室の氷が地面を走り、足場を形成する。
早乙女の一射が、遠方の大型個体を射抜く。
趙が突進し、アレクサンダーが爆ぜるように加速。
そして――
刹那が、消えた。
いや、速すぎて視認できないだけだ。
一瞬遅れて、前方で爆発のような衝撃が走る。
モンスターの群れが割れる。
一本道が、強引にこじ開けられていく。
俺は歯を食いしばる。
追いかけたい衝動は、もうない。
あの頃の俺じゃない。
今の俺は――
「全員分、作ってある」
補給区画へ戻り、鍋の蓋を開ける。
持続回復、疲労軽減、精神安定、魔力循環補助。
囲まれる時間を耐えるための調整。
ヒースの身体が膨張する。
幼体化を解除。
第二基地外縁へ移動。
「来るぞ」
四方の地平線が、黒く染まる。
完全包囲。
前線が中央へ進めば進むほど、こちらへの圧力は増す。
「撃て」
ヒースが咆哮する。
次の瞬間、灼熱のブレスが一直線に薙ぎ払った。
地面ごと焼き、群れを削る。
だが、尽きない。
それでも。
削れる。
薄くできる。
それが、あいつらの生存率を上げる。
俺は氷壁の上に立ち、遠ざかる背中を見つめた。
ここ数週間、共に戦ってきた仲間。
飯を食い、冗談を言い、無茶をして、支え合ってきた連中。
今日の作戦は、これまでとは質が違う。
ダンジョンを抑える。
それは、魔境の心臓に触れるということだ。
拳を握る。
「――行ってこい」
小さく、呟く。
氷壁の向こうで、戦線がさらに加速する。
中央へ。
第18区画ダンジョンへ。
包囲の圧力が増す中、俺はヒースと共に、第二前線基地を守り続ける。
前線がダンジョンへ到達する、その瞬間まで。
そして――
念話が、わずかに乱れた。
『……ダンジョン視認。距離、残り――』
そこで、通信が一瞬、途切れた。
途切れた念話の余韻が、耳鳴りのように頭の奥に残る。
『……ダンジョン視認。距離、残り――』
そこで切れた。
氷壁の上に立ったまま、俺は動かなかった。
慌てるな。
焦るな。
周囲は地獄だ。
第二前線基地を取り囲むモンスターは波のように押し寄せ、ヒースのブレスが焼き払い、警戒班が削り、氷室の補助で強化された防壁が衝撃を受け止める。
だが――
「……遅いな」
ヒースが次のブレスを吐き出した直後、俺は気づいた。
押し寄せる速度が、ほんのわずかに鈍っている。
最初は気のせいかと思った。
だが違う。
さっきまで、湧き出るように増えていた数が、明らかに減衰している。
地平線の黒が、濃くならない。
「……はは」
思わず、息が漏れた。
囲まれている状況は変わらない。
危険も消えていない。
だが、これは明確な兆候だ。
「抑えたな」
ダンジョン本体。
あいつらが、到達した。
久遠寺の念話が繋がらなくなったのは、瘴気の干渉が強まったからだろう。
ダンジョン直近は、探査も通信も不安定になると会議で言っていた。
孤立前提。
そうだ、分かっていた。
念話が切れた=壊滅、じゃない。
むしろ逆だ。
本当に全滅級なら、モンスターの圧はさらに増すはずだ。
統率を取り戻し、雪崩れ込んでくる。
だが現実は違う。
外周の群れは明らかに散漫になっている。
「心臓を押さえられた」
ヒースが低く唸る。
ブレスの威力を落とし、節約モードに切り替える。
無駄撃ちしない。
「いいぞ、そのままだ」
俺は補給班に声を飛ばす。
「ブレスの間隔延ばす。魔力温存。防衛は第二陣中心で回せ」
「了解!」
声に、さっきまでの緊張一色とは違う色が混じる。
希望。
誰も口にしない。
だが、理解している。
前線は生きている。
氷壁の向こう、遠方。
うっすらと、空の色が変わる。
刹那の斬撃か、趙の闇か、アレクサンダーの衝撃波か。
あるいは氷室の大規模魔法か。
詳細は見えない。
だが、確実に何かがぶつかっている。
俺は鍋を持ち上げ、配布を再開する。
「まだ終わってないぞ。囲まれてんのは変わらねぇ」
隊員たちが苦笑する。
「分かってますよ、悠斗さん」
「でも、増えてませんね」
「ああ」
短く答える。
「だからこそ、油断すんな」
これは最も危険な時間帯だ。
中央が抑えられた直後。
外周が混乱し、統率を失い、暴発する可能性がある。
最後の抵抗。
それを耐えきれば――
ヒースが再び咆哮し、薙ぎ払う。
数は減った。
だが質が変わる。
大型個体が、前へ出てくる。
「……来るか」
囲い込みの最終段階。
俺は深く息を吸う。
念話はまだ繋がらない。
だが、焦りはない。
あいつらは生きている。
刹那は、必ず斬り伏せる。
氷室は計算通りに積み上げる。
久遠寺は、沈黙の中でも指揮を続けているはずだ。
早乙女は射抜き、趙は穿ち、アレクサンダーは殴り潰す。
ここ数週間、共に戦った。
飯を食って、冗談を言って、無茶をして。
信頼は、もう言葉じゃない。
俺は氷壁の縁に立ち、遠くを見据える。
「……帰ってこい」
小さく呟く。
その瞬間。
地面が、わずかに震えた。
遠方から、衝撃波が遅れて届く。
空を裂くような、鋭い一閃の軌跡。
そして――
久遠寺の念話が、かすれながらも、戻った。
『……第二基地。聞こえるか』
俺は即座に応じる。
「聞こえてる」
一拍。
『ダンジョン外縁、制圧完了』
氷壁の上で、誰かが息を呑んだ。
まだ終わりじゃない。
本体封鎖はこれからだ。
だが。
心臓に、刃は届いた。
俺はゆっくりと息を吐く。
「よくやった」
そして、鍋を握り直す。
――次は、内部だ。




